「第6章 こんな所で何座り込んでるの」(4-1)

(4-1)


 木曜日の夜。


 大樹は部屋でウイスキーを飲んでいた。現在の時刻は午前一時。

 普段なら明日に備えて眠っているところだが、最後の夜という事もあり、ほんの少しだけウイスキーをグラスに入れたのだ。


 風邪が治った和田が会社に出社するようになって、フォローは終了。

 仕事は順調に動き出した。本来は明日に行うはずの報告書の作成も八割終わっている。これだけ進めておけば、あとは二人だけでも終わらせる事は可能だ。


 身辺整理も全部終わった。今は、生きてきた中で一番身軽だ。

 自分はもう明日の今頃には、この世にいない。


「ははっ」


 酔っているせいか小さな笑いが大樹の口から溢れた。


 少しは自分の中で死に対する恐怖があるかと思ったが、不思議なくらいない。


 それは何故か?


 あの世が本当にあるなら、そこで美咲に会えるかも知れないと微かに期待している部分もある。

 だがそれよりも彼女を自分のせいで死なせてしまった事への償いが、これでやっと出来るからという気持ちの方が強いからだ。


 そう自己分析を終えると、明日に備えて今日はそのまま眠る事にした。


 翌朝。


 大樹はiPhoneのアラーム通りに目が覚めた。

 昨夜、飲んだウイスキーは残っていない。カーテンの隙間から入る太陽光に目を向けて、そっとカーテンを開く。

 開かれたカーテンから見える青空は、雲一つなくどこまでも透き通っていた。まさに死ぬにはうってつけの日と言える。


 そんな事を考えながら、いつものように部屋を出てシャワーを浴びてスーツに着替えてリビングへ向かう。


「おはよう」


「おはよー」


 リビングでは、いつものように由香が台所で朝食を作っていた。大樹はテレビを付けて、ニュース番組を観る。正直、観る必要はないものの、変にいつもと違う行動をして怪しまれる方が怖い。


「今日は何時に帰れそう?」


 朝食をテーブルに運んできた由香がそう尋ねる。


「えっと、まあ遅いかも」


 運ばれたコーヒーに口を付けて、そう話した。すると由香がため息を吐く。


「今週、そんなに忙しいの?」


「うーん。まあ、色々あってな。悪い事じゃないから」


 嘘をつくのが苦しくて話を続けられない。

 逆に由香に質問する事にした。


「由香はどう? 学校でやれてる?」


「うん、別に大丈夫」


「え? そ、そうか」


 もっと会話を広げようと思った大樹。

 しかし、何をどのように広げればいいか。彼の脳で処理が出来なかった。

 由香は部活に入っていない。勉強はおおよそ順調だろう。高校二年生とは言っても今まで話していない大学受験の話を朝から急にするのもおかしい。


 友人関係は、本人が聞かれたら嫌な可能性もある。


 っとなると、低速回転していた大樹の脳が導き出した話題は一つ。


「由香が高校生だもんな。美咲が生きていたら、何て言うかな」


「んー、どうだろう? 中学生の頃に比べてそんなに身長は伸びていないし、案外変わっていないっていうかも知れない」


 そう話す由香の視線の奥、リビングの一角には、美咲の仏壇が置かれている。彼女が毎日お供物を変えて、手を合わせていた。


「でも中三と高二では大分違うからなぁ。きっと大人っぽくなったって言ってくれるよ。料理のレパートリーだって凄い増えたし」


「そ、そうかな……」


 大樹の言葉に由香は照れた顔で、食パンを齧る。焼き目のついたカリカリの部分が砕ける独特の音がリビングに響く。


 二人は、それからしばらく会話が無かったが、点けていたテレビの占いコーナーがその雰囲気を良い意味で壊してくれた。


「あ、占い始まった」


「本当だ」


 二人して手を止めてテレビを観る。大樹は美咲が亡くなっても、この番組の占いコーナーで彼女の星座の順位を確認してしまう。

 美咲の牡羊座は、今日は四位だった。


「あ、お母さん。四位……」


 テレビを観ながら由香がボソッと口にする。


「ああ。そうだな」


「お父さんと私は何位だろう?」


 自分の乙女座はまだ順位が出ていない。この占いコーナーは一位と十二位を一緒に報告するから、呼ばれていないからと言って、油断は出来ない。ランキング発表はどんどん進み、いよいよ一位と十二位の発表になった。


 大樹の乙女座、由香の天秤座。どちらかが一位で最下位だ。


「さ、どっちかな」


「お父さんは一位じゃない?」


 大樹の独り言に由香がそう答える。すると、彼女の予言通り一位になった。

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