「第1章 人生っていうのは選択肢の連続だ」(2-2)
(2-2)
「歳を取ると、あの階段が年々辛くなってくる。いい加減、誰かに任せて取りに行かせたいが、こればかりはどうしてもな」
「だと思います。仮に私が行った所で見つけられないでしょう」
「ああ。康平では無理だ」
薮川は持って来た本を父へと差し出す。父はそれを卒業式の時のように両手で丁寧に受け取った。大樹は何かの儀式のように感じた。
受け取った本を父は、丁寧にビニール袋に入れてから、トートバックにしまうと、ようやくこちらを振り返った。
「大樹、待たせて悪かった。用事は済んだよ、帰ろうか」
「もういいの? 他に本あるけど、見ていかなくて」
店内左右の本棚ミッシリと置かれた本。外に出ているのは学術書だけだったが、よく見ると、小説も何冊か置かれていた。すぐに出て行かなくても良いのではないか? 大樹がそう思って父に尋ねる。
すると、父は微笑んで首を左右に振った。
「いいんだ。もう済んだ」
「なら、いいけど……」
済んだと話す父にそう返していると、そのやり取りを見ていた薮川が大樹に向かって話しかける。
「康平の子供。お前、名前は?」
「大樹です」
さっき父から聞いたはずなのに、名前を尋ねてきた事を不審に思いながらも大樹は名乗った。彼が名乗ると薮川は「そうか」と一回確かめるように頷く。
「大樹。お前はまだ二十歳だ。人生はこれから本当に嫌になる程長い。しかも良いことよりも嫌な事の方が多い。だけどな、その嫌な事も含めて人生。お前が俺ぐらいの歳になった時、それまでの人生を振り返って何か形になるような物を作っておけ。後悔しなくなるぞ」
「はい?」
薮川の言っている内容が飲み込めなくて大樹が戸惑っていると、その様子に薮川は小さく笑った。
「そうだな。初対面のジジイがいきなり偉そうに語っても、お前には面倒に感じるだけだったな。すまない、許してくれ」
「あっ、いえ。そんな事は」
「気を遣わんでいい。ただのジジイの戯言だ。ジジイの戯言なんて生きていく上で殆ど、意味がない。だから適当に聞き流して使えそうなところだけ摘めばいい」
薮川の言葉に曖昧に頷いて返す。大樹が頷くと「そうそう、それでいい」と薮川が満足そうに返した。
「そろそろ出よう。あまり長居すると薮川さんのご迷惑になってしまう」
「あれ? さっきの本ってお金は?」
既にトートバックに入れた本の代金を払っていない事に気付いた大樹は、父に聞くと、彼の代わりに薮川が答えた。
「いいんだ。この本でお金は取らない」
「えっ?」
薮川の答えに父も「そうだ。この本に代金はいらない」と同じく答えた。
二人揃って代金は不要と言っているので、本当に不要なのだろう。もしかして前払金を支払っているから今日はいらないのか、それとも売り物ではなく預けていただけの可能性もある。
「では、薮川さん。近い内にまた顔を出しに来ます」そう言って、父が体を反転して店から出る。
大樹も彼に続いて「失礼します」と言って、父に続いて店を出た。
「今度は客として来い」
薮川の言葉を背中で聞いて、二人は会釈をして返した。
店の外に出ると強烈なビル風が二人を出迎える。大樹は思わず目を瞑り、つい先程まで身近にあった店内の暖かさを懐かしく感じていた。
「うぅ〜。やっぱり外は寒いな。大樹、どこか行きたい所あるか?」
「大丈夫」
この街には本屋しかない。そこに父と二人で行きたいとは思わない。本屋で大樹が見るとしたら、せいぜい漫画ぐらい。それなら大学に行く途中でも買える。
大樹の返事に「そうか」と短く返して父はココまで来た道を戻り始める。大樹もそれに付いて行った。
上りではなく下り。そして時間帯が朝のラッシュからズレた事により、駅構内に人はそう多くなかった。今いるサラリーマンは遅刻している人達? それにしては随分と余裕そうだ。iphoneを触りながらホームに並んでいるサラリーマンを横目に見ていると、地下鉄はすぐにやって来た。
車内に入ると地下鉄独特の匂いと暖房が大樹を迎えてくれる。行きと違って席も空いていたので、二人はドアから近い所に並んで座った。座るなり父が口を開く。
「今日は朝から付き合わせて悪かった」
「いいよ。でも俺、何もしてないけど? 一緒に行く意味あった?」
何か本を買ってくれるのなら、まだ話は分かる。けれどそれも無くただ古本屋に入り、本を受け取っただけ。買ってすらないのだ。それなら、わざわざ自分が付いて行く必要は無かったのではないか。
それに薮川に紹介したいのだったら、大学を休んで朝から行く必要もない。
「何もしてない訳じゃない。お前と二人であそこに行った事が大事なんだ」
「ふーん。それで? あれって何の本? 大事そうに両手で受け取ってたじゃん。何か年代物のお宝とか?」
「あの本の値打ちはお前にしか分からない。家に帰ったら詳しく説明する」
「えっ? あそこに行って終わりじゃないの?」
まだ続くと思っていなかった事に驚く大樹。すると父は首を傾げる。
「そんな事、一言も言っていないだろう? ただ店に行って本を受け取るだけだったら、半休でいいからな」
「半休?」
「午前中だけ休むって事。一日全部休みにしたのは、家に帰ってからも続くからだ。お前にだって今日は大学に行かなくていいって言ったじゃないか。覚えてないのか?」
昨夜の事を覚えていないはずがない。馬鹿にされたような気がして大樹は少しムッとしたように口を尖らせる。
「覚えてるよ。朝、LINEで友達に代返頼んだから」
「そうか、覚えてるならいい。悪かった」
悪かったと父に言謝られて、大樹の胸の中にあったモヤが薄くなった。
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