第2話 英雄遭遇

 呆然と立ち尽くしていたエイゼリットを苛立ったクラクションが正気に戻す。

 スクランブル交差点での立ち往生。

 焦ったエイゼリットはへこへこと頭を下げながら、車の合間を縫い、脱出。

 嘲笑が耳に入ると、鼓膜から熱が上がってくるのが分かった。

 徐々に頬が赤くなると、それを誤魔化すため、バチバチと両頬を叩く。

 自分は誰か、どこから来た、ここは何処で、何故ここにいる。

 そんな自問自答を一つ残らず答えると度し難い恐怖が背中をなぞった。

 答えられるはずのない自問に答えた自分がいたからだ。

 

 「異界大戦」


 それがエイゼリットがこの世界に召喚された理由。

 十二の世界から最強と謳われる英雄が一堂に会し、最後の一人になるまで殺し合う。

 殺された英雄の世界は滅びの末路を迎え、残った世界は真の平和を手にする。

 異界への転移という、古代の壁画に刻まれた眉唾物の伝説を彼は今体験していた。

 他ならぬ自分の目で、鼻で、肌で。

 自分のいた世界とは似ても似つかないほどの発展を遂げている世界。

 澄んでいるとは程遠い、毒素が混ざったような空気。

 肌で感じるマナの希薄さ。

 そして、この世界に合わせて着替えさせられた衣服。

 念じればいつもの鎧の姿になり、聖剣が現れることも分かる。

 それらが夢現などではないと脅迫するように訴えていた。


 「本当に、本当に殺し合わなくてはならないのか」


 頭を抱えて項垂れる。

 人同士で、しかも世界を救ったという人格者たちと殺し合う。

 何故、そんなことをしなければならない。

 こんな戦いに何の意味がある。

 怒りとは違う、表現し難い、攻撃的な感情が渦巻いている。

 そんなエイゼリットを誰もが一瞥するだけで無視する中、一人の少年が彼に歩み寄った。

 

 「あんた、英雄だな?」


 その言葉を聞いた瞬間、エイゼリットは後退し、剣を抜く動作をする。

 氷のような白髪。

 ターコイズのように陽気さと勇気が溢れ出るような鮮やかな黄色の瞳。

 僅かに柔らかい表情がこちらの警戒を解けと話しかけているようだった。

 成人すら迎えていない細身の少年。

 エイゼリットは彼から殺気も感じなかったので、態勢をすぐに解いた。

 途端に額から脂汗がジワリと上がる。

 殺し合わなくてよかった。そんな実感がチグハグな生理現象を起こす。

 喉が渇き、奥に何かが詰まったような感覚だ。

 

 「君は誰だ?」


 「あんたと同じだ。異界大戦。そのために召喚された英雄。状況は分かっている。俺も無益な戦闘は避けたい。少し話をしたいから、そこのカフェで一服どうだ?」


 そう言うと彼はビルの二階にあるコーヒーショップを指差した。

 彼も異界の英雄か。戦う意志がないことを考えると情報収集を最優先に行動しているのだろう。

 

 「分かった」


 戦う、戦わないは別として利害は一致している。

 情報は欲しいし、何者かから与えられたこの世界の知識に確信を持ちたかった。

 何よりこの無益な殺し合いを止めさせたかった。

 そのための戦力は少しでも多い方が良い。

 彼を説得できればあるいは。


 入ったカフェは豪華というよりも派手……いいや、こういう時はお洒落と言うべきか。

 木を基調とし、壁にタイルを張りアクセントとしている内装。

 少年の背丈の倍はあるガラスが緩やかなカーブを描きながら視界に広がり、それに沿うように飲食するための木製テーブルが置かれている。

 元の世界では見たこともない内装や、あり得ない建築技術。気泡の一つもない巨大なガラスを作り出す精巧な技術に目移りがやめられない。

 知識としてはある。だが、実際に見るとでは心の踊り様が違った。


 「ご注文は何になされますか?」


 「抹茶フラペチーノ。グランデサイズで、ホイップと抹茶パウダー多めで。あっ、あとキャラメルソース追加で」


 「かしこまりました」


 何やら呪文のように店員に語る少年。

 注文通り、ジョッキほどの大きさのカップに並々入れられた、フラペチーノにこんもりと盛られるホイップクリーム。

 その光景にエイゼリットの身体は胸やけを起こした。

 三〇歳を迎えていないにも関わらず、食は日に日に細くなっている。

 あれほどの脂肪を胃袋に流し込んでは、吐き気で寝込んでしまうだろう。

 

 「ご注文は何になされますか?」


 店員に声をかけられると、エイゼリットはぎこちない笑みを浮かべた。

 初めてのことに緊張するのはいくつになっても変わらない。

 

 「コーヒーで。サイズは一番小さいので」


 「ショートサイズですね。かしこまりました」

 

 年齢が一回りも離れた少年の後を追う。

 窓際の席に行きたかったが、少年はそういう気分ではないらしい。

 注文の時もそうだが、妙にこなれている印象だ。

 二人は向かい合って席についた。


 「本当にそれ、飲むのかい?」


 エイゼリットは恐る恐る聞く。細身の少年があれほどの脂肪の塊を胃袋に流し込むというのだ。彼からすればあり得ないことだ。


 「美味しいぜ。一口飲むか?」


 ズイとストローの口を差し出されるが、丁重にお断りした。

 黙って自分で注文したコーヒーを啜る。 


 「これがコーヒーか」

 

 初めて飲むが、ビエル地方で飲んだ豆のお茶によく似ている。

 それよりも味は濃いし、苦味も強いが、芳ばしい豊かな香りが素晴らしい。


 「お気に召したようで」

 

 「あぁ。この世界は素晴らしいな。こんなにも美味しいものが銅貨数枚程度の値段で買えるとは」


 「そうかい。俺の誘いにまともに応じてくれたのはあんたが初めてでな。俺はナコー・シレン。まずは感謝を」

 

 「よせ。私も気持ちは一緒だ。私はエイゼリット・グリデハルト。最初に出会ったのが平和主義者の君でよかった。口振りを聞くに、君は私以外にも召喚された英雄に会っているのか?」


 「召喚されてから三日。その間、召喚された英雄何人かに接触を試みた。けど、逃げたのが一人。刃を交えたのが二人」


 英雄が召喚されるタイミングは数日ほどのタイムラグがあるようだった。


 「三人の英雄と接触した訳か」


 いずれも名乗ることはなかったという。

 一人は巨躯の男。

 強靭な肉体と、分厚い髪型も相まって獅子のようだったという。

 異界大戦の参加を歓喜しており、この戦いに招いた誰かに感謝していた。

 身の丈を超える矛の使い手で、感謝を終えると問答無用で斬りかかって来たという。


 二人目は少年。

 まだ幼さが残る顔だったため、ナコーは自分より年下に見えたらしい。

 この状況に戸惑っており、狼狽えていたところに声をかけたが、尋常ならざる速度で人混みの中に消えていったらしい。

 不測の事態に取り乱すところから精神的に、救世の英雄に足る存在が残るが、身のこなしは間違いなく武芸に精通していると考察している。

 

 三人目は女性。

 黒いコスチュームに身を包み、腰まで伸びる黒髪は漆器のような艶を帯びていた。

 少女のような、淑女のような、婦人のような、老婆のような。とにかく、様々な印象を覚えたという。

 二〇代前半くらいだと話すが、その女から感じた印象を考えるに信憑性は低い。

 戦う気がないことを告げると、問答無用でナイフで斬りかかって来たという。

 大戦の勝利を目指しているに違いない。


 「言葉が通じるだけ、まだマシか。君はこの大戦を誰も殺さずに終えるためにそんな真似を?」


 「そうです。平和に解決できるのであれば、それが一番いい」


 エイゼリットは改めて嬉しかった。自分と同じ気持ちの人間がいる。

 やはり、人間の思いは素晴らしいものなんだ。


 「んで、これからどうするべきだと思う?」


 あまりに予想外の問いかけに、思わずコーヒーを吹き出しかけた。


 「アッハハハ。無策だったのか。てっきり、それなりの策を用意しているからこその行動だと思っていた。無鉄砲にもほどがあるぞ」

 

 ここまでの話で、ナコーのフラペチーノは半分まで減っていた。

 話は異界大戦のことに移る。

 転移した際に頭の中に刻まれた最初の記録、『異界大戦 十二規程』。

 そこにこの大戦を終わらせるヒントがあるのではないかと思ったのだ。


 「しかし、読み返せば読み返すほど、クソみたいなルールだな」


 「戦うことを脅迫させるような内容。それに参加する英雄にとって、メリットがあまりにない。願った真の平和? 意味は分かるが、曖昧過ぎて戦う気には・・・大規模な儀式魔法の可能性は? 我々を生贄に何かを生み出すとか」


 「魔力の枯渇したこの世界で? 儀式魔法はその土地に根付いたエネルギーを元に構築するものだから、あり得ないだろう?」


 「いや、儀式魔法は大規模な魔法陣を構成できれば簡単に・・・ん? 魔力とは何だ?」


 ナコーの台詞から、魔力というのは魔法を使うためのエネルギーのことだと思うが、エイゼリットの世界ではそれをマナという。


 「どうやら、俺たちの世界には魔法はあるが、原理が違うらしいな。儀式魔法のプロセスからして、まず間違い無いだろう」


 「ですね。魔法を使う時はどのように?」

 

 「詠唱だ」


 「俺の世界では魔力の籠った文字を描き記し、魔法を使います」

 

 「ふーむ、原理は違うが、根本は同じように思えるな」


 「この世界でも問題なく使用できるのを考えるとそれで間違いないでしょうね。それか、ルールに明記された奇跡の力か」


 「【十】異界滴応」


 「それだけじゃない、他のルールについてもまだ考える必要がありそうだ。だけど、そんなことを考えなくてもいい連中がいる」


 「俺らのような平和主義者には考えることが多過ぎる。だが、君が刃を交えた連中にとっては最高なのではないか?」


 「戦闘狂には天国でしょうね。だからこそ相容れない」


 「徒党組むのは厳しいだろうね」


 「そもそも、徒党を組むことができないようになっていると思いません?」


 「【六】か……うむ、大戦の続行が困難な状況というのが、『参加者全員が徒党を組み、戦うことを放棄した場合』ということか」


 「誰の思惑かは知りませんが、戦いを起こすことに意味はなく、戦わせることに意味があるようなルールだ」


 「だが、【六】の中に異界大戦平定のルールがあるように思える」


 「『主審』か?」

 

 「そう。大戦を起こした誰かさんと直接繋がっているであろう人物の存在が明記されている」

 

 「だが、怖いのが敵対行為とみなされた場合は即刻死……この敵対行為がどこまでの範囲まで許されるか……だな」


 「それを考えても仕方ないでしょう。今はとにかく、主審を探す――」


 「だな。連絡先を交換しておこう。二手に分かれて探すのが得策だろう」

 

 懐からスマホを取り出し、番号を交換する。


 「では、ご武運を。何かあればすぐに連絡しますが……しばらくはこの辺りで美味いもの巡りでもしています。何もなくても顔を合わせることがあるでしょう。フラペチーノも、寿司も、ハンバーガーも、ラーメンも久しぶりなんで」


 久しぶり。その言葉に感じた違和感をエイゼリットはすぐに口に出した。


 「君はこの世界を知っているのか? いや、居たことがあるのか?」

 

 既に空になった容器を片手に、ナコーは名乗った。


 「――『救世輪廻』。俺はこの世界で一度命を落とし、異世界に転生した人間なんです」

 

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十二異界英雄大戦  吉規詩乃 @7753tumikimikan

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