「第4章 目をつむってただけだから」(6-2)

(6-2)


 家に帰る途中のタクシーでそれぞれの両親に連絡する。

 美咲側の両親は勿論、実家の母親がとても心配していた。

 美咲が治るまで自分達が由香の世話をすると言い出して、すぐにでも来そうな勢いだったので、今日はバタバタしてるから。助けが必要になったら連絡すると言って、電話を切った。美咲側の両親は、お見舞いに行くと言っていたので、病院の住所と病室を伝えた。


 最後に由香への連絡だ。彼女は、美咲が病院に行く事は知っているけど、入院や手術と言った事までは予想していないはず。最寄り駅のホームで大樹は、彼女にLINEを書いた。出来る限り丁寧に心配させないように。


 すると、送ってすぐに由香から電話がかかってきた。


『もしもし由香。ごめん、お父さん今から電車に乗るんだ』


『分かった。すぐに切る。……お母さん、大丈夫だよね?』


『何言ってるんだ。当たり前だろ』


大樹の言葉にiPhone越しの由香から安堵する声が聞こえる。


『とにかく帰ってから細かい事は話すよ。夕食はお弁当を買って帰る』


『いつものとこ?』


『うん。何が食べたいか。後でLINEしてくれ』


『分かった』


 由香と通話を切ると丁度、地下鉄が到着するアナウンスがホームに鳴り響く。

 大樹は、目の前のサラリーマンに倣って、地下鉄に乗った。目の前にあった空いているシートに腰を下ろす。車内で服部係長宛にメールを送る。


 妻の現状と明日以降、一時間遅れて出勤したい旨を伝えた。服部係長からは、定時が一時間ズレる事になるが、それでも構わないなら問題ないと返事が届いた。それで問題は無かったので、お願いしますと返事を書いた。


 帰りが一時間遅れたところで大した痛手ではない。それよりも朝に見舞いに行ける方がずっといい。服部係長とのメールが終わると大樹は目を閉じた。いつもなら会社帰りには文庫本を開いて過ごしているのに今日はカバンから取り出す気すら起きなかった。


 それから家の最寄り駅前にある、いつものお弁当屋で由香リクエストの焼肉弁当と唐揚げ弁当を買って、家に帰る。家に帰ると由香は既に帰っていて、リビングのドアが開き「おかえり」と彼を出迎えた。


「ごめんな。遅くなってまずはご飯を食べよう。ほらっ、由香が食べたいって言った焼肉弁当買ってきたぞ」


「うん、ありがとう」


 大樹は二つ分のお弁当が入ったビニール袋を彼女に渡す。


「父さん、部屋で着替えてくるから。お弁当をリビングに持って行ってくれ。お腹空いてるなら先に食べてもいいぞ」


「大丈夫、待ってる」


 待ってる。こちらの目を真っ直ぐに見て、答える由香。それに大樹は「そうか」と返して、洗面所で手洗いうがいを済ませて逃げるように自室に入った。


 部屋に入りビジネスリュックを置いて、部屋着に着替える。油断するとすぐにため息が出そうになった。由香の前では出したくなかったので、部屋の中でため息をなん度も出しておいた。すると、嫌でも肺の空気は循環されて気持ちが少し楽になる。


 着替えてリビングに入ると、由香は買ってきたお弁当をテーブルに並べて、温かいお茶も入れていた。


「このお茶どこから?」


「棚にあったからケトルでお湯沸かして淹れた。賞味期限はまだ先だから大丈夫」


「そうか、ありがとう」

 

 今まで由香がお茶を淹れた事なんてない。

 夏は冷蔵庫に麦茶が常備されているし、飲みたくなったら美咲が淹れてくれる。由香なりに精一杯気を遣ってくれているのが、大樹に伝わってくる。 


「さて食べるか。いただきます」


「いただきます」


 二人して手を合わせた後、弁当を食べ始める。大樹は今日、昼はパン一つだったのを弁当を一口食べた時に思い出した。だが、今の今まで不思議とお腹は空いてなかった。きっと、美咲の事で頭がいっぱいでそこまで気が回らなかったのだろう。


もしかしたら、これからもそうなってしまうかも知れない。


 食後、由香と今後の生活について話をしてから、大樹は一度会社に連絡すると言って自室に戻った。今夜はウイスキーなんて、とても飲む気分にはなれない。

 なので、大樹は初めて素面で灰色の本を本棚から抜き出して、デスクに置いた。一拍、深呼吸をしてからそっと本を開く。


「やっぱり……」


 予想していた内で最悪な予感が的中した。

 本に書かれている内容が違っていたのだ。美咲はインフルエンザではなく、病気で長期入院する事になっている。まるでつい、先程の出来事を誰かに見られてレポートにされたような書き方だった。胸の中を誰かに手でグチャグチャに掻き乱されたような嫌悪感に襲われる。


 さっき食べた唐揚げ弁当が胃からせり上がってきた。


「うっ……!」


 両手を口元に当てて、それを必死に抑え込む。胃液混じり酸味の効いた唐揚げの匂いが口から部屋の酸素に触れる。台所に水を取りに行く飲むのも煩わしいと感じながら、大樹はiPhoneを取り出して、先週に撮影した灰色の本の写真を開く。

 写真を見て大樹は息を呑む。

 写真に書かれていた内容まで変わってしまっていたからだ。


 最後に見た時は、まだ変わっていなかった。

 時差? それとも自分が認識したから? 疑問は勝手に湧いては消えていく。


 一つハッキリしている事は、大樹が余計な事をしたせいで、未来が変わってしまったという事。


 それだけだった。

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