119 学院長からの依頼

 ヘンリエッタの案内でブレイブキャリバーから降りると、そこには一台の馬車が止まっていた。

 馬車に揺られ、アイオロスの街を横切ること十数分で、教導学院の敷地に入った。

 教導学院はアイオロスの北東側の郊外にある。

 その敷地だけでも小さな街くらいの面積があるという。

 校舎、教職員棟、ギムナジウム、野外訓練場、寄宿舎……といった施設の他に、フィールド一つとダンジョン二つを敷地内に持ってるらしい。


「教導学院にはそんなにたくさん生徒がいるのか?」


 勇者の候補生がそんなにたくさんいるというのもおかしいよな。

 Cランクの勇者でも単騎でAランク冒険者に対抗できる、というのが、勇者の戦闘力の相場である。

 たとえ強力なギフトに恵まれたとしても、戦闘力をその領域まで高めるのは並大抵のことじゃない。

 勇者には能力だけじゃなく人格だって必要だしな。


「正直に申し上げて、生徒数は限られておりますわ。恵まれた環境を十分に活用できているとは言い難いですわね。やはり、勇者になりうる素質の持ち主は限られておりますから」


 ヘンリエッタの口ぶりには、自分がその一人であることへの自負を感じるな。


「ヘンリエッタさんはそんな中で生徒会長をしてるんだよな」


「わたくしのことはどうぞヘンリエッタとお呼びください、ゼオン様」


「そういうわけにもいかないんだが」


 ここまでの雑談で彼女が俺より二つ歳上なこともわかったし、彼女はとある国の貴族でもある。

 クルゼオン伯爵家を廃嫡された俺は身分的には平民で、貴族に気安い口を叩くのはトラブルのもとだ。

 へりくだるつもりはないが、丁寧な言葉づかいを心がけるくらいの配慮はしたい。


「学院に外の身分を持ち込むのはご法度なのですわ。学院内では、王侯貴族であろうと平民であろうと、ただその者の実績のみで評価される……というのが建前となっています」


「建前……なのか?」


「いくら説いて聞かせたところで外の権力を振りかざす生徒はいるものですわ。しかし、わたくしは生徒会長として生徒に範を示さねばなりません」


 ヘンリエッタの実家は今は子爵になってるんだったか。

 子爵は貴族の中では低位のほうだから、相手が王侯貴族の子弟となると抑えるのは大変だろう。


「苦労してるんだな」


「いえ、これしきのことで苦労など。初代勇者レム様は、商人の出自であるにもかかわらず、必要とあらば各国の王族を説き伏せて味方につけたという話です。勇者たらんとするものがこの程度の試練で挫けるわけにはまいりません」


 決然たる口調だが……どこか無理をしてるようにも感じるな。

 「哭する者」はむやみに使わないようにしてるんだが、今の言葉にわずかに涙の気配を感じてしまった。

 「試練」なんて言葉を口にするのはそれだけ苦労があるってことなんだろう。


 かける言葉を探していたところで、馬車がゆっくりと停車した。


「学院長塔に到着しましたわ。お足元にお気をつけください」


 ヘンリエッタに従って馬車を降りる。

 馬車が止まっていたのは、オベリスクのような天を衝く建物の前だった。

 ブレイブキャリバーの刀身レールユニットを支えていたオベリスクと似ているが、あれよりも一回り大きく、何より「中身」がある。

 外光を反射するクリスタルの尖塔のような代物だ。


『こんなの、どうやって造ったんでしょう?』


 レミィが姿を隠したまま、俺と同じ感想を念話で漏らす。


「学院長塔、ね」


 学院長「棟」かと思ったが、「塔」なんだな。


「こちらですわ」


 ヘンリエッタの案内で塔の中に入る。

 入ってすぐのところは天井の高い吹き抜けで、すぐに受付らしきものがある。

 ヘンリエッタが受付にいた女性に学生証を示すと、女性は机の裏側にある何かを操作する。


「では、参りましょう」


 そう言ってヘンリエッタは俺を奥の扉の前につれていく。

 円筒形のチューブについた扉の横のボタンを押すと、円筒形のチューブの中を、上からカゴのようなものが降りてきた。


「昇降機か」


 一部のダンジョンや遺跡にあるというレアな設備だ。


「さあ、どうぞ」


 ヘンリエッタに続き、昇降機に乗る。


『わ、わ、床が動いてますよぉ~』


「うぉっ」


 ふわりとした浮遊感に、俺も思わず身構えてしまった。


「ふふっ。わたくしも初めて乗った時は驚きましたわ」


「便利なものがあるんだな」


「魔王城のバリア発生装置の一部を流用した設備なのだそうです。魔王海を囲んで六芒星を描く地点に、これと同じような塔が合計六つあったということです。現存するのはその半数のみですが」


 ヘンリエッタの解説を聞くうちに、昇降機がチューブを昇って吹き抜けの天井を通り抜ける。

 しばし暗闇の中を上昇したかと思うと、また透明なチューブの中に出て、さらに昇ってから別のフロアに到着した。

 いったいどのくらいの高さを昇ったのやら。


 チューブから出ると、そこは一フロアぶち抜きの部屋だった。

 四方の壁は一面が継ぎ目のないガラスのようなもので覆われており、魔王海やアイオロスの街並みが見下ろせる。

 ブレイブキャリバーの展望台より高い地点にあるようだ。


 その広すぎるスペースに、大きな一枚板の机がある。

 机の前に座っていた白髪の女性が立ち上がり、机を回って俺たちのほうへやってくる。


 白髪の女性、と言ったが、高齢の女性というわけじゃない。

 小柄な身体を腰まで覆う豊かな髪には艶があり、光の加減によっては銀髪に見えるだろう。

 女性の顔立ちは人間離れして整っているが、見た感じでは年齢は俺より若そうに見える。つまり、十代前半くらいの印象だ。

 にもかかわらず、女性にははっきりとした威厳があった。年端のいかない少女という印象はない。

 何より、人の心を見透かすような真紅の瞳。

 見た目に反して、俺は「明確に歳上」と感じていた。


「おお、ヘンリエッタよ。ご苦労じゃったな」


 と、年寄りじみた口調で女性がヘンリエッタをねぎらった。


「いえ、大変光栄な役割をいただき、感謝しておりますわ」


「うむ。大儀であった」


「ゼオン様、これで失礼させていただきますね」


 ヘンリエッタが最後に俺に一礼して、昇降機に乗って帰っていく。


 そして俺は、癖のありすぎる女性と二人きりで残された。


「ええと、あなたがこの学院の学院長……でいいのか?」


「さようじゃ。おっと、まだ挨拶もしておらなんだの。わしは『真紅』のフレデリカ。学院長にして勇者、ついでに長い刻を生きてきた吸血鬼でもある」


「き、吸血鬼……!?」


「ふふっ、そう身構えるでない。相手の同意もなくいきなり襲いかかって血を吸ったりはせんからの」


「同意があれば吸うのかよ」


「おお? 同意してくれるのかの? 精霊に認められし勇者の血の味にはたしかに興味があるの」


 そう言っていたずらっぽくにいっと笑うフレデリカ。

 その口元から鋭い犬歯がちらりと見えた。


「同意するわけないだろ……。本当に吸血鬼なんてものがいたんだな」


「ほう、吸血鬼について知っておるのかえ?」


「人の血を吸って生気を得ることで長い時を生き続ける種族、と。ただ、血の味に魅入られてしまうと見境なく人を襲うこともあるとか」


「残念ながら、それは事実じゃの。もちろん、『堕ちて』しまうのは、修行の足りぬ未熟な吸血鬼に限られた話じゃ。本来は『吸血族』とでも名乗るべきなのであろうが、自戒の念を込めて『鬼』の一字を使って『吸血鬼』と名乗ることにしておる」


「魔女狩りの時代には迫害されたとも聞くが」


「あれは酷い時代じゃったの。レムによって討たれた魔王が人間の中に転生している――どこからか発生した出所不明の流言が広まって、人間たちのあいだに集団ヒステリーが起こってしまった。それを煽り立てたのが新生教会と勇者連盟よ」


「勇者連盟も?」


「なんの不思議があろう? 魔王の魂を討ち漏らしたとあらば、勇者連盟の失態に他ならぬ。魔王憎しで団結しておる連盟が、転生者狩りの先頭に立ったのは自然の流れであったのじゃ」


「少しでも不思議な力を持つやつがいると、魔王の転生者ではないかと疑われて拷問にかけられたり、自白を強要されて火炙りにされたりしたらしいな」


「たしかに、あの時代に吸血鬼はその数を大きく減らしたのじゃ。眷属たちが拷問にかけられ、無惨な姿で街にさらされるのを見た時の気持ちが、おぬしにはわかるかの?」


 フレデリカの真紅の瞳を見た途端、彼女の心のうちに蘇った鮮烈な悲しみが、無念が、憎悪が伝わってきた。

 あまりにも強い悲しみに、「哭する者」が俺の制御を超えて反応してしまったのだ。


「くっ……」


 俺は頭を抑え、しゃがみこむ。


『ま、マスター!?』


「安心せよ。わしは何もしておらぬ。きつい追体験をさせてしまったかの。すまぬ、不用意であった」


「ちょっと待ってくれ。『安心せよ』って言ったな? 誰に向かって言ったんだ?」


 レミィは今、姿を隠している。

 レミィが俺を心配した声も、きちんと念話になってたはずだ。


「おお、そうじゃった。そこな、姿を隠しておる妖精よ。わしにはそなたの姿が見えておるし、念話を傍受することもできておる。隠れていては話しづらいゆえ、差し支えなければ隠形を解くと良い」


『ええっ、今のあたしが見えるんですかぁ!?』


 それは驚きだな。


「レミィ。いいと思うぞ」


『マスターがそう言うんでしたら……えいっ』


 レミィがその場でくるりと回った――はずだ。

 俺からは回転の終わり際で姿が見え始めてからしか見えてないけどな。


「おお、めんこい妖精じゃの。精霊に認められたばかりか、妖精にも認められておるとはの。『涙の勇者』よ、おぬしは善良で裏表がなく、正義感に溢れた稀有な若者であるということじゃろう。誇ってよいぞ。この学院にもそなたほど気性のまっすぐな勇者はおらぬ。過去に見た本物の勇者の中でも上出来の部類であろう」


「過去に本物の勇者を見ただって?」


「『暗渠』以来じゃの。水の大精霊は壮健じゃったか?」


「壮健……とは言い難いか」


 俺はネルフェリアでの出来事をかいつまんでフレデリカに説明する。


「ふうむ……そのような事態になっておったとはのう。おぬし、よくその状況で生きておられたの」


「それは俺もそう思う……」


 七霊獣キマイラ・スルベロのステータスは洒落になってなかった。

 なにせ、全能力値が99。

 INTはそれすら超越して255だったからな。

 その上、「全属性吸収」に「物理反射」。

 合成された各霊獣の能力を不完全ながら受け継いでもいたようだし。

 無理な合成がたたって七つの頭のあいだの意思疎通が不完全だったのが唯一の救いだった。


 今後、スルベロと同じかそれ以上の敵と遭遇したらどうするのか?

 一応だが、現時点で可能な対策は見つけた。

 この一ヶ月、僻地を巡っての冒険者稼業を利用して、その効果のほども検証済みだ。


 だがまあ、その話はまたあとでにしよう。

 今はフレデリカの話を聞くのが優先だ。


「それで、学院長。俺をこうして呼び出したのは何の用件だったんだ?」


 単に勇者の顔を見たいというミーハーな願望ではないだろう。


 俺の質問に、フレデリカはひとつうなずいてこう答えた。


「いやなに。おぬしにこの学院の臨時講師になってもらえないかと思っての」

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