第13話
「………………っと、あったあった……」
夜も更け、祝勝会もお開きになった時分の王宮地下倉庫、そこに仕舞い込まれた樽やら木箱の影に隠れた死角で、ハンス・ヴィントシュトースは片手に持った小さな燭台の灯りを頼りに、壁に引っ掛けられた金色のペンダントを手に取っていた。
「さてと、行きますかねぇ」
カビ臭い地下でも嗅ぎ分けられる甘い香りを纏ったペンダントを制服のポケットに仕舞い込んだハンスが、軽薄な呟きと共にペンダントが掛けられていた壁の一部を指先で軽く押し込むと、その周囲とは色合いが異なる煉瓦が音も無く壁の中に呑まれて行った。
かと思えば、今度は重々しい音を響かせながら壁の一部が勝手に動き、最終的には屈めば人一人が何とか通れるほどの通路が現れた。
「ったく、毎度毎度仰々しいったらねぇな……」
独り言ちる少年騎士は腕を伸ばすのも難しいほど窮屈で真っ暗な通路に入り込むと、天井から垂れ下がっていた錆ついた鎖を引っ張った。
すると、再び重々しい音が通路に響き、地下倉庫に通じていた入口が再びただの石壁へと戻っていた。
蝋燭の灯りだけが唯一の光源となる暗い通路で思わず肩を竦めてしまうハンスだったが、気を取り直し、その錆とカビの臭いに混じって微かに花の蜜にも似た甘い香りが漂う通路を進む。
窮屈に身体を折り曲げている状態で明かりも乏しい狭い通路を通っているにも関わらず、制服の裾も吊るした剣も引っ掛けない辺り、彼の操体技術の高さや隙の無さが窺える。
しかも、戦場と同様に頑丈で重いブーツを履いているにも関わらず、殆ど足音が聞こえない。
そんな少年盗z騎士が進む通路の途中には、入口に在った物とよく似た鎖が大体数ヤード間隔で天上から垂れていた。
ハンスは錆び臭いそれらを払い避けて進みながら、この通路が万一の事態に備えて造られた脱出路で、平時は地下倉庫の入口から街の外に通じる出口まで終始カクカクと折れ曲がった一本道になっており、垂れ下がる鎖を引く事で王宮の各部屋、各施設や街の地下に張り巡らされた下水路にまで行き来できるようになっているのだと説明された事を思い出していた。
「え~っと? そろそろ開いてても良い頃か、っとっと……危ねぇ」
燭台を翳して開きっぱなしになっている脇道を探していたハンスは、横合いから漏れてきた風に灯りを揺らされて、若干焦ったような声を上げながら火を庇った。
もし、月も星も見えないこの通路内で火を吹き消されてしまったら、幾ら夜目が効くハンスでもそれなりに苦労した事だろう。
その灯火を吹き散らそうとした迷惑な微風は、彼のお目当てである開きっぱなしの脇道から吹き込んで来ていた。
ニヤリと片頬を吊り上げるハンスは、窮屈な通路の中で風から火を庇う為にワザワザ体を入れ替えて背中から脇道へ入ると、その背中に触れた脇道側の鎖を引いて通路に通じる入口を閉じた。
「さてさて、今日はドコに出んのかねぇ?」
誰も聞く者など居ないのにセリフへ揶揄うような響きを乗せている普段通りな少年騎士は、進行方向に背中を向けたままの状態でありながら、左腰から伸びる鞘尻が壁に当たる直前で器用に進路を調整しつつ歩を進め続け、途中で傾斜を上ったりもしながら着実に出口へと迫って行った。
そして、背中に感じた硬くて重い感触と錆び鉄特有の耳に残る異音に足を止めると、ハンスはジャラジャラと揺れ動く鎖を捕まえて引っ張った。
すると、今宵三度目となる石臼のような重々しい擦過音と共に、彼の頭上から細く微かな青白い月光が射し込んできた。
「やぁ~っと出られたぁっと……んで、ココドコよ?」
ぽっかりと開いた天井から素早く這い出て、足元の一つだけ微かに色が違う石畳を押し込んで出入口を閉じると、目印代わりに燭台を置き去りにしてから、屈みっぱなしで固まり掛けていた筋を思いっ切り伸ばしつつ視線を巡らせたハンスは、視界に飛び込んできた見覚えの無い光景に首を捻る。
彼の立っている場所は夜空に輝く月の光が正面の通路から差しているだけで、左右に頑丈そうな石壁が聳えるような、屋外とは思えない何とも閉塞的な雰囲気が漂う場所だった。
当然ながらハンスに見覚えなど皆無だが、そもそも秘密の通路の隠し場所なのだから、彼が知っている施設の周辺だとしても、騙し絵のように普段とは別の景色にしか見えない事だろう。
とは言え、通路内の扉が開かれていた以上は待ち人も既に此処へ到着している筈なので、呑気に周囲を見回していたハンスは気を取り直し、地下通路にも漂っていた甘い香りを追い掛けて正面の通路を進んで行った。
すると、十ヤードも進まない内に通路……だと思っていた隙間は途切れ、月明かりの中に踏み出した彼の目前には石畳が広がる広々とした空間が横たわっていた。
唐突に飛び込んできた見覚えのある光景に視線を上げたハンスは、さっきまで圧迫して来ていた石壁の一つが左手に聳える巨大な城壁だったのだと理解した。
この時点で此処が何処なのか半ば確信していたが、一応の確認として振り返った彼の視界に飛び込んだのは、王宮と同じ石材を用いた組積造でありながら余分な装飾など存在しない武骨な外観に、唯一の特徴として屋根近くの高い位置に王国騎士団の紋章である緋色地に金の鷲と剣が描かれた旗が掲げられた建物だった。
「あぁ~あ、ココはアレか――
「ええ、貴方にも馴染み深い騎士訓練所です」
既に気配を感じ取っていたらしいハンスが泰然とした調子で視線を巡らせると、訓練所入口の陰から金髪翠眼の麗しき姫君が現れていた。
彼女は滑らかな白いガウンに透けるような鶯色の肩上着ストールといった人目を憚りそうな寝間着姿だったが、その表情には微かに悪戯失敗の口惜しさが滲んでいる。
「これはこれは、王女殿下。今宵も御機嫌麗しゅう御座います」
王女の微妙に尖った口元を見て湧き上がった笑みを隠す為、慇懃な礼で顔を隠したハンスだったが、面を上げて再び彼女に向き直った直後、自分の言動が失策だったと思い知った。
「……ハンス、私は以前申し付けましたよね? 『二人きりの時は名前で呼ぶように』と」
王女様はその美貌を輝かせるような満面の笑みを浮かべていた。
だが、本心からの笑みならば人体構造的に目尻と共に下がる筈の眉尻が下がっていない。
有体に言えば『目が笑っていない』状態なのである。
「それから『貴族や教団の者達のように媚びを売るような言葉でなく、普段通りの貴方らしい言葉遣いで接するように』とも言い付けましたよね? それはもう、何度も何度も何度も……」
カツ、カツ、と一歩一歩追い詰めるように歩み寄る少女に対し、ハンスの方は顔を引き攣らせながら彼女を抑えるように両の掌を翳し、無形の圧力に押されるように上体を仰け反らせる事ぐらいしかできなかった。
「いや、その、悪かったってっ。落ち着いてくれよ、セフィロティア様っ? それに、大声出して見つかったらまずいんじゃぁ――
「……セフィロティア『様』……?」
「セ、セフィー! その、怒んなって。もぉ言わねぇから……――っっッ!??!!?」
目前に詰め寄った御機嫌斜めなセフィーを宥める言葉を探していたハンスだったが、約四インチの身長差から見下ろした彼女の、コルセットから解放されて浮き彫りになった起伏の曲線美やら、それ自体が輝いて見える白磁の如き柔肌やらにより、思考が沸騰直前まで押し上げられ、まるで水面に落ちた虫みたいに視線が無様に泳ぎだしてしまう。
そんな挙動不審状態になったハンスを見て、更なる攻勢に出ようと考えたセフィーの御顔からはさっきまで浮かんでいた恐ろしげな笑みが消え、御立腹な心境をそのまま反映したかのように真正直な怒り顔が取って代わっていた。
「ハンスっ、聞いているのですかっ? ちゃんと此方を見て話を聞きなさいっ」
「違ッ、だから……そぉだ! さっきの祝勝会! 飯、美味かった! アレってセフィーが手配してくれてたんだろッ? ありがとな! それとコレ! 返すからッ!」
動く度に通路内で漂っていた分の何倍も濃い蜜のような香りを立ち昇らせるセフィーに、もう色々と陥落寸前だったハンスは、苦し紛れの話題すり替え作戦と彼女が目印にしてくれていたペンダントを繰り出した。
ハンスも確証が有ったわけではないのだが、見栄っ張りな特権階級の人間が集まる宴の席で、『
と言うわけで、一応の根拠は持ちつつも『苦し紛れ』の通り、ハンス自身それほど効果を期待していなかったのだが、目の前で押し黙ってしまった王女殿下を見て、彼はこの作戦が意外にもそれなりの成果を上げている事を知った。
実際、王女殿下はあの祝勝会について食通で健啖家な少年騎士に満足してもらえるよう準備しており、日程を食事時に合わせる為に態々式典と日取りを合わせ、祝勝会の手配をしていた部署の者達と
そんな一個人を狙い撃ちにした強権発動や若干陰湿な努力などを看破されたと勘違いした王女殿下は、先程までの上目遣いの膨れっ面に怒りとは違う朱色をほんのりと上らせて押し黙り、やがて諦めたように、若しくは誤魔化すように深く息を吐いた。
「…………………………ハァ、もう結構です。以後気を付けて下さいね」
可憐な御尊顔に似合わぬ、しかして何故か可愛らしさを増長しているジト目を向けるセフィーは、差し出されたペンダントを引っ手繰るようにして受け取った。
空になった手で胸を撫で下ろし、さり気なく後退して互いの距離を離したハンスは、一呼吸置こうとし――誤って王女殿下の香りを肺一杯に吸い込んで思いっ切り咽てしまう。
「ハンス? 大丈夫ですか?」
今度は一転して気遣い十割の声音と共に詰め寄ったセフィーだが、当然、詰め寄られたハンスの方は堪ったものではない。
「――ゲホ、ゴホ……ブゲアァッッッ!?!!!? い、いや!! あ、ああだ大丈夫だから少し息継ぎさせてくれた頼むから!!」
いや、実際は
そんな策士な王女殿下だが、奇声と共に大慌てで身体を離しつつ背を向けるハンスの、そのあからさまな敬遠の態度には流石に若干消沈していた。
勿論、何とか息を整え直したハンスが振り返った時には眉根を寄せた不機嫌顔を被り、その下のへこみ顔を隠していたが。
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