三話

 翌日――爽やかな青空の下、街中を前回と同じ厚着の格好をしたヒルデは歩いていた。昨夜付けた目印の魔法を探ってみると、それは意外にも近い場所から感じられた。つまり、強盗の男がまだこの街にいるということだった。そうなるとレヴィンも街のどこかにいるのかもしれず、ヒルデはほのかな期待を抱きつつ慎重に目印の場所を探って行く。


 三十分後、そうして歩き着いたのは、様々な店が立ち並ぶ一画にある、老舗のパン屋だった。ヒルデも時々買いに来る店で、大きくて丸い塩パンは住人達に長年愛されている人気商品だ。


「ここに、犯人が……?」


 犯罪とは無縁そうな場所に昨夜の男が潜んでいると思うと、思わず首をかしげたくなるが、けれど目印は間違いなくここから強く感じられるのだ。行き交う人々に怪しまれないよう道の端から店内をうかがっていた時だった。


「……あ」


 パン屋から一人の男性が出て来ると、そこに目印の魔力をより強く感じ、ヒルデの視線は引き付けられた。あの人だ。あの男が昨夜の強盗に違いない。手にはパンの詰まった紙袋が抱えられており、どうやら客として店に立ち寄っていただけのようだ。近隣住人に愛されるパン屋が犯罪と無関係でよかったと胸を撫で下ろしつつ、ヒルデは早速男の後を追って行った。


 家にでも帰るのか、道なりに歩くその背後をつけながら、時折見える横顔に、ヒルデは以前どこかで見たような気がする顔だと過去の記憶を探る。年齢は自分と同じぐらいの二十代半ば、黒髪に、丸顔、ややぽっちゃりした体形……よく見れば見るほど、やはり見覚えのある顔に思えた。


「やあ、ハンス、朝食はパンか?」


 すると奥から歩いて来た知り合いらしき男性が男に声をかけた。犯人の男はハンスという名のようだ。


「焼き立てで美味そうだったから」


「奥さんはまだ実家に?」


「うん。出産もまだだよ」


「そうか。じゃあ手作りの料理が恋しいだろ」


「まあね。でも遅くまで寝てても怒られることがないのはいいよ」


「ははっ、一時の独身気分もいいけど、研究にのめり込み過ぎて身体、壊すなよ」


「わかってる。それじゃあ」


 短い話を交わしてハンスは再び歩き出す。既婚者だが、奥さんが里帰り中で今は家に一人……そしてレヴィンと同じように、何かを研究しているようだ。研究者が研究者の家に強盗に入ったということか? それなら奪われた物が金品でなく、研究資料というのも頷けた。だがなぜ誘拐までしたのか。研究のさらなる情報を聞き出すためか、あるいは研究を自分の手柄にするために口封じを――ヒルデは息を吐き、その考えを消した。絶望するにはまだ早い。とりあえず今はハンスを問い詰めるのが先だ。家までつけ、そこで白状させるのだ。何も気付いていない背中は歩き慣れた道を進み、やがて民家が並ぶ一画に入ると、ヒルデに自宅を教えてくれた。木造で赤い屋根の小さな家……その玄関に向かう犯人を見て、ヒルデは足早に近付くと声をかけた。


「ちょっといいかしら」


「……はい?」


 扉に手をかけようとしたハンスは呼ばれて振り向くと、怪訝な表情で見てくる。その顔を正面から見た瞬間、ヒルデの頭にある記憶が閃いた。


「思い出した……!」


「あの、何ですか?」


「あなた、レヴィンの研究仲間よね」


 これにハンスはますます怪訝な顔になる。


「……あなた、誰ですか?」


 思わず顔を上げて睨みそうになったのを抑え、ヒルデはうつむきながら答えた。


「私はレヴィン・レーワルトの妻のヒルデよ」


 これにハンスは明らかに表情を引きつらせた。数年前、レヴィンは同じ研究仲間だと言ってハンスを家に連れて来たことがあり、そこでヒルデはこの顔を見ていたのだ。それ以降会うことはなかったが、まさかこんな形で再び顔を合わせることになるとは……。


「大分前だけど、一度だけ会ってるわよね」


「あ、は、はい、彼の、奥さん、でしたか……」


 動揺を隠せないほど、ハンスの目は泳ぎ、言葉もぎこちない。


「そ、そんな方が、僕に、何の用で……?」


「心当たりがない?」


「え……」


 ハンスの額にはじわじわ汗が滲み始める。


「僕には、な、何も……」


 こんな様子で白を切ろうとするハンスに呆れながら、ヒルデはずばり言った。


「昨夜、私の家に盗みに入ったわよね」


「!」


 わかりやすく瞠目したハンスは言い訳でもしたいのか、口をぱくぱく動かすが、そこから声は一切出てこなかった。


「私達の研究部屋で何か探してた……その姿を見てるの」


「いやっ、あのっ、ま、間違いだ! 僕は盗みなんか――」


「犯人じゃないとでも言うの? それはちょっと苦しいわね。私は少し魔法が使えるの。窓から逃げたあなたの背中に目印を付けておいたのよ。それを頼りに捜したら、あなたに行き着いた……言い逃れできない証拠よ」


「ま、魔法を……?」


 ハンスはそわそわしながら、しきりに自分の背中を気にする。時間が経てば目印は勝手に消えるが、ヒルデは彼を落ち着かせるために魔法でその目印を消してやった。


「大丈夫、今消したわ。……白状して。盗みに入ったでしょ?」


 強く聞くヒルデだが、ハンスは辺りをきょろきょろ見回して尚も落ち着かない。


「逃げるつもりじゃないでしょうね? そんなこと考えても無駄よ。また魔法で――」


「ま、待って! 逃げたりしないから! ここでこんな話をするのは、ちょっと……中で、話したいんですけど」


 ヒルデも辺りに目をやると、まばらではあるが人影がちらほら見える。ハンスは近所の目と耳を気にしたようだ。それはヒルデにとっても避けたいことで、同意したヒルデはハンスに付いて家の中へ入った。


 外観通りの小さな部屋だったが、物は少なく、どこも整頓されており、清潔感のある綺麗な部屋に思えた。その部屋の中央には机があり、そこの席にヒルデは座るよう促される。


「……お茶でも、飲みま――」


「いらないわ」


 ヒルデに断られると、ハンスはおずおずと机を挟んだ向かいの椅子に座った。


「あの、暑くないですか? 帽子やマフラーを取っては――」


「私のことは気にしないで。このままでいたいの」


「でも、顔がよく見えな――」


「顔なんてどうでもいいでしょ! 今はあなたのしたことが問題なんだから!」


 ビクッと震えると、ハンスはすぐに口を閉じた。ヒルデは威圧的な口調で自分の容姿から意識をそらすと、再度聞いた。


「盗みに入ったと、認めるわよね……?」


 ハンスは気まずさを見せながらも、小さな声で答えた。


「……はい。確かに昨夜、僕はあなたの家に忍び込みました。でも違うんです。僕は盗むために入ったんじゃないんです。現に何も盗んでませんし」


「盗んでないから悪くないわけじゃないわ。不法侵入だって立派な罪よ」


「そ、それは、そうですけど……でも泥棒じゃないことはわかってください」


「盗みが目的じゃないなら、なぜ家に入って来たの?」


 この疑問にハンスはどこか言いづらそうにしながら言う。


「実は……彼の……レヴィンの、研究内容を、知りたくて……」


「研究内容? それってやっぱり、研究資料を盗むために――」


「だから違うんです! 僕は盗むつもりはなくて、ただどんな研究をしてるのか、それだけが知りたくて……」


「そんなことのためだけに、不法侵入したっていうの? 知りたければレヴィン本人に聞けば済むことじゃない」


「それができなかったから、僕は馬鹿なことをしてしまったんですよ」


 後悔にうなだれるハンスに、ヒルデは首をかしげる。


「なぜできなかったの? レヴィンと喧嘩でもしてるとか?」


「いえ、仲は良好で、頻繁に話もしてます。その中でレヴィンは今、誰もが驚くような研究を進めてると僕に教えてくれたんですが、その中身までは教えてくれなくて。とにかくすごいと自信満々に話すだけで、どういう研究か一切明かしてくれなかったんです。同じ研究者として、気になった僕は、レヴィンに会うたびに教えてほしいと頼んでみたんですが、いくらお願いしても、物で釣ってみても、完成するまでは誰にも教えないと断られ続けて……そこまでされると、もう四六時中気になって夜も眠れなくなって……こうなったら、彼の家へ行くしかないと考えてしまい、それで……」


「窓をこじ開けて侵入したのね」


 ハンスは小さく頷いた。これにヒルデは呆れる。ただそれだけのために不法行為に及び、住人を恐怖させるなど言語道断だ。罪悪感よりも研究者としての欲が勝った結果が、今浮かべている後悔の顔なのだろう。


「本当に、申し訳ありません! レヴィンの話が気になり過ぎて、どうかしてたんです。こんなこと許されないとわかってます。僕のできる限りのお詫びを――」


「謝罪の言葉より、すべての話を聞かせて。……あなたの仲間はどこなの?」


「仲間、とは……?」


 問い返すハンスにヒルデは苛立ちを隠さずに言う。


「研究資料と一緒に、レヴィンを誘拐した仲間のことよ」


 これにハンスは瞬きをして驚きを見せた。


「え……ど、どういうことですか? レヴィンが誘拐って……」


「今さら何をとぼける気? あなたは何も盗んでないんでしょうけど、代わりに仲間の男達が研究資料を全部盗んで行ったじゃない。抵抗したレヴィンまで連れ去って、一体どこに隠してるのよ!」


「何のことですか? 僕にそんな仲間なんて――」


「嘘はもういいのよ! 昨日はあなたが来て、その前日は仲間の男達……二日連続で盗みに入っておいて、関係ないなんて理由は通用しないわ!」


「そ、そんな話は本当に知らないんです! そもそも僕は自分一人で決めてあなたの家へ行ったわけで、もしその男達が仲間なら行ったりしないし、行く必要もないじゃないですか。研究資料が手に入ってるんですから」


「確認のために来たんでしょ? 取り残した資料を探すために。あの時あなた、ないなあって言いながら探してたじゃない」


「そ、そう言ったのは、研究内容がわかるものが何一つないなあって意味で、盗むためじゃありません」


「まあ、資料のことは二の次でもいいわ。一番大事なのはレヴィンの行方よ。当然、知ってるんでしょ? 彼は無事なんでしょうね」


「だ、だから、僕は何も知らないんですって! レヴィンが誘拐されたなんて初耳ですよ!」


「そんなわけないわ! 正直に言いなさいよ! それができないなら不法侵入のこと、役人や里帰り中の奥さんに伝えさせてもらうから」


 強硬な態度のヒルデに、ハンスは困惑顔で返す。


「妻のこと、何で知って……いや、そう言われても、身に覚えのないことは話せないんです! 役人や妻に話されても、僕は後悔と反省をするだけで他に何もできないんですよ! 信じてください! お願いですから!」


 汗をかき、必死な顔で懇願するハンスの様子には、見せかけや取り繕いは見られず、いかにも真剣さを感じられた。発する言葉には、本当に嘘がないのかもしれない――ヒルデはそんなふうに思えてきた。


「……二日連続で研究資料が狙われたのに、じゃあそれはまったく別々の事件だったっていうの? そんな偶然がある?」


「つながってると思う気持ちはわかりますが、でも僕には、そういう偶然が起きたとしか言えません……」


「あなたは本当に、レヴィンを誘拐してないの……?」


「僕にはそんな理由も動機もありません。親しい研究仲間なんですから」


「あなたが犯人だと思って……だから今日、レヴィンの行方がわかると期待してたのに……まったくの考え違いだったの……?」


 ヒルデは肩を落とし、見えない顔を歪める。こっそり魔法で印を付け、それをたどって問い詰めれば夫の居場所がわかると簡単に考えていたヒルデだが、見当違いの甘い考えだったと痛感せずにはいられなかった。ハンスは単独で資料を盗み見に来ただけ……ならばレヴィンを誘拐したのは何者なのか。明らかなのは金品が目的ではなく、ハンスと同じ研究資料が目的なことだけ。つまり魔法科学研究に関わる人間か、それに興味を持っている人間と言えるかもしれない。


「……あの、誘拐なんて大事件なんですから、早く捜索してもらったほうが――」


「それはまだ、いいの……もう少し自分で捜してから頼むから」


「そんな悠長にしてたらレヴィンの身が危険じゃないですか? 犯人がどんな人間かわからないなら急いで捜索を頼まないと――」


「その犯人だけど、資料を持ち去ったのを考えると、レヴィンやあなたと同じ、魔法科学を知る人間じゃないかと思うのだけど」


「はあ……まあ、全然知らない人間が研究資料を持ち去るとは考えにくいですからね。読んでも理解できないだろうし」


「そう。つまり犯人はレヴィンやあなたに近い人間の可能性もある……」


「僕に近い人が……? 知り合いが誘拐犯なんて考えたくないけど、でも考えるとそうなるかも……」


「心当たりは?」


「え? それは、たくさんいますよ。研究に携わってる人なら全員可能性があると言えますから……。でも、レヴィンの研究のことを知る人はほとんどいないはずです。僕にさえ教えてくれなかったんですから」


 確かにそうだ、とヒルデは思う。レヴィンは薬が完成するまでどこにも発表しない考えで、ハンスを始め友人、知り合いの誰にも詳しい話をしていないはずだ。それなのになぜ資料は狙われたのか。研究内容を知らずに奪って行ったとは考えにくい。資料に価値があると思ったから男達は持ち去ったはずなのだ。となるとやはり、レヴィンの研究を知っている者がいたと思うべきだろう。


「あなたの他に、レヴィンの研究について知りたがってた人はいなかった?」


「いや……僕ほど興味を持った人はいなかったかな。レヴィンがすごい研究をしてるらしいって数人に話したけど、皆、自分の研究で手一杯みたいで、さほど食い付いてきませんでした」


 レヴィンの研究を知っても、興味を示す者は特にいなかった――そこでヒルデはふと気付く。


「ちょっと待って。あなた、レヴィンの研究のこと、他の人に話したの?」


「はい。話しましたけど……?」


「それってレヴィンが秘密の研究をしてるって教えたも同然じゃない?」


「ああ、そうかもしれませんけど……でも僕は研究内容はまったく知りませんよ?」


「内容は今はどうでもいいの。重要なのはレヴィンが何かすごい研究を始めてると知った人がいるかどうかなのよ。あなたの話しぶりじゃ、数人の人間が知ったことになるわね」


「ええ……まさか、僕が話した相手の中に、犯人がいるって言うんですか? でも誰も――」


「その場で興味は見せなくても、あとで気になって一人で探る場合もあるわ」


「そんなこと……ありますか?」


「だって秘密の研究のことを知ったんだもの。知った人間ならそんな行動を起こす可能性もあるでしょ?」


 ハンスは呆然とした表情を浮かべる。


「誘拐は、僕のせい、なんでしょうか……?」


「それはまだ……でも少なくとも研究のことを知らない人間よりは、知ってる人間のほうが疑わしいわ。その中に犯人がいるかどうかはこの先次第ね」


「この先って、一体どうするんですか?」


「もちろん犯人を捜すわよ」


「ど、どうやって……?」


「問い詰めて、白状させる」


「そんなこと、一人じゃ無理ですよ。しかも危ないですし、もし犯人が逆上でもしたら――」


「一人じゃないわよ。あなたも一緒に行って」


 これにハンスは一瞬絶句する。


「……僕が、どうして一緒に?」


「犯人の手掛かりがない今、ちょっとでも怪しい人間に当たるしかないじゃない。そしてその怪しい人間はあなたの知り合い。一緒に行ってもらわなきゃわからないでしょ? ついでにレヴィンの行方も捜してくれると助かるんだけど」


「そうしたいのはやまやまですが、僕には僕のやるべきことが……」


 この一件からは離れたそうなハンスに、ヒルデは毅然と言った。


「それが不法侵入したあなたのお詫びの態度なのね。わかったわ。協力してくれるなら昨夜のことは忘れるつもりだったけど、ここを出たら衛兵の詰め所へ向か――」


「ままま待って! それだけはお願いですから! 出産を控えてる妻に余計な心配はさせたくないんです」


「そう思うなら、仕事の合間にでも協力してくれるわよね?」


 ぐっと本音を呑み込み、複雑な表情を見せたハンスは諦めの声で答えた。


「……わかりました。一緒に、行きますよ」


 ヒルデは帽子の下でにこりと笑って言う。


「ありがとう。助けを待ってるレヴィンもきっと喜ぶわ」

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