九話

 翌日、乗合馬車に乗り込んだ二人は、レイの住む隣町へ再び戻った。


「その友達の家へ行くの?」


「ああ。ちょっと遠いけど、ここから歩いて行く」


 停留所で馬車から降りた二人は、街の住宅地ではなく、そこから離れた郊外へと向かう。周りからは次第に建物が消え、人影もなくなり、見渡す限りの野原だけしか見えなくなった。そんな景色を眺めながらヒルデは怪訝な声で聞いた。


「……あなたの友達は、街の外に住んでるの?」


「うん。ほら、あの森」


 レイが指差した先には色あせた針葉樹の並ぶ森の入り口があった。いかにも暗く寒々しい景色にヒルデは見えない眉をひそめる。


「きこりでもしてる人なの?」


「いや。肉体労働をするようなやつじゃない」


「じゃあ、隠者とか?」


 ヒルデの言葉にレイはふふっと笑う。


「近からずも遠からず……まあ、行けばわかるよ」


 教えてくれないことにヒルデは想像力を膨らませるしかなかった。冬の何もない森の中に、一体どんな人が住んでいるというのか。期待と緊張を胸にヒルデはレイに付いて森へ入った。


 陽光が枝葉でさえぎられた中は一段と寒く、澄んだ空気は冷水のように二人の頬を冷やして流れていく。しんと静まり返った空間に時折野鳥の気配を感じるが、他に生き物がいる様子はない。辺りには大きな針葉樹が無数に立ち並び、四方のどこを見ても同じ景色にしか見えない。枯れ草と小石が転がる平坦な森を、レイは黙々と歩き進んで行くが、その足下に道と呼べるようなものはない。けれどレイには一切迷う素振りはなかった。


「ここの友達にはよく会いに来るの?」


「頻繁には来ないけど、たまにね」


「その割には通い慣れてる感じね。足取りにまったく迷いがない」


「ああ、それは目印をたどってるからだよ」


「目印? でも、見た感じ、どこにもそんなものは……」


「この先にいるやつを知ってる人間にしか見えない目印なんだ。だからヒルデさんには見えないよ」


「魔法の目印なの? もしかして友達も魔法使い?」


「どうなんだろ……俺にはわからないな」


「友達なんでしょ?」


「友達っていうか……所有物、かな」


「は……?」


 友達と所有物では全然意味が違うものだ。レイは一体何に会いに来たのか。それをヒルデが聞こうと口を開きかけた時、前を歩くレイの足が止まった。


「着いたよ。ここがそいつの家だ」


「家って……」


 言われて見ても、ヒルデの目の前にはここまでと同じ木々が立ち並ぶ景色が広がってるだけだった。


「今入り口を開けるよ」


 するとレイは正面に向かって手をかざした。何もない空間に柔らかな光が浮かんだと思うと、森の景色に重なるように、じわじわともう一つの景色が浮かび上がり、やがてそれはヒルデの目の前に現れた。


「すごい……魔法で隠してたのね」


「いたずらされると困るからね。さあ、どうぞ」


 古そうだがどこか可愛らしい木造の小屋の扉が開かれ、促されたヒルデは中へ入る。


 小さな見た目通り、部屋もかなり狭かった。どうやら一人部屋のようで、レイも入ると少し窮屈に感じるほどだ。頭上には天窓があり、そこから入る光が暗くなりそうな部屋を明るく照らしている。家具は簡易の机と椅子、そして棚があり、本を読んだり物を書くことはできそうだが、寝るのは無理そうだ。ベッドもなければそれだけの空間もない。住人はどうやって休んでいるのか――普通ならそんな疑問が浮かぶところだが、そんなことよりもヒルデには真っ先に気になったものがあった。


 部屋に入ったすぐ正面に、それはいた。木を彫って作られた立派な台座の上に、壁から流れ落ちてくる水が溜まり、小さな池が作られていた。その中に薄桃色の身体の半分を沈めた丸っこい生き物がじっと座っていた。大人の拳より一回りほど大きく、全体的に丸みを帯びた身体には、自分の重みに耐えられそうにない細く小さな脚が四本生えている。思わず撫でたくなりそうなツルンとした頭には黒く丸いつぶらな目が二つ。鼻の穴は見当たらないが、目の下には横に広がる大きな口がある。一見するとカエルの類に思えるが、よく見るとやはりカエルとは似て非なるもので、こんな生き物をヒルデは生まれて初めて見たのだった。


「これは、何?」


「こいつが会いに来た相手だ。名前はピプラ」


 レイは謎の生き物の横に立つとそう紹介した。


「……あなたのペットなの?」


「ペットと言うほど可愛がってはないけど、まあ、そんな面もあるかもね」


「初めて見るけど……動物なの?」


「実は俺もよく知らなくて。ただ魔法で生み出した魔法生物ってことだけは伝わってて、その過程や生み出された理由なんかはまったくの謎だ」


「そんな生き物を何であなたが? どこかで買ったの?」


「いや、ピプラは俺の家で代々引き継がれてるやつなんだ。父さんから引き継いで、今は俺が面倒見てるってわけ」


「代々って、じゃあこの子も何代目かのピプラちゃんなのね」


「ピプラはピプラだ。この一匹しかいない」


「でも代々ってことは、それなりに長い年月じゃ……」


「これもよくわからないんだけど、こいつ、半永久的に生きられるみたいでさ。魔法生物って皆こんななのかね」


「一体何年生きてるの?」


「俺の家に残ってる先祖の日記から、最低でも二百五十年は生きてるらしい」


「え? 二百年を超えてるの?」


 ヒルデは思わずピプラを凝視する。こんな小さな生き物が二十年生きても驚くだろうに、それがまさか二百五十年も生きているなど、誰が想像し、信じることができるだろうか。


「こいつにはとにかく清水さえあげておけば他の世話はいらないお手軽なやつでね。だからここに家を作ったんだ」


 言われてヒルデは壁から流れ落ちる水を見た。おそらく岩の隙間などから湧く湧き水を引いてここに流しているのだろう。不思議な光景とは思ったが、そういう理由だったのだ。


「水だけで生きられるなんて、すごい生き物ね」


「魔法の成せる業なのかも。わかるものならその秘密をぜひ知りたいところだよ」


 友達でもペットでもなく、所有物……レイがそう言った意味が何となくわかったヒルデだった。


「紹介はこのぐらいにして、さあ本題だ。ヒルデさんを追う男達の素性をこいつに聞いて――」


「ちょっと待って。聞いてもどうやって答えてくれるの?」


「大丈夫。見てて……」


 ニコリと笑うと、レイはピプラに向き合い、聞いた。


「なあピプラ、質問いいか?」


 レイの声にじっとしていたピプラの顔がわずかに見上げる。


「……何だ」


「しゃ、しゃべった!」


 薄桃色の生き物が低い声で人間の言葉を明瞭に発したことにヒルデは驚く。


「このヒルデさんを捕まえようとしてる男達の素性を知りたいんだが……」


 ピプラの黒い瞳がレイとヒルデを交互に見るように動く。


「……アカヤコウソウ、五つを持って来い」


 大きな口をモゴモゴと動かしてピプラは答えた。


「アカヤコウソウか……どうにかできるかな」


「あの、レイさん、今のは……?」


「ああ、こいつ、聞いたことは何でも知ってるんだけど、今みたいに対価を要求してくるんだよ」


「対価?」


「そう。要求された物をあげないとこいつは答えてくれないんだ。これがこいつのやり方でね」


「じゃあ、今言われた物を用意すれば、男性達の素性がわかるの?」


「そういうこと。……アカヤコウソウ、知ってる?」


「確か薬草よね。昼間はただの赤い花だけど、夜になるとうっすら光を放つ……だから赤夜光草」


「知ってるなら話が早い。そこいら中に生えてる草じゃないけど、希少と言うほどでもない。この森なら探せばあるはずだ。ただ今は冬で花も蕾もないから見つけにくいとは思うけど、それでも採って来れるだろ」


「それを五つ……探しに行きましょう」


 二人は小屋を出ると、早速言われた薬草探しを始めた。


「以前、向こうのほうで見かけた気がするんだ。あっちへ行ってみよう」


 レイに従い、ヒルデは付いて行く。足下の草を注意深く見て歩きながら、先ほどのピプラのことを考えてヒルデはレイに聞いた。


「レイさん、思ったんだけど、男性達の素性を聞くより、レヴィンの居場所を聞いたほうが早かったんじゃない? 私はレヴィンを助けたいわけだし」


「じゃあ戻ったら聞いてみようか。多分、すぐには聞けないと思うけど」


「対価のこと? でも探す手間ぐらい――」


「探してすぐに手に入る物ならいいけど、あいつはそういう物ばかり要求してこない。むしろ珍しい物を言ってくるほうが多いんだ」


「そうなの?」


「あいつはきっと、魔法で人間の心が読めるんだよ。質問してきた人間にとって、その答えを知るにはどれだけ困難が伴うか、あいつは瞬時に推し量って、それに見合う対価を要求するんだ。たとえば、道ですれ違った人の名前を知りたいと聞けば、店で売ってるような花や野菜を要求してくると思う。自分で名前を調べるのにそれほど苦労はしないからね。でも質問が、この世界はどうやって生まれたのかとか、壮大だったり答えにたどり着くまで時間がかかるものだと、容易に手に入る物なんか要求しない。俺が聞いたこともないような、存在すら定かじゃない物を求めてくるんだ」


「だから、レヴィンのことじゃなくて、男性達の素性を聞いたの?」


「俺やヒルデさんにとって、レヴィンさんを捜し出すのは男達の素性を知るよりも難しいことだと思うんだよ。聞いてもあいつは多分、赤夜光草よりも難しい要求をしてくるだろうね」


「なるほど。飼い主として生態をよく把握してるのね」


「子供時代にあいつには散々質問したから。どんな質問でどんな物を要求されるか、大体想像はつく。……あ、あった」


 レイはかがむと、足下に生える一本の草を抜き取った。


「ギザギザした特徴的な葉……赤夜光草だ。他にもまだあるかもしれない。探そう」


 二人は一旦分かれると、周囲の足下に目を落として探し回った。寒い森の中を集中して探すこと一時間――


「……あった! 最後の五つ目」


 木の陰に生えていた草をヒルデは抜き、安堵の笑顔を浮かべる。


「見つかったの?」


 声を聞いてレイが駆け寄る。


「ええ。さっき採ったのと、今見つけたので二つ」


「俺の三つを合わせて五つ……もう少し時間がかかるかと思ったけど、案外早めに見つかってよかった。じゃあ戻ろうか」


 無事集め終えて、二人は小屋へ向かった。


「ピプラ、持って来てやったぞ。質問に答えてもらおうか」


 部屋に入るや否や、レイは早速集めた赤夜光草五つをピプラに差し出した。それを見たピプラはゆっくりと大きな口を開け、ここに入れろと無言で促す。もう慣れているレイは、そこに躊躇なく草をまとめて放り込んだ。ムシャムシャと音を立てて食べたピプラは、ほどなくしてゴクリと飲み込むと、レイを見上げて言った。


「……王立魔法アカデミーに所属する魔法戦士だ」


 聞いた二人は目を丸くする。


「あいつら、アカデミーの人間なのか?」


「どういうこと? 何でアカデミーの人が私達を……?」


 魔法研究の最高峰機関であるアカデミーがこれまで犯罪に絡む事件や騒ぎを起こしたことはなく、歴史をさかのぼっても聞いたことはなかった。所属する研究員は純粋に魔法を探究し、さらなる発展を目指そうと日夜奮闘しているはずで、そんな彼らが誘拐や窃盗、監視などという犯罪に関わっているとは誰も思っていなかった。


「レイさん、これは正しい答えなの? アカデミーの人が誘拐するなんて信じられないけど……」


「ピプラの答えに間違いはないよ。常に正しい答えしか言わないやつで、冗談なんか聞いたことない。あいつらはアカデミーの魔法戦士なんだ」


「魔法戦士は知ってるけど、彼らは研究員とは違うのよね?」


「戦士だからね。研究員じゃない。アカデミーでは主に警備を仕事にしてる。あそこには研究のための貴重な資料や標本がたくさんしまわれてるから」


「じゃあ研究とは無関係なのね……それならどうして私達の研究資料を奪い、レヴィンを誘拐したの?」


「無関係とはまだ言えない。アカデミーという組織として動いてるなら、上司の指示なのかもしれないし、逆に個人的に動いてるとしたら、事情や理由なんていくらでも考えられる」


 ヒルデは考え込むが、アカデミーを敵に回すような出来事も言動もしたことはなく、まったく心当たりはなかった。あるとすればレヴィンのほうかもしれないが、いない人間にたずねることはできない。ふと視線の先にピプラを見つけたヒルデは、そこに近付いて聞いた。


「質問させて。私達はどうして魔法アカデミーに――」


「ヒルデさん、無駄だよ」


「でも聞くだけならいいでしょ? ――私達が魔法アカデミーに狙われる理由を教えて」


 ヒルデを見上げたピプラはつぶらな瞳でしばし見つめると言った。


「……ダイヤモンドの原石を持って来い」


「ダイヤモンド? まさかあなた、そんな物も食べるの?」


「……宝石は美味いぞ」


 返されるとは思わず、ヒルデは瞬きする。


「普通に会話、できるのね」


「こいつの気が向いた時だけはね。……どう? ダイヤの原石、持ってる?」


「あるわけない……なるほど。あなたの言う通り無駄だとわかったけど、でももう一つだけ聞いてみてもいい?」


「どうぞ。聞くだけならタダだ」


 ヒルデは再びピプラと向き合い、聞いた。


「私の夫、レヴィンはどこにいるか教えて」


 同じようにピプラは黒い瞳でじっと見つめる。


「……オブロニ鷹の尾羽とドグロイアの実を持って来い」


「鷹の尾羽と、実?」


「オブロニ鷹は、ここからずっと北に生息する中型の鷹だ。ドグロイアの実は……よく知らない名前だな」


「私も聞いたことない名前だわ。……ドグロイアって何?」


 ピプラに聞くと、黒い目がヒルデを見る。


「……四十年物のワインを持って来い」


「え? わからない物を聞いても対価がいるの?」


「そうなんだよ。こいつに質問すれば、どんな些細なことでも対価が必要なんだ。だから難しいことを聞くと、その答えにたどり着くまで何度も要求されたものを集める、なんてことに陥りかねない。自分で答えを探す手間か、要求された物を探し集める手間か、どっちを選ぶべきかってわけだ」


 あらゆる答えを教えてくれるピプラはかなり優れた生き物と言えるが、実際頼るとなると、手間も時間もかかる面倒な生き物だとわかる。頼るのも方法ではあるが、ほどほどにしておかないと生活を狂わせることにもなるだろう。どこまでの答えを求めるか……その線引きが必要なようだ。


「四十年物のワインは高いだろうけど、街中探せばどこかにはあるかもね」


「鷹の尾羽は?」


「オブロニ鷹は北の山岳地方にしかいなかったはずだ。それを捕まえて尾羽を取るとなると、結構な時間と体力が必要だろうね。ここから向かうにも旅費が必要だし、行くなら覚悟しないと。……レヴィンさんのために、行く?」


 うつむき、考えるヒルデは、再び顔を上げて言う。


「行く、と言いたいところだけど、残念ながら私にそんなお金をかける余裕はないわ。仮にワインを手に入れたとしても、ドグロイアが何かわかるだけで、その実を手に入れるのにもっと過酷なことをしなくちゃいけないかもしれない。だったら地道に手掛かりを探したほうがいい気がするわ」


「俺もそう思うよ。たった今、アカデミーの魔法戦士っていう手掛かりを得たばかりなんだし、こっちのほうが進めやすいだろうね」


「でも本当に進めやすいかしら。アカデミーに直接聞いても、部外者の私達に簡単に答えてくれるとは思えないけど……」


「そこは大丈夫。実はアカデミーの人間に当てがあってね」


「知り合いでもいるの?」


「ああ。よく知ってる人間がいるんだ。でも大分久しぶりに会うからな……説教でもされなきゃいいけど」


 相手の顔でも浮かんだのか、レイはわずかに苦笑いを見せた。

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