「第1章 人生っていうのは選択肢の連続だ」(2-1)

(2-1)


 翌朝、大樹は父と一緒に家を出て駅に向かった。こんな早朝から父と出掛けるなんて何年ぶりだろうか。中学生から休日は、もう友人と遊んでいるので、遡れば小学生時代まで戻るだろう。大樹は前を歩く父の背中を見て、そう思った。


 最寄り駅に到着すると、大樹は通学用、父は通勤用のPASMOをかざして改札を通る。平日の朝、八時。ホームには父と同年代サラリーマンが大勢並んでいる。スーツの上から薄いコートを羽織り、全身黒一色のまるでカラスのような集団が、綺麗に整列して、地下鉄を待つ。その光景に大樹は今更ながら疑問が浮かんだ。


「あのさ、今日会社は?」


「有休を取ってる」


「有休?」


「簡単に言えば、会社を休んでもお金が貰えるんだ」


「そんなのあるんだ。仮病とかじゃなくて?」


 聞き慣れない言葉につい、そう返すと父は笑った。


「仮病とは違うな。似たようなところはあるけど。そのあたりも大樹が働き始めれば嫌でも分かるようになる」


「嫌でも」


 最後の言葉に引っ掛かると父は「嫌でも」と念を押した。そう話している内に地下鉄が到着して二人は、サラリーマンに混じって車内へ入る。


「どこで降りるの?」


「五駅先だな」


 ドア上にある路線図を見て父が答える。彼に合わせて、大樹も同じく視線を向けると、降りる駅は書店街で有名な街だった。

 と言っても大樹が知っているのは名前くらい。読書が趣味の父は、それこそよく降りるのだろうが、大樹は今まで降りた事がない。


 地下鉄の五駅先はあっと言う間で大樹がiPhoneでTwitterを見ている間に着いてしまった。ドアが開くと、栓を抜いた風呂のように一斉に人がホームへと吸い込まれていく。ドア付近に立っていた二人もその流れに乗った。


 乗り換え路線へ早歩きで階段を上がるサラリーマン達を横目に大樹達は、エスカレーターの左側に並ぶ。自分もあと数年したら彼らにようになるのか。その未来に多少なりとも嫌悪を感じてしまう。


 改札を出て二人は、蛇のようにグネグネと曲がる長い階段を上がって地上に出た。大学の通学範囲なので、PASMOでそのまま改札を通れた。


 地上に出ると、片側三車線ある靖国通りを車が走っており、大きな書店のビルが並んでいる。知らない書店しかないと思っていたら、大樹でも知っている大型書店の本店がある。朝からどこの書店に入るのかと思っていたが、父は時折こちらを振り返りつつ、スタスタと慣れた感じで歩いていく。


 靖国通りから一本横に曲がって、すずらん通りへと入った。一本横に違うだけで、こじんまりとした古書店が中心となっていた。


 大樹の中で古本屋と聞いて思い浮かぶのは、テレビでCMをしているチェーン店のお店ぐらい。その為、通り過ぎていく個人店の古書店に目が移ってしまう。


 父がある古本店に入った。白いタイルの古本屋。駅前にあるローソンと同じくらい大きさ。入口上の木製の看板には大きな字で「ホワイトハニー」と記載されていた。店名が随分と可愛らしいが、他の古本店より入り辛そうな雰囲気だった。店前のワゴンに置かれている本が数学書の類が多かったのも原因かも知れない。


 父に続いて店内に入る。すると、古い本独特のパサパサとした紙の匂いとお香の香りが充満していた。慣れないと香りに頭がクラクラとしてきそうな中、父は店内奥にあるレジスペースで新聞を読んでいた老人に声を掛ける。

 その老人はまるでサンタクロースのような白い髭を蓄えていた。


「お久しぶりです、薮川さん」


 声を掛けられた老人は読んでいた新聞から顔を上げる。しばらく眉をひそめていたが、誰か分かると口を開けた。


「あぁ、島津のところの。久しぶりだな、どうだ元気にやってるか?」


「はい。その節は色々とお世話になりました」


 父が深々と頭を下げる。その丁寧な対応からは、どこからも客と店員という本来の関係が見えなかった。後ろから見ていた大樹は違和感を覚える。


 父に薮川と呼ばれた老人は、父と挨拶を交わした後、体を横にズラして後ろにいた大樹に目線を合わせる。目が合った大樹は、取り敢えず頭を下げた。


「後ろにいるその子供がお前の?」


「はい、息子の大樹です。昨日で二十歳になりました」


 父がそう説明すると、薮川は勝手に納得したように二、三回頷いた。


「そうかそうか。あのお前に二十歳の子供が出来たか」


「そうでうすね、時間が経つのは本当に早いものです。それで今日は彼に例の本を渡そうと思いまして」


 例の本? 大樹は父の口から出た言葉に引っ掛かった。

 父が薮川にそう言うと薮川は「はいよ」と立ち上がり、レジから出て店内に入って来た。沢山の本が並ぶ本棚にある古そうな階段に足を掛けて二階へと上がっていった。後から付けられたのが分かる銀の手すりを持ち、木製の階段からギシギシと人が体重をかける音が響いた。


 三分程待っていると、薮川が二階から降りて来る。彼の脇に一冊の本があった。上がった時と同じように手すりを持って、慎重に一段ずつ降りていく。この時ばかりは大樹と父が大丈夫だろうかという表情が一致していた。


 再びレジ前の木製の椅子に座る。「ふぅ〜」と一息吐くと、新聞の横に置いていたマグカップに手を伸ばして口元へと持っていく。

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