「第4章 目をつむってただけだから」(5-2)

(5-2)


 ビーフシチューを食べ終わると、大樹はお皿を台所へ運んで洗っておいた。鍋に残った分は、タッパーに入れて冷蔵庫へ。由香はまだドラマを観ている。


「由香。お父さん、そろそろ部屋に戻るけど、どうする?」


「んー。このドラマ終わったら部屋に帰る」


 由香はドラマに顔を向けたまま、簡単に答えた。


「じゃあリビング出る時に電気消しといてね。おやすみ」


「うん、おやすみなさい」


 由香と別れて、大樹は自室へと向かう。

 自室へと向かう前に美咲の部屋をそっと開けて、様子を確かめた。部屋の電気は真っ暗。耳を澄ませると、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 どうやらすぐに眠ったようだ。その事を安堵して、またそっとドアを閉めた。そして、洗面所で歯磨きを澄ませる。


 自室に戻りMacBook Proを起動して、適当にネットサーフィンをしてから部屋の電気を消して、ベッドに入る。

 眠る前にiPhoneでアラームをセット。そして目を閉じて眠りにつく。


 翌日。


 大樹は身支度を整えて会社へ出勤する。

 朝食を食べている時にも美咲には、今日中に病院に行くようにと何度も念を押した。彼女は「分かったから」と笑いながら了承してくれた。


 これで帰る時と美咲がインフルエンザという事が判明する。ホームで電車を待ちつつ、大樹はそう考えた。


 会社に行き、灰色の本に書かれていた通りに午前中の仕事を処理する。昼休みになり、またいつものように文庫本と財布を入れたトートバックを持って、スーパーのフードコートへと向かう。


 その途中、美咲からのLINEが来た。信号待ちで開くと彼女から【さっき病院に行ってきました。インフルの検査もしてもらったけど、違うって言われた。やっぱり風邪みたい。あと熱が八度以上あるから、横になっています】


「……はっ?」


 美咲からのLINEを読んだ瞬間、思わず小さな声が出た。


 インフルエンザじゃない? そんな馬鹿な。

 灰色の本には確かにインフルエンザと書かれていた。これまで一度だって外れた事はない。大樹は撮影していた灰色の本のページを確認する。表示された内容は、前に見た時のまま。美咲がインフルエンザになると書かれている。


 自分が書かれていたよりも早く行動したから未来が変化した? 

 いや、変化だとしてもインフルエンザではないのなら、結果的には良い。

 自分は間違っていない。大樹はそう自分に言い聞かせて、美咲にLINEを返す。


【分かった、インフルじゃなくてなにより。でも風邪には変わらないんだから。横になっていて、今日は早く帰るから。俺がお粥作るよ。他に何か必要な物があったら、買って帰るから。連絡して】


【うん。ありがとう】


 美咲からの返信を確認してから大樹は、止めていた足をスーパーへと向かわせる。

 今日の仕事は、それ程大変ではない。十五時には目処が付くだろう。その後は、定時で帰ればいい。


 帰りまでに美咲からLINEが来なかったら、こちらから連絡してみよう。由香にもLINEしておく。大樹は学校に行っている彼女にLINEで美咲がインフルではないが、熱が悪化しているので、今日はお粥を自分が作る旨を送った。


 送信してからしばらく経つと、由香から了解と書かれた犬のスタンプが送られてきた。彼女の了承を確認してから大樹は、スーパーに入る。

 惣菜コーナーで適当に弁当を購入して、フードコートでの空いている席に座った。


 いつものように昼食を取ってから、文庫本を開く。すっかり大樹の趣味となった読書。

 以前は仕事が忙しくて、昼休みに本を読む出来ず、食べたらすぐに眠っていた。それが灰色の本のおかげで大分、解消された。

 だから今では週に一冊、多い時には二冊のペースで本を読む事が出来る。


 物語の世界は、現実を切り離してすぐに入れるのが魅力だ。その事を社会人になってから知ったのが、勿体なかった。

 あれだけ莫大時間があったのに流されるままに生きていたのだと、痛感する。


 今日も文庫本を開いて、話に入ろうと思っていた。読むのは、この間買ったばかりの好きな作家の新刊だ。普通の人には見えない頭に挟まった栞が見える主人公が、同級生の女の子を救うのがあらすじ。


 楽しみにしていた話が読めると意気揚々と本を開く。いつもならすぐに没入出来るのに今日は中々入れない。


 目で文字を追って頭で情景を作っても、どうしても灰色の本の未来が外れた問題が出てくる。忘れようと聴いている音楽のボリュームを上げても変わらない。

 まるで抵抗をすればする程に大きくなっていくようだった。


 結局、最後まで没入が出来ないまま昼休みは終わってしまった。


 昼休みが終わりモヤモヤした気持ちを抱えて、仕事を再開する。

 もはや答えが分かっている仕事なので、半分機能していない頭でも機械的に処理が出来た。物量的終わらない部分を明日以降に動けるように調整して、大樹は定時になり終礼が終わると、すぐに帰り支度を整え始める。

 すると隣でキーボードを叩いていた和田の手が止まった。


「あれ? 島津さん? 今日早いですね」


「ああ。妻が熱を出したから、今日は定時で帰る。悪いけど客先から連絡があったら、明日対応するって伝えておいて」


 片付ける手を止めずにそう話すと、和田は「了解です。奥様、お大事に」と頷いた。


「ありがとう。本当に緊急の場合は携帯に連絡くれ。あと外に出てる高木君は直帰。さっき本人から連絡があった」


「うす。まあ、島津さんが調整したって言うなら、大丈夫ですよ。ほらほら、俺なんかと話すより、早く帰って奥様を安心させてください」


「ありがとう、じゃあお疲れ」


「お疲れ様です」


 和田と会話を交わして、大樹はフロアから出た。会社のビルを出ると外は、まだ夕方だった。他県への出張の直帰以外でこの時間に帰るのは、久しぶりだ。

 そんな事を一瞬、考えたがすぐに頭を切り替えて駅へと向かう。

 自然と早歩きになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る