七話
帽子を目深にかぶり、マフラーを失った代わりに上着の襟を立てて口元を隠し、ますます怪しい空気をかもしながらヒルデは考えていた。自分の住む街へ帰ってもよかったが、そうしたところで進展は望めず、レヴィン誘拐に関わっていそうな男性達のいるこの街に留まったほうが少しは手掛かりが得られるのではと、今少し捜すことにしたヒルデだったが、どう捜すべきか、それに悩んでいた。男性達に手掛かりを求めれば、また追われて捕まる危険があり、かと言ってレヴィンの行方を探るにもまったく見当が付いていない。こんな時、探索魔法が使えれば捜しようもあるのだが、あいにくヒルデはハンスに使った印を付ける魔法しか扱えない。それを男性達に使っても、魔法が使える相手では簡単に気付かれ、消されてしまう可能性が大きい。幅広く魔法を学んでいれば、とヒルデは胸の中で悔やむしかなかった。
妙案はないかと当てもなく街中を歩き、人でにぎわう広場に出たヒルデは、その隅に立っている掲示板に目を留めた。大小の無数の紙が貼り付けられており、風が吹くとペラペラと音を立てて揺れている。近付いて見てみると、いなくなったペットの犬を捜してとか、臨時従業員の募集とか、小さな困り事から仕事の依頼まで、様々な頼み事が手書きで記されている。こういう求人掲示板は各街によくあって、ヒルデも自分の街で治療魔法を求める人はいないかと時々見ていたりした。
「……そうだ。これで募集すれば……」
ヒルデの代わりに高度な探索魔法を使える人間を雇えば、もしかしたらレヴィンの居場所を突き止められるかもしれない――ヒルデは踵を返すと、まずは宿を取り、そこで募集のビラを書く。依頼内容は人捜しで、日時と集合場所を記し、それを掲示板に貼り付けた。
「優秀な人が来てくれればいいけど……」
祈る気持ちでヒルデは広場を後にする。もし誰も集まらなければ、また初めから考え直しだが……その心配は後回しにし、とりあえず指定日までの一週間をそわそわしながら過ごすヒルデだった。
そして当日――街の郊外にある広い空き地。辺りには雑草と木しかないようなところに、ヒルデは一時間前から準備をして待ち構えていた。
「お願い、一人は来てほしい」
大木の陰に隠れるヒルデは手を組んで強く願う。その離れた視線の先には、開けた場所にポツンと置かれた木箱があり、その上には紙などが置かれている。透明化がばれるわけにはいかないので、ヒルデは直に接したり話しかけることなく、紙に書いた指示に従わせ、それで雇うか判断することにした。そのため一時間前に来て準備し、頭の中で入念な段取りをつけたのだが、それも募集に応じた者が来なければ無駄になってしまう。間もなく時間だが、空き地にはまだ誰もやって来ない。静かな景色に小さな不安を覚え始めた頃だった。
「……来た!」
声が漏れてヒルデはすぐに手で口を塞ぐ。空き地にふらりと入って来たのは若い女性だった。指定の時刻になると、一人、また一人と男性が二人やって来た。時刻を五分ほど過ぎた頃に最後の一人の男性が来て、どうやらビラを見て来てくれたのはこの四人だけのようだった。誰も来ないのではと心配していたヒルデにしてみれば、四人も来てくれたのはかなり嬉しいことだった。あとはこの四人の中に雇いたいと思える者がいるかどうかだが……。
「……これで全員よね。じゃあこれ読んで。私はもう読んだから」
先に来ていた女性は木箱にあった紙を取ると、それを他の男性達三人に渡した。
「何だこれ。募集主はいないのか?」
「この紙に従えってさ。……複数人が集まった場合、誰が優秀かを試させてもらう? 俺達を試すのか?」
「まあ仕方ないんじゃないか? 雇われるのは一人なんだろ? で、何をするの?」
すると女性は木箱の上にあった片方だけの手袋を差し出した。
「これの持ち主がどんな人か、当てるんだって」
「指示によれば、魔法で手袋の持ち主の具体的な容姿を一人ずつ答えろってさ」
「それはいいけど、どうやって正解の判断をするんだ?」
「正解者には魔法で合図するって」
「ふーん、じゃあ募集主はどこかで俺達のことを見てるわけか……」
四人の視線が周囲を見回し始め、ヒルデは大木の陰に頭を引っ込めた。ちなみに四人に渡した手袋はヒルデの物であり、持ち主――つまりヒルデの容姿を正確に当てることができたら、最初の試験は合格となる。探索魔法には所持品から持ち主を探る術があり、ヒルデはまずその基本的能力を見極めるため、このような指示を出したのだった。
「それじゃあ、私から始めてもいい?」
男性達にどうぞと言われ、女性は手袋を握ると、そこに片手をかざして集中し始める。それを他の三人は真剣な表情で見守る。
「……持ち主は、女性。金の髪に、細い手……歳はまだ若そうね……見えたのはそれぐらい」
聞いていたヒルデは口の中で唸る。性別、髪色、歳は当たっているが、具体的なことは何も答えておらず、これでは不十分に感じた。
「次は俺でいいか」
手袋を受け取り、茶の短髪の男性が魔法で探る。
「……女……で、金髪の長い髪っぽいな。背は高くもなく低くもない。大きな特徴のない、ごく普通の女みたいだ」
ごく普通と言われて、その通りではあるが複雑な気持ちにもなるヒルデだったが、この答えももう少し具体的なものが欲しいところだ。
次は額の広い若い男性が手袋を握る。
「……いやいや、これは女じゃなくて男だよ。髪は金色で合ってるけど、背は低い。歳もまあまあ上のほうだな」
この男性は話にならない。当てずっぽうで答えているのではと思えるほどひどい。探索魔法が扱えるのか、はなはだ疑わしい。
最後は身長のある黒髪の男性が手袋を受け取り、探り始める。
「……ふむ、持ち主は女性、年齢は二十四、五歳、髪は背中の中ほどまである金髪、身長は俺の肩ぐらいの高さか。中肉中背で、瞳は琥珀色。顔立ちはどちらかと言うと柔和な感じだ。肌は白く日焼けはしてない。普段は装飾品を着けてないみたいだけど、左手薬指に指輪をはめてるから既婚者だろう」
迷うことなくスラスラと答える男性を、他の三人は唖然としながら見ていた。それはヒルデも同じで、まさかここまで具体的に、しかもすべて当てられたことに驚きを隠せなかった。
「すごい……今の、全部見えたの?」
女性が目を丸くして聞いた。
「具体的に答えろっていうから答えたんだけど……」
「どうせ半分は適当だろ?」
額の広い男性が顔を引きつらせて言う。
「まあ、正解かどうかは合図が来ればわかることだが……俺達はこのまま待ってればいいのか?」
答え終えた四人は合図を待ちながら雑談を始める。次はヒルデが答えの合図を送るだけ――微塵も迷う必要はなかった。数人が似た答えを出していたら考えただろうが、黒髪の男性はずば抜けた能力を見せ付けてくれたのだ。悩むまでもなかった。
「……ん?」
黒髪の男性は腕に小さな光が止まったのに気付き、そこを見る。これに他の三人もすぐに気付いた。
「それって、目印の魔法よね?」
「もしかしてこれが合図ってやつか?」
「そうらしい……じゃあ俺は正解を答えたってことでいいのかな」
「みたいだな。……しょうがない。また他の依頼を探すか」
「あんなに詳しく見えたんだもん。あなたの魔法には敵わないってわかったわ。じゃあね」
「チッ、今日は運が悪過ぎたみたいだ……」
不合格と自覚した三人は残念そうに空き地から去って行った。それを見送り、一人残った男性は木箱の上の紙を改めて手に取る。それを裏返すと、合格者に対する次の指示が書かれていた。
「……合図を受けた人は、その合図を送った人間がどこにいるかを捜せ。見つけることができたその時は雇い、依頼させてもらう……か」
指示を読み終えた男性は紙を置くと、周囲をいちべつしてからすたすたと歩き始める。その足が向かう先には雑草に囲まれた大木があった。その方向へ男性は迷う素振りもなく歩き進んで行く。そして裏に回り込み、顔をのぞき込ませた。
「……あれ? いない」
男性は首をかしげる。大木の裏に隠れていると確信していたようで、誰の姿もないことに意外そうな顔で瞬きをする。
「目印の魔法はここから飛んで来たはずだけど……すぐに移動したか」
男性の言う通り、ヒルデは合図を送った直後に大木から離れ、空き地を出た先の人気のないあばら家に身をひそめていた。長く放置されているようで、もう家とも呼べないような有様だが、それでも壁はあるので、見つけられた後は人目を気にせず落ち着いて話ができるだろう。しかしどこもかしこも穴だらけで風が通り抜けて寒い上に、壊れた家具や瓦礫が散らばった様子は薄気味悪く、あまり長居はしたくない場所ではあった。果たしてどのぐらいの時間耐えて待たなければいけないのか、それは男性の力量に懸かっている。
「早めに見つけてくれるかな……」
「お望みの通り、見つけたけど?」
背後からの声にヒルデは弾かれたように振り向いた。そこにはじっと見下ろしてくる長身で黒髪の男性がいた。ほんの数分前まで空き地にいたのに、こんなに早く、しかも気配を感じさせずに見つけられたことに、ヒルデは驚きを越えて呆気にとられた。
「あなたが募集主で合ってる?」
「そ、そうだけど……見つけるの、早過ぎない?」
「そうかな? 残ってる魔力の痕跡を追えば、こんなもんじゃないか?」
男性はいとも簡単そうな口ぶりだが、魔力の痕跡を追うのはかなりの高等技術であり、魔法使いでも優秀な部類の者しかできないことだ。またしても高い能力を見せ付けた男性に、ヒルデの意思は瞬時に決まった。
「約束通り、あなたを雇う……いえ、雇わせてほしい」
「もちろんこっちは雇ってもらうつもりで来たんだ。じゃあ、採用ってことでいいの?」
「ええ。どうか依頼を受けてほしい。あなたならとても心強いわ。私はヒルデ・レーワルトよ」
「レインハルド・ロンメル。レイって呼んでくれ」
レイは笑顔で手を差し出すが、それを見てヒルデはためらう。
「……握手はしない主義?」
不思議そうに聞かれ、ヒルデは慌てて言う。
「ご、ごめんなさい。右手はちょっと……左手でいい?」
「ああ、左利き? それは気付かなかった……」
苦笑いを見せたレイは右手を引っ込め、改めて左手を差し出す。ヒルデが右手を出せないのは先ほどの試験のために手袋を使ったからだ。このまま出せば透明な手を見せることになるため、左手で握手をするしかなかった。変に思われたかもしれないが、何とかごまかせたと、ヒルデも左手を差し出した瞬間だった。
握手を交わすと思いきや、レイの左手はヒルデの右腕をつかみ、いきなり持ち上げた。
「なっ、何を――」
すぐに振りほどこうとするも、レイは強く握り離さない。その視線は手の見えない袖口に注がれる。
「……本当の理由はこれか」
「は、放して!」
ヒルデは強引に腕を引っ込めるが、レイは再び手を伸ばすと、今度は帽子のつばをつまみ、持ち上げた。ヒルデがハッとした時には、透明な顔はレイにさらされていた。
「なかなか顔が見えないから、おかしいと思ってたんだ……まさか、全身がこんな状態なの?」
丸くなった青い目が驚きながらも興味津々に聞いてくる。もう隠しても意味はないだろう。ヒルデは帽子をかぶり直してから小さく頷いて見せた。
「誰にも言わないで。これには、いろいろ事情があって……」
「だろうね。事情がなきゃ身体が透明になるなんてまずないよ。……はい、手袋」
レイはズボンのポケットから試験で使った手袋を出し、ヒルデに渡した。それを右手にはめながらヒルデは話す。
「この透明化は、夫のレヴィンが作った薬の効果で、今回あなたに依頼したいことにも関わると思うわ……」
「薬? ってことはやっぱり魔法じゃないのか。透明化の魔法なんて見たことないからね」
「でも半分は魔法よ。レヴィンは魔法科学研究者だから」
「魔法だけじゃできないことも、科学を混ぜればできることもあるのか……にしても、透明化なんてどうやって成し遂げたんだ? 想像しただけでも難しそうに思えるけど」
「私は助手だから、専門的なことは何も……でも、この研究のことを知ってか、私達の家に侵入した男性達がいるの。すべての研究資料を奪い、レヴィンは誘拐されてしまって……」
「誘拐? じゃあ募集のビラに書かれてた人捜しの依頼っていうのは、夫のレヴィンさんのこと?」
「ええ。だから探索魔法の能力を試させてもらったの。あなたに依頼したいのは、レヴィンの行方を突き止めて、できることなら助けてほしくて。私じゃどうすればいいのかわからないから」
「なるほどね。そんなきな臭い話なのか……それじゃあ、まずは誘拐された日のことから順番に、ヒルデさんの行動も含めて細かく教えてくれる?」
聞かれたヒルデは家に侵入された夜のこと、薬を飲んだ経緯、ハンスとこの街に来てレヴィンを知ると思われる男性達に追われたことまでを丁寧に話して教えた。それをレイは腕を組んで真剣に、時に思考しながら聞き続ける。
「――それで、ビラを貼り出して、レイさんと出会ったわけで……話はこんなところかな」
「隣町で起きた事件なのに、犯人の仲間らしき男達はこの街にいたのか。しかも魔法が使える人間……犯罪組織でも絡んでるのかな?」
「犯罪組織が何でレヴィンを誘拐なんてするの?」
「犯人は資料とレヴィンさんを盗んで行った。その二つに共通するのは研究だ。つまり犯人にとっては盗んだ研究内容が重要で、可能性として言えば、透明化薬をレヴィンさんに作らせ、闇で高値で売りさばくとか、そんな目的も考えられるね」
「レヴィンはどこかで、犯罪の片棒をかつがされてるの? そんな……」
「俺の単なる想像だから。でも誘拐なんてするやからはまともじゃないよ。どんな組織か集団かは知らないけど、安易に近付いて探るのは危ないかもしれない。ここは直接レヴィンさんの行方を追うほうがいいかな」
「それはできそう?」
レイは自信ありげな笑みを浮かべる。
「任せて。伊達に探偵業はやってないから。レヴィンさんの私物があればすぐに捜し出してみせるよ」
聞き捨てならない言葉にヒルデは聞き返した。
「探偵業って……?」
「あ、言い忘れてたけど、俺、探偵やってるんだよ。魔法絡みの依頼専門でね。でもあんまり儲かってないから、時々求人掲示板を見てこっちから依頼を受けに行ってるんだ」
「それだけ優秀なら、魔法使いとしてどこかでお勤めすることもできるんじゃ?」
これにレイは苦い顔をする。
「昔から自由にできなかったり、誰かに指図されるのが苦手でね。周囲からはいろいろ言われたけど、俺は大好きな魔法のために独りで働ける探偵を選んだんだ。金は貯まらないけど、まあ自由と時間はあるから、今はこれで満足してる」
言葉通りの表情でレイは言う。周囲からいろいろ言われたというが、これほど魔法に長けている者なら周りも放ってはおかないだろう。けれど当人は地位や給料に興味はないらしい。年齢はおそらく三十近く、ヒルデよりも年上だろう。だが言動の印象はどこか少年っぽくも感じられる。大人なら世間体を気にしてしまうものだが、彼にはそんな意識はなさそうだ。いい意味で変わり者――ヒルデはそんなふうに思えた。
「さあ、レヴィンさんを捜そうか。私物は何か持ってる?」
「今は何も……家に戻って取って来ないと」
「なら急いで行こう。今から行けば午後には着くだろ」
二人はレヴィンの私物を取りに向かうため、乗合馬車の停留所へと急ぐ。隣町行きの馬車に乗り込み、数時間揺られて移動する。そして昼下がりに到着すると、ヒルデは自分の家へレイを案内した。
「あれが私達の家よ。すぐにレヴィンの物を――」
行こうとしたヒルデをレイは引き止めた。
「ちょっと待って。……あの男は、近所の人?」
聞かれてヒルデはレイの示したほうを見る。家の角の壁には、そこに寄りかかって立つ男性が一人いた。特に何をするでもなく、時折道のほうを見ては手持ち無沙汰そうにしている。だがその顔にヒルデは見覚えがない。
「知らないわ。見たことない人……」
「怪しいな……俺が家の周りをぐるっと見てくるから、待ってて」
そう言ってレイは一人で家へと向かい、何気ない素振りを装いながら家の周囲を探り、そして戻って来た。
「……どうだった?」
「家の裏にも一人いた。あの家、見張られてるよ」
我が家に見張りが――なぜこんなことになっているのか、まるでわからないヒルデは、不安と困惑の目で呆然と眺めるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます