141(シオン視点)僕みたいになるな

「ヘンリエッタさん。それ以上は取り返しがつかなくなる」


 封印塔の屋上にいたのは、クラスの担任であるヘルムート先生と、クラスメイトのヘンリエッタ。

 ヘンリエッタは制服のブラウスをはだけ、胸からお腹にかけての肌を晒している。

 肌の白さにどきりとする――より先に、僕の心を襲ったのは衝撃だ。

 ヘンリエッタの肌には複雑な紋様が幾重にも刻み込まれていた。


「見ないで……シオン君」


 ヘンリエッタの弱々しい声。

 その場にへたりこんだヘンリエッタが「マクファディアンキャリバー」とやらを発射する心配はなさそうだ。


 僕は、手の中に残っていた食べかけの勇者焼きを口の中に放り込む。

 甘ったるさにこみ上げる吐き気を堪えて嚥下した。


 僕はぎりっと奥歯を噛んでヘルムート先生――いや、ヘルムートを睨む。


「おやおや。君はお兄さんには加勢しなかったのですか? ああ、兄弟で確執があるんでしたか。魔族討伐の栄誉を弟に分け与えたくないとは、真の勇者も意外と狭量なところがあるのだな」


「ゼオンはそんな理由で僕をハブにしたわけじゃないだろう。おおかた、決まりが悪くて接触できないでいるうちに今日を迎えたに違いない」


 あるいは、僕の現在のレベルを考えて、魔族と相対するのは危険と判断したか、だ。

 どちらにせよ僕のことを舐めてるし、過保護なことだ。


「善意ばかりを向けられて育った人間だから、悪意をぶつけられるとどうしたらいいかわからなくなるんだよ。相手が明確な敵ならともかく、身内だと思ってる相手ならとくに、な」


「ふ……君たちの未熟な兄弟関係になど興味ありませんよ。この状況をどこまで理解しているのです?」


「あんたが自分の妹に魔法陣を刻んで、その御大層な名前の偽キャリバーの魔力源にしたってところまでかな。どうやらゼオンはあの魔族の誘き出しに成功したみたいだが、あんたはそれを好機と見た。その偽キャリバーでゼオンを生徒ごと吹き飛ばす。その上で、すべてを魔族のせいにするわけだ。追い詰められた魔族が勇者もろとも自爆した……とかか?」


「そこまでわかっているのなら見逃すわけにはいきませんね」


 ヘルムートの目が鋭く細められた。

 いつもは柔和な笑みを貼り付けている男だが、どこかうさんくさいとは思ってたんだよな。

 生徒への愛想はいいが、その実、生徒なんかの相手をさせれられることにうんざりしてるような、そんな気配を感じていた。


「そこまでしてゼオンを殺す動機はなんなんだ? 嫉妬だけだとしたらあまりにも幼稚だが……」


「……そこまで話すと思いますか?」


「ふん、語るに落ちたな。そう言うってことは、なにか隠された動機があるってことだ」


 鼻で笑った僕に、ヘルムートがぴくりと眉を動かした。


「可能性その一。あんたは魔族とつながっている。ネゲイラがゼオンを倒せればよし、そうでなければあんたがネゲイラもろともゼオンを始末する算段だった。だが、その場合には、あんたはネゲイラ以外の魔族とつながってることになる。可能性がないとは言わないが、この状況に二体も魔族が噛んでいて、しかもそれぞれ反目してるというのは偶然がすぎる」


 僕は持ち物リストから勇者焼きを取り出し、一口で頬張った。


「僕は仮にも勇者ですよ? 薄汚い魔族と手を組んでどんな得があるというのです?」


「魔導技術の横流し、かな。いくらあんたが天才的な魔導師だとしても、ブレイブキャリバーの再現を独力で成し遂げられたとは考えにくい。ブレイブキャリバーは発射することはもちろん仕組みを解析することすらできてないんだから」


「やれやれ、酷い侮辱ですね」


 感触は……ヒット、か?

 核心を突いてはいないが、部分的には当たってるって感じだな。


「可能性その二。あんたは教会とつながっている。ハズレギフトを授かりながら精霊に認められて勇者となったゼオンは教会にとってうとましい存在だ。とくにゲオルグ枢機卿にとってはすぐにでも排除したい相手だろう。あんたは教会からなんらかの見返りを提示されてゼオンの暗殺を請け負った」


 再び取り出した勇者焼きを頬張りながら、ヘルムートの反応を観察する。


「不合理にも神などを信じる教会が私にどんな見返りを与えられるというのです?」


 こっちのほうは的を外したみたいだな。


「じゃあ可能性その三だ。あんたの今回の行動は、マクファディアン子爵家――いや、ノルスムンド王国の意思に基づくものである。理由は知らないが、ノルスムンド国王サーディス一世は真の勇者が存在することを不都合と考えた」


「……『陛下』を付けろ、このクズが!」


 顔を赤くして即座に言ってきたせいで、僕は取り出した勇者焼きを食べ損ねた。


「ふん、馬脚を現したな。少数民族への迫害などなにかと評判の悪い王様には、勇者に探られたくない黒い腹でもあるんだろう」


 それにしても過剰反応な気はするな。

 ゼオンがすぐにノルスムンドに向かう気配はない。

 学院の臨時講師が終わったらまた気ままな旅に出るのだろうが、自由を好むゼオンは目的地を直前まで決めないだろう。

 まさか、少数民族を迫害する王様をしばいてやろうと息巻いて、ノルスムンドに乗り込むとは考えづらい。


「君にバレたからどうだというんです? 君を消してしまえばいいだけだ」


 ヘルムートが右手に剣を、左手にワンドを取り出した。


「――逃げて!」


 とヘンリエッタが叫ぶ。


「ヘンリエッタ……失望させるな。今すぐマクファディアンキャリバーを発射しろ」


「ダメだ、ヘンリエッタさん。負けてはいけない。自分でも悪いとわかってることをやってしまったら、一生後悔することになるんだぞ」


「……わたくしは……し、しかたがないのです……」


「君の事情はわからない。おおかた、その身体の魔法陣に、ヘルムートの命令に逆らうと罰を与えるような仕組みがあるんだろう」


「そ、そのとおりです……わ、わたくしは、もう耐えられない……シオン君にはわからないのです!」


「たしかにわからないさ。でも、人を隷属させるような魔法は伝説の中の高位魔族にしか扱えない代物のはずだ。その魔法陣は君の自由意志を直接奪うものではないはずだ」


「はははっ、シオン君は随分と甘い坊やのようですね。人の自由意志なんてものは、耐え難い苦痛の前には無力なものだ。伝説の隷属魔法などなくても人の心などどうとでもなる。ヘンリエッタはそのことを嫌というほど知っている。さ、ヘンリエッタ。早いところ彼のお兄さんを消し炭に変えてあげなさい」


 その言葉に、ヘンリエッタがのろのろと起き上がる。


「ヘンリエッタ。僕には君の苦しみはわからない。僕は君に酷なことを言ってるんだろう。でも、これだけは言わせてほしい。強くあってくれ。痛みや苦しみに負けて自分の正しいと信じることを曲げるな。君は……僕みたいになるな」


「シオン、君……」


「僕は、自分を甘やかさない厳しい環境を求めてここへ来た。僕は自分が悪いことをしそうになった時に、それはダメだときっぱり言ってもらいたい。そういう本物の人間関係を求めてここへ来た。だから、僕も君に言う。それは間違っていると」


「わたくしは……あなたとは……」


「違わないさ。僕の弱さを認めてくれた君は強い。それほどに痛めつけられてきたというのに、他者を励まし、勇者生徒として皆に範を示す生き方をしてる。僕は君のことを心から尊敬する。君は、強いんだ!」


「わ、わたくしは……」


「ええい! 早くしないか! 絶好の機会なのだぞ!」


 焦りもあらわに命じるヘルムートに、


「……い、嫌です」


 ヘンリエッタが小さな――しかしはっきりとした拒絶の言葉を口にした。

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