第18話

 試合中にも関わらず、依然として棒立ち状態のハンスは、遥か彼方に旅立った意識で昨夜の衝撃発言とその顛末を思い返していた。


「…………………………………………………………………………………………………ハッ!! ――ええっと、その……セフィーさんや……? 前言を撤回する気はねぇし、一介の騎士に過ぎねぇ人間が王族の命令に口出しできねぇ事ぐらい弁えてるつもりだが……流石にそればっかりは理由やら何やら話してくれねぇと、その、困るんだが……?」


 高まった熱が炎の色を冷め切った蒼に変えるように、あんまりにも突拍子も無いセリフの所為で一周回って冷静さを取り戻したハンスは、普段の飄々さを意識した口調で真意を問うた。


「…………そう、ですね……では、簡単に説明します」


 感情が抜け落ちてしまったのかとも思える平坦な表情になったハンスを前に、セフィーはこれ以上の思考阻害作戦は逆効果だと判断したらしく、傷と剣ダコだらけの両手を解放してするりと距離を取った。


 そう、ハンスが不審に思っていた彼女の積極的過ぎる行動の数々、それを執った理由のほどは、相手から正常な思考能力を奪って自身の望む方向に話を進める為の交渉技術の応用だったのだ――残り七割が何なのか、その説明は省かせて頂く。

 言葉にするだけ野暮だ。


 まあ、当のハンスは『なんとなく芝居がかっているなぁ――』くらいに思っていただけで、彼女の内情のアレやソレやに辿り着けてはいないのだが。


「その前に聞きますが、教団が私を握って得ようとしているものは何だと思いますか?」


「唐突だな……んー、三大国も含めて大陸全土にカエルム教の教えってヤツが根付いて儀礼とか習慣とか行事とかに絡んでる以上、パトロンなんて腐るほどいるんだろうから、今更中堅国の民だの財だの領地だのなんか欲しがるわけねぇよな? だとすると、連合内でも相当な発言力があるこの国を黙らせて、連合の支配体制を盤石にするとかか? 若しくはこの国特有の何か……んー……? 上手いメシとか? この国のメシは……あ! 温室の香辛料か!?」


 ぼやきのような言葉に続けて、平民上がりで政治の『せ』の字も知らない筈のお登り騎士からは出てこないような国家の内情に基づく推理を披露して見せたハンスに、大いに満足したらしいセフィーは至極御機嫌な御顔になった。


「フフ、……当たらずとも遠からず、と言った具合ですかね。確かにこの国が過去にイウロピア帝国領だった以上はカエルム教が文化に齎した影響は大きいですし、大陸中のあらゆる国々に信徒が居るのですから、財源はそれこそ幾らでもあるのでしょう。ですから、この国が所有する他国には存在しない幾つもの価値有るモノを求めている、と言う読みは正解です。それに城下の御店で食べられる御料理はどれも美味しいですし、香辛料も他国では未だに貴重でしょうから、涎を堪え切れなくなるくらいには欲しているのでしょうね」


 ハンスから距離を取った事で降り注ぐ淡い光の中へと身を躍らせる事となったセフィーは、黒白に染まる石畳の上で鶯色のストールを翻した。


「ですが、根本的にはただ一つ、ただの一言に集約されます。それは何だと思いますか?」


 翻った鶯色の薄布と同じように柔らかな絹織物が空気を孕んでふわりと膨らみ、揺れ動く裾端から彼女の透けるような肌が覗く。


 チラチラと視界に映るそれや、無意識的に可愛らしくはにかむ王女殿下の御尊顔に気を取られそうになっていたハンスは、手を口元に運んで何かしら考えている風を装いつつさり気なく視線を逸らした。


「――っ……えぇ~っと、今の口ぶりからすると複数形で語られるような……いや、概念的な何か? んー、……信仰とかか? 勿論、教団に対してじゃなくて、君や君の家族に対してってカンジの……」


 ……逸らしてもすぐに目線を戻されてはまた逸らし、を繰り返してしまう辺りにハンスのアレな感じが浮き彫りになっているが、セフィーの方もそんな可愛らしい初心な仕草に見惚れているのだから、きっとお互いに幸せなのだろう。


「……フフ、確かに民の心を奪えれば教団としてもある程度の成果が得られるとは思いますし、民の心が離れる事態そのものが私達にとっても打撃になりますが、それではのです」


 真っ直ぐ見詰めるセフィーにしても見惚れていた事を悟られるのは恥ずかしいのか、誤魔化すように微笑みながらの返答だったが、ハンスの方は目の前の王女殿下に見惚れ過ぎて頭が回ら無くなっている自覚があったらしく、これ以上は無駄な足掻きだとばかりに軽く諸手を上げ、ヒラヒラと白旗を振って見せた。


「……降参だ。一体教団は何が欲しいってんだ?」


 茶目っ気のある大袈裟な手振りが可笑しくてつい笑みを溢したセフィーは、得意気に胸を張りながら注意を引くように人差し指をまっすぐ立てると、悪戯っぽく、ワザとらしく、或いは見せ付けるように頬を吊り上げた。


「フフン、それはですね……ズバリ、『知識』です。より正確には、この国を大陸一の技術大国へと押し上げた『救国の賢者エアレーズング・クルーガー』――いえ、身寄りを亡くした貴方を鍛え育て、私達に巡り会わせて下さったフー老師が伝え遺した異国の知識です」


 相手のノリに合わせるようにお茶目な仕草を交えるセフィーだが、その返答を一分たりとも想定していなかったらしいハンスは、少し目を見開いてその心情を露わにした。


「知識って、ちょっと待ってくれよ。そもそも、ジィさんがこの国を追われたのは『持ち込んだ知識ソレが教義に反する』とかイチャモン付けられた所為だって聞いたぞ? それが何で今になって、選りにも選って追い出した教団自身が欲しがるんだ?」


 驚いた所為で普段の余計な茶々ではなく、マジメな素の部分が零れ出てしまっているが、ハンス自身はそれに全く気付いていないようで、ただ胸中に思い浮かんだ疑問を口にしていた。


 それだけ王女の発言が彼にとって軽く流す事などできないものだったという事だが、余裕溢れるニヒルな笑顔が標準装備のハンスがこうもコロコロと表情を変える様を見られたのは、恐らく彼女と今は亡き偉大な育て親だけだろう。


 そんな想像――あながち妄想だと断じ切れなかったりする――についつい嬉しくなって頬が緩みっぱなしなセフィーだが、『一応真面目に質問されているこの状況で、余り不謹慎な顔をしていると拗ねられてしまうかも』と思い直し、少し多めに自制心を動員して頬を引き締めた。


「ええ、確かにフー老師は四十一年前の教団による異端認定を受けた所為で王宮を追われました。当然、国賓として迎えられていた彼を守ろうと御爺様を始めとする当時の王宮関係者や国中の民達が手を尽くしたそうですが、教団が公の場で大々的に報じた決定を覆すには至らず、認定を取り下げさせる事はできなかったそうです。ですが、その働きによって賢者への認定と共に破棄される筈だった異国伝来の知識や技術、またそれらによって創り出された様々な物品や施設などは守られ、今も我が国を支える枢軸となっているのです」


 そう、彼女の言う通り、教団が真に排除したいと望んだのは賢者本人と言うよりも、寧ろ人民の主義思想を根底から覆し、神の教えから信心を引き剥がしかねない知識群、技術群の方だった筈である。


 ハンスの方もそれを知っていたからこそ疑問を抱いたのだが、改めてその話を明文化された事で彼の中で歯車がカチリと噛み合い、セフィーが言わんとしている答えへと思い至っていた。


「……もしかして、ワザと見逃したのか? 当時はまだ実用化できなかった知識も、研究開発が進めばいずれ使えるよぉになるかもしれない。だが、人員やら設備やらへの初期投資だけでもバカにならないってのに、苦労して進めた研究そのものが失敗する可能性だってあり得る。だから、この国に手間とか費用とかのリスクを丸投げして、十分熟した所で国ごと掻っ攫おぉって考えて……んで、そん時に邪魔んなるだろぉジィさんを排除した、って事なのか?」


 少年騎士が辿り着いた解答に、セフィーは益々笑みを深めつつ補足を付け加える。


「ええ、恐らくは。そもそも、排斥の理由になった教義だって、解釈の仕方を変えれば幾らだって誤魔化せますし、大陸中に私兵が常駐しているような教団にとって、民衆への情報操作なんて容易い事でしょうからね」


 だからこそ、教団は強力な支配力を握っていられるのでしょうし、と眉根を寄せて苦々しく呟く王女殿下を尻目に、ハンスは先程聞いたセリフを思い出し、持ち上げた人差し指をしきりに振っていた。


「あぁあ、だから足りないのか。街の連中に信仰押し付けて支配下に置いた所で、連中が知ってんのは作られた道具や施設なんかの使い方だけで、その設計やら製造法とか、それを支える理論なんかについてまで知り尽くしてるワケじゃぁねぇ。その辺は王宮の資料庫を漁った方が確実だ。だから国ごと獲ろぉって考えたっつぅワケか」


 フムフムと納得したように一人で頷くハンスだが、突然何かを思い出したように口と目をまん丸く開いて単音の奇声を上げた。


「待て待て待て! 教団がこの国にチョッカイ掛けてくる理由は分かったが、その事と俺が――その、アレだ……き、君のお、ぉお、夫に、って話は……どぉ繋がるってんだ?」


 ウブウブな感じに顔を赤く染めて吃りまくるハンスが口にした二度目の問いを聞き、自分がなかなかに大胆な発言をした事実を改めて突きつけられたセフィーは、今更ながら赤面しつつアタフタと意味不明なジェスチャーを披露した。


「そっ、それはっ……勿論、教団が押し付けてきた婚約の話を払い除けて、これ以上教団が政治に干渉しないようにする為ですっ! ええ! それ以外に他意など有りませんとも!」


「いやいや! それなら相手役はもっと位の高い貴族様とかにした方が良いんじゃねぇのか? 騎士って言ったって、吹けば飛ぶような爵位しか持たねぇ俺じゃぁ釣り合わ――


 ハンスが当然と言えば当然の疑問を突っ込んだ所、星と月が照らす初春の夜空に『バシッ!!』という乾いた音が打ち鳴らされた。


 頬に振るわれた平手を目端に捉えていた筈なので、ハンスの身体能力なら簡単に避けられただろう。

 それにも関わらず彼がそうしなかったのは、涙を湛えた両眼がその身体を縛り付けていたからだった。


「……次にそんな馬鹿な事を言ったらっ、絶対に許しませんからねっ!」


 毛を逆立たせた猫のように息を荒げながら鋭く言い放ったセフィーが、振り抜いた手を震わせて濡れた瞳で睨み付けてくる中、打たれて赤くなった傷頬を掻くハンスは固まり掛けた口を無理矢理開いて謝罪する。


「悪かった、ゴメン……そのアレだ。地位だの外聞だのと関係無く、何か他に理由があるんなら、君の狙いってヤツをよく分かってねぇ残念な俺ちゃんに教えてくれると有難いんだが……」


 開いた結果、謝罪と共に続けられた問いだが、口にした本人の『なんとか真面目な話で気を逸らそう』という狙いに反し、対面の乙女は野暮無粋極まりない発言の所為で静かに御立腹していた。


 とは言え、一応騎士であるハンスが騎士道で掲げられている『貴婦人への献身』――肉体の愛ではなく心の愛を是とする戒律――を忠実に守っている所為か、自他を問わずに対して鈍感――多分にして、本人の素養も関与していると思われるが――な事も知っているセフィーとしては、今更この議題を掘り下げる気も起きない。


 王国騎士団へ入団してからの二年、行く先々で派手な戦果を挙げては城下の娘達や御婦人方だけでなく城で仕える女中達や王国の貴族令嬢の間でも話題に上がるくせに、ただの一度として浮ついた話に発展しない辺りが彼のそうした性質を裏付けている。


 そんなわけで、結局セフィーは井戸のように深々とした溜め息を吐くだけだった。

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