第3話 幸せな暮らし



「サキちゃん、おはよー!」


「わっ」


 教室に入るや、サキの体がよろめく。

 サキの友達が、飛びつくように抱き着いてきたのだ。


 後ろへ倒れてしまわないように、サキはその場でなんとか踏ん張る。


「安藤くんも、おはよー」


「あはは、おはよう。相変わらず元気だね」


「そっかなー?

 ま、サキとの仲の良さは、安藤くんにも負けないつもりだよー?」


「も、もー、恥ずかしいよ!」


 クラスメートは、俺とサキの関係性をある程度理解してくれている。

 元々家が隣同士、両親が亡くなり一人になってしまったぼくをサキの両親が引き取った。


 年頃の男女が、ひとつ屋根の下で暮らしているのだ。

 からかわれることは、しょっちゅうだ。


「で、で?

 二人はどこまで進んだのかなー? もしかしいてもうキッスは済ませた?」


「ま、まだだよー!」


「ほほぉ、まだ、と」


「あ……も、もー!」


 ぼくとしては、変に気を遣われるよりも、こうして気軽に話しかけてもらえる方が、ありがたい。

 両親が亡くなったばかりの頃、中学時代は……みんな、気を遣ってくれた。

 けれど、それが逆に、つらかった。


 だから、高校に入って、ぼくから頼んだのだ。

 変に、気を遣うことは、しないでほしいと。


「よ、京谷!」


「おっ、と」


 不意に、肩に腕を回され、よろめく。

 その正体は、ぼくの友達だ。


 こんなぼくでも、今はそれなりに友達に囲まれ、幸せに過ごせている。


「ったく、学校のアイドルと毎日のように登下校一緒とか、うらやましいなこの」


「あたた、ぐりぐりしないで」


 頭を軽く拳でぐりぐりされつつも、それがじゃれ合いであることをぼくは知っている。

 こうやって、笑い合える形で友達が出来るのが、ありがたかった。


 両親が亡くなり、もう三年が経とうとしている。

 今じゃこの暮らしにも多少は慣れたし、「うらやましいでしょ」と言葉を返せる程度には、荒んだ心も元に戻っていた。


 ……当時、中学生の自分にとって、両親を亡くすのは、人生の終わりにも思える事態だった。

 もしも、サキたちが手を差し伸べてくれなかった……ぼくは、どうなっていたか、わからない。


「けどさー、お前大丈夫か?」


「大丈夫って?」


「ほら、みんながみんな、俺らみたいに事情を知ってるわけじゃないしよ。

 ひでーこととか、言われてねえか?」


 こうして、定期的にぼくのことを心配してくれる、友達がいる。

 確かに、友達の言うように、ぼくの事情を知らない人からは、心無い言葉を言われることもある。


 なんせ、学校のアイドルと、ほとんど常に一緒なのだ。

 特に男子からの、敵意の視線が痛いが……


「ぼくには、素敵な友達がいるから、全然問題ないよ」


「! お、おぉ……お前ってやつは!」


 感極まった友達は、ぼくを抱きしめる。


「なんかあったら言えよ、俺が守ってやるから!」


「うぐぐ、苦しい……」


「はいはい、サキちゃんが嫉妬しちゃうから、離れた離れた」


「し、してないよ!」


 こんな風に、ぼくの日常は、いろんなものが欠けていつつも、賑やかで平和なものだ。

 サキが、友達が、サキの両親が、周りにいてくれるから。


「いいだろうが、男同士のスキンシップだ」


「うげ、気持ち悪いこと言わないでよ」


「なにおう?」


「あははは」


 ぼくは、恵まれていると、思う。

 始めこそ、失ったものの大きさに絶望したけど……ないものをいくら思っても、もう取り戻せないのだ。


 その先に道があることを、示してくれたのが……サキたちだ。


「ったく。ま、なんか不便があれば、なんでも言えよな。出来る限りのことはしてやる。

 なんか困ったこととかないか?」


「ありがとう、その気持ちだけで充分だよ。

 生活面でも、サキのおじさんやおばさんに良くしてもらってるしね」


 そう、不便なんてあるはずもない。むしろ、助けてもらってばかりだ。

 サキやサキの両親からは、本当の家族みたいに扱ってもらっているし……


 それでも、俺がお返しをしたいと気にした素振りを見せると……


『京谷くんには、サキの食事に少しだけ協力してもらえれば、ありがたいわ』


『そうだな。娘がところかまわず人を襲うよりは、京谷くんに任せておいた方が安心だ』


 とのことだ。

 確かに、サキが血を求めて、誰彼人を襲っても、ぼくも困るけど……


 だけど、その程度でいいのかとも、思うのだ。

 血を提供すると言っても、吸われたぼくに影響はない。

 強いて言うなら、直後に立ち眩みがするくらいか。


 それでサキの助けになれているのなら、嬉しいけど……



 キ-ンコーン……



「お、予鈴だ」


 朝のホームルームを告げる予鈴が、鳴る。

 いつの間にか教室には、ほとんどの生徒が揃っていた。


 中には欠席の者もいる。

 風邪か、それともサボりか……


 ぼくたちも、別れて各々の席に座る。

 ぼくとサキは席が離れている。それをサキは残念がっていたけれど。


 これまで、授業中に吸血行為の発作が起こったことはない。

 もしそうなれば、サキが誰かを襲ってしまう前に、彼女をどこかに連れ出さないと、いけないからな。


「……」


 吸血の発作は、一定の定期ごとに発動する、とはおばさんの言葉だ。

 それも個人差があるが、今朝吸ったサキは二、三日は持つだろう。これまでの経験から言って。


 サキは、ぼくの血がおいしいと言ってくれるし、これがもうご褒美のようなものだ、と言うだろう。きっと。

 けれど、それではぼくの気が済まない。


 そういえば、もう少しでサキの誕生日だ。

 おじさんやおばさんも含めて、その日にお返しをする……うん、やっぱりこれだ。

 実は、以前より計画していた。


 その名も、恩返し作戦だ。

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