第3話


「な、何だ? これは……!?」


 断末魔ではあったが下された命令に従い転身して包囲したものの、血塗れの処刑場に視線と正常な思考を奪われた騎兵達は、耐え切れず胃を空にするか只々絶句するだけだった。


 対する少年はこの鉄臭い修羅場を前にしても不釣り合いな気の抜けた佇まいを保ち続けており、血を払った剣を鞘に戻して空いた右手で軽そうな胸当て型の胴鎧の下を探っている。


 ちなみに、貴族達が乗っていた馬達は走り寄る騎兵達が放つ尋常ならざる空気を恐れ、背に跨ったままの死体を振り落とす勢いで一目散に逃げ出していた。


「さて、任務完了、っと……えぇっと? ……あぁ、あったあった」


 彼が取り出したのは二インチほどの細長い笛だった。


 少年がその笛を口に運ぶ前に彼を包囲している騎兵達が動き出せていたら、帝国側も指揮官不在とは言え、ある程度の抵抗ができていたかもしれない。



 ――――ピィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!



 歌い鳥の囀りのような音色の美しさに反し、平原に鳴り響いたその笛の正体は更なる混沌を呼び込む戦禍の角笛だった。



 ――――ウオォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!



 笛の音に呼応するような千単位の鬨の声は、帝国が陣を展開した平原の南東、百ヤードほど離れた位置に存在する小規模な森林地帯から上がっている。


 その森を形成する針のように尖った葉を持つ木々の間から現れたのは、丘に立つ二種類の旗と同じ紋章が刻まれた鎧を纏い、歴戦を潜り抜けた証に小さな傷が幾つも刻まれた剣や槍やメイスを握って行軍する六千の騎士達だった。


 彼らの狙いは遠目にも目立ちし過ぎる巨大な弩を構える前方部隊だが、性能の為に機動性が犠牲となった滅凱弩は丘を照準したまますぐには動かせず、それを守護する重装歩兵達は迫り来る騎士達を迎撃せざるを得ない。


 『騎士=騎兵』である筈なのに騎馬には乗らず――否、囮を作る為に騎馬を丘の上で置き去りにして自らの足で以って進軍する騎士達は、自重の半分に迫るほどの重量を持つプレートアーマーに身を包みながら、その勢いを何ら損ねる事無く怒涛の如く平原を進み、甲冑に旗と同じ鷲と剣を刻んだ騎士達と胸に十字を刻んだ騎士達は瞬く間に前方部隊を呑み込んだ。


「貴様!! 何をした!?」


 少年を囲んだ騎兵達の一人が声を荒げる間にも、鈍色の頭上に各々の紋章を掲げる騎士達は突き出される槍を剣で斬り捨て、大盾の隙間に槍を突き出し、重く硬いメイスで大盾ごと敵を打ちすえ、部隊中央でもたつく滅凱弩隊へと迫りつつあった。


 陣形の最後尾に現れた侵入者、指揮官他、有力貴族達の喪失、予想外の方向から現れた敵騎士団の奇襲、これらの矢継ぎ早に降り掛かった不測の事態に対する説明を元凶そのものへ、しかも、敵国とは扱う言語が異なるにも関わらず自らの母国語を使用して問い質す辺り、騎兵はまだ混乱の渦中にあるのだろう。


 見敵必殺とばかりに斬りまくった少年は、当然、その詰問を無視し――


「んー……? 見ての通りの暗殺だよ。テメェらが鎧を着せられて馬に乗っかってるだけの案山子を見上げてる間に横っ面へ奇襲して一気に殲滅ってのが本隊の作戦なんだが、それだと俺みてぇな若造のトコにまでは旨い獲物が回って来ねぇかも知れねぇだろ? だから、それらしい理由をでっちあげて陽動役をもぎ取ってきたってワケだ」


 ……無視どころか、態々大陸公用語ではなく帝国の第一言語を使って自らが所属する勢力の作戦を洗いざらい吐きやがった少年は、これがバレたらどんな処罰を受けるか分かっていないのかもしれない。


 まぁ、連中としても目障りな小僧ガキが進んで死地に向かってくれるってんなら好都合だろぉしな、と何処まで本気か分からない調子で嗤う少年を見て、彼を包囲する騎兵隊の部隊長は逃避気味にそう考えていた。


「部隊長……如何致しますか?」


 現状に思考が置き去りにされた所為で、怒りや恐怖を抱く以前に――指揮官以下、爵位を持つ連中と彼ら一兵卒では社会階級が離れ過ぎていて情が湧き辛い所為もあるが――ただ困惑するだけとなっていた部下に問われた部隊長は、無理矢理意識を切り替え、取り敢えず目の前の異常事態に対処する事を決めた。


「総員、侵入者を処分した後、配置に戻り敵軍を迎撃せよ!!!!!! また規約に従い、只今を持って本侵攻軍指揮はこの私――


 しかし、彼の言葉は最後まで続かなかった。


 語り終わる前に動き始めた少年の疾風のような踏み込みと迅雷のような抜刀により、貴族達の物より質の劣る鋼板の頸当ごと部隊長の頸が刎ねられたからだ。


「オイオイ、さっきも言ったが、暗殺者なんだぞ? 『自分の首は価値がある』みたいな事、気安く言いふらしてちゃぁダメだろ?」


 部隊長と揃いの防具を身に付けた騎兵達を素通りし、少年は自ら名乗った肩書に相応しい色に固まり掛けた髪をかき上げると、呆れたような表情で剣を振って刃を鈍らせる血脂を払う。


 貴族と同じく後方に控えていた荷駄隊は既に荷を置いて逃げ出しており、その飛沫を浴びた者は四肢と胴を覆う簡素な金属鎧に守られた兵を乗せる騎馬達だけだったが、香る血と眼前で刎ね落とされた部隊長の生首を前に、彼らの士気は底抜けの酒樽の如く空っぽになっていた。


 つい一瞬前まで話していた人間の首が落ちる様子を見せられた事も然る事ながら、それ以上に『戦場の処刑人』と恐れられた部隊長がこれほどまで容易く斃された光景は、騎兵隊に指揮官喪失以上の衝撃を与えたのだ。


「さぁ、次は誰だ!! 俺の武功の為に首を置いてってくれる死にたがりはどいつだ!!!!!!」


 『狼男ルー・ガルー』さながらの重圧が籠った雄叫びは、騎兵隊のみならず背を向けて走り去る荷駄隊や左右に展開している遊撃兵達の耳にまで届いた。


 既に八人も斬り殺しながら刃毀れ一つ無いまま、まるで次の獲物を求めるように鈍く輝く凶刃と、強大な獣が放つ咆哮のように響き渡る凶笑により、騎兵達の脳裏に『敗北』や『撤退』が想起される……その直前だった。


「カエルム教を信ずる敬虔なる仔羊達よ!!!!!! 我らが神の御名の元に!!!!!! 今こそ賊軍を討てぇ!!!!!!」


 大陸公用語で放たれた聖戦に臨む大声疾呼は、帝国が展開した左右の軍勢から上げられた。


 騎兵達は知りようが無かったが、守りの要である前方部隊と切り札である騎兵隊を擁する後方部隊と違い、遊撃を担当する左右の部隊の多くは金で雇われた傭兵が占めており、それによって開戦どころか雇用の時点でカエルム教団の浸食を受けていたのだ。


「……チッ!! 教団め、どぉにも大人しいと思ったら伏兵かよ。相変わらず汚ねぇ真似しやがって……!! オイッ!!!!!! 聞いた通りだッ!!!!!! 右翼左翼の部隊は離反したッ!!!!!! この戦場はもぉ終わりだッ!!!!!! 死にたくねぇなら、今すぐ帰れッ!!!!!!」


 少年が叫んでいる間にも、統一感の無いバラバラな武装の愚連隊は事前に指示を受けていたのか、南の右翼部隊は森から現れた騎士達と進路が被らないよう気を配りつつ、北側の左翼部隊共々少年がいる後方部隊へと迫っている。


 元々新兵器の所為で機動性が低かった前方部隊は右翼左翼の離反を尻目に徹底抗戦の姿勢を取っていたが、守るべき荷駄隊が消えて身軽になった後方の騎兵隊は、その速力を以ってすれば簡単に戦線を離脱できる筈だった。


 そもそも、如何に高威力の突進力と優れた機動力を持つ騎兵隊と言えど、『一に命、次点で金』な士気の低い傭兵ではなく、信仰の為に命すら捧げるような狂信者共で構成された倍の兵力を持つ敵集団との乱戦に挑むのはどう考えても分が悪い。

 乱戦となれば騎兵の長所である突進力も機動力も封じられ、倍の兵力差に押し潰されるのが目に見えているのだから。


 だが、眼前で幾人も惨殺して見せた少年と天に届けようとするかのような雄叫びと共に迫り来るカエルム教徒の存在が、予想以上に騎兵達を追い詰めて正常な判断能力を奪い、指揮官の不在が彼らの暴走に拍車を掛けた。


「そ、総員ッ!!!!!! 迎撃に迎えッ!!!!!! 帝国の意地を見せてやれェ!!!!!!」


 誰が上げたかも定かでない声は合理性や論理の正当性を顧みられる事も無く部隊の総意として広まり、騎兵隊は敗色濃厚な戦場へ突撃する為に少年を囲う数騎を残して転身を始めた。


「バ、バカ野郎ォッ!!!!!! 止せってんだァッ!!!!!! 動ける奴だけでもさっさと帰れェッ!!!!!! こんな下らねぇ戦場ばしょで無駄に命散らそぉとしてんじゃねぇぞォッ!!!!!!」


 何処か悲痛な響きさえ混じった矛盾を孕む咆哮だったが、目の前で散々蛮行を働いた少年が抱える想いなど、蹂躙された被害者達に届くわけが無い。


「馬鹿は貴様だッ!!!!!! 下らん戯言で逃げられると思うなッ!!!!!!」


 馬上から槍を向ける騎兵は八人。

 それが、さり気なく、それでいて素早く周囲に視線を巡らせた少年が捉えた敵兵の総数である。


 最初に少年を取り囲んだ貴族達の倍の人数だが、対する少年の表情に不安や恐怖などの陰りは見えない。


 指が白くなるほどの力で柄を握り締める少年の顔に在るのは、眼前の騎兵達が選んでしまった愚行に対する憤懣と焦燥だった。


 彼にとってはが分水嶺だったのだ。


 この時点で敗北を認めて真っ直ぐ自身の故郷へと帰るのならば、少年は例え処罰される事になってでも彼らを見逃していただろう。


 だが、怒りに呑まれて、憎悪に蝕まれて、この戦場を進むと決めてしまった兵達を、胸中の暗い感情を振り撒き、戦場の奥に秘された人の営みを踏み躙って晴らそうとするであろう蛮人共を、彼の生まれた村を滅ぼした者達と同じ兵士崩れの盗賊予備軍を、生かしておく気などサラサラ無い。


 だから、少年が口にしたのは最後通知だった。


「……一応聞くが、今すぐ武器捨てて故郷くにに帰る気はあるか? あるんなら見逃してやる。向かって来るってんなら全員残らず殺し尽す。どぉするか、さっさと決めな」


 平原を満たす怒声と悲鳴の中でも届く音量でありながら静かに耳へ滑り込む声は、確かに騎兵達の耳朶に届いていたが、彼らは少年の声音に宿る感情ではなく言葉そのものによって判断を下した。


「舐めた口を利くな、このクソガキがッ!!!!!!  貴様の方こそ今すぐ武器を捨てて首を差し出せッ!!!!!!」


「部隊長を殺した貴様を我々が許すわけが無いだろうがッ!!!!!! ふざけるのも大概にしろッ!!!!!!」


「そもそも、敵陣に一人で来た時点で貴様の命運は尽きているわッ!!!!!! 上から目線で他人の生殺与奪を語る前に、自分の命の心配でもしていろッ!!!!!!」


 騎兵達が向ける槍には迸るような殺気と怒気が籠っており、命がけの戦場で悠長に警告を発した少年を刺し殺そうと鈍い光を放っている。


 八の穂先を五感全てで捉えつつも地響きを上げながら走り去る騎兵隊に目を向けていた少年は、無駄な時間を使ったとばかりに溜め息を吐いて周りの騎兵達に意識を戻すと、強張っていた剣の握りを普段通りに緩めた。


「……分かった。アンタらがそのつもりなら――


 現在進行形で戦場に身を置いているとは思えない態度の少年はまだ口を開いたままだったが、騎兵達にとって最初の一言が開戦の合図となったらしく、少年の死角で構えていた四人が一斉に槍を突き出した。


 ほぼ同時に繰り出された四つの穂先は必殺の威力を内包し、それを見ていた残りの四人は頭蓋や胴を貫かれた生意気な少年が憐れな戦死者達の元へと参列する様を幻視し――



 ――ズパパンッ!!!!!!



 何処か間の抜けた複数の風切音と四つの穂先が斬り飛ばされて宙を舞う光景によって、彼らは現実に帰還した。


 しかし、騎兵達がそれについて何か口にするより早く、目にも留まらぬ速さで双剣を振り抜いていた少年が再び両手の剣を振るった為、紡がれる筈だった言葉は誰の耳にも届かなかった。


 いや、『届かなかった』と言うのは正確ではない。


 少年が双剣の側面で弾き飛ばした四つの穂先によって、彼の正面で槍を構えたままだった四人の騎兵の喉が突き破られた、というのが事の顛末なのだから、この場合は『届けさせてくれなかった』と言うべきだろう。


「――コッチも、そのつもりで行かせてもらうぞ? 覚悟するんだな」


 馬上から崩れ落ちる騎兵を尻目に振り返った少年には先程までの軽薄な雰囲気は無く、脅すようなワザとらしい凶笑も剥がれ落ちており、近寄るだけで身を切られるような極寒の気迫だけが残されている。


 その刃のような眼光に射竦められ掛けた騎兵達だったが、幾度の戦場を乗り越えてきた経験の賜物か、すぐにただの棒と化した槍を手放して抜剣した。


 だが、武器を捨てた騎兵達が剣を抜き終えるまでの隙を見逃すほど、決意を――殺意を固めた少年は甘くはない。


 彼は騎兵達が剣を構え終える前に手近な騎馬へと跳躍すると、跨っていた筋骨隆々な騎兵が剣を振りかぶる余裕も無いほど手早く首を刎ね落とした。


「キ、貴様ァ!!!!!! そこを動ブナぁァアアアアァァアあァアあアアアぁアア!??!!?」


 騎馬の上に立った少年が首を刎ねられても握りっぱなしだった騎兵の剣を蹴り飛ばすと、刃は真っ先に声を上げた騎兵の顔面、眉間の中央に突き刺さり、耳障りな怒鳴り声を聞くに堪えない断末魔へと変化させた。


 最初の四人が槍を突き出してから此処までで掛かった時間は数字にして十にも満たなかっただろうが、残された二人の騎兵を凍り付かせるには十分な時間だった。


 その隙に少年は騎馬に跨ったままの死体を蹴落とすと、空いた鞍に腰を下ろして剣を握ったまま手綱を掴み、帝国の正規兵らしく手入れの行き届いた騎馬を操って硬直したままの騎兵達へと向き直らせた。


「良い馬だな、コイツ。もぉ乗る奴もいねぇし、貰っても構わねぇよな?」


 言いながら手綱を操る少年に、跨られた鹿毛の方は落ち着きなく足踏みしているが、それでも彼を振り落とすような事は無く従順に歩を進め始める。


 馬を馴らす為か悠遊と歩かせて近付いてくる少年を見て、やっと意識が戻ったらしい騎兵達は、その身に纏わり付いた死の恐怖を振り払うように改めて剣を強く握り直した。


「ふッ、ざけんじゃねえ!!!!!!」


「馬鹿にするのも大概にしろッ!!!!!!」


 怯える馬をゆっくり進ませる少年に対し、騎兵達は剣を振り上げながら馬の腹を蹴って左右から挟み込むように走り寄らせると、武骨な刀身で頭蓋を叩き割ろうと左右同時に頭部目掛けて振り下ろした。


 しかし、その切先が少年の頭上に迫ろうとした時には、騎兵達の上がった脇から首の根本に向けて双剣の刃が奔り抜けており、彼らの上半身は自らが振ろうとした剣の勢いに引っ張られてズレ落ちていった。

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