十一話

「なるほどね。透明になる魔法なんてどうりで聞いたことがなかったわけだ。アカデミーの閲覧禁止資料、つまり禁術に指定されてたとはね。これじゃ存在しない魔法だと思わされてても仕方ないな」


 二人が話す横でレイはどこか他人事のように言った。だがヒルデの意識は真犯人とも言えるヘルマンに向いている。


「……あなたはレヴィンが資料を盗み見たって言うけど、その証拠はあるの? 本当にあの人がそんなことを――」


「信じたくないのはわかるが間違いないことだ。証拠もあるし、本人も認めてる」


「え、レヴィンが?」


「一般には開放してない立ち入り禁止の資料室に入ったと供述してる」


「で、でも、レヴィンがいつアカデミーに来たって言うの? 毎日研究で、数日家を空けることなんてほとんど――」


「話によれば、ここへ来たのは毎年行われる研究発表会のためだったそうだ。魔法研究者なら大半の者が来る。あなたの夫も、発表会の時期になると出かけてたはずだ。違うか?」


 あ、とヒルデは小さな声を漏らす。確かにレヴィンは研究発表会の知らせを受けると必ずおもむいていた。研究仲間と共に年に一度、家を空ける時期がある。最後に空けたのは半年前のことだ。その時に資料室へ忍び込んだというのか。


「……心当たりがあるようだな」


「証拠は……レヴィンだという証拠は何なの?」


「証拠も何も、あなたが透明な身体になってることが大きな証拠と言える。疑うきっかけと言われれば、透明化魔法について書かれた書物の位置がわずかにずれてたことが始まりだ。閲覧禁止の書庫には滅多に人は入らない。入るのは毎日見回る管理者ぐらいだからな。その管理者が書物の違和感に気付き、侵入者を疑って調査を始めた。そして研究発表会の日、多くの研究者が専門資料室を利用してたが、聞き込む中で入室禁止の書庫へ向かう男性を目撃した者がいた」


「それが、レヴィンだと?」


「いや、その時点では特定できなかった。だが侵入した者がいたとわかって、我々はアカデミーの外へも調査を広げた。そうして入って来た情報に、レヴィン・レーワルトという研究者が何やら秘密の研究を進めてるらしいというものがあった」


 これにヒルデは思い返す。レヴィンは成功するまで研究内容を発表してはいなかった。だがすごい研究はしていると周囲には教えていた。それを聞いた一人であるハンスは、それを師であるブフナーに話し、おそらく侵入事件を知らされていたブフナーは、街で調査をしていた魔法戦士にそれを教えた――実際ハンスとブフナーが関わったかはわからないが、起きたのはそういうことなのだろう。レヴィンが進める秘密の研究を知った何者かがアカデミー側に教えたに違いない。


「レヴィン・レーワルトが研究発表会に参加してた確認が取れ、我々は彼の家をしばらく監視することにした。禁術を知った研究者が、それを放っておくとは考えづらい。必ず何か行動を起こし、決定的な証拠を見せるはずだとな。そしてその読み通りになった」


「透明化薬の開発……あなた達はずっと見張ってたのね。だからあの日、いきなり来て……」


「私の指示で魔法戦士を行かせ、レーワルト夫妻の連行と研究資料の没収をさせた。だがあなたは見つからず、連れて行くことはできなかったがね。その時あなたはどこにいたんだ?」


「私は家にいたわ。クローゼットに身をひそめてた。透明化薬を飲んで……」


 ヘルマンは小さな溜息を吐く。


「そうだったか。我々が怯えさせてしまったせいか……では研究の過程で飲んだわけじゃないんだな」


「まだ動物実験の段階で人間が飲むには早い物よ。でも知らない男性達が押し入って来て、何をされるかわからなかった。逃れるには薬を飲んで姿を消すしかなかったの。それだけ追い詰められた心境だったから……」


「レヴィン・レーワルトに逃げられるのを防ぐために、寝静まった深夜に行かせたのも悪かったか。しかしこっちも騒ぎにするわけにはいかなかったのでな。……一つ聞きたい。あなたは妻として助手として、常に側にいるはずだ。透明化薬の研究を始めた夫に違和感は覚えなかったのか?」


「珍しい研究だとは思ったけど、彼ならこんなことを思い付いても不思議じゃなかったわ。時々天才的な閃きをすることがあったから、今回も文献を読み込んで閃いたことなんだろうと……その文献がアカデミーの閲覧禁止資料とは思いもしなかったけど」


 ヒルデは自分の複雑な気持ちに自嘲すると続けて聞いた。


「……私からも質問、いいかしら。透明化魔法はなぜ禁術に指定されたの? 戦争時代なら軍は喜んで使いたがりそうだけど」


「あなたの言う通り、当時の国軍は透明化魔法に興味を持ってたようだ。兵士が皆透明になれば、敵軍の裏をかくことなどたやすくなるからな。それどころか敵国王すら暗殺するのも容易だ。だがそれは自国王にも言えること。政敵や恨みを抱いた者が使えば、王国は自滅しかねない。そう考えて、当初は数人の権威ある魔法使いしか使用できない決まりだった。しかしそれ以前に、この魔法には重大な欠点があってな」


 欠点という言葉に、ヒルデは胸にざわめくものを感じながら耳を傾ける。


「透明化の解呪ができなかったんだ。他の魔法ではそれぞれ解呪魔法というものが存在してるが、この魔法に関してはまだなかった。透明化すれば、もう元には戻れない」


 ドキリとしたヒルデは思わず自分の手を見下ろす。手袋をしているからこれは手だとわかるが、何も着けなければ存在は消える。


「それは、当時の話でしょ? 今は解呪魔法があるのよね?」


「多くの研究者が関わったようだが、それでも解呪魔法を生むことはできなかった。残念だが、それは現在も同じ状況だ。だが最大の欠点はそれじゃない」


「他にもまだ問題があるの?」


「とても深刻なものだ……どうか冷静に聞いてほしい」


「な、何なの……?」


 不安げな声のヒルデに、ヘルマンは真剣な表情で言った。


「この魔法をかけられた者は、一年以内にその存在を完全に失う……つまり、この世から消えてしまうのだ」


「え……それって、死ぬってこと……?」


 ヘルマンはゆっくり頷く。


「昔の文献には、透明化魔法をかけられた者が、ある時から行方不明になったとあった。その時はただ単に、誰にも言わずどこかへ出かけたものと思われてたようだ。だがいつまで経っても帰って来ない。別の者の場合でも、やはりある時から行方がわからなくなり、そしてそれ以降現れなかったそうだ」


「死んだから現れなかったと? でも透明の身体じゃ死んだかなんて確かめられないんじゃ……」


「魔法をかけられた一人は研究者でな。彼は仲間と暮らし、一日中研究室にいる生活だったそうだ。透明化してからは毎日仲間に声をかけ、自分が部屋にいることを教えてた。しかしある日、その声かけがなく、彼を呼んでも返事はなく、入った部屋には服が落ちてたという。文献で見つけたのはたった二例ほどだが、その二つに共通するのは透明化後、二人ともが一年経つ頃に姿を消してることだ。二例じゃ偶然とも言えるが、研究者達は追究した。それが仕事だからな」


「何かわかったの?」


「檻に入れたウサギに魔法をかける実験を行い、観察した結果、ウサギは二ヶ月後に姿を消した。檻に入ってたにもかかわらずだ。もちろん誰かが持ち出した形跡もない。これに研究者達は、透明化魔法はかけられた者の命までも消し去り、死に至らしめる危険な魔法だという結論に達した。その仕組みや原因が解明されなかったこともあり、この魔法は禁術に指定され、誰も使うことができないものになった」


「本当にそうなら、ヒルデさんは、やばいんじゃ……」


 レイは横目でそっとヒルデを見やる。透明では顔色はわからないが、微動だにしない身体を見るに、その心境を察することはできた。


「……で、でも、私が飲んだのは作ったばかりの薬で、魔法を直接かけられたわけじゃないわ。効果の違いはあると思うの。だからまったく同じになるとは言い切れな――」


「あなたを絶望させたいわけじゃないが、没収した物の中に実験中だった動物がいたが……」


「ネズミのこと? それが何なの?」


「あれは死んだよ。ここに運んで来た時にはかごの中はすでに空っぽだった。薬を飲ませてから一週間ほどだ」


「え……」


 その事実に呆然とするヒルデに、ヘルマンは淡々と説明する。


「つまり魔法薬であっても、元の魔法の効果はすべて引き継がれてるということだ。動物実験で消えるまでの日数に違いがあるのは、おそらく動物の寿命か身体の大きさが関係してると思われる。そして人間の場合は文献にあったように一年が基準のようだ。だから我々は、あなたが薬を飲んだと知ってから急いで捜してたんだ。このままでは消えて死んでしまうと教えるために」


「ならそう言ってくれればいいだろ。そうすればこっちだって素直に付いて行ったよ」


「本当にそうか? 正直に言ったところで信じる根拠がないとか言って逃げただろう」


「う、うーん……まあ、そうかも」


 相手の素性がわからない状態では、どんなに真実を言われても疑う気持ちは拭い切れないものだ。ヒルデも魔法戦士に付いて来れば夫に会えると言われたことがあるが、夫を殴り誘拐した犯人の仲間では信じることなどできるはずもなかった。だが素性と理由がわかった今、疑う気持ちはもう二人にはない。


「解呪の魔法も薬もないんじゃ、私はあと一年しか……」


「生き伸びることはできない。現状はな。しかしこの現状を変えようと頑張ってる者がいる。あなたの夫だ」


「レヴィンが? でもレヴィンはあなた達に捕まってどこかに幽閉されてるんじゃ?」


「確かに幽閉はしてるが、身体の自由を奪うことはしてない。研究道具を与え、そこで解除薬の開発を進めてる」


「自分でまいた種だから、自分で刈り取れってわけか」


「そんなところだ。書庫に忍び込んだ反省を促す意もある。研究員もすぐに割くのは難しいからな。そもそも解除薬を作る予定だったというし、それなら本人に作らせたほうがいいだろう」


「じゃあレヴィンは無事でいるのね」


「もちろんだ。我々はあなたの夫に危害を加える気はない。……殴ったという魔法戦士には強く注意しておく」


 そう言うとヘルマンは椅子から立ち上がった。


「では、レヴィン・レーワルトの元へ案内しよう」


「会わせてくれるの?」


「会ってもらわなければ困る。解除薬の作成にはあなたの協力が必要なんだ」


 ようやくレヴィンに会うことができる――ヒルデは高鳴る胸に嬉しさを込み上げさせる。


「レヴィンはどこにいるの?」


「この階の奥の部屋にいる。では行こう」


 ヘルマンが扉へ促すと、ヒルデとレイはそちらへ向かう。


「……レインハルド、お前は来るな」


 驚いた顔が父親に振り返る。


「え? 何で」


「お前は部外者で無関係だろう。禁術を扱う部屋に入れることはできない。さっさと帰れ」


「そりゃないだろ。俺も一緒にあんたの長い話を聞いて事情を知ってるんだから別に――」


「事情を知ることと研究の場を見せることはまた別だ」


「俺が禁術について、何か盗むとでも?」


「あり得ることだ。お前は知らない魔法となると私より貪欲さを見せるからな」


「勉強熱心だと言ってほしいね。……何も邪魔はしないって。部屋の隅にいるだけだ」


「駄目だ。今すぐ帰れ――」


「待って。まだ帰らせないで」


 横からヒルデが割って入った。


「レイさんは夫を見つけるために私が雇ったのよ」


「レヴィン・レーワルトの元へはこれから案内するんだ。もう役目は済んだだろう」


「それはそうだけど、まだ報酬を払ってないの。それまでは側にいてもらわないと困るから」


 これにレイはニヤリと横目でヘルマンを見た。


「俺の雇い主がこう言ってるんだ。一緒に付いて行く必要があるな」


 ヘルマンは眉を吊り上げ、息子をギロリと見る。


「……そういうことなら、まあいいだろう。しかしそれなら部屋に入る必要はない。帰らず廊下で待ってればいいんだからな」


「そこまで俺を部屋に入れたくないか?」


「禁術は部外秘中の部外秘だ。事情を教えたのだって例外なんだ。それだけでもありがたく思え」


「チッ、わかったよ。じゃあここで待たせてもらう……」


「わかればいい。さあ向か――おい! それに近付くな!」


 レイが窓際に飾られた植物に歩み寄ったのを見たヘルマンはいきなり怒声を上げた。


「なっ、何だよ、驚くだろ」


「その植木に触れるな」


「触れてないだろ。神経質だな」


「それは遠方から三年かけて運ばせた貴重な植物なんだ。枝を折ったり実を取ったら、お前には賠償責任を果たしてもらうぞ」


「わかったわかった。枝一本にも触れないよ。……で、これは何ていう植物なんだ?」


「……やはりお前はここから出て行け」


「心配しなくても何も――」


「いいや心配だ。私の部屋に残しておくことはできない。廊下で待ってろ」


「何だよ、自分の息子を信じられないのか?」


「その通りだ。ほら、行くぞ」


 ヘルマンはレイの腕を強引に引いて部屋を出て行く。それを眺めるヒルデは、反発し合う親子のやり取りにどこか微笑ましいものを感じながら後を追うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る