四話

 いつものように窓からの陽光に起こされたヒルデは、とりあえず両手を掲げてそれを眺める。


「……何も変わらずか」


 両手はうっすら肌が見えるでもなく、天井がくっきり見えるほどの透明を保ったままだった。こうして毎朝、淡い期待を抱きながら確認しているが、それは無駄な期待だとわかり始め、毎朝の確認はもうやめようと思うヒルデだった。一日の始まりが落胆から始まるのは心の健康的に悪い。今は落ち込んでいる時ではないのだ。レヴィンの行方を捜し、助け出すために少しでも前向きになりたいところだ。そして今日も、手掛かりを得るために前向きに動き出す。


 厚着をしてきっちり透明な肌を隠したヒルデは、家を出ると待ち合わせ場所である乗合馬車の停留所へと向かう。そこで会うのはもちろんハンスだ。彼は休日や仕事の時間を削りながら、しっかり誘拐犯捜しに協力してくれていた。


 ここ二週間の間でレヴィンの研究の話をしたという知り合い五人に会い、ヒルデは会話や態度から犯人を見つけ出そうとしたが、五人にはいずれも怪しむようなところはなく、無関係と判断していた。そして今日は隣町に住む研究者に会いに行くため、停留所での待ち合わせをしていた。


 朝から荷物を持った人々でごった返す中を避けながら、ヒルデはハンスがいないかと控え目に視線を巡らせて捜す。


「ヒルデさん」


 どこからか呼ばれてヒルデは周囲を見回す。と、背後から肩をつかまれ、思わず反射的に飛び退いた。


「あ、すみません。驚かせましたか」


 ハンスは両手を上げて慌てたように言った。


「い、いきなり触れないでくれる? 心臓に悪いわ。それと、あまり近付かないで。その、他人と近過ぎると息が詰まっちゃうから……」


「はあ、わかりました……気を付けます」


「じゃあ馬車に乗りましょ。隣町行きはどこかしら……」


 ヒルデはハンスと距離を置きながら乗合馬車へ向かう。最近はハンスといる時間が多いだけに、自分の身体が透明なことがばれないよう常に注意し続けなければならず、距離はもちろん、触れられることなど絶対に避けたいことだった。もしばれたら、研究者のハンスがどう思い、どんな行動に出るか、ヒルデには予測がつかない。なので一瞬たりとも気を緩めるわけにはいかなかった。


 隣町行きの馬車を見つけた二人はそれに乗り込み、客が十分集まったところで御者は馬を走らせ始める。冷たいながらも澄んだ風を受けて馬車は軽快に街道を走って行く。冬枯れた景色の中にも時折小川の煌めきや遠くに望める雄大な山々を見かけることができ、ただ揺られるだけの時間も少しは目に楽しく感じることができそうだ。しかしヒルデに景色を楽しむ意識などない。馬車という狭い空間に見知らぬ者同士がひしめき合っているのだ。顔を上げることさえ危険な場所で、ヒルデは誰の目にも見られないよう終始うつむき続けるしかなかった。


「……あの、大丈夫ですか?」


 隣の席に座るハンスが心配そうに声をかけてきた。


「大丈夫って、何が?」


「ずっと下を向いてるから、気分でも悪いのかと……」


「平気よ。酔ってなんてないから」


「ならよかった……でも、いつもその格好で本当に暑くないですか?」


 正直、雲一つない晴天の日は少し暑く感じる時もあるヒルデだったが、だからと言って脱ぐことは絶対にできない。


「もう慣れたわ。今はこの格好じゃないと落ち着かないの」


「そうですか……」


 何か言いたそうなハンスの口調に、ヒルデは聞き返す。


「……何か意見でもあるの?」


「そ、そういうわけじゃないんですが……思えば僕、ヒルデさんの顔をまだちゃんと見てないなって……」


 嫌な話の流れにヒルデの声は強くなる。


「私の顔なんて、どうでもいいでしょ」


「どうでもよくないですよ。目も見ずに話すのは何か違和感ありますし」


「意思疎通はできてるんだからいいじゃない」


「そうかもしれませんけど……何か、僕に見せたくない理由でもあるんですか?」


 図星を突かれ、動揺したヒルデは声を荒らげて言った。


「り、理由がなきゃ、こんな帽子かぶったりしないわよ! そう思ったなら察するのが優しさでしょ? がさつな男ってこれだから嫌ね!」


「え、あ、ごめんなさい。気も遣わず、思ったことをそのまま……もう二度と聞きませんから」


「わかってくれたならいいわ。今後、この話はしないでね」


 反省するハンスに釘を刺し、ヒルデはごまかせたことに一安心する。だが今度は周りで聞いていた他の客達の興味の視線を集めることになり、ヒルデは隣町に着くまで顔を一切上げずに黙って過ごすしかなかった。


 乗合馬車が到着したのは正午で、行き交う大勢の人越しには、昼食で混雑する様々な料理店が見えた。どこからともなく流れてくる美味しそうな匂いに、二人も空腹を感じる。


「約束の時間は午後ですから、腹ごしらえでもしておきましょうか」


「そうね。じゃあ、あの空いてそうな店にでも……」


「待ちたくないですからね。行きましょう」


 向かおうとするハンスをヒルデは止めた。


「ちょっと、付いてこないでよ」


「え? 一緒に昼食を――」


「私は一人で食べたいの。あなたは別の店で食べて。終わったらまたここで会いましょ」


「あ、はあ……」


 すたすたと行ってしまったヒルデの背中を、ハンスは呆然と見送る。別れたのはもちろん透明化がばれないよう注意のためだが、そんなことを知らないハンスは馬車での話で怒らせただろうかと、少し気を落とすのだった。


 昼食後、二人は街中の通りを歩き進んでいた。買い物客で溢れる商店通りを抜けると、一転して閑静な住宅地に出る。レンガ造りの建物が多く並び、道にも街路樹が植えられ、景観は綺麗だ。この中のどこかに目的の人物が住んでいるらしく、ハンスはヒルデを案内して真っすぐ進んで行く。


「……ああ、ここです。この住所に間違いない」


 ハンスはレンガの壁に付けられた住所板を確認して言った。二階建てのなかなか大きな家だ。玄関の前に立つとハンスは扉をコンコンと叩いた。そしてしばらくすると、中から人の気配がして扉はゆっくりと開かれた。


「……おお、ハンス、待っておったぞ」


「ブフナー先生、今日はお時間を割いてくださり、ありがとうございます」


「構わんよ。わしは隠居の身だ。時間ならいくらでもある」


 ブフナーと呼ばれた老人は満面の笑みでハンスを迎えた。


「紹介します。こちらはヒルデ・レーワルトさん。先生にお話を聞きたい方です」


 紹介され、ヒルデは会釈をする。


「どうぞ、よろしくお願いします」


「ふむ、男性が来ると思っておったが、女性だったか」


 そう言ってブフナーはうつむいて見えない顔をのぞき込もうとしたが、ヒルデはすぐに身を引き、顔をそらした。


「あ、先生、ヒルデさんは他人に顔を見られるのが苦手な方なので、できれば配慮を……」


「ん? そうなのか。それは失礼をした」


 申し訳なさそうにブフナーは苦笑いを浮かべる。


「ヒルデさん、こちらはブフナー先生です。僕に魔法科学を教えてくれた師で、以前は王立魔法アカデミーで研究員もしてたすごい方なんですよ」


「アカデミーで……それはすごいですね」


「昔の話だ。今は暇を持て余すただの老人に過ぎん」


 少し照れたようにブフナーは鼻で笑った。


 王立魔法アカデミーと言えば、この国の魔法研究の最高峰機関であり、それに携わる人間なら誰しも一度はここで働いてみたいと切望するほど、高度な研究のできる唯一の場所であり組織だ。レヴィンも十代の頃からアカデミーの研究員になることを夢見ていたが、それを叶えるのはなかなか容易ではない。採用されるにはそれなりの実績がなければ見向きもされないので、アカデミー研究員を夢見る者は地道に研究成果を上げるしかないのだ。


「さあ、中へ入ってくれ。大したもてなしはできんが」


「お気遣いなく。僕達はさっき昼食を食べてきましたから、お話だけで十分です」


 ブフナーに付いて二人は家の中へ入る。狭い玄関を抜けた先には広い部屋があり、ソファーや机、本棚などが置かれた応接間に案内された。


「明るくて落ち着く部屋ですね」


 ハンスは興味津々に見回しながら言った。


「そうか、ハンスはここに来るのは初めてだったか」


「はい。先生とは研究室でしか会えませんでしたから」


「日当たりのいい部屋でな。読書なんかしてるとすぐにウトウトしてしまって勉強するには不向きな部屋だがな。……適当に座ってくれ」


 促されて二人は並んでソファーに座る。ブフナーは隣の台所からティーカップを二つ持って来ると、机に置いてあったティーポットの紅茶をそれに注いだ。


「少し冷めてるかもしれんが、味は悪くないはずだ」


「ありがとうございます。いただきます」


 それぞれ差し出された紅茶を二人は一口飲む。確かにぬるくはなっているが、茶葉の香りとほどよい苦みが口に広がり、絶妙な美味しさを感じる紅茶だった。


 二人が一息ついたところでブフナーは聞いた。


「それで? 馬車に乗ってわざわざ会いに来て、わしに何を聞きたいんだ?」


「その、以前、先生が研究室を訪れてくださった時に、僕が話したこと、憶えてますか?」


「ん? 話? ハンスとはいろいろ話したと思うが……」


「そうですが、その中で、僕の研究仲間について話したのは……?」


 ブフナーは顎に手を当て、しばし考えてから言った。


「……ああ、その仲間が何かすごい研究をしてるという話か?」


「そうです、それです」


「その話が何なんだ?」


「先生はそれを、誰かにお話ししたりしましたか?」


「誰か他人にということか? ……いや、話しておらんが」


 ヒルデはピクリと反応した。否定の瞬間のわずかな間に疑いの意識を向ける。


「何か話してはならん話だったのか?」


「そういうわけじゃないんですが、実は――」


「私の夫が誘拐されたんです」


 横から割って入ったヒルデに、ブフナーはきょとんとした目を向ける。


「……誘拐、と言ったのか?」


「ええ。夫は何者かに誘拐されて、行方がわからないんです」


 戸惑うブフナーの視線がハンスに問うが、ハンスは頷いてヒルデの話を聞くよう促す。


「その誘拐と、ハンスがわしに話した話に、何の関係がある?」


「犯人は誘拐と同時に、夫の研究資料をすべて持ち去ってます。そんなものを奪って行くのは研究を知る人間だと思うんです」


「つ、つまり、わしのように話を聞いた人間が犯人だと?」


「そこまでは言いません。でも疑わしいとは言えます」


「先生、も、申し訳ありません。僕は疑ってなんかないんですが、話をしてしまった以上、一応確認しないといけないもので……」


 ハンスは恐縮しながら謝った。


「そんなこと言わなくていい。大変な事態のようだ。疑う気持ちは理解できる。だがわしはハンスから話を聞いただけだ。他には何もやっておらんよ」


「じゃあ誘拐について、何も知らないし心当たりもないと?」


「ないな。悪いが、わしでは何の力にもなってやれんようだ」


「そうですか……」


 ヒルデはうつむきながら表情をしかめる。ブフナーは表面的には落ち着いて話している感じだが、時折言葉の裏に嘘が隠れているようにヒルデは思えた。が、その根拠も確証もない。何となく感じる程度では疑い切ることはできなかった。正面から聞くより、もう少し違った角度から話を聞くべきか――ヒルデが嘘をあぶり出す方法を考えていると、先にブフナーが聞いてきた。


「ところで、ご夫君のお名前をうかがってもいいかな。大きな力にはなれないが、知っておればどこかで聞くこともあるかもしれん」


「私の夫は、レヴィンと言います」


 そう教えると、ブフナーは動きを止め、聞き返した。


「……レヴィン?」


「ええ。レヴィン・レーワルト」


「レーワルト……はっ! そうだったのか――」


 ブフナーは何かに気付いた素振りで呟くと、ここまでの落ち着きを消して急にそわそわし始めた。その様子を二人は怪訝な目で見つめる。


「あの、先生? どうかしましたか?」


「もしかして、夫のことを知ってるんですか?」


「知って……いや、知ってはおらんが、聞いたことはあってな。あなたのお名前もレーワルトだと聞いた時に気付くべきだったと思って……ただそれだけだ」


 気にするなと言うようにブフナーは笑ってごまかす。だがどう見ても不自然だった。レヴィンの名を聞いた途端、明らかに動揺した様はヒルデに疑念を抱かせるのに十分な態度だった。やはり嘘をついている――そう確信できたヒルデは質問する。


「夫の名前は一体どこで――」


「ちょっと待ってくれ。……ハンス、今何時かわかるか?」


 聞かれてハンスは上着のポケットから懐中時計を取り出す。


「ええっと、二時を回ったところですが」


「そ、それはいかん。午後二時に友人の元へ行かねばならない約束があってな」


「え? 僕達の他にも約束があったんですか?」


「悪いな。前からの約束ですっぽかすわけにはいかんのだ」


 そう言うとブフナーは慌ただしくソファーから立ち上がる。


「そういうことなら、僕達は帰ったほうがよさそうですね。お話を聞くのはまた次の機会に――」


「いやいや、帰ることはない!」


「でも、ご友人と……」


「別に長く話すわけではない。用事を済ませたらすぐに戻って来る。十分……いや、五分待っておれ」


「先生を急かすみたいで申し訳ないですよ。やっぱり僕達は一旦帰り――」


「五分待っておれと言ったんだ! それぐらい待てんのか!」


 大声で押し止めるブフナーの様子に、二人は呆気にとられる。


「いいか、すぐに戻る」


 真剣な顔で言うと、ブフナーは手ぶらのまま、小走りで家を出て行った。静まり返った部屋で、ハンスは困惑した表情を浮かべてヒルデに言った。


「……何か、先生らしくないな」


「どこが?」


「あんな大声上げるのもそうだけど、二つの約束の時間が重なるような予定の組み方なんて、先生は嫌がるはずなんだけど。学生時代、余裕のない日程表を作れば即作り直しを命令されたぐらいだ。まあ、当時と今じゃ状況は違うかもしれないけど」


「それでも様子がおかしいと?」


 ハンスは頷く。


「隠居してせっかちに変わったのかな……でも普通、逆のような……」


 首をかしげながらハンスは紅茶を飲む。ブフナーをよく知らないヒルデでも、彼の言動は怪しく見える。嘘をついているのは間違いない。戻って来たら今度こそ問い詰めなければ――そう思ったヒルデだったが、ふと不安がよぎった。ブフナーは五分で戻ると言ったが、果たしてそれを信じていいのか。もしかしたら嘘を知られないために、何か証拠を隠すか作るか、あるいは単純に逃げたのでは……? 仮にブフナーが誘拐犯だったとしたら、レヴィンとヒルデが夫婦と知った時の驚きようも納得できる気がした。ブフナーは本当に、友人との用事を済ませに行ったのだろうか……。


「……私、ちょっと出るわ」


 おもむろに立ち上がったヒルデはハンスに言った。


「出るって、どこへ? 先生は五分後に――」


「あなたの先生はどう見ても怪しい。本当に言葉通りなのか、確かめてくるわ」


 ヒルデは一人玄関へと向かう。


「五分待ってからでもいいじゃないですか。それで先生が帰って来なければ捜しに――」


「五分も待ってたら見失っちゃうわ。捜すなら今じゃないと」


「ヒルデさん、大丈夫ですよ。先生は必ず帰って――」


 ハンスの楽観的な声を無視し、ヒルデは家を出た。


 左右に伸びる道を眺めるが、そのどちらにもブフナーの姿は見当たらない。すでに角を曲がって行ってしまったようだ。しかしどちらの道なのか。ヒルデはちょうど隣家の前で立ち話をしていた二人の女性に声をかけた。


「すみません。おたずねしたいんですが」


「……はあ、何か?」


「つい先ほど、この家に住むブフナーさんが通りませんでしたか?」


「ブフナーさん? ええ、通りましたけど……」


「どっちの道へ行きましたか?」


「この先を右へ……何か急いでたみたいだけど」


 女性は右の道を指して示した。


「ありがとうございます」


「いいえ。……何かご用事?」


 女性二人は顔を見せない妙な服装のヒルデに怪訝な目を向けながら聞いたが、ヒルデは聞かなかったふりで足早にブフナーの後を追った。


 角を右へ曲がり、周囲を見ながらヒルデは進む。と、今まさに道を曲がろうとするブフナーの姿を見つけ、ヒルデは距離を置きながらその背中を追跡する。そうして来たのは住宅地を抜けた官庁街の一画だった。


「……あれが、友人?」


 ヒルデは物影から様子をうかがう。前方の建物の扉を叩いたブフナーは、そこから出て来た男性と何やら話し始める。看板も何もないので、あの建物が何なのかは確認できないが、相手はブフナーよりも三十歳ほど若い男性だ。すでに六十を超えている者の友人と言うには少々違和感もある。だが学生に教えていたブフナーなら大分年下の友人がいてもおかしくはないとも言える。本当に友人なのだろうか――判断がつかないままうかがっていた時だった。


 相手の男性がふとヒルデのほうへ振り向いた。ヒルデは咄嗟に身を隠し、男性の視線から逃れる。多分見られてはいないと思いながらも、心臓はドキドキと鳴っていた。それが落ち着いたところでヒルデは再び物影から顔を出す。


「……あれ? どこに――」


 視線の先にブフナー達の姿はなかった。隠れた短い間に移動してしまったようだ。建物の中に入ったのか、それとも……と辺りを見回すと、道を挟んだ向かいの歩道を並んで歩く二人の姿を見つけた。どこかへ向かうらしい。ヒルデはすぐに気付かれないよう、あえて道を挟んだまま後を追った。


 それなりに人通りのある道を二人は歩き続けている。ブフナーが家を出てから五分以上は経っているだろう。待っているハンスは今頃、そわそわと落ち着かない時間を過ごしているかもしれない。用事を済ませるために一体どこまで歩くのか……。すると二人は右の細い路地へ曲がり、姿を消した。ここまで来て見失うわけにはいかないと、ヒルデは小走りで道を渡り、その路地へ入った。


 両側に高い壁がそびえる路地は奥まで続いていたが、そこに二人は見えない。先へ行ってしまったのだろうかと思い、とりあえず進んでみる。最奥にも壁が建っていたが、路地は左へ続いており、ヒルデは道なりに歩いて行く。


「……!」


 左に曲がったところでヒルデは息を呑んだ。すぐ目の前にブフナーと、その友人の男性が待ち構えていたのだ。


「ヒルデさん、わしをつけて来たのか? 待っておれと言ったのに」


 険しい表情のブフナーが言った。その横の男性も鋭い目付きでヒルデを見つめてくる。


「その、すみません。気持ちが急いて――」


 どこか不穏な空気を感じ、ヒルデはゆっくりと後ずさった。だがその背中を何かがドンと押して止めた。驚いて振り向けば、後ろには見知らぬ男性が立っており、ヒルデを目で威嚇するように見てくる。逃げ道を塞がれてしまった――いよいよ身の危険を感じたヒルデだったが、こうなってはもう開き直って覚悟するしかなかった。

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