118 剣閃

「はわぁ~! すっごく遠くまで見えますね!」


 ブレイブキャリバーの展望台で、レミィがはしゃぐ。


「たしかに壮観だな」


 地上三十七メテルというブレイブキャリバーの展望台からは遠くの地平線までもがはっきり見える。


 ブレイブキャリバーがその「剣先」を向けている方には、波のない魔王海を挟んで巨大なギォグェネス魔晶塊。

 やはりいちばん目を引くのは魔晶塊だが、他の方角の眺めもすばらしい。


 魔王海の北側には「漆黒の森」が広がり、その向こうには雪をかぶった峻険な山嶺。

 同じ山でもゼルバニア火山とは真逆の氷雪に閉ざされた「樹氷山脈」は、かつて魔王の腹心である四天魔将ケダルクスが守っていたとされる。


 樹氷山脈はいまでも通行が難しい。

 俺とレミィは樹氷山脈を迂回してアイオロスの北、東、南東へと回り込み、南東側の「ケルゲスの丘」を越えてアイオロス入りを果たした。

 レミィにはウォーミングヴェールの能力がありはするが、樹氷山脈の冷気に対しては不十分だ。踏破には本格的な耐寒装備が必要になる。

 そこまで準備をしても、峻険すぎて通行に時間がかかり、あまり近道にもならないらしい。

 氷や吹雪、冷気を操るモンスターに対し、俺の凍蝕の魔剣シャフロゥヅは相性が悪いだろうし、爆裂石を投げたら雪崩が起きるかもしれないよな。


 ケルゲスの丘にはかつて魔王軍の大規模な野営地があったというが、今ではのどかな草原になっており、放牧なんかも行われている。

 放牧といっても、モンスターの出るフィールドではあるから、放牧されてるのはモンスターの血を引くとされる戦闘力のある家畜である。

 かつて魔王城があったこのあたりは出現モンスターのレベルが高く、一般市民であっても幼少期からレベルを上げていることがほとんどだ。


 他の方角に比べ、アイオロスの西側と南側は開けている。

 遠くに霞む地平線は、西側はわずかに丸く、南側は平坦だ。

 地平線については、昔から学者による議論がある。

 東西の地平線は丸く見えるのに、南北の地平線が平行なのはなぜか、というものだ。

 この事実から推測されるこの世界の「形状」は驚くべきものだ。

 この世界はトーラス構造――平たく言えばドーナツのような形をしてるってことになるらしい。

 世界の北端が南端に繋がっていると考えないと、南北の地平線が歪まないことが説明できないというのだ。

 だが、今のところ実際にそれを確かめるすべはない。

 それこそ、空飛ぶ船を持っていたとされる初代勇者なら実体験として知っていたのかもしれないが……。


 街を回ってから来たので、既に陽は傾きかけている。

 ブレイブキャリバーの展望台は、剣を縦に割ったような形状のレールユニットの付け根にある、積層魔導砲の上にある。

 観光客用にフェンスで囲われ、レールユニットの上には立ち入れない。


 だが、そのレールユニットの先のほうに、何かが見える。


「ん……?」


 俺は「イーグルアイ」のスキルでレールユニットの先のほうに目を凝らす。


 「イーグルアイ」はスルベロ戦後に手に入れたスキルだ。

 七霊獣キマイラ・スルベロのもとになった霊獣の一体が鷲だった。

 「イーグルアイ」のスキルはおそらくその霊獣由来のものだろう。

 その能力は視力の強化というシンプルなものだが、シンプルなだけに便利なスキルだ。


 常人の視力では影しか見えないくらいの大きさだが、それはあきらかに人影だった。

 よりにもよってレールユニットの最先端のあたりに立ち、ギォグェネス魔晶塊のほうを向いて一心に剣を振っている。


「誰かと戦っているのか……? いや、違うな」


 成人の儀を受ける前、幼い頃には俺も剣術を習わされた。

 スキルではない一般的な意味での剣術にも、護身術や体力作り、戦い方の基礎を学ぶという意義はある。

 貴族はギフトを授かる前にレベルを上げたりスキルを覚えたりしないようにするものだが、成人の儀までの十五年間に何も教育をしないのはもったいない。

 スキルを覚えてしまうほどではないが、一定の訓練にはなるようなレベルで、貴族の子弟が武術を学ぶのはよくあることだ。


 だから、わかる。


「素振り……だな」


 レールユニットの先端にいる人影は、一心に剣を振っていた。

 よく見ると、人影は短めの黒髪の少女である。

 街中でも見かけた教導学院の制服――ブレザーにプリーツスカートという格好だ。

 やや反りのある細身のロングソードのような剣を、虚空に向かって振るっている。


 一般に素振りと言われる訓練については、効果が薄いと言われている。

 スキルはモンスターとの実戦「経験」によって成長するものだ。

 モンスターとの戦い以外の形の訓練でスキルが成長することはない。

 それこそ、貴族の子弟の手習い程度なら意味はあるが、実戦を想定した訓練としてはほとんど意味がないとされている。


 肩にかからないくらいの黒髪が美しい少女は、俺と同じくらいの年齢だろう。

 貴族なら成人の儀を済ませてギフトを手に入れている年頃で、素振りをやるような年齢じゃない。

 逆に貴族じゃないとするなら、貴族の手習いのような訓練をやっている意味がわからない。


 つまり、口さがない言い方をすれば、少女は「無駄なことをやっている」のだ。


 でも、


「なんだろう。ものすごく洗練されてるな」


 少女の動きには無駄らしい無駄がなく、見ていて感動すら覚えるほどだ。

 それこそ、剣技系スキルの上位スキルや剣術系ギフトの持ち主が振るう剣のような、はっと胸を打つ何かが宿っている。


「マスター、あの人を見てるんですかぁ?」


 レミィが小さな手で額にひさしを作りながら訊いてくる。


「遠いけど、見えるか?」


「妖精は目がいいですから、なんとか見えますよぉ。剣のことはよくわからないですけど、すごいですね! 見るからにキマってますぅ~。マスターの振る剣とはものが違いますね!」


「悪かったな、へっぽこ剣術で」


「そ、そこまでは言ってないじゃないですかぁ」


「でもまあ、たしかに俺の『中級剣術』と比べると雲泥の差だ」


 「中級剣術」だって、それがあれば前衛職として食っていけるくらいのスキルではあるんだけどな。

 少女の剣は、迷いの森の最奥で見たリコリスの「上級剣術」と比べても、さらに洗練されてるような気がするな。


 それだけに、今更素振りをしてる理由がわからない。

 それも、あんな危なっかしい立ち入り禁止の場所で、だ。


 縦に斬り、斬り返し、攻撃をかわしてカウンターを。

 バク宙しながら牽制の一閃、着地際に逆袈裟に斬り上げる。

 それを、足場の悪いレールユニットの先端付近で平然とやっている。

 もし足を滑らせれば地上まで真っ逆さまに落ちるだろう。

 この高さではいくらレベルが高かったとしても死ぬかもしれない。


「涙の気配がするな……」


 少女の顔は張り詰めていた。

 遠いから感じづらいが、その横顔に涙を感じる。

 だが、かわいそうとは思わなかった。

 代わりに浮かんだのは、美しいという言葉だ。


 彼女は、剣で悲しみを斬っている。

 迷いを断ち切ろうとしている。

 悲しみを切り捨てた数だけ強くなれると信じて。


「すごいな……俺もあんな剣を振ってみたい」


「ですねぇ。悲しげなのに、目が離せなくなっちゃいますよぉ~」


 俺とレミィは、しばし彼女の姿に見惚れていた。


 だから、後ろから近づく気配に気づかなかった。


「もし、涙の勇者ゼオン・フィン・クルゼオン様とお見受けいたしますが?」


 声に振り返ると、そこには制服姿の少女がいた。


 年齢的には、剣の少女と同じくらいか、一つ二つ歳上か。

 要するに俺と大差ない年齢だ。


 声をかけてきた少女は剣の少女と同じ制服を着ているが、受ける印象はがらっと違う。

 切ない美しさを感じさせる剣の少女とは打って変わって、目の前の少女は瀟洒な貴族令嬢のような佇まいだ。


 ブロンドと亜麻色の中間くらいの髪には緩いウェーブがかかり、顔の左右には縦ロール。

 目はぱっちりしていてまつげが長い。

 鼻梁がすっと通っていて、美少女というよりは美人というほうがしっくりくる。

 自分への誇りや自負心を感じさせるが、傲慢さは感じない。

 そう感じるのは、エメラルドの目に宿っているのが俺への尊敬の色だからかもしれないな。


「いや、ただのゼオンだよ」


 と、彼女の問いかけに答える俺。

 彼女の言葉から、彼女は俺のことを「涙の勇者」だと知っている。

 人づてに俺のことを聞いてるってことだろう。

 俺のことを尊敬のまなざしで見てきてるのもそのせいか。


 俺のことをかつてのフルネームで呼んだのは、べつに当てこすりでもなんでもなく、単に丁寧に接しようとしたからだろうな。

 他国であるシュナイゼン王国の、そのまた辺境にある伯爵家の家内事情までは詳しく聞かされてなかったんだろう。


「失礼致しました、ゼオン様」


 何か事情があることを察したか、ややばつが悪そうに彼女が言う。


「真の勇者様にお目通りできて光栄でございます。わたくしは勇者連盟教導学院で生徒会長をさせていただいておりますヘンリエッタ・ル・マクファディアンと申します」


「マクファディアンというと、ノルスムンド王国の侯爵の?」


「我が家のことをご存知とは驚きましたわ。シュナイゼンとはアイオロスを挟んで大陸の反対側でございますのに」


「各国の主要な貴族家の名前くらいは知ってるよ。さすがにノルスムンドとなると詳しいことまでは知らないが」


「では、ひとつ訂正を。マクファディアンが侯爵であったのは過日のこと。今ではしがない子爵家にすぎませんわ」


「そうか。ひょっとして失礼なことを言ってしまったか」


「いえ、わたくしこそ先ほどは失礼を。家名とはかかわりなく勇者として、あるいは一人の人としてありたいというゼオン様の高潔なお志を察することができず……」


「ああいや……そういうんじゃなくて、俺は単に実家から廃嫡されてるんだよ」


「そ、そうでしたか……重ね重ね失礼を」


「気にしないでくれ。俺の知識不足と合わせてチャラってことで。それで、俺に何か用だったんじゃないか?」


「そうでしたわ。ゼオン様。我が校の学院長がゼオン様をお呼びです。どうか一緒に来ていただけないでしょうか? もちろん、ご都合が悪ければ日時を改めさせていただきますが」


「学院長さんが? 用件については?」


「直接お話になりたいと……」


「ふむ……」


 もともとアイオロスに来た目的は、勇者連盟に顔をつないで魔族についての情報を得ることだった。

 勇者連盟の勇者養成機関である教導学院の学院長ともなれば、連盟の中でも重要人物の一人と言っていい。

 こちらから接触する前に声をかけてくれたのは手間が省けたとも言えるよな。

 もちろん、向こうにどんな意図があるかはわからないが……。


「せっかく声をかけてもらったんだ。すぐに会おう。案内を頼んでいいか?」


「もちろんですわ。そのためにわたくしが参ったのですもの」


 と、わずかに胸を張るヘンリエッタ。

 大きな胸が誇張されて目のやり場に困る俺。

 ヘンリエッタは学院の生徒会長だと名乗ったな。

 ひょっとすると、本物の勇者を案内する「大任」を任され、緊張してやってきたのかもしれない。


 ちなみに、レミィはヘンリエッタが声をかけてきた時点で空気を読んで姿を隠してくれている。


 俺はブレイブキャリバーの展望台を降りる前に、最後にもう一度レールユニットのほうを振り返る。


 沈みゆく夕陽を受けながら、少女の振るう剣閃が、わずかに青い光を虚空に刻む。 


 少女は、スピンからの見事な横薙ぎを放ち終えると、そのままの姿勢で短く残心。


 ゆっくりと振り返った少女の目が、彼女を見ていた俺を見る。


 彼女の側から俺の顔がはっきり見えたとは思えないが、俺が見ていたことには気づかれたようだ。


「ゼオン様?」


「ああ、いや。すぐ行くよ」


 少女には気づかなかったヘンリエッタの後に続き、俺はブレイブキャリバーを後にした。

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