「第6章 こんな所で何座り込んでるの」(2)

(2)


 とある金曜日の午後。


 その日も大樹はいつものようにシングルモルトウイスキーのスプリングバンクとナッツを用意して、本棚から灰色の本を取り出した。由香には彼が金曜の夜にお酒を飲んでいる事はバレており「晩酌は程々にしてね」と食器棚からグラスを取りに行った際に釘を刺された。


「分かってるよ。一杯だけだから」と由香に返して、大樹は自室に入る。


 今日も仕事は大変だった。高木が最近独り立ちして、自分の案件を持つようになった為、この間まで彼にフォローをお願いしていた案件を大樹一人で行う事になった。彼が入社する前はそれが当たり前だったのに、戻ってくると仕事量の多さに驚く。


 灰色の本のおかげで、何とかショートせず動いているものの、忙しさに変わりはない。それだけ高木の能力が優秀だったという証明となる。

 本人には来週にでも、それとなく話して褒めておこう。


 大樹はそんな事を考えながら、氷を入れたグラスにスプリングバンクを注いで、デスクに置く。本棚から抜いておいた灰色の本を開く前に唇を塗らす程度に一口、グラスに口を付けて風味を味わってからゆっくりと本を開いた。


 デスクライトのみを光源とする部屋で、見開きになっている明日からの未来をゆっくりと見る。土日は基本的に平和だった。まず土曜日は家の掃除を手伝って、コーヒーを読みながら本を読み、由香と夕食の買い出しに出掛けて、彼女が作る鯖の塩焼き定食を食べながら、テレビを観る。


 日曜日も似たような一日だった。大樹は見開きのページをiPhoneで撮影していく。美咲の未来を変えてしまってから、大樹は絶対に自分勝手に未来を変えようとはしなかった。全て忠実に守る。


 たとえそれが、自分の都合で変わる未来だとしてもだ。もしかしたら、自分の未来であっても、修正された事で他人に影響が出てしまうかも知れない。


 そう考えてしまうと、大樹はもう灰色の本に逆らわないようになった。その方が生きていく上で苦がない。それに最適化された未来で困る事は、根本的には存在しない。


 大樹はその後もページを捲る。平日になると、仕事面での書き込みが中心となっていく。至急案件が来る事や和田が風邪を引いて二日休んでしまう為、彼のフォローを高木と二人で行わなければいけない。


「あー、これは大変だな」


 その文面を見た時に思わず愚痴が溢れる。

 和田のフォローをどれだけ二人で回せるか。大樹は簡単に頭の中で仕事のシミュレーションをする。灰色の本にも書かれているが、こなせるかは当人の力量の問題だ。


 今週は前半が特に大変な感じかな。

 そんな事を考えながら、大樹はページを捲り続けて金曜日に到達する。


 


 そこに書かれていた内容に大樹の時間は、一瞬止まった。




 手の握力が失われて、持っていたグラスがデスクに落ちる。その反動でウイスキーが弾んで僅かだか、灰色の本が汚れてしまった。


「あっ!」


 慌ててテイッシュを抜き取り、灰色の本とデスクと拭く。テッシュにウイスキーが染み込んで琥珀色となった。それらを丸めてゴミ箱へ捨てる。

 そして、あらためて書かれていた内容に目を通す。


 何度見ても、書かれている内容は変わらない。


 大樹は、金曜日の朝に交通事故に遭って死ぬと書かれていた。


【珍しくバスに乗り遅れた朝は、仕方なしに歩いて最寄り駅まで向かう。


 近道をしようと普段は通らない住宅街を通った。すると、目の前に登校班で学校に向かう小学生の一団が現れた。


 彼らの内、二人組の男子が話に夢中で次第に前方から置いていかれていく。その事に途中で気付いた一人が慌てて駆け出す。赤信号を無視して横断歩道を渡った。もう一人も彼らの後を追い走り出す。同じように赤信号を無視する。


 途端、軽トラックがクラクションを鳴らしながら、走ってきた。慌てて駆け出して彼をグルンと後ろに突き飛ばす。助けた彼の代わりに自分が軽トラックにぶつかって、死亡する】


 書かれている内容を一字一句、読んだ。どうやら金曜日の朝、自分は軽トラックに衝突するらしい。その後は詳しくは書かれていないが、この書き方では死んだと考えていいだろう。

 その事実を大樹は理解出来た。そして、グラスにまだ残っているウイスキーを一気に呑む。喉に直接ウイスキーの熱さが伝わった。


「ゴホッ! ゴホッ!」


 反射的に咳き込んで焼かれた喉が訴えを起こす。グラスに入っていた氷を口に放り込み、何とか機嫌を取った。氷が小さくなり喉元を通り過ぎる。同時に熱くなっていた頭が氷のおかげで冷やされた。


 冷却後、再起動した体の感覚を大事にして、大樹がまず抱いたのは安心だった。


「あははっ、」


 短い笑い声が口から漏れた。


 そう、考えてみたらそれは当たり前の事だった。灰色の本には大樹の未来が書かれている。一年限定で来年毎に前のページが白紙になってもいつかは限界が訪れる。


 全ての人間は例外なく死ぬ。それは灰色の本にも書かれる事実。


 誰かに迷惑をかけて死ぬのなら、回避する事も考えただろう。ところが、書かれている内容は、子供を助けた結果で死ぬ。充分過ぎるシナリオだった。


 自分が死んだ後、未来はどうなるのだろうか?


 ふとした疑問が大樹の中に浮かび、金曜日以降のページを捲る。すると、開いたページは白紙だった。一年間限定の未来なので、去年も十二月三十一日以降は、ページはあっても白紙だった。しかし今回は違う、今は五月。


 本当に自分は来週の金曜日に死ぬんだ。


 その最適化された未来を大樹はハッキリと自覚出来た。

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