129(シオン視点)触れる手

 教室を出た僕は、学院の中庭の隅にやってきた。


 僕はベンチに腰を下ろすと、頭を思い切り抱えて叫びを上げた。


「気持ちを入れ替えて学ぼうと思ってここに来たのにどうして兄さんが講師なんだよ!?」


 真の勇者になったことは、あの全世界アナウンスとやらで知っていた。

 勇者に縁のあるここアイオロスにいれば接点が生じるおそれも正直あるとは思っていた。

 だがそれにしたって、


「よりにもよって僕のクラスに講師として来なくてもいいじゃないか!? 僕の劣等感を刺激するのがそんなに楽しいのか!? くそっ、どこまでも僕のことを馬鹿にしやがってええええええ!」


 もちろん、僕だってわかってる。

 顔を合わせた時の反応からしてゼオンはクラスに僕がいることを知らなかった。

 なにも僕への嫌がらせや当てつけで臨時講師を引き受けたわけじゃないだろう。


「まあ、担当するのが実習だけなのがまだ救いか……」


 しかし実習と言っても、一体何を教えるというのだろう?

 ゼオンがクルゼオン伯爵家を逐われ冒険者になったのはほんの二ヶ月ほど前のことだ。

 真の勇者になったのは一ヶ月前でさらに短い。


「たった二ヶ月で、あっちは学院から特別に招聘されて臨時講師に、こっちはただのヒラ生徒か」


 この教導学院に入学を認められるだけでも世間的には十分栄誉なことなのだが、さすがに「真の勇者」「臨時講師」となればあっちが上だ。

 あまりの格差に歯ぎしりのひとつもしたくなる。


「この学院に来た直後は僕もちやほやされたんだけどな……」


 アイオロスから近くないとはいえ、クルゼオン伯爵家がシュナイゼン王国の中でも有力な貴族家であることくらいは知られている。

 学院のカリキュラムには各国の政治経済地理なんかの講義もある。

 勇者を志す生徒たちだけあって、独自の情報収集にも熱心だ。


「金目当てにしか思えなかったから遠ざけたけど、もう少しそつなく付き合うべきだったか……?」


 ダディーンという商家出身の勇者は、露骨に僕の実家であるクルゼオン伯爵家と縁を結ぶのが目当てだったからな。


「以前の僕だったら有頂天になっていたんだろうな」


 ドラグディアが僕の家柄のことを気にかけるか? と考えたら白けてしまったんだよな。

 癪なことだが、ベルナルドの「更生」とやらには一定の効果があったということか。


 逆に、クラスの主流派の連中の中には耳ざとい奴がいて、僕の「上限突破」のことを知って近づいてきた。


 それも、遠ざけた。

 今の僕にはもてはやされるほどの力はない、と断ってからは一言も口をきいていない。


 要するに、僕はクラスで浮いている。

 べつにそれはそれで構わないのだが、ゼオンが臨時講師になったとなると話は別だ。

 あいつクラスでうまくやれてないのか、とあの男に思われるのは業腹だ。


「ああ、まったく! 鬱陶しい!」


 僕がひとしきり気持ちを吐き出していると、


「――無理を言わないでください、お兄様」


 聞き覚えのある声がそんなに離れていないところから聞こえた。


 クラスの実質的なリーダーと言っていい女子生徒――ヘンリエッタのものだとすぐにわかった。


 べつに盗み聞きするつもりはなかったが、声が意外に近かったので動くことも難しい。

 勇者の卵が集まる学院だけに、ヘンリエッタも気配には常人とは比べ物にならないほど敏感だ。


「おまえを温情でこの学院に推薦してやったのを忘れたのか? 穢らわしいグラナダの女から産まれたおまえを妹として扱ってやっている俺の厚意がわからないわけじゃないだろう」


 ヘンリエッタの話し相手の声にも聞き覚えがあった。

 だが、すぐにはそれが誰だかわからなかった。

 普段とはあまりにも口調が違ったからだ。


「……ヘルムート先生、か?」


 あの担任は、普段は自分のことを「僕」と呼び、生徒にも丁寧語で話す。

 ヘルムートは上級クラスの担任でもある。

 というより、上級クラスの担任が主務らしい。

 彼に気に入られれば上級クラス入りが見えるということもあって、クラスの生徒の何人かは彼に取り入ろうと必死である。

 ヘルムート当人は生徒たちにはあくまでも対等に接している――と思っていた。


「グラナダ……たしか、ノルスムンド王国の少数民族だったな」


 ノルスムンド王国に居留するグラナダは漂泊の民族として有名だ。

 踊りやサーカスなどの芸を見せながら各地を転々とする少数民族だと聞いている。

 ノルスムンド王国では彼らを賤民と見る風潮があり、とくに昨今はグラナダ嫌いの女王の影響で彼らへの風当たりが厳しくなっているらしい。


「とにかく、その母親譲りの身体を使って、あのぽっと出勇者の弱みのひとつでも握ってこい」


 吐き捨てるようなセリフとともに、片方の気配が近づいてくる。

 僕は慌ててベンチの影に身を隠す。

 本職の勇者でもあるヘルムートには見つかるかもと思ったが、苛ついた様子のヘルムートが僕に気づくことはなかった。


 だが、ほっと胸を撫で下ろし、ベンチの影から出た僕は、涙を浮かべたヘンリエッタと鉢合わせをしてしまう。


 しまった。

 ヘルムート先生をやりすごしたことで油断して、ヘンリエッタのことを忘れていた。


「っ、シオン君」


「ヘンリエッタさん……」


「……恥ずかしいところを見られてしまいましたか」


「ああ、いや……」


「お聞きになった通りですわ。兄とはあまり関係がよくないのです」


「そう、なのか」


「……その、少しお話させていただいても?」


 ヘンリエッタは僕がさっきまで頭を抱えていたベンチに腰を下ろす。

 その動作は優雅で、貴族令嬢としてよく躾けられていることがひと目で分かる。

 一瞬、見知った憧れの少女――ミレーユの影がちらついた。


「隣にお座りになって」


「あ、ああ」


 しかたなく、僕はヘンリエッタの隣に座る。


「どこからお聞きになっていたのでしょうか?」


「少しだけだよ」


「では、私の生まれのことも?」


「……グラナダがどうというのは聞こえてしまった。いや、盗み聞きするつもりはなかったんだけど」


「こんなところで話しているほうが迂闊ですので、しかたありませんわ。兄はゼオン先生が真の勇者になって以来不機嫌だったのですが、その世話役を命じられてますますストレスが昂じているようですわね」


「普段の様子からはそんなふうには見えなかったが……」


「そういう人なんです。反面、身内には厳しくて。いえ、兄からすれば私は身内ではないのかもしれませんが」


「……母親が違う、ということか?」


「貴族にはありがちなことでしょう? 政略結婚、冷え切った夫婦仲、外に愛人を作る夫……」


 たしかにそうだ。

 もっとも、僕の親父が外で愛人を作っていた様子はない。

 いろいろ問題のある父親ではあるが、妻を愛していたという点だけは評価できる。


「わたくしの父の場合、相手も悪かったのですわ。グラナダの踊り子に入れあげて産まれた子どもがわたくし、というわけです」


「君に罪はないじゃないか」


 怒りを込めて、僕は言う。


「まさかとは思うが、僕の兄――ゼオンに近づけと言われているのか?」


「ええ、そうなんですの。自分で言うのもおかしいですが、わたくしの容姿は母譲りの恵まれたものです。この身体でゼオン先生を籠絡し、弱みの一つでも握ってこい――と」


「酷い話だ。実の妹に言うことかよ」


 と言いつつ、僕は心に刺さるものを感じていた。

 双子の兄の追放に両手を挙げて協力したのは誰だったか?

 僕とヘルムートのどこが違うというのだろう?


「お兄さん――ゼオン先生と仲が良くないんですか?」


「……答えづらいことを訊くね」


「すみません、立ち入ったことを訊いてしまって」


「いや……」


 僕はため息を漏らしてから、


「行き違いがあってね。今さら兄弟として振る舞えと言われても難しい。ヘンリエッタさんのところとはまた違う事情だと思うが……」


 気づけば僕は、兄とのあいだにあったことをヘンリエッタに話していた。

 かなりとりとめのない話だったと思うが、ヘンリエッタは馬鹿にせず聞いてくれた。


「ゼオン先生とのあいだには確執があるというわけですわね」


「きょうだいだからって無条件に仲良くできるもんじゃないってことは、僕にはわかる。なんていうか、その……あまり気に病まないほうがいい」


「ふふっ……ありがとうございます。わたくしに気を遣ってくださったのですわね。そんな話しづらいことまで話してくださって」


「え、いや、その……そう、なのかな」


 自分の恥をさらすような話をしてしまったのは、たしかに、泣いていたヘンリエッタを励まそうという意識が働いたからか。


「僕も君に話せたことで少し楽になった気がするよ」


 照れ隠しにつぶやく僕の手に、ヘンリエッタがその手を重ねてきた。

 どくんと、僕の心臓が跳ねた。


「シオン君は……優しい人ですわ。間違ったこともしたかもしれませんけれど、根っから間違っている人ではありません」


「……そんなことはない。僕は他人の痛みのわからない冷たい人間さ」


「冷たい人は弱ってる女の子を励まそうと思ったりしませんわ」


 くすりと笑ってヘンリエッタが言う。


「……その、ですね。誤解しないでほしいのです」


「誤解?」


「兄が言っていたことですわ。踊り子である母はそれは大層浮名を流した方だったそうです。ですがわたくしはそうではなく……ええと、ですから、わたくしはゼオン先生に近づこうとしているものでもなければ、その代わりとして身内のシオン君に目をつけたものでもなく、ですね……」


「あはは。気にしすぎだよ。お互い秘密を握りあってしまったけど、クラスでは普段通りで頼むよ」


「普段通り……そ、そうですわね。ごめんなさい」


「なんで謝るんだよ」


 僕は彼女の手をそっと押しのけて立ち上がる。


「あの兄に後ろ暗いことなんてないだろうけど……ま、常識の範囲内であれば親しくなって人となりを探ってみるくらい構わないんじゃないか? ボロが出ないとわかればそのうちヘルムート先生も諦めるさ」


「そう、ですわね……。ふふっ、わたくしはむしろシオン君に興味が湧いてきましたが」


「僕と親しくしても得があるとは思えないけどね。実際、ここの生徒に比べると、僕はあまりにも未熟で弱いんだから」

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