第12話

「は……?」


 会場で最も豪奢な法衣を着た老人の発言に対する困惑は、会場中の青緋の騎士全員が胸中に抱き、その内の誰かの口から漏れ出たものだった。


 しかし、その困惑は王国と教団の水面下での対立を知っている者ならば、つまり、この祝勝会に出席している者ならば誰でも抱き得るものでもある。


 現在の王家の子息子女はセフィロティアも含めて三人となっているが、彼女は特に王国の行政を司る国の中枢とも言える人物であり、幼い頃から御忍び――その実、半ば脱走なのだが――で街を巡っている為、クヴェレンハイム内に限っては王宮内で働く者達だけでなく、市民にもその御尊顔も含め、よく知られ慕われている存在でもあるのだ。


 そんな人物の夫になるという事は、直接的にせよ間接的にせよ国の統治に少なからぬ影響を及ぼす力を手にするという事である。


 そして、王国が教団の影響力を排そうとしている現状を鑑みれば、教団の人間に自分の心臓を手渡すような真似を王国側がする筈が無い事は明白だ。


 だが、白と金の法衣か黒と白の修道服を着込んだ連中はその不自然極まりない宣言を当然のように受け入れて拍手さえ送り、仕立ての良い真新しい服と高価な金属や宝石があしらわれた装飾品を身に纏った連中は流れを探るように視線を彼方此方へと巡らせていた。


「ふッ、巫山戯るなッ!! 王女殿下愚弄するかッ!!」


「我らがそのような身勝手な宣言を容認するものかッ!! 今すぐに撤回しろッ!!」


「国王陛下不在の時分と図に乗ったかッ!! 老害ろうがいバトがッ!!」


 轟ッ、と燃え盛るような罵声は、硬直を憤熱で溶かし切った青緋の騎士達からだった。


 忠誠を誓った国王陛下の愛娘にして、城内市内を問わず燕のように飛び回っては国の為民の為にと、己にできる最大限で以って尽くし導いてきた年若く可憐な為政者への不届きな宣言を前にしては、彼らが烈火の如き憤りを抱くのも当然の事だった。


 対して、その怒声の的となった一際豪奢な法衣の老人は、何を考えているのか全く読み取れない仮面のような笑みを貼り付けたままだったが、教団関係者が反論しようと口を開き掛けた瞬間、会場内に極大の怒声が響き渡る。


「静まれェッ!! 王女殿下の御前であるぞォッ!!!!!!」


 青緋の騎士達はもとより、この場に居合わせたほとんどの者達が、その会場の端から端までを満たした落雷のような轟音によって身を竦ませて硬直した。


 その声の主こそ、今の今まで王女の傍らに控え、彼女を守護していた王国騎士団最高の騎士にして、第一から第五までの全部隊総員約六万五千を統括する王国騎士団長アイテルイーゴン・ブルンベルクその人であった。


 眉間や目尻の皺と左の眉から頬にかけてまっすぐ伸びる傷が刻まれたその顔は、その厳しい風貌を増長するかのように鬼の如く歪められている。


「皆様」


 誰もが口を噤む中、臆す事無く堂々と口を開いたのはセフィロティア王女だ。


 会場内は轟く声で静まり返った為、鈴が鳴るような軽やかな声音は簡単に行き届いた。


 一旦区切って息を整えた王女殿下は、若葉色をした穏やかな色合いのドレスを微かにはためかせて衆目を集めると、再びその桃色に色づいた唇を開いた。


「唯今の宣言につきましては、後日改めて正式な発表を行いますので、引き続き今宵の宴を御楽しみ下さいませ」


 宣言を口にしたルチアーノ大司教と同様の大陸公用語で放たれたそれに対し、会場から何らかの反応が帰ってくる前に、セフィロティア王女は気品と可憐さが同居した一礼を残し、護衛の騎士団長と共に会場を後にした。


 王女が騎士団長の手で開かれた扉を潜った時、一瞬だけ肩越しに会場内へと視線を送っていたが、その視線の意味を理解できた者は貴族や聖職者達の中居なかった。


 そして、王女殿下と御付の初老騎士が去ってからしばらく経った後、燭台の灯りで橙色に照らされた静寂の広間は、彼方此方で思い出したかのように上げられた喧騒に支配された。


 その広間の一角、朗らかな談笑の最中だった三人の若手騎士の間では未だに沈黙が垂れ込めていたが、最初に口を開いたのは最年長であるアイクファルク卿だった。


「……今の話、予め何か聞いていたのかな?」


 未だ唖然としていたファルカはその問いを耳にしてやっと我を取り戻したらしく、瞼を瞬かせながら兄の方へと視線を向け直した。


「い、いえ、私も初耳です。このような大事、何の理由も無く教団の裁量だけで決められるわけが無いのですが……」


「なら、あの宣言には何らかの裏があるという事かな?」


「ええ、恐らくは……とにかく、私はセフィーの元に戻りますから、アイク兄さんはヴィントシュトース卿がこれ以上見苦しい態度をとらぬよう、見張っていて貰えますか?」


 生真面目な妹の辛辣な人物評価に苦笑しつつ、アイクは肩を竦めながら頷いた。


「フ……分かったよ。今回の件で一番負担が掛かるのは間違いなくセフィーだろうからね。くれぐれも用心するように伝えておいてくれ」


「はい。では、失礼します」


 軽い会釈と共に兄達へ背を向けたファルカは、時間が惜しいと言わんばかりの早足で人波の中へと消えて行った。


「やれやれ、これはしばらく荒れそうかな? ……ハンス?」


 何処かわざとらしい憂い顔で見送ったアイクは、いつも一言多いとファルカに忠言されているハンスが一言も発していなかった事に気付き、視線を巡らせた。


 多弁な筈の少年騎士を追って振り返った青年騎士が見たのは、いつの間にか腕の皿達を片付け、凍えそうなほど冷たい眼光で金と白の豪奢な法衣を射抜く『狼男ヴェーアヴォルフ』の姿だった。


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