安物買い

ヤタ

安物買い

 左手の調子がおかしい。それに気づいたのは、午後六時二十七分、仕事上がりに屋台のベンチで飲んでいるときだった。泡があふれるほど雑に注がれたビールのジョッキ、その持ち手をにぎったとき、異変が起きた。

 力がはいらない。そもそも指が動かない。肘からした、前腕から手首、五指にかけて、そこだけが金縛りにあったかのように、硬直し、停止しているのだ。

 またこれか。私は内心、ため息をつきながら、あたりを見回した。

 夕暮れ、陽がかたむき、紫とオレンジのあざやかなグラデーションが、空から地平線にかかる時間帯。私がいる公園の広場には、飲食店の屋台がならび、うす暗い空のした、それぞれが競い合うように客引きをしていた。串焼き屋が鉄板からたちのぼる食欲をそそる匂いの煙をうちわであおげば、一杯三百円という破格の安さの立ち食いラーメン屋は替え玉のサービスをはじめる。石畳の歩道をはさみ、そのふたつの向かい側にあるビール屋では、はやくから行列ができていた。

 いくつもの丸テーブルが設置されている広場は七割ほどが埋まっており、そのほとんどが、わたしのような退勤後の会社員に見えた。初夏の暮れ空のした、ワイシャツにゆるめたネクタイ姿が多いからだ。複数人でテーブルをかこみ、ビールで乾杯し、もうすでにできあがっているグループさえいる。公園の広場は喧騒につつまれていた。

 そんななか、私は動かなくなった左手をどうにかするため、右手でワイシャツの袖をまくり、そろえた右手の人さし指と中指で、左の手首の内側にそっとふれ、それからすこし力をこめ、皮膚を押した。ため息をついた。ああ、やっぱり。ふたつの指には、普段なら感じる脈動がまったく感じとれなかった。またいつもの故障だった。

 ワイシャツの袖を二の腕までまくり、肘の前側にある四角形のカバーをはずし、金属製の小さな接続穴を露出させる。テーブルに置いた携帯端末からケーブルを伸ばし、先端にあるピンを、肘の穴に挿しこんだ。

 右手で端末を操作し、義手の故障の原因、神経と人工筋肉との電極接続の動作を確認すると、やはりエラーが起こっていた。先日、闇市で購入した人工皮膚のこの義手は、安さの代わりに、エラーの頻度が多いのが問題だった。

 声がかけられたのは、三度目のため息をつき、自動修復のアプリを立ち上げたときだった。

「おまたせ」

 声のほうに頭をあげると、ひとりの女性が、琥珀色のカクテルのグラスを、親指、人さし指、中指で優雅にはさみ、そばに立っていた。

「いいよ、私もいまきたとこだし」

「あら、そう。ところで、それ、なにしてるの」

 グラスをテーブルに置き、対面にすわった彼女が、私の左肘を指さし、たずねてきた。

「義手を直してる」私は答えた。「最近、調子がわるくて」

「このまえ買った、あの安物のやつでしょう。だから、あやしいメーカーのはだめっていったじゃない」

 説教くさい口調を聞き流しながら、アプリを操作する。じっさい、彼女の言葉は正しかったからだ。

 私の肌の色にちょうど合うこの義手を見つけ、メーカーもスペックも製造年も確認せず、反射的に購入したのが間違いだった。

 買った当初は問題なく使用できていたが、三日もしないうちに接続エラーが多発し、サポートに連絡しようとしたら、その会社はすでに倒産していたのだ。しかも、義手の製造年は十年ほどまえのものであり、最新のオペレーションシステムに対応しておらず、ドライバの更新もできない。ネットのさまざまなサイトを探してみたが、十年まえに潰れた小さなメーカーのドライバをアップロードしている酔狂なサイトなどどこにも存在していなかった。

 しかたなく、ネットの膨大な情報の海のなかから、人工四肢と電子制御のプログラミングデータをダウンロードし、オーバーヒート寸前になりながらも、自分でこのアプリを完成させたのだ。

 携帯端末のディスプレイに表示される修復のパーセンテージが八十を超えたところで、私は、ひまをもてあましている彼女に声をかけた。

「でも、そっちだって、大変だったみたいじゃない」

 彼女がため息をついた。「そうなのよね」

「もういいの?」

「うん。後遺症もまったくなし」

 そういって笑う彼女の両目には、剥きだしのレンズのような新品の義眼が埋めこまれていた。

 もともと彼女がつかっていた義眼は、ネットショッピングで購入したものであり、安さのわりに性能がいいと評判の、業界に参入したての新しいメーカーのものだった。その通販サイトでもおすすめ商品と紹介され、レビューも好意的な評価が多く、問題はないと思われていた。

 脆弱性が見つかったのは、そのすぐあとのことだった。致命的なバグが発見され、すぐにハッカー集団によるサイバー攻撃の標的とされた。一ヶ月ほどまえのことだ。こうしてふたりで飲んでいたとき、いきなり彼女が両目をおさえてうずくまったのだ。

 それだけではなかった。この公園の広場で会食をしていた三割ほどの人間が、同じような症状を起こしていた。なかには、数人の男が電脳化した頭を直接ハッキングされ、意味不明な言葉を叫んだり、椅子をもちあげ暴れたりもしていた。

 結局、その商品は販売中止となった。メーカーも信用低下により融資をうけられず、多額の賠償金により、倒産。あとになってわかったことだが、その会社は、ちゃんとしたメーカーの検査からはじかれた不良品を裏のルートを使って手にいれ、安くさばいていたという。

 すべてが解決したあと、のこった問題は被害者のケアだった。彼女は治療のため、一週間ほど、双眼鏡のような大きな義眼を装着しての生活を余儀なくされたのだ。ひたいが重くてバランスがわるいわ、これ、とよく愚痴をこぼしていた。

「新しいのはどう?」私はたずねた。

「ばっちり」彼女はほほえんだ。「やっぱり信頼って大事ね。大きなメーカーのところはちがうわ。サポートも万全だし。なにより、製品の質がいい」

「気にいったみたいね」

「このメーカーの商品をずっと使いたいと思うくらいにはね」彼女が、私の左肘を指さした。「あなたも、それ、新しいのに買い替えたら?」

「でも、買ったばかりだし」答えたところで、修復のパーセンテージが百になり、完了の文字が表示された。

 ケーブルをはずし、左腕に意識を集中させる。感覚は戻ってきていた。力をこめると、人工筋肉が、皮膚のうえから隆起しているのがわかる。ゆっくりと指を動かしてみた。ジョッキの持ち手をにぎったまま固まっていた指が、ゆっくりとはがれてくる。問題はなかった。左の手のひらに目をおとし、親指から順番に曲げていく。ついで、今度は小指からひらいていく。なにも問題はなかった。

「結局さ」彼女に向き合い、私はいった。「安いものを買うときって、その時点では得したと思っても、長期的な視点で見れば損してることが多いよね」

「たしかに」彼女は微笑した。「ところで、そろそろ乾杯をしないかしら。義手は直ったんでしょう?」

 いわれて気がついた。彼女の細い指が、ワイングラスの脚を優雅につまんでいた。

「ごめん。それじゃあ」

 快気祝いに乾杯、と口にしかけ、やめた。普通すぎると思ったからだ。頭のデータベースをフル回転させ、見つけた古い映画のセリフを、そのまま口にだした。

「きみの瞳に乾杯」

 予期せぬ言葉だったのか、面食らった顔をした彼女はすぐに、おかしそうにふきだした。

「なにそれ」

 楽しそうに笑いながら、グラスをかたむけてくる。私も、左手でもったジョッキをあわせた。

 太陽は沈み、日は暮れ、夜のとばりが空を暗くつつむころ。星と月のした、公園の喧騒のなか、私たちのテーブルだけに、ちんという小さな音が響いた。

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安物買い ヤタ @yatawa

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