第11話
「これはこれは、アイクファルク・ブルンベルク卿。アンタも快気祝い代わりに一皿どぉだ? どれでも好きなヤツを選ぶと良い。見ての通り、より取り見取りってヤツだからなぁ」
少年騎士のワザとらしい大形な反応に、真面目くさった顔で現れた筈の貴公子は相好を崩した。と言っても、ハンスやファルカよりも五、六歳ほど年嵩を感じさせる笑顔からは滲むような苦みが混ざっていたが。
「フ――全く、変わらないな、ハンス。だが、今は宴の最中だ。君は気にしないだろうが、妹まで巻き込むような真似は控えてくれよ?」
面白がるような、揶揄うような声音は、ハンスの喋りほどではないがこの場には不釣り合いなものだ。だが、青年騎士のそれは軽妙洒脱と感じさせこそすれ、周囲の不快感を煽るような事は無かった。
寧ろ、彼の上品で優雅な仕草や見目麗しい顔立ちなど、総じて『騎士』と言う単語の陽の部分だけを体現したかのような姿に、周囲の御婦人方はすっかり目を奪われていた。
「いやいや、悪かったよ。御宅の妹君があんまりにも面白可愛いい反応してくれるもんだから、つい興が乗っちまったんだ。あと一つ言っとくが、最初に話し掛けてきたのは妹ちゃんの方だからな」
「かっ、かわっ――!??!!?」
「それは仕方ないさ。何せ、目の前で顔馴染みが嗤い者にされているんだ。義侠心溢れる我が妹にとって、それが見過ごせない事は付き合いのある君にも分かるだろう?」
「は、や、ア、アイク兄さんまで何を言っているのですかっ? 私は別にこのような恥知らずを気に掛けてなどおりませんっ」
狼狽える
権謀術数渦巻く社交場に於いて対極に位置するその会話によって、彼らの周囲だけ春が訪れているかのような陽気だった。
「それにしても、聞いたぞハンス。君、また無茶な真似をしてきたそうじゃないか。君相手では鷲に狩りを教えるようなものかもしれないが、余り命を粗末にするような行動は慎んでくれよ。君ほど強く、賢く、心優しい騎士を喪うのは王国にとって大きな損失だ」
「止せよ。男に煽てられた所で甘ったるい言葉なんぞ返す趣味はねぇぞ。大体、アンタだって前の戦じゃぁ俺よりも前に出てただろ? それで怪我してちゃぁ、首級挙げたっても元も子もねぇだろぉに」
ハンスの言葉に『これは痛い所を突かれた』とばかりに額を叩いて子気味の良い音を奏でると、アイクは高原を吹き抜ける凱風のように爽やかな笑みを浮かべた。
「ハハハ、確かに。僕もまだまだ未熟だったって事かな。明日からの訓練はより一層頑張らないと……と言うわけで、明日の訓練、久し振りに一つ手合わせしてくれるかな?」
「嫌だね。そもそも何が未熟だよ? 槍を握ったアンタに勝てる奴なんて、団長さんぐらいのもんだろぉが。怪我だって仲間庇ってできた名誉の負傷ってヤツだしなぁ」
申し出を間髪入れずに断っているハンスだが、ファルカと話し込んでいた時と違い、ながら食いではなく話の合間合間に食べている辺り、それなりの敬意を持ち合わせているらしかった。
「フフ、それは槍同士ならば、の話だろう? 僕から言わせて貰えば、君の剣技は騎士団でも飛び抜けているよ。それこそ、双剣を握った君には父上の剣ですら敵わないさ……そこで提案だが、互いに得物は己の得手で、という条件も含めるのは如何かな?」
「だから嫌だって。帰って来たと思えば毎度毎度、兄妹揃って何なんだ、ったく……明日は誰かさんに邪魔された所為で寝そびれた分、二度寝三度寝してゆっくり過ごすって決めてんだよ」
少年騎士の自堕落な発言に『やっぱり変わらないな』と苦笑するアイクだが、その脇で今まで赤くなったまま黙り込んでいた少女が眦を吊り上げていた。
「ヴィントシュトース卿!! 誉れ高き王国騎士たる者にそのような怠惰が許されるわけ無いでしょう!! 戦場から帰ったのならば尚の事、修練に励むべきです!!」
ファルカの言い分は、少なくともハンスのそれより遥かに有意義なものだろう。
だが、さっきからの攻勢で冷静さを欠いていたらしい彼女は、今この場で何が開かれていたのかがすっかり抜け落ちてしまっていた。
吠えるような叱責を涼しい顔の少年へ叩き落とした直後、周囲の奇異な物を見る視線で我に返ったのか、ワザとらしい咳払いで何とか誤魔化そうとしている。
その様にまた笑いを誘われたハンスが唇を吊り上げると、それに気付いたファルカも再び眉根を寄せて口を開く。
「と、とにかくっ、明日は朝から晩まで訓練ですっ。朝の鐘が鳴る頃に迎えに行きますから、準備しておくようにっ」
先程よりも幾分か抑えられた言葉は、異議異論の一切を拒む一方的な指示命令だった。
これで『訓練所に集合』と言わない辺り、ファルカのハンスに対する人物評価がどんな程度のものかが窺い知れている。
尤も、不良騎士ハンスがその言葉をまともに聞くかは別問題だが。
「だ・か・ら嫌だって言ってんだろぉがいい加減にしろ。大体朝の鐘って、陽も昇ってねぇし。何? 近衛だの秘書官だのってのは、んな
「騎士として節度ある生活を心掛けていれば自然とこうなるものですっ。貴方と一緒にしないで下さいっ」
少年少女は互いに殆ど同じ背丈なので、実体的には見下ろす見上げるという位置関係にないのだが、何故かハンスには一つ年上である筈のファルカが上目遣いに睨んできているように感じられた。
それと、彼の視界の端で青年騎士が折り目正しい妹騎士の発言を聞いて、誰かさんと似た涼しげな表情のままあらぬ方向へと視線を逃がしていた事も忘れてはいけない。
「そぉかぁ~? 俺が見た限りじゃぁ、アンタみたいに折り目正しく生きてる騎士なんて少数だと思うがなぁ~。どぉ思いますかねぇ、アイクファルク卿?」
「さあ、僕には分かりかねるよ、ヴィントシュトース卿。確かに、騎士たる者は何時如何なる時でも戦に備えるべきではあるが、その備えは各々が己の思想信条、主義主張の下で管理しているからね。これでも顔が広い方だと自負しているけれど、流石に一人一人へ『君はどんな生活をしてるんだ?』なんて聞いて回った事は無いよ」
唐突に水を向けられても、涼しげな表情を維持したまま自らの意見ではなく騎士団の不文律を口にする辺り、妹騎士とは役者が違っている。
終始ニヤニヤと笑い続けているハンスの方も、大した神経だと言えるだろうが。
「だそうだ。今の話に則るなら俺が自分の思想信条、主義主張ってヤツに従って生活しても、戦える状態を維持できていればそれで問題無いって事になるよなぁ?」
元々アイクを贄にして逃れるつもりも無かったのか、或いは躱されて諦めたのか、ハンスのセリフは終始
だが、ファルカの方は屁理屈に対する渋面ではなく、狙い通りに動いた獲物を見詰める猛禽の笑みを浮かべている。
「ええ、その通りでしょう。ですが、貴方が『戦える状態』にあるか否かは、実際に見てみない事には確かめようが無いのではありませんか?」
「いぃや、ワザワザ披露して見せずとも――
「『俺はアンタに何度も勝ってんだから、それで証明になるだろぉ?』ですか? ええ、確かに二ヶ月前の模擬戦では貴方の勝利でしたが、それで分かるのは二ヶ月前の状態でしょう? 今現在の貴方がどういった状態かは改めて確かめてみなければ分からない……違いますか?」
微妙に勝ち誇った笑みが口元に見える顔を見据えたハンスは、その鼻を明かしてやりたい衝動に駆られたが、この場で回避した所で次の任務があるまでの期間をずっと付け回されかねないと思い直し、白け切った神妙な表情を浮かべた。
「――ハァ……分かった分かった。じゃぁ、明日の朝に訓練所でいいよな? そこで俺が勝ったら、もぉ俺のバカンスを邪魔してくれるなよ?」
折れたような口ぶりでちゃっかり集合時刻を遅らせているハンスだが、六割本気、四割駄目元で言っていたファルカとしては、彼の素直な了承は願ってもない事だった。
そんな心境の影響か若干緩み掛けている少女に追従するように、青年騎士の方もワザとらしい瞠目を見せていた。
「おやおや、もう少し粘ると思っていたのにこれほど早く折れるとは珍しい……珍しいついでに僕とも手合わせ御願いしてもいいかな? 僕からは……そうだな、明日の昼食を賭けるけど如何かな?」
キラリと光る白い歯が覗く悪戯っぽいスマイルを浮かべたアイクは、健啖家のハンスにとってはファルカのものより幾分も魅力的な提案を、御婦人方の熱い溜め息を誘う素敵ウィンクと共に披露してみせた。
その辺で見繕った中年が同じ事をやってみせたら、二日酔いに匹敵する不快感を催しそうな気障ったらしい動作だが、アイクのような貴公子然とした者が行うと凄まじく見栄えが良い。
ただ、見る者に凄絶な人生を連想させる傷顔と相手を射竦める獣の如き眼光を備えるハンスが真似したら、きっと老若男女を問わず相当な恐怖を覚える事だろうが。
「ハイハイ、どぉぞご自由に……丁度肩慣らしの前座もある事だし、互いに得手で立ち会うってんなら思う存分
「なっ、誰が前座ですかっ。私だってこの二ヶ月訓練を積んできましたっ。見ていなさい。明日は私がどれほど強くなったか、思う存分見せ付けてやりますからねっ」
「そぉかいそぉかい。じゃぁ、その意気に免じて俺も槍で手合わせしてやるよ。同じ武器の方が戦い易いだろぉし、剣対槍で負けるより外聞もいいだろぉしなぁ?」
「なっ!? 言いましたねっ!! その言葉、絶対に後悔させて見せますからっ!!」
あからさまな挑発を揶揄い交じりの表情で口にするハンスと、分かっていながらどうしても熱くなってしまうファルカに、この遣り取りを年長者らしい余裕で見守りながら所作の一つ一つに持ち前の気品が滲むアイク。
主にアイクやファルカに見惚れる者達が見守る中、三人の和やかな時間はこのまま祝勝会が終わるまで続くかに思われた。
いや、その微笑ましい光景の渦中やそれを眺める者だけでなく、そこかしこで権力やら財力で人や組織や国を乗せた天秤を揺らし合っていた者達も、この星夜の社交界が凍り付く事態など想像すらしていなかった……
「御集まりの皆様方!! 今宵、この場にて我らが神の名の元に!! エルレンブルク王国第一王女セフィロティア・フォン・エルレンブルク王女殿下と我が養子(むすこ)カール・トーマス・シュルツ聖騎士の婚約を宣言致します!! どうぞ、よしなに!!」
――以上の巫山戯た宣言が、態々大陸公用語を使って唐突且つ高らかに放たれるまでは。
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