音無家の添い寝事情

塩砂糖

第1話『習慣』

 人間に限らず全ての生物は、当たり前だが、毎日違う時間を過ごしている。

 昨日と同じ今日は有り得ないし、今日と同じ明日も有り得ない。

 しかし、そんな違う毎日を過ごしていく中で、変わらないものもある。


 人はそれを、習慣と呼ぶ。


 習慣、日課、ルーティン。呼び方は色々あるが、本質は何も変わらない。

 日常の中には、無意識のうちに自動化された習慣が溢れている。


 例えば、朝目が覚めてから最初にすることは?

 スマホの確認。洗顔をする。うがいをする。トイレへ行く。カーテンを開ける。

 これは人それぞれで、日によって最初の行動が違う人だっているだろう。

 しかし、順番は違えど、これだけは欠かさずやっている。そんな行動がきっとあるはずだ。


 お風呂に入ったとき、体はどこから洗うか。

 通勤通学中は何をしているか。

 家に帰ってきて、まずすることは何か。

 欠かさず開いているスマホアプリはどれか。

 各曜日ごとに観るテレビ番組は決まっているか。

 冷蔵庫の中に決まって入っている飲み物は何か。

 見かけたら買ってしまうお菓子はないか。

 ティッシュの種類はいつも同じか。

 食べているお米の品種は何か。

 スマホはどこのポケットにしまっているか。


 別に、そうしようと決めたわけではない。

 けれど、そうしていないとどこか落ち着かない。

 挙げればきりがないほどに、日常には習慣が溢れている。


 そんな習慣の中には、一般的ではないが、自分にとってはそれが当たり前の、謂わばオリジナルの習慣と言えるものも、あるのではないだろうか。


 例えばそれは――――。



 ◇◇◇◇◇



 コンコン、と部屋のドアをノックする音を聞いて、俺は作業の手を止めた。

 時刻は午後11時過ぎ。時間的にそろそろだろうと予想はしていたけど、やっぱり今日もか。


「どうぞ」


 誰なのか、確認はしない。

 この家には俺以外に二人住んでいるが、そのうちの一人は部屋を訪ねてくるときにノックなんてしない。したがって、部屋の扉がノックされた時点で誰が来たのかは確定する。


 ゆっくりと扉が開き、部屋の中に入ってきたのは、予想通りの人物だった。


 真っ白の生地に青い水玉模様が描かれたパジャマに身を包み、両手で胸の前に枕を抱えた少女。

 音無鈴。俺の妹が、そこには立っていた。


「兄様。今日も、一緒に寝て、いい?」


 我が家の――否、俺、音無律おとなしりつ音無鈴おとなしすずの習慣の一つ。


 「添い寝」のお願いだった。



 ◇◇◇◇◇



 丁度、きりの良いところまでレポートを書き終わったところだったので、現在の状況を保存してパソコンの電源を切る。


 歯は磨いた。喉は乾いていない。トイレも大丈夫。今すぐに片付けなければいけないような仕事や課題もなし。

 時間はまだ少し早いが、もう寝ても良いだろう。


 鈴と添い寝をするとき、大抵の場合俺は壁側だった。話し合って決めたわけでも、俺が壁側で寝るのが好きなわけでも、鈴が壁側を嫌っているわけでもないが、いつの間にかそうなっていた。

 これも一つの習慣というやつだ。


 9月も終盤にさし差かかり、徐々に気温も下がってきた。

 日中ならまだ半袖でも過ごせるが、日が落ちると少し肌寒い。最近はタオルケットでは心許ないので、毛布を押入れから引っ張り出してきた。羽毛布団は、流石にまだ早い気がするので出していない。


 俺がベッドに乗って壁側まで詰めると、続いて鈴もベッドに上がってきた。

 セミダブルサイズのベッドなので、二人で寝ると少し手狭だが、鈴が小柄なこともあってそこまで気になったことはない。


「鈴って今、身長何cm?」


「……こないだ測ったときは、149.4だった」


「相変わらず低いな」


「実質、150だから」


 少しむくれた顔で鈴は言う。

 本人的には背の低さはコンプレックスらしい。

 四捨五入しても149じゃないのか、とは言わない。

 個人的には小さくて可愛いと思うのだが。


「……いつか、兄様の身長だって」


「超えるつもりなのか……?」


 俺の今の身長は179cm。

 鈴はまだ高校1年生なので、まだ多少は伸びる目があったとしても、ここから30cm以上伸びる未来は想像つかない。というか、あまり伸びてほしくない。


「ふぁ……ん。眠い……」


「もう寝るか。照明のリモコンは――」


「ん、私が消す」


 枕元に置いているリモコンを鈴が操作すると、ピッ、という音とともに部屋が暗くなる。

 足元にあった毛布を自分と鈴の体に掛ける。

 俺が横になると、いつも通り鈴は俺の左腕を抱き枕のように抱き抱える。

 仰向けで寝る俺の左腕を、鈴が抱いて寝る。最近は、もっぱらこの姿勢で寝ることが多かった。それこそ昔は、俺が鈴のことを抱きしめて寝ることもあったが、最近はほとんどない――――いや、そんなことはなかった。大体5回に1回ぐらいの頻度で抱きしめて寝ていることを思い出した。

 自分の名誉のために付け加えておくと、抱きしめて眠るのは全て鈴からの要望である。一体誰に対しての弁明で、この弁明によってどんな名誉が守られるのかは分からないが、とにかく、鈴からの要望である。


 抱きしめられた左腕から、鈴の慎ましやかで、しかし柔らかい二つの膨らみの感触が伝わってくる。流石にもう慣れたものだが、それでも多少ドキドキはする。

 妹の体に多少なりとも興奮しているという事実に、かなりの罪悪感と自己嫌悪感を覚えるが、こういうとき、俺は決まってこんな言い訳をする。


 実の妹では、ないから。


 実の兄妹ではないから。血を分けた妹ではないから。血縁関係はないから。


 だから、仕方がないと。


 普段は実の兄妹のように振る舞っているにもかかわらず、都合の悪いときだけ、義理の兄妹という関係に逃げ込む。

 そんな自分が、嫌いだ。


 もし、鈴が実の妹だったら。

 もし、血が繋がっていたら。

 もし、義理ではなかったら。


 こんな風にドキドキすることも、なかったのだろうか。


 それはそれで素晴らしい世界のように思えるが、それでも、実の兄妹になりたいとは思わない。


 きっと、実の兄妹だったなら。


 こうして一緒に眠ることもなかっただろうから。


 罪悪感や自己嫌悪感に苛まれながらも、俺はこの習慣が、鈴と添い寝をしているこの時間が、好きなんだろう。


 添い寝をする習慣が始まったのは、今から5年以上前のこと。

 その頃は、添い寝をしなければいけない理由があった。

 鈴を一人にしておけない理由があった。

 1日中は不可能でも、家にいる時間ぐらいは側にいなければ、簡単に崩れ落ちてしまうほどに、その頃の鈴は不安定だったから。


 しかし、今の添い寝にそこまで深い意味はない。

 ただ、そうするのが自然だから、そうしているだけ。

 鈴のことを考えれば、こんな子供じみた習慣、終わらせるべきであるようにも思う。

 そう思っていても、自分から言い出すことはない。

 案外、鈴が兄離れ出来ていないこと以上に、俺が妹離れ出来ていないのかもしれない。


「……にいさま」


 突然、左から声が聞こえてきた。


「まだ起きてたのか。どうした?」


「わすれてた、から」


「何を?」


「おやすみ、って、いうの」


「ああ……」


 律儀というか、何というか。


「おやすみ、にいさま」


 とっくに暗闇に慣れた目は、微笑みながらそう告げる鈴の顔を、しっかりと捉えていた。

 俺も、鈴に倣って笑みを返す。


「おやすみ、鈴」

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