八話

「困ったもんだね。犯人側の目的はあの家か、それともヒルデさんか……」


「わ、私?」


「侵入された時、ヒルデさんのことを捜してたんだろ? 犯人は夫婦共々誘拐するつもりだったのかもしれない。隣町でも、一緒に来いって言われたんだよね? あの男達はヒルデさんが帰るのを待ち伏せしてるのかも」


 そう言われるとそう思えるヒルデだった。研究者ではなく助手という立場ではあるが、研究内容を知っている人間として男性達はヒルデを追っているのかもしれない。


「自分の家なのに、入れないなんて……」


「このまま行けば、捕まるだろうね」


「ど、どうにかできない? あなたの魔法でどこかへ行ってもらうとか」


「できなくはないけど、あんまり使いたくないな」


「どうして? 自信がないの?」


「そういうことじゃなくて……隣町で追って来た男達は魔法が使えたんだろ? その仲間なら同じように魔法使いの可能性がある。そうだったら向こうがどれぐらいの力の持ち主か……俺が魔法をかけても簡単に解いてくるかもしれない。そうなったら状況を悪くさせるだけだ」


 優秀なレイでも同じ魔法使いが相手では慎重にならざるを得ないらしい。


「あの人達が魔法使いかどうか、わからない?」


 レイは肩をすくめる。


「魔法使いと名乗るか、一度魔法を使ってもらわないとわかりようがない。ヒルデさんも魔法使いなんだから、それはわかるでしょ?」


 ヒルデはぐうの音も出ない。魔法を扱える者かは見た目ではわかりようがないのだ。優秀なレイなら例外的なことがあるのではと思ったヒルデだったが、そんな都合のいいことがあるはずもなかった。


「それならどうしたら……レヴィンを捜すには私物を持ち出さないといけないのに」


「俺が行っても、確実に怪しまれるだろうからね。でも、どうせどっちも怪しまれるならヒルデさんが行ったほうがいい。私物のある場所もわかってるし」


「それはそうだけど、まず捕まらずにどうやって入れば――」


「それは簡単だ」


 はっきり言ったレイをヒルデは見つめる。


「何かいい方法があるの?」


「あるじゃないか。誰にも見られない方法が」


 レイは笑顔でヒルデを見下ろす。その視線の意味を感じてヒルデはおずおずと聞いた。


「……もしかして、この透明の身体で……?」


「こんな時に活用しないでいつ役立たせる気なんだ? 今こそ透明になった意味が出てくるってもんだ」


「透明化したのは犯人から逃れるためで……まあ、それはいいとして、透明な身体で入るってことは、私、服を脱がないといけないのよ?」


「うん、そうだよ。……ん? それが恥ずかしいって言うの?」


「あ、当たり前でしょ! こんな人が歩く道で裸になるなんて……」


 以前、忍び込んだハンスの前で裸になったことはあるが、あれは夜で暗く、部屋の中だったため抵抗感を抑えることができたが、ここは通行人のいる道で、まだ明るい時間でもある。そんな場所で裸をさらすなどヒルデは抵抗感と羞恥心以外に覚えようがないことだった。


「でも何にも見えないんだし、見られる心配はないから大丈夫だよ」


「頭ではわかってるけど、気持ちはそう簡単には行かないのよ」


「だけどこれが最善だと思うんだ。見張りに見つからない方法としてはね。恥ずかしがる気持ちもわかるけど、レヴィンさんのためと思って、どうにか頑張ってくれないかな……?」


 レヴィンのためと言われると、ヒルデもやりたくないとは簡単に言えなかった。彼がどこでどんな目に遭わされているかわからないのだ。一日も早く見つけ出したいと常に思っている。愛する夫を助けるのに、見られもしない裸になることぐらい、我慢しなければ――自分に言い聞かせたヒルデは、決心してレイを見た。


「……そうよね。透明なんだから、見られる心配はない。レヴィンのために、頑張るべきよね」


 そう言うとヒルデはおもむろに帽子を脱ぐ。


「待って。やる気を出してくれたのはありがたいけど、ここで脱ぐのはまずいよ。人目のない場所に行かないと」


 二人は道を戻り、人気のない路地に入ると、そこでヒルデは着ているものすべてを脱ぎ、見えない存在に変わった。まとめた服は地面の片隅に隠し、そして再び家の見える道へと戻った。


「見張りに変わった様子はないな……それじゃあヒルデさん、なるべく音を立てず、気配を感じさせないように入って」


「ええ。だけど、玄関扉を開けたらばれない?」


「男が立ってるところとは距離があるから、身体が入る程度に開ければ気付かれないと思う。それでも万が一ばれたら、俺がすぐに男の意識をそらすよ。とにかくヒルデさんは自分だけに集中してくれればいい」


「わかった……行って来る」


 表情は見えなくても、その声色からヒルデの緊張が伝わる。レイに見送られて裸足が土の地面を一歩ずつ進んで行く。よく見ればうっすらと足跡が付いているが、注意して見ない限り通行人が気付くことはないだろう。冬の冷たい空気に身を硬くしながらヒルデは我が家の玄関の正面に立つ。取っ手に手を伸ばす途中で見張りの男性に目をやる。相変わらず壁に寄りかかって道のほうばかりを眺めている。ヒルデの存在に気付いている様子は微塵もない。それを確認してからヒルデは扉をそっと押し開いた。


 ギギィ、ときしむ音が鳴り、ヒルデは息を呑んで動きを止めた。ハッとして見張りのほうを見れば、音が聞こえたのか壁から背を離し、玄関のほうをうかがうように首を伸ばしていた。見つかってしまう――そう思った時だった。


「あのー、おたずねしたいんですがー」


 小走りで現れたレイは見張りの男性にそう言って近付いた。


「ん? 邪魔だ。こっちは忙し――」


「ちょっと道をたずねたいだけなんです。俺、この街初めてなもんで」


「道? そんなの他のやつに聞いてく――」


「教えてくれるぐらいいいじゃないですか。時間のかかることでもないし」


「だからこっちは今、忙しいって――」


「まあまあ、そこをお願いしますよ」


 ニコニコしながら話しかけ続けるレイを見て、ヒルデは再び扉を押すと、わずかに開いた隙間に身体を差し込むようにして中へ入った。


「……入れた」


 安堵の息を吐いて呟く。数日ぶりの我が家は特に変わった様子はなく、荒らされた痕跡もない。犯人の男性達はやはり金品ではなく、研究資料だけが目的なのだろう。そのすべてを奪った今、この家に入る理由はないのかもしれない。


「安心してる場合じゃないわね」


 住み慣れた家でしばし落ち着きたいが、外ではレイが今も見張りの気を引いてくれている。長居はできないとヒルデは早速レヴィンの私物を取りに寝室へ向かった。


「レヴィンの物はいろいろあるけど、持って行くなら小さくて軽い物がいいわよね……」


 クローゼットを開けると、そこにしまわれたレヴィンの物を見ていく。服、下着、帽子、蝶ネクタイ――


「……このネッカチーフにしよう」


 ヒルデは白いネッカチーフを取ると、小さく折り畳んで手に握った。これなら軽く、小さくもなり、持って行くのに最適だ。目的を達成したヒルデはクローゼットを静かに閉めると、寝室を出て玄関に戻る。あとは家を出るだけだが……。


「――役所の場所はわかったけど、あとは、えーと、病院! 病院までの道はどう行けばいいですか?」


「おい、お前、いい加減にしろ! 一体どれだけ道を聞いてくるんだ」


「この街に長くいるつもりだから、もし病気にでもなったら病院の場所を知らないと不安でしょ?」


「こっちはこれでも仕事中なんだよ。目の前から消えてくれ!」


「ケチなこと言わないでよ。教えてくれたらもう行くからさ」


「本当だろうな? これ以上しつこく聞いてきたらただじゃおかないぞ」


「大丈夫だよ。大人しく行くから。で、病院までの道は?」


「ここからだと、まず目の前の道を左へ真っすぐ進んで――」


「ここを左だね」


 確認をするふりをしてレイは見張りの示した先へ目を向けた。が、そこに見えた物にギョッとする。わずかに開いた玄関扉の前に白い物体が浮かんでいたのだ。よく見ればそれは折り畳まれた布のようで、レイはそれが瞬時にヒルデの持ち出した物なのだと気付く。身体は透明でも、レヴィンの私物はしっかり見えている状況は何とも奇妙で不気味でもあり、ごまかすには難しい。気付かれる前に見張りの視界をさえぎらなければ――そう思い、レイが立ち位置をずらそうとした時だった。


「おーい、何も問題はないか?」


 家の反対側の角を曲がって、裏にいたもう一人の見張りが突然現れ、レイとヒルデは驚いて止まる。


「ああ。何か用か?」


 道を教えていた見張りが答えると、向こうは歩み寄りながら言う。


「ちょっとションベン行って来るから、その間いいか?」


 もう一人の見張りが進む先には開いた玄関と宙に浮いたネッカチーフがある。レイはヒルデに家へ戻れと言いたかったが、見張りを前に言えるわけもなく、視線で戻れと伝えてみるが、透明では目を合わすこともできない。ヒルデが自主的に戻ってくれればと願うが、浮いたネッカチーフは小刻みに揺れるだけで家に入る様子はない。ヒルデは動転してしまっているようだ。これはまずいとレイは内心で焦る。


「さっさと行って来い。サボらず早く戻れよ」


「わかってる。それじゃあ――ん?」


 歩いていた見張りの足がピタと止まる。その視線は玄関扉を見つめる。


「あれ? 扉が開いて――」


 その瞬間、見張りの前を横切ってネッカチーフが飛んで行った。それを見逃すはずもなく、二人の見張りは丸くした目でそれを追った。


「なっ、何だあれは!」


「まさか、透明化した……早く追え!」


 完全にばれた――こうなったらレイとしては、ヒルデを無事逃がす他なかった。走り出した二人の見張りを後ろから魔法で引っ張り、強引に転ばせると、すぐさま白いネッカチーフを追って走る。


「あいつ! 仲間だったのか!」


 悔しがる声を背中で聞きながらレイは飛んで行くネッカチーフに言う。


「ヒルデさん、それを渡して! それを持ってると見つかる」


 これにヒルデは少し足を緩めると、レイに握っていたネッカチーフを手渡した。


「わ、私、どうしたら……」


「落ち着いて。大丈夫。その姿なら追って来れない。男達をまいたら服のある場所で落ちあ――」


 バリバリっと音を立てて、すぐ横の壁に光の粒子が舞った。レイが振り向くと、見張りの二人が必死な形相でこちらに向かって来る。今のは攻撃魔法。やはりあの二人も魔法使いだった。


「ヒルデさん、行って!」


「あなたは?」


「後ろのをどうにかする。あいつらやっぱり魔法が使える」


「き、気を付けて!」


 そう言うとヒルデの気配は道を曲がって消えた。レイはその道とは違う道を選んで駆ける。


 魔法使いが相手となると、レイも魔法を使わざるを得ないが、派手に使って誰かに通報されるのは避けたいところだ。何も叩きのめす必要はなく、まくだけでいい。そのためにはどうしようか――方法をあれこれと考えていたせいか、逃げる動きが少し鈍ったのを追っ手は見逃さなかった。


「……うわっ」


 後ろから飛んで来た魔法はレイの右手をかすり、そのわずかな衝撃に握っていたネッカチーフはハラリと落ちてしまった。目的の物を失うわけにいかないと、レイは慌てて拾おうとしたが、後ろからここぞとばかりに魔法が飛んで来る。逃げる足を止めればたちまち直撃を食らう状況に、レイは仕方なく置いて逃げるしかなかった。自分が捕まっては元も子もない。


 それからレイは人気のない路地を逃げ回りながら魔法でわざと痕跡を残し、追っ手を翻弄してやっとまくことに成功した。空を見上げれば、もううっすらと赤く染まり始めていた。


「……レイさん!」


 約束した場所にレイが行くと、そこには服を着て帽子を手に持つヒルデが座って待っていた。


「よかった。無事みたいで」


「……遅くなったね」


「怪我はない? あれば私の魔法で――」


「ごめん!」


 突然謝ったレイを、ヒルデはぽかんと見つめる。


「何の謝罪なの……?」


「実は、レヴィンさんの私物……逃げてる最中に落としちゃって……」


「え?」


「遅くなったのは、今までそれを探してたからで……でもなかった。多分、男達が持って行ったんだと思う。ヒルデさんが勇気を出して持ち出してくれた物なのに、本当、ごめん。俺が台無しにした……」


「そう……なの……」


 ヒルデはがっくりと肩を落としたが、すぐに明るい声で言った。


「でも、レイさんが捕まらなくてよかったわ。そうなったら私、今度こそどうしたらいいかわからないもの。レヴィンの物は家にまだたくさんあるし、またこっそり取りに行けば――」


「いや、取りに行くのは大分日を置かないと無理だと思う。向こうはヒルデさんの見えない存在に気付いてた。その対策をしてより警戒しながら待ち構えるはずだよ」


「でも、レヴィンの行方を知るには私物が……」


「その方法は今はやめたほうがいい。危な過ぎる」


 ヒルデは黙るしかなかった。レイの言う通りで、家に入ったことがばれた今、また行って私物を持ち帰るのは相当な難しさがあるだろう。見張りが魔法使いとわかり、どんな罠を仕掛けているかもわからない。ほとぼりが冷めるまでは家に近付くことも避けたほうがいいだろう。


「じゃあ、レヴィンの行方はどうやって知れば……」


 暗い声で呟くヒルデの横でレイは腕を組んで考え込む。二人の間にしばし沈黙が流れる。


「……追われてる時、あの男達の服の下に武器が見えたんだ。多分あいつらは魔法戦士なんだと思う。でも服装は俺達と変わらない普通のもので、一般住人の見た目を装ってる。それって自分達のしてることを公にしたくないからだと思うんだよ」


「秘密裏に、私を捕まえたいと?」


「うん……犯罪組織がヒルデさんを捕まえるなら、街中でももっと手荒に、人数をかけてやると思うんだけど、あの男達は二人だけで家を見張ってるだけだった。犯罪組織の人間とは少し違うような気がする。だけど一般住人を装って捕まえようとする組織なんて他に思い当たらないしな。しかも研究内容が目的ならますますわからない……」


「作った薬を売ってお金にするためじゃないの?」


「それならヒルデさんを捕まえる必要はないと思うんだ。研究の中身はレヴィンさんがいれば足りるんだから。内容を知るヒルデさんの口封じをするためとも考えたけど、そのつもりなら捕まえずに殺すほうが簡単なはずだ。でも男達はそうしてない。きっとヒルデさんを捕まえるのも重要なことなんだろう」


「私を捕まえて、一体何をするつもりなのか……あまり想像したくないわね」


「楽しいことじゃないのは確かだね。……レヴィンさんを追えなくなった今、気は進まないけど、あの男達の素性から探ってみるしかないかな」


「犯人を追うの? でも近付いたら危険じゃ……」


「近付かなくても素性を知れるとっておきの方法があるんだ。まあ、聞いてみるまではわからないけど」


「聞く? 誰かに会うの?」


 これにレイは笑みを見せて言う。


「そう。そいつならすべての謎に答えてくれる」

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