十話

「……数年ぶりに来たけど、やっぱり綺麗なところね」


 長時間揺られた馬車から降りると、ヒルデは溜息混じりに呟いた。その目は周囲に見える洗練された街並みを眺める。


 王立魔法アカデミーを訪れるため、二人は三日をかけて王都に到着した。これまで見た街とは何もかもが違い、建物はどれも大きく立派で、石畳の道は幅も広い。そこには引っ切り無しに馬車や人々が通っている。その人達の服装はどれもおしゃれで、これが今の最先端なのかとヒルデは興味津々に見つめてしまう。


「あんまりキョロキョロしないほうがいいよ。田舎者って思われるから」


 レイに言われてヒルデは帽子を下げ、うつむく。身体が透明なのを忘れかけていた自分を戒める。華やかな都会に一瞬心が浮かれてしまったが、目立つ動きは控えないととヒルデは目的に集中し直した。


「……アカデミーはどこにあるの?」


「この道の先にある。歩いて行けるから行こう」


 二人は並んで人通りの多い道を進んで行く。その途中には装飾品店やいい香りの漂う料理店などがあり、ヒルデの興味と視線を大いに引き寄せる。


「お腹が減ったの? 何か食べて行く?」


 店を眺める視線に気付いたレイが声をかけるが、ヒルデはすぐに首を横に振った。


「まだいいわ。アカデミーで用事を済ませた後、ゆっくり食べるから」


 観光より夫のほうが大事――そう言い聞かせながら歩くこと十分。緩い坂道を上った先にそれは見えて来た。


「……あれが魔法アカデミーだ。いつ見てもでかいところだな」


 小高い丘に建つ黒い石造りの建物はいくつかの棟に分かれているが、それが寄り集まった光景は砦のようにも見え、堂々とした威厳のある印象からは、魔法研究機関と言うよりも軍の司令部と言ったほうがふさわしいように思える。


「何か、怖そうなところね……」


「黒くて古い建物だからそう見えるのかもね。でも中は綺麗だよ」


「入ったことがあるの?」


「何度もね。昔のことだけど」


「まさか、働いてたとか?」


 これにレイは笑う。


「アカデミーで勉強はしたことあるけど、働いたことはない。ただこれから会う人に会いに行ってただけだ」


「へえ、そんなに親しい人なのね」


「まあね」


 話しながら歩き進み、二人は魔法アカデミーの入り口に到着した。重厚な扉の前には軽武装した男性が立ち、建物に出入りする人を鋭く見張っている。


「あの人に話さないと、中には入れそうにないわね……」


「俺が話すからヒルデさんは付いて来て」


「え、話すって、でも――」


 誘拐犯を捜しに来たと言ってもすぐには信じてもらえないだろうし、一体どう話して入れてもらうのか。ヒルデのそんな疑問も聞かずにレイは一人で門番の男性の元へ行ってしまった。


「こんにちは。ちょっと用事があるんだけど、中入っていい?」


 笑顔のレイに話しかけられた門番は、その顔を警戒するようにまじまじと見つめたが、ハッとしたように表情を緩めると穏やかに答えた。


「随分とお久しぶりですね。一瞬顔がわかりませんでしたよ」


「前はもうちょっと若かったからね。あなたの記憶力がよくてよかった。今日は連れがいるんだけど、一緒にいい?」


「あなたのお連れなら問題ありません。どうぞお入りください」


 そう言うと門番は入り口の扉を開いた。それを見てレイはヒルデに手招きをする。


「入ってもいいってさ。行こう」


 顔を見ただけで何も疑うことなく入れてくれるなんて、レイはただの探偵ではないのだろうか――疑問を感じながらもヒルデはレイに付いてアカデミーの中へ入った。


 確かに、中は綺麗だった。石の床は姿が映り込むほどピカピカに磨かれ、廊下に飾られた花、壁にかけられた絵画は静けさの中でどれも美しさを放っている。高い天井には輝くシャンデリアがぶら下がり、外観の暗さとは逆に煌びやかな明るさを作り出している。外と中ではまるで違う印象だ。


「貴族のお屋敷みたいな内装ね。もっと地味だと思ってた」


「研究員のやる気を上げるために、こういうところにも気を遣ってるんだろ。暗い職場じゃ気分も暗くなる」


 そう言いながらレイは廊下を曲がると、そこにあった階段を上る。そのまま二階、三階へと向かう背中にヒルデは聞いた。


「……どこまで上るの?」


「最上階の四階だ。そこの部屋にいる」


 四階に着くとレイは一直線に廊下を進み、その先にあった扉の前で止まった。


「ここ……?」


「ああ。大体ここで仕事してるはずだから」


 レイは扉を叩き、中へ声をかける。


「レインハルドだ。入るよ」


 応答を聞く前にレイは扉を開けて入って行った。少し戸惑いながらもヒルデはその後に続く。


「おい、誰が入っていいと言った」


 広い部屋の中央、そこに置かれた大きな机に向かって何か書いていた男性は、レイを見るや軽くねめつけて怒った。


「どうせ追い返すつもりなんてなかっただろ?」


「つもりはなくても、こっちは仕事中だ。そこにズカズカと入って来るな。お前は待つことを知らないのか」


「こっちは人の命が懸かってるかもしれなくてね。時間を無駄にできないんだ」


 これに男性の片眉が上がる。


「人の命? では金をせびりに来たんじゃないのか」


「そんなこと、今まで一度もやったことないだろ」


「てっきり探偵業が行き詰まって、金に困って来たのかと思った」


「それはあんたの願望だろ? 探偵は今もやってる」


「だがどうせ稼げてないんだろ? アカデミーに来ればそんな心配もないぞ」


「余計なお世話だ。俺は俺の力で好きにやる」


 断ったレイに男性は大きな溜息を吐く。


「はあ……せっかく恵まれた素質と能力を持ってるというのに……才能の無駄遣いだな」


「自分の才能をどう使おうと勝手だろ。あんたのそういうところが俺は――」


「あの……」


 ヒルデが横から声をかけると、二人の顔が同時に振り向いた。


「……ん? 客がいたのか。なぜ早く紹介しない」


「あんたがグダグダうるさく話し続けるからだろ」


「レイさん、この方は……?」


「ああ、えっと、この人はヘルマン・ロンメルって言って、魔法アカデミーの院長で、俺の親父だ」


「ここの院長で……お父様?」


 二つの驚きにヒルデは瞠目してヘルマンを見た。しわの刻まれた険しい顔付き、少し吊り上がった切れ長の目、後ろで束ねられた灰色の髪……容姿でレイに似ている部分は見つけられないが、話し方は確かにレイのものと似ていて、親子だと一応納得はできた。だから門番は顔を見ただけで入れてくれたのだと知る。しかし人は見た目ではわからない。レイがアカデミー院長の息子だったとは。魔法研究界の言わば代表者の御曹司なら、優秀な魔法使いなのも頷けると思うヒルデだった。


「……で、この人はヒルデさん。俺の依頼者だ」


 紹介されてヒルデは会釈をする。


「は、初めまして。お会いできてとても光栄です。息子さんにはいろいろと力になってもらい、助かってます」


「私にお世辞は必要ないぞ。息子が役立たずなら正直に言ってもらって構わない」


「そんなことはありません。レイさんは私のためにできることを考え、行動してくれてます。探偵として素晴らしい方だと思います」


 褒め言葉にヘルマンは表情をしかめる。それをレイはにやついた顔で見やる。


「聞いただろ? 俺は探偵として認められてるんだ。親父もいい加減認めろって」


「ふん、一人に褒められたぐらいで調子に乗るな。私の耳に評判が入るまで認めるつもりはない」


「石頭は変わってないな。俺だってアカデミーで研究する気は微塵もない。もう諦めてくれ」


「お前は自分の有能さをまったくわかってない。それを研究に捧げれば必ず――」


「この話は終わりだ。って言うか、俺が王都を出た時に済んでる話だ。話す余地なんかもうないよ。それよりこっちはあんたに聞きたいことがあるんだ」


「新しく入手した魔法関係の資料などないぞ」


「え、ないの? そりゃ残念……じゃなかった。今回はもっと真面目なことだ」


 レイは机に詰め寄ると、ヘルマンを見据えて言った。


「あんた、ここの魔法戦士達に何かやらせてないか?」


 怪訝な目がレイを見返す。


「何かって、何だ」


「誘拐だ。それと盗みや監視も。ヒルデさんはその被害に遭ってる」


「……なぜそれらを、ここの魔法戦士達がやったと? 証拠があるのか」


「ピプラが教えてくれたんだ。間違いないだろ?」


 代々受け継がれているというピプラのことはヘルマンも当然知っている。その生き物がそう教えたのなら確実な証拠だとヘルマンも認めざるを得なかった。


「あんたが指示してるのか? それとも魔法戦士達が勝手にやってることなのか?」


「私は……知らない」


 険しい表情で答えたヘルマンを見て、二人は揃って疑いの目を向ける。視線をそらし、力なく答えた声には、レイと話していた時の勢いがまったくない。返事の裏に、何かやましいものを隠しているようにしか感じられなかった。


「嘘ついてるのが見え見えだ。……あんたは知ってるんだな?」


「………」


 押し黙るヘルマンに、ヒルデもたまらず机に詰め寄る。


「私の夫は誘拐されたんです。どこにいるか知ってるなら教えてください!」


「……夫が、誘拐?」


「そうです。研究資料と一緒に持ち去られて、行方がわからないんです。あなたは知ってるんでしょ? 隠さずに教えて!」


「あなたはもしや、ヒルデ・レーワルトか」


 ヘルマンは前のめりになると、目を見開いて聞いた。


「え、ええ……」


 するとヘルマンは突然ヒルデの手首をつかんだ。


「ヒャッ!」


「親父、何を――」


「顔を見せて」


 手を引いてヒルデを引き寄せたヘルマンは、目深にかぶった帽子のつばをつかみ、上へずらした。そこにはスカーフを巻いた透明の空間がぽっかりとある。それを見るとヘルマンは安堵したかのようにヒルデから手を離した。


「彼の妻なら、先にそう言ってくれ」


 ヘルマンの言動の意味がわからず、ヒルデは戸惑う。その横でレイは腕を組んで聞いた。


「何で知らないなんて言ったんだよ」


「こっちは誘拐や盗みをしてるつもりはないからな。だからお前の言ったことは関係ないものと思ったんだ」


「でも心当たりがあったから下手な嘘をついたんだろ?」


「彼を連行したことが誘拐と思われてる可能性がよぎった。しかし彼女が部外者という可能性もまだあったから、とりあえず白を切った」


「あんたの弱点は、人に対する態度かもね。……で、ヒルデさんの夫という言葉で気付いたわけか」


「夫は連行できたが、妻はまだだった。捜させていたが、先日その妻を見つけた者からの報告で、妻は薬を飲んでしまったのか、顔が透明だったと聞いててな。それを確かめたんだ。……失礼をした。お詫びする」


 丁寧に詫びたヘルマンにヒルデは聞く。


「じゃあ、やっぱりあなたは指示をして、すべて知ってるのね」


「そうだ……私が許可を出し、レヴィン・レーワルトの連行と、その研究資料を没収させた」


「あんなの連行じゃない。夜に強引に押し入って来て、レヴィンを殴って連れ去ったのよ? そして資料も全部奪って行った。誘拐と強盗としか言えない犯罪行為よ!」


 憤るヒルデにヘルマンは落ち着かせるように静かに話す。


「現場に行った者が乱暴な振る舞いをしてしまったのなら謝る。私は連行と没収の指示を出しただけで、その方法は任せていたから知らなかったんだ。とは言え、指示した者として責任は免れない。暴力を振るったことを改めて謝罪する。申し訳なかった。ただ……」


 ヘルマンの目が見えないヒルデをじっと見た。


「犯罪行為を犯したのはこちらではなく、あなたの夫だとわかってほしい」


「なっ……!」


 唖然とするヒルデにヘルマンは続ける。


「レヴィン・レーワルトのしたことで我々はそうせざるを得なかったんだ。でなければ家に押し入ったりなどしない。我々には悠長にしてる時間は――」


「レヴィンが何をしたって言うの? あの人はただ毎日自分の研究をしてただけよ! それがなぜ犯罪者呼ばわりされなきゃいけないの!」


 落ち着いてと言うようにヘルマンは片手を上げてヒルデを制する。


「実は、あなたの夫は閲覧が禁止されている書物を盗み読み、それを自分の研究に反映させてる」


「書物の、盗み読み? それが犯罪だと言うの?」


「ここには古今東西から集められた魔法に関する資料が大量に保管されてる。だがその中には外の目には触れない、または一般に知られていない物もある。それらは非公開とされ、アカデミーの一部の者しか触れることのできない閲覧禁止の資料になってる」


「レヴィンがそれを読んだからって、殴って誘拐するほどの罪なの? 私にはそうは思えない」


「まあ、何も知らない人間ならそう思うものだろう。たかが盗み読みで騒ぎ過ぎだと。だが閲覧禁止資料はなぜ閲覧禁止になったのか。それは人間、ひいては社会に大きな影響があると考えられたからだ。一般に公開すれば、資料から得た知識を悪用する者が現れるかもしれない……先人はそう考え、非公開にした。そしてその考えを我々は引き継いでる」


「一体レヴィンは何を見たの? そんなに見られると困る物だったの?」


「どの書物も読むだけなら問題などない。しかしその内容を試そうとするから問題は起こるんだ。レヴィン・レーワルトはまさに試し、しかも魔法薬まで作ってしまった。それはもう見過ごせない事態だ」


 魔法薬という言葉に、ヒルデは信じられない気持ちで聞いた。


「まさか、読んだ資料に書かれてたのって、この……」


「その通りだ。あなたの今の状態……透明化魔法について書かれた物だった。それを盗み読んだ彼は自分の研究にそれを取り込み、透明化薬を作り出してしまった。普通の研究者ならそこまでの成果は出せなかったかもしれない。だがレヴィン・レーワルトは普通ではなかったようだな。なまじ優秀だったせいで知られるはずのなかった魔法を魔法薬という形で表に引き出してしまったんだから。しかもそれは妻のあなたの体内に入ってしまった……実に悪い状況だ」


 悪い状況――それだけはヒルデも深く頷ける気がした。

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