第2話
「全軍ッ!!!!!! 整列ッッッ!!!!!!」
早朝のミュール平原――その緑の疎らな平地を埋め尽くすように拡がった軍勢は、響き渡った号令により、王国の象徴である獅子が描かれた旗を掲げて戦闘態勢を整えた。
合計一万を超える勢力は左右に一ずつ、前方に二、後方に一の割合で部隊を配置している。
上空から見ると長方形に構えた四つの部隊を点に見立てて菱型を作るように配したその布陣は、部隊の外側に厚く並べた重装歩兵で設置型の大型弩を扱う砲兵を守護する後衛部隊を先頭に置き、遊撃役に適した軽装歩兵を纏めた二部隊を左右に、機動力に優れた騎兵部隊を最後尾に控えさせるという、前衛と後衛が反転した特殊な陣形となっていた。
このような陣形が組まれた理由としては、今回の出兵が定期的な侵攻によって相手国の損耗を狙う策の一環であり、元々本気で攻め込むつもりが無い事も挙げられるが、それ以上に
「者共ォッ!!!!!! 眼前に見えるは大陸を蝕む連合の害虫共だッ!!!!!! 先ずは我が国が誇る『滅凱弩』にて掃射を行い!!!!!! 然る後に進軍、蹂躙し、殲滅するッ!!!!!! そうして、我らが皇帝陛下の領土を取り戻すのだッ!!!!!!」
宣誓、咆哮、熱狂……
欲望を正当化する鍍金だらけの鼓舞によって万の声が重なり、平原一帯には武骨で粗野な戦いの舞曲が轟いたが、彼らが見上げる丘の上で朝日を背に立ち塞がる
何故、素直に『六千の騎兵大隊』と呼ばないのか。
その疑問の答えは『騎兵達が纏う甲冑の意匠や下から覗く衣装の色が違う』という一目瞭然の相違点も然る事ながら、『二つの騎兵大隊が、それぞれに保有する戦力のみを念頭に置いた陣を敷いていた』という点も挙げられるだろう。
そして、彼らは互いが別勢力である事を誇示するかのように、それぞれの勢力の象徴を描いた旗――鳩の翼と羊の角が描かれた旗と、緋色地に金の鷲と剣が描かれた旗――を掲げていた。
だが、平原に布陣した軍勢を迎撃する意思は共有しているらしく、所有戦力を縦長に並べて展開する事で、互いの進軍を邪魔しないよう最低限の配慮は見せている。
「弩を構える我が方に無策で騎兵を並べるとは……全く以って度し難い」
「斥候の知らせでは連中に遠距離武装は見られなかったそうですな」
「『大陸一の技術大国』などと謳っていながら、剣槍だけの傭兵同然の装備とは……」
「しかも、戦場で肩を並べる両騎士団が仲違いしていると見える」
「いや全く、舐められたものだ」
後方部隊の最後部で上がった気の抜けた喋りと弛緩した笑い声の主は、指揮官と同派閥の貴族達だった。
だが、両隣で馬に跨る彼らの緩みを引き締めるべき立場である筈の指揮官も、今朝まで初の大役に緊張していたクセに、今では彼らと同じくらいに緩み切っている。
平原と丘、彼我の距離は数字にして約四〇〇ヤード。
この位置では丘の傾斜も相まって、行軍を開始した瞬間に弓矢の射程に入ってしまう事は丘側の軍勢も承知していただろうが、ただ届くと言うだけで大した威力の無い遠射程度なら彼らの鎧は完璧に防ぎきるだろう。
それは帝国側も弁えている。
だが、帝国が開発したのは重装歩兵を一撃で屠り得る強力な巨大弩なのだ。
しかも、通常の弩と違って台座の上部に設置された弾倉と時計のような機械式の巻取機により、熟練の弓兵と並ぶほどの連射性能を有している。
指揮官は既に本国での運用試験にて、この弩が百ヤード先で磔にされた上でプレートアーマーを着せられた罪人を串刺しにして見せた所を目の当たりにしており、それは他の貴族達も同様だった。
その新兵器に加えて兵力の差は明白、現段階で相手方に遠距離武装は見られず、更には不利を覆し得る策の存在を疑いようにも、連携の『れ』の字も見当たらない二つの軍勢を目にすれば警戒心など立ちどころに失せてしまうと言うものだ。
人生二度目の戦場でいきなり司令役に任じられた緊張など露とも感じさせぬ安心し切った表情になっている指揮官は、射殺してくれと言わんばかりに佇む敵兵を見上げようとし、眼球に突き刺さった朝陽を遮りながら勝利を確信してほくそ笑んだ。
「滅凱弩隊に伝令だ。『前面に展開された両騎士団が丘を降り始めた段階で掃射を開始。愚者共の頭上へ存分に雨を降らせろ』とな」
「ハッ!!」
馬上の指揮官は足下に控える伝令兵に目も向けぬまま命じると、同じく馬上にいる貴族達と共に高みの見物を決め込んだ。
と、年若い指揮官が己は戦場ではなく闘技場の観客席に居るのだと勘違いしていた時だった。
「閣下、一つ御伝え忘れていた事が……」
遠慮がちに顰められた声は、先程命令を下したばかりの伝令役と同じ位置から上がった。
「ん……何だ? 申すが良い」
しかし、続く言葉を幾ら待っても伝令兵は黙したまま微動だにしない。
「……? 何を呆けている? 疾く行かねば連中の突撃が先んじるぞ?」
物音一つ立てないまま突っ立っている気配に苛立ちを覚えつつ視線を下ろしたその時、指揮官はやっとその伝令役――と思っていた者の姿を目視した。
そこに居たのは、フード付きのハーフコートで隠者のように顔を隠す正体不明の人物だった。
冬が明けたばかりの今の時期、早朝はそれなりに冷え込むので格好自体に違和感は無いわけでは無い――そもそも、戦場で防御力の低そうな軽装をしている時点で場違いである――が、それ以上に、その人物が両手に持った緩い曲線を描く二振りの片刃と、その流麗な黒鋼達を染める紅こそが指揮官の視線を奪った。
「…………………………………………………………………………………………は?」
目と口を開き切った間抜け面を晒す指揮官の停止した思考に反し、眼前の異常に釣られた視線が刃から流れる真紅の行き先を追うと、そこには頸と胸の刺し傷から血溜りを作り出す伝令役の死体があった。
「……なっ!? な、ななな、何者だ!! 貴様!!!!!!」
目前の殺人者が血振りをして黒い刃に本来の黒曜石にも似た輝きを取り戻させた辺りで、漸く目の前の現実に理解が追い付いたらしい指揮官が狂乱のまま叫びだすと、その声で周囲の貴族達や荷駄隊も異変に気付いた。
「何事だ!?」
「し、侵入者だと!?」
「何故こんな後方に!?」
「前方部隊は何をやっているのだ!?」
「お、落ち着け!! 相手は一人だ!!」
明らかな敵対者の出現に耳障りな悲鳴を上げる野郎共を無視し、緩く握った双剣をクルクルと弄ぶフードの人物は待ちかねたように態とらしい溜め息を吐く。
「うるせぇなぁ、ったく……えぇっと、一、二、三、四、五……六人ね」
フードの人物が剣を持ったままの指差しで高価そうな甲冑を自分と馬に纏わせている連中を数えている間に、その六人の内、若い指揮官と他三名が彼を包囲して腰の剣を引き抜き、残る二名は前方の騎兵達を呼び寄せるべく騎馬を進ま――
――包囲を一瞬ですり抜けた二振りの刃が、騎馬を進めた二名の生首を鞍の上に落下させた。
まるで瞬間移動でもしたかのように二名の間へ踏み込んだ彼の鋭過ぎる太刀筋は誰の目にも留まらず、滑らかな断面からは鮮血が思い出したかのように一拍遅れて噴き上がった。
「……は?」
「あ?」
「え……?」
「な……!?」
唐突に首無し騎士(デュラハン)と化した同僚を見た貴族達の単音が明確な言葉となる前に、血脂を置き去りにした片刃剣が朝日を反射して鈍く輝き、背を向けていた惨殺者が四人の方へと振り返った。
その瞬間、平原を吹き抜けた強風が惨殺者のフードを取り払い、その下に隠された素顔を暴く。
「――――ッ!! まさ、か……!?」
「……は、灰色の髪に、琥珀色の瞳……!!」
「傷顔に二振りの黒い片刃剣……だと……!!」
「コ、コイツは――エルレンブルクの『
最後のセリフを口にした痩せ顔貴族がそれを言い切る直前、フードを払われた少年は霞むようにしか捉えられない踏み込みを披露し、一瞬の内に件の貴族が跨る騎馬へと跳び乗ると、雷のような一刀で以って頑丈そうな板金兜ごと頭部を唐竹割にして見せた。
「「「――ッッッ!!!!!!」」」
飛び散る血と髄液で汚れた少年は既に貴族の半数を屠ったにも関わらず、そこで立ち止まるつもりなど無いらしく、残る三人の貴族へ視線を巡らせると、一番手近な場所にいる巌のような相貌の貴族を見据えて跳んだ。
次の獲物を求めて獣のように跳躍した少年を迎撃しようと、狙われた岩顔貴族は右手に握ったブロードソードで鋭い突きを繰り出すが、空中では踏ん張りが効かず大した重さも乗らない筈の一振りで容易く防がれてしまう。
城壁にでも打ち込んだかのような手応えに大きく腕を跳ね上げる岩顔貴族を尻目に、少年は空中で崩れ掛けた身体を宙返りさせて体勢を整えると、馬上で体勢を崩している岩顔貴族の眼下、鎧を纏った騎馬の足元に着地する。
「チッ!! この――……ッ、痛ッッッ!?!!!? ギ、ガァァアアアァアアアアアァァァアアアアアァアアアァァアアアァアアァアアアァァアアアァアアアアアァァァアアアアアァアアアァァアアアァアアアアアァァァアアアアアァアアアァァアアアァアアアアアァァアァア!?!!!?」
高さの所為で死角に消えそうになる少年を追い掛け、跳ね上げられていた剣をそのまま振り下ろそうとした岩顔貴族は、自身の剣が右手ごと縦に裂けて断面を露わにする光景を目の当たりにし、灼熱の激痛と自身の身体が見るも無残に破壊された衝撃で絶叫した。
獣の断末魔のような、人間の根源的な恐怖を掻き毟るような、そんな叫び声が二十ヤード以上先で背を向ける騎兵達にも届いた時には、急所を守るに足る強度を有している筈の頸当諸共に岩顔貴族の首から上が刎ね落とされている。
「ヒィッ!?!!!!」
余裕と情けの無い単音の悲鳴は、頭上から降りしきる岩顔貴族の返り血で
対する少年はその高価な鎧を纏って震える臆病者に狙いを定め、血みどろの悪条件な足場にも関わらず獣のような速度で距離を詰める。
それを目では追えずとも、迸る殺気によって察知した指揮官の方は正常な思考を失っていたのか、迫り来る敵影に背中を見せてでも救援を呼ぼうと、先程の悲鳴で此方に注目し始めていた騎兵達に振り向きながら叫ぶ。
「て、敵襲だッ!!!!!! 騎兵反転!!!!!! 我々を守ベえェェェエエエぇエエぇぇ!?!?!!」
先に聞こえていた悲鳴と救援要求を耳にして大急ぎで馬を反転させた騎兵達が見たのは、鱒のすずめ開きのように背後から甲冑ごと真っ二つになって真っ赤な中身を曝け出す指揮官と、鮮血で塗れた騎馬が背中に零れた諸々を払い落とそうと身震いする光景だった。
最後に残された憐れな貴族は瞬く間に作り上げられた惨状を前に呆然としていたが、跳躍する度に蝙蝠の羽搏きのような音を立てるコートが視界の隅を通過した時点で、その後に襲い来るであろう冷たい鋼を見る前に己の末路を悟った。
獣のような脚力によって大の男の頭頂部と同じくらいの高さを持つ騎馬の背へと一息に跳び乗った少年は、勿体ぶる事無く、或いは無駄に苦しませるような事も無く、速やかに無造作に淡々と粛々と白刃――黒い刀身をそう呼ぶには違和感があるが――を振るう。
「――『狼男(ルー・ガルー)』……」
肺と口が繋がっている内に紡がれた末期の言葉は貴族の背後に立つ惨殺者を除いて誰の耳にも届かなかったが、頭を無くした首から湧き出す噴水は他の五人と同じように、少し離れた所で腰を抜かしたり地に伏して吐瀉物を撒き散らしたりしている荷駄隊の所にまで降り注いだ。
六人の血をたっぷり浴びた少年が騎馬の背から跳び降りた時には、発泡酒の封をしていたコルクのように刎ね跳んだ生首も地面に着地し、走り寄る騎兵達の足元へ転がって行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます