122 期待

「ふう……すごい熱気だったな」


 勇者たちがプレゼンする講堂のホールから抜け、俺はロビーで一息をつく。

 ヘンリエッタがドリンクコーナーからアイスティーを持ってきてくれた。


「お疲れ様でございます、勇者様」


「そっちこそな、ヘンリエッタさん。でも、勇者様はやめてくれないか?」


 そこら中に「勇者様」がいるこの学院でそう呼ばれるのは気恥ずかしい。


「あなたこそが勇者様なのですから当然かと思いますが。期待を背負うことまで含めて勇者の役割であると学院では教わっておりますわ」


「それは……まあ、そうか」


 気軽なゼオンでありたいと思っても、精霊に認められた勇者となればそうは見てくれない人たちも現れるってことだよな。

 一方的に寄せられた期待にすべて応える必要はないと思うが、応えるべき期待も中にはあるだろう。

 少なくとも、臨時講師の仕事を請けた以上、学院長や生徒の期待に応える義務はあるはずだしな。


「俺なりに自分に期待されてることについては考えてみるよ。だけど、それはそれとして、様を付けられるのはこそばゆくてな。精霊のことはともかくとして、勇者同士なんだから上も下もないだろう。むしろ、俺にとっては君のほうが先輩だ」


「そうですか……」


 と、俺をじっと見つめるヘンリエッタ。

 俺の心の底を探るような感じに思えたが、ほんの数秒のことだった。


「しかたありませんわね。それでしたら、ゼオン様と呼ばせていただきますわね?」


「様もいらないんだが」


「こればかりは譲れませんわ」


「わかったよ、ヘンリエッタさん」


 物腰やわらかに見えて根は頑固っぽいヘンリエッタに、俺は苦笑してうなずいた。


 そこで俺は、ロビーを通りがかる人影の中に、見覚えのある顔を見つけた。


「クランツじゃないか!?」


「えっ……ああああっ! ゼオン様ではありませんか!」


 折り目正しいスーツの似合う銀髪の男が、俺に気づくなり大声を上げた。


「ひさしぶりだな! 元気してたか、クランツ!」


「ゼオン様こそ! ご活躍の旨はクルゼオンにまで届いておりましたよ! この度は勇者へのご就任おめでとうございます!」


「ご就任……でいいのかな?」


「さ、さあ……何分、精霊に認められた真の勇者が誕生することなど歴史上数えるほどしかありませんので」


 と苦笑するクランツ。

 クランツの肩を叩く俺を見ながら、ヘンリエッタが遠慮がちに、


「そちらの方は?」


 と訊いてくる。


「おっと、すまない。彼はクランツ・フォルゼールと言って、クルゼオンの筆頭行政官をやってるんだ」


 俺が父のもとで領主代行をやってた時に、業務に必要なことを教えてくれ、フォローもしてくれたのがこのクランツだ。

 若いが優秀でやる気のある行政官として、クルゼオンでは筆頭行政官の地位にある。

 伯爵家や伯爵領といった貴族周りのことは執事長のトマスが、クルゼオンの都市運営のような行政的なことはクランツたちが、という分担だ。


「はじめまして、ご令嬢。ゼオン様にご紹介いただいた通りですが、クルゼオンで筆頭行政官の任を頂戴しているクランツと申します。今回は所用でアイオロスに参りました折に、こちらのプレゼンテーションにお招きいただきました」


「これはどうもご丁寧に。教導学院生徒会長ヘンリエッタ・ル・マクファディアンでございますわ」


「ほう、学生にして既にいくつもの勇者プロジェクトを成功させている才媛とうかがいましたよ」


「そんな。わたくしなどまだまだですわ。ゼオン様とはやはり旧知のご関係で?」


「ええ。ゼオン様がクルゼオンにいらっしゃる頃には大変お世話になりました」


「いや、世話になったのは俺のほうだと思うけどな」


 まだ十五にもならないガキが領主代行として領政に口を出していたんだからな。


「とんでもない。ゼオン様の呑み込みの早さ、視野の広さは異常でしたよ。もし伯爵家の跡取りでなかったら私の後任に――あああ、すみません、気が利かず」


「気にするな。俺としてはこれはこれでよかったと思ってるんだから」


「それはまあ、そうですよ。ただの一地方領主と真の勇者のどちらになるか選べと言われたら、夢のある男の子ならそれはもちろん勇者のほうを選びます」


「夢のない大人ならどうなんだ?」


「それはもう、安定と実益で領主でしょうね」


「はははっ、だよなぁ。俺も自分で思ってたより夢見がちな子どもだったみたいだ」


「領政にも夢やロマンはあるのですよ? 冒険者の待遇を改善し、貧しい人にパンとポーションが行き渡るように……そんなことを十五にもならない年齢で真剣に考えておられたゼオン様は、立派な夢想家であられます。同時に、それを実現してしまう現実主義者でもあるわけですが」


「いくらなんでも褒めすぎだろ。クランツみたいな優秀な人材がフォローしてくれなければできないことばかりだったよ」


 っと、旧知の相手に思わぬ場所で再会してテンションが上がってしまったな。


「すまない、話に置き去りにしてしまったな、ヘンリエッタさん」


「いえ、お気になさらず。親しい人同士で楽しげに話されているのを見るのは楽しいものですわ。わたくしはどうもそうした雑談が苦手でして」


「そうか? ここまでの案内でもいろいろ話してくれたじゃないか」


「話すことがあれば楽なのですけれどね。何も話題がないところから始める雑談は苦手なのです。社交界ではいつも苦労しておりましたわ」


 たしかに、ヘンリエッタは真面目そうだからな。

 テーマが決まっていればそれについて話せるが、何もテーマがない時に適当に話題を見つけるのが苦手なんだろう。


「趣味とかはないのか?」


「趣味、趣味…………いいえ、これといってありませんわね。しいていえば、勇者を目指す努力すべてが趣味ですわ」


 それは趣味と言うんだろうか。

 いつか燃え尽きないかと心配になってしまうが、それを言えるほど彼女と親しいわけじゃない。


「まあまあ、ゼオン様。勇者を目指される方は皆正義感が強く、真面目な方ばかりですよ。正義と信念のために生きるというのも大変尊敬できる生き方ではありませんか」


 おっと、クランツにフォローさせてしまったか。


「そういえば、クランツ。クルゼオン伯爵領は最近はどうなんだ?」


 話をそらすつもりでそう訊くが、今度はクランツが暗い顔になってしまう。


「いえ、それが……酷いものです。伯爵閣下は以前にもまして教会への傾倒を深めておられて……」


「……そうか」


 ちらりとヘンリエッタを見て言葉を呑み込んだクランツに、俺も顔をしかめて頷くしかない。

 母を亡くして以来、父は新生教会にはまり込んでしまった。

 古代人には「信仰の自由」という概念があったらしいし、俺も人の信仰は尊重したいと思う。

 だが、あきらかに本人にとっても周囲にとっても害があるような場合はどうしたらいいんだろうな?

 古代人になら何かいい知恵があったんだろうか?


 でもまあ、俺は廃嫡された身だからな。

 もう俺は父の「周囲」にカウントされない存在になってしまった。

 父の置かれた状況を変えられるとしたら、今枢機卿選挙で現職のゲオルグ枢機卿を追い落とそうとしてるアカリのほうだ。

 そうなったらそうなったで、ゲオルグ枢機卿に精神的に依存しきった父がどうなってしまうのかと不安ではあるのだが……。


「ゼオン様が領主代行をされていた時代はクルゼオン領政の黄金期でしたよ。もう二度とあのような時代が訪れないのかと思うと、私も他の行政官たちも無念でなりません。勇者となられたのは喜ばしいことですが、これでますますゼオン様のご帰還が遠のいたかと思うと……あああああ!」


「お、落ち着けクランツ。俺が廃嫡された時点でわかってたことだろう」


「す、すみません。ゼオン様を廃嫡するような領主になぜお仕えせねばならないのか、との不満の声もくすぶっているのですよ」


「そこまでの事態になってたとはな……」


 でも、俺にはもうどうしようもないのも事実なんだよな。


「ゼオン様はご出身地でもご期待を背負われていたのですね」


 と、ヘンリエッタが感心したように言ってくる。


「期待か……」


 それがいかに重いものだったか、旅に出てからよくわかった。

 領主になるのが嫌だったわけじゃないが、責任の重い仕事をこなす充実感より、自由に過ごせる気ままさのほうが俺にとっては大事なことだったんだろう。

 それに気づけただけでも、「下限突破」を授かってよかったと思うんだよな。


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