「第1章 人生っていうのは選択肢の連続だ」(3-1)

(3-1)


「ただいま〜」


 家に帰って玄関先で父がそう言うと、リビングから母の「おかえり〜」が聞こえなかった。専業主婦なので基本的にはいるはず。

 時間は丁度、お昼時。買い物に行くにしても少し早いのでは? 玄関先で大樹と父が顔を見合わせる。


「朝、母さんから、何か聞いてるか?」


「いや?」


「まあ、いいか。買い物でも行ってるんだろう。手洗いを済ませたら父さんの部屋に来てくれ。さっきの本について、話がある」


「分かった」


 父はそう言って、リビングに向かった。どうやらリビングで手洗いを済ませるらしい。大樹はそのまま洗面所へと向かう。うがいをしていると父がこちらにやって来た。手にはチラシの切れ端を持っている。


「母さんのメモを見つけたよ。友達とランチに行ってくるそうだ。大樹は朝からいないし、昼食の用意はされていない。お腹は空いてるか?」


 大樹は自分の腹具合を確認する。昨夜、美咲とそこそこ食べていたので、まだお腹は空いていなかった。コーヒーでも飲めば、それで充分保つ。

 でも、それを素直には言わない。


「そっちの話が、どこまでかかるかによる」


「あー。そうだよなぁ。一時間はかからないと思うが……」


 気まずそうに後頭部をポリポリと掻きながら父が答えると、大樹は小さくため息を吐いた後、「分かった」と頷く。


「コーヒー飲みながらでいい? ご飯は終わってからでいいよ」


「悪いが父さんの分も入れてくれないか」


「いいよ。先に部屋で待ってて」


 大樹が手洗いを終えて、リビングへ向かった。


 リビングにはテレビも点いておらず、エアコンも動いていない。我が家の心臓部たる母がいないと、途端に家全体が停止状態となる。


 キッチン横にある置かれたデロンギの全自動コーヒーメーカーに水を入れてスイッチを入れる。ブッブッブと圧縮された水が排出されて、起動処理を行う中、豆を取り出して二杯分用意する。


 コーヒーメーカーがコーヒーを抽出している間、何か口に入れる物はないかと冷蔵庫を開けると、バラエティパックのキットカットを発見した。父がチョコレートを食べている姿は、あまり想像出来ないが無いよりマシだろう。適当に幾つか掴みポケットに入れる。


 抽出されたコーヒーが入ったマグカップを二つ持ち、自分の分には少しミルクを入れて、父の部屋へと向かう。階段を上がっている最中、両手が塞がっている事に気付いた。


 ドアがノック出来ないから声を出そうと口を開いて息を吸った時、父がその事情を把握しているかのように、予め部屋のドアを開けていた。


「おぉ〜。良い香りだ。クレマもちゃんと出来てる。大樹はコーヒーを淹れるのが上手だな。」


「別にボタン押せば出来るから。ミルクはいらなかったよね?」


 父のアンティークのデスクにマグカップを置いて大樹は尋ねる。


「ああ、大丈夫だ。ありがとう」


「あと、冷蔵庫にキットカットあった。食べる?」


 大樹はポケットから取り出して机に置く。置かれたキットカットに父は「おっ、」と声に出して喜んだ。


「やった、キットカットだ」


 早速、手に取り袋のまま中身を二つに割り、袋を開けて口に含んだ。大樹に腹具合を聞いてきたが父自身はやはりお腹が空いていたらしい。あまり沢山食べるイメージはないが、今朝から案内する側なりに疲れていたのかも知れない。そう思いつつ、大樹も一つ手に取り父と同じようにして口に含んだ。


 チョコレートの甘い香りが口内に広がり、朝の疲れが少しずつ癒されていく。二人共、キットカットを一袋食べて終えて、コーヒーを一口啜るまでは無言だった。

 やがて、話すには充分な休息が取れた時、父が「さて」と口を開く。


「どこから話せばいいか……」


 父はデスク横に置かれていたトートバックからお店から持って帰って来た灰色の本を取り出した。それを静かにデスクに置く。


 灰色の本は単行本ぐらいの大きさで四隅には銀の装飾が施されている。表紙や背表紙、裏表紙にも何かの文字や写真、絵と言った特徴が一切無く、開いてみないと何か分からないようになっていた。


 大樹が置かれた灰色の本をマジマジと観察していると、父は立ち上がり、ガラス戸の本棚から一冊の本を取り出した。それは色が深緑だが、デスクに置かれている灰色の本と同じデザインだった。


 二冊あったのか。


 大樹はまずそう感想を抱く。すると、父が見透かしたように口を開いた。


「これは今日、持ってきた本とは何の繋がりもない。デザインは同じだが別の物だ」


「うん」


「島津家の長男・長女は、代々あの古本屋【ホワイトハニー】で本を受け取る事になっている。何故あそこの書店なのか、お金はいらないのか。実は、父さんにも分からない。もう死んだお祖父ちゃんも赤色の本を持っていたし、父さんが二十歳の時に今日の大樹と同じように連れて行かされた」


 今まで自分の知らなかった経緯を次々に聞かされる。父の話しぶりから自分が二十歳になるまでは知らされないようだ。そして、大樹が気になるのは、この本の中身。


「それで、この本って一体何なの?」


 大樹の質問に父が数秒、間を空けて答えた。


「この本はな、お前の未来が書かれている」


「……はぁ?」


 突然の事を言われて、大樹の頭が真っ白になった。

 代々、伝わる物らしいから何を言われても理解しようとする方向でと考えていたが、流石にそんな答えが返ってくるとは思わなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る