第19話
「――……分かりました。残念で素っ頓狂な貴方に、この親切で寛容なセフィロティア・フォン・エルレンブルクが教えて差し上げます」
それでも、十分にトゲトゲした御言葉と、ツンッとそっぽを向いてしまった王女殿下の御様子に、流石の朴念仁も自分が失敗した事
吐いた唾は飲み込めず、覆水は盆に返らない。
そういう感じで悔恨の念に苛まれるハンスだが、自分で振った話に横槍を入れるわけにもいかず、その場で膝立ちの騎士礼をかましかねないほどの緊張を持って
「先程言った通り、教団の狙いがこの国の知識や技術である事は疑いようがありません。もし、これが奪われたら、所詮は連合の一国に過ぎない我が国の優位性は失われる事となるでしょう……そうなれば、秘密裏に進めているルーメルニー大公国との同盟締結も、それと併せた連合脱退とカエルム教新宗派設立も、それら全てが阻まれる事になりかねません」
「…………………………ハ……? ……ルーメルニーと、同盟……? 新宗派? ……えぇっと、セフィーさん? それって本気か? 壮大で悪趣味なジョークとかじゃぁなく?」
真面目且つ静かに真剣に聞く側に徹していたハンスだったが、王女が背を向けながらさらりと言い放った予想だにしていない最重要機密の連発によってうっかり口出ししてしまった。
いや、こればっかりは流石にハンスを責められないだろう。何せ、下手に漏れたりすればエルレンブルク王国が連合及び教団に滅ぼされかねないほどの特ダネな上に、もし仮に上手く事が運んだとしても、現在の三大国と連合を合わせた四大勢力による拮抗状態を破壊して大陸全土を巻き込む大乱を引き起こしかねない目論見なのだ。
だからこそ、フー老師の教えや過去の旅路で得た社会情勢に対する知識を持つハンスが思わず質問を返した事は――
「ハンスっ! 貴方は私の夫になるのですよ! 今更、機密の一つ二つ聞いた程度で何を動揺しているのですかっ!」
……王女殿下にとっては責められる事だったようである。
と言うか、弾けるように勢いよく振り返って少年騎士を睨み付ける王女殿下の頭の中では、二人の婚姻は決定事項になっているようだった。
何処となく勢いで丸め込もうとしているような意図が見受けられたが、ハンスがそれに気付くよりも早く、セフィーは真っ直ぐ向けた視線で琥珀色の瞳を射抜いて彼の動きを封殺する。
「勿論、この試みが成功した後、かつてない規模で動乱が巻き起こるであろう事も弁えています。……ですが、私は見てしまったのです。悪性の浄化、神罰の代行と謳いながら暴論で一方的に人を害し、気儘に暴虐を振るって愉悦に顔を歪める者達を。そして、その光景を嫌悪と悦楽が滲む醜い笑みで囃し立てる民達を。このまま教団の思い通りにさせれば、あの惨状がこの国へと持ち込まれる事となるでしょう。それだけは絶対に防がなければなりません!!」
強く誓うように宣言したセフィーの眼差しには強い意志の光が宿り、自分の選択を押し通す強固な覚悟を感じさせていた。
確かに三大国に数えられるルーメルニーと同盟を結べればエルレンブルクも連合に対抗できる上に、新宗派の設立によって教団からの影響を今まで以上に排する事も可能となる。
もしこれが、王宮前広場に集まった国民や招集した王国騎士団の前に立って行った演説だったとしたら、恐らく誰もが熱狂的な歓声と共に受け入れた事だろう。
それだけ、教団の執り行った『魔女狩り』や『異端審問』の存在が大衆にまで広まって――完全に悪評だが、連合各国の貴族や王族などの支配圏の反抗を防ぐ為に教団側が意図的に広めている――おり、半世紀前の事とは言え、王宮からも民衆からも絶大な支持を得ていた賢者を迫害した事実が尾を引いているのだ。
当然、各地を巡り、様々な国を見て回った元旅人のハンスにとってもそれらは既知である。
「その為にも、教団関係者との婚姻など断固として拒絶せねばなりません。ですが、私も為政者の一人としていずれ身を固めなければならないでしょう。幸い、貴方は街の人々にも慕われておりますし、この国ではもはや伝説となっている賢者自らが教えを残した弟子である事実を公表すれば、御父様も御兄様達も貴族達さえも含めて国中の誰からも反対されません」
街を視察する時に街の人々を無駄に委縮させてしまうような人が隣に居ては彼らにとっても迷惑ですし、と付け加えながら微かに
「――ですから、この国の為、延いては皆の幸福な未来の為に、私の傍に居てくれますか?」
顔に出ていた感情が心からのものであると示すような声音で、今一度少年騎士へ今後の人生を左右する要請を口にした。
だが、
「そぉ言う事なら、前言撤回だよセフィー。舌の根も乾かねぇ内にみっともねぇが、俺はそんな話には乗れねぇよ」
翡翠色の瞳を見返すハンスの顔に在ったのは失望と拒絶だった。
その表情に今度は王女の方が凍り付いたが、その氷が溶け切る前に少年騎士が口を開いた。
「前に話したよな? 俺が住んでた村はこの王国との戦争から落ち延びたフランキス騎士共に滅ぼされた、って。だから、戦争ってヤツが大嫌いだ、って」
語り掛けるような言葉だったが返事を期待していたわけではなかったらしく、一拍間を置いたハンスは静かな面持ちで言葉を続けた。
「俺はさ、この世に神話やら教典やらで語られる地獄ってヤツが在るんだとしたら、それは戦場だと思うんだよ。特に、村やら街やらに侵攻する侵略戦はまさにソレだ。燃え盛る炎に照らされて逃げ惑う連中とオンボロの農具なんぞ抱えて抵抗する連中、それをゲラゲラ嗤いながら殺していく外道共……本当に最低だった……」
自分の言葉でその情景を思い出してしまったらしいハンスの視線は段々と伏せられていったが、絡みついた蜘蛛の巣を振り払うようにゆっくりと首を振ると、覚悟を決めたように面を上げて真っ直ぐとセフィーを見据えた。
「俺はそんなバカげた光景に二度と屈したくなくて鍛えてもらったし、今までの戦いだってソレを作らねぇよぉに振舞ってきたつもりだ。だから、そんな大陸中を巻き込むデケェ戦争を引き起こさせるような話に協力なんかできねぇよ」
険しく歪んだ表情で、しかし、先程のセフィーのそれを上回るほど強い力を湛えた眼差しで、灰髪の少年騎士は忠誠を誓った主に宣言した。
それを受けて漸く復帰したセフィーだったが、これほどハッキリ断られるとは想定していなかったらしく、相当に面喰いながらも何とか説得に乗り出した。
「ま、待って下さいっ! それだけではありません! 教団がフー老師の知識を欲している以上、そのフー老師から直接手解きを受けた貴方だって狙われるかもしれないのです! 今はまだ貴方の出自を知る者は限られているでしょうが、それもいつまで続くかは分かりません! ならば、今の内に王家の一員となって教団でも簡単には手出しできない立場となる事は、貴方の身を守る上での最善手なのではありませんか!?」
先程の宣言に宿っていた覚悟や強さとはまた別の力――不安や必死さ――が滲んだ悲痛な叫びの裏には、ハンスを危険に晒さぬよう引き留めたいというセフィー個人の私的な想いが籠っていた。
彼女の言う通り、教団の狙いがフー老師の遺した知識だと言うのなら、彼の下で指導を受けたハンスが標的となる事は十分に考えられる。
現状でハンスが知っている範囲で彼の出自を知る者は、彼自身と彼から直接話を聞いたセフィーの二人だけだが、その情報が何かの拍子で外部に漏れた場合、教団は王国の支配が失敗した場合の予備として、若しくは賢者が齎した知識群で武装した王国を攻略する為の足掛かりとして、彼が持つ知識を狙うだろう。
だからこそ『ハンスが婿入りして王家の庇護下に入る』と言う強行策は敵側への情報流出を防ぐといった国防の観点でも、セフィー個人の私的な想いの観点でも最善手と言えた。
「最善ね……んな事ねぇよ。俺一人だけなら幾らでも身の振り方があるからなぁ。それになセフィー、君はさっき教団の『魔女狩り』やら『異端審問』を悪し様に言ってたけどよぉ、アレは教団が執り行ってる裁判みてぇなもんじゃねぇか。確かに人殺しを見世物にすんのは悪趣味だし、裁かれる側は堪ったもんじゃねぇだろぉが、アレが裁判である以上、まともなルールなんかねぇ戦争なんぞよりずっと死人は少なくて済むし、死が少ねぇ分だけ嘆くヤツも少なくて済む……俺はな、人の営みってヤツから死とか悲劇とかが切り離せねぇってんなら、そぉ言うのは少ねぇ方が
しかし、私的な本心を告げて万一それが拒絶される事を恐れた結果にぶつけた理詰めの説得は、この場面では悪手だった。
それはそうだろう。
ハンスは彼自身が身の内に掲げる個人的な矜持――それも彼の生き方、考え方の根幹を成す程に根深いものを理由にしているのだから。
ならばこそ、王女殿下も国政に携わる執政者として磨き上げてきた誘導策や理論武装した対外的な建前ではなく、『セフィロティア』と言う一個人の本音をぶつける方がまだ可能性があったのだ。
そもそも、ハンスの半生を知っていた彼女なら、自分の目論見が彼にとって受け入れ難い
だが、為政者としてよりも乙女としての側面の方が強い一世一代の告白へ対するプレッシャーに浮足立ち、更には教団が表立って動き出した事に対する危機感に駆られ、その結果として強硬に話を進ませてしまった以上、もはや手遅れだった。
「だからさセフィー、この話は受けられねぇよ。っても、王国騎士になった以上は
ハンスの口調は普段と変わらない巫山戯ているかのような調子だが、その眼差しには挑み掛かるような猛々しい光が宿っているし、その言葉は――特に自分の覚悟についての部分は先程セフィーが涙を堪えるほどの感情を発露させたそれと同じ『馬鹿な事』であり、それを口にする事で王女殿下の要請を完全に拒否する意思を示していた。
その、敵意とは呼べないまでも明確過ぎる拒絶の姿勢を前に、王国の第一王女にして第三位王位継承権者は――セフィロティアは、崩れそうになる身体をなんとか奮い立たせながら蒼白になった顔で溢れる感情を無理矢理抑える為の
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