117 シルヴァリオンに乾杯

 ブレイブキャリバー発射によってできた運河クリークに沿って、アイオロスでは大陸最大規模の金融街が広がっている。

 大陸でアイオロスといえば、勇者の街である以上に、交易の街であり、それ以上に金融の街として有名だ。

 金融関係者のあいだで「クリーク」といえば、このアイオロスの金融街と、そこを根城とする海千山千の金融機関のことを指す。


「初代勇者様の造った街が、お金を貸す人たちの街になっちゃったんですかぁ?」


 と訊いてくるレミィは、たぶんそもそも「金融」って言葉に馴染みがないんだろうな。


「金融の役割はいろいろあるけど、まずは為替だな。大陸を股にかけた商売をしようとすると、現金の輸送をどうするかって問題に直面するんだ」


「ええっと、たくさんの金貨や銀貨を運ぶのは大変だってことですかぁ?」


「物理的にも大変だし、盗賊に襲われるリスクもある。護衛に冒険者を雇えば、その分の費用もかさんでくる」


「ああ、マスターも商人の護衛のお仕事を受けてましたよねぇ」


「冒険者にとっては割のいい仕事だよな。護衛がいるってだけで盗賊は襲ってきづらくなるから、実質的には商人と一緒に街から街へ移動するだけみたいなもんだ」


「でも、商人さんからすると微妙ですね~。もとはといえば盗賊が悪いのに、お金を払うのは自分たちなんですからぁ~」


「まったくその通りだな。実際、この地にアイオロスを築くことになった時にも、資金の輸送コストが問題になったんだ。そこで、初代勇者レム・ラザルフォードはそれまでにない画期的なシステムを考案した」


「勇者様が、ですかぁ?」


「ああ。勇者レムはもともとは別の勇者パーティ付きの商人だったんだが、そのパーティを追放されてな。のちに自分自身が勇者になったという数奇な運命の持ち主なんだ」


 勇者レムは古代人の生まれ変わりだった、という伝説もある。

 もしそれがアカリのように古代人の意識や知識を受け継いでいるという意味だったら、レムの着想は神代由来のものかもしれない。


「なんだかマスターと似てますね~」


「たしかにな」


 実家を追放されて勇者になった俺の経歴は、レムとかぶると言えなくもない。


「レムがやったのは単純なことだ。勇者の御用商人にお金を預けると、勇者印の預り証を受け取ることができる。その預り証を別の都市に持っていくと、そこで現金に交換してもらえるんだ」


「なるほど~。金貨や銀貨じゃなくて紙きれなら持ち運ぶには便利ですね~。でも、どうして勇者じゃないといけなかったんですかぁ?」


「その時代は人間にとっての暗黒時代だったからな。手形を踏み倒されないことを国を越えて保証できるのが勇者しかいなかったんだ」


 他にも、アイオロスが金融の中心地になったのにはいくつもの理由がある。


 勇者レムは魔王討伐に必要となる膨大な資産を持っていた。

 討伐前には魔王討伐のために、討伐後には余った資産の有効活用のために、資産運用の大きなニーズがあったのだ。


 レムは投資を集めるための株式という仕組みを各国の王に認めさせ、アイオロスに証券取引所を設置した。


「ブレイブキャリバーの建設は一大プロジェクトだったからな。大陸中から金と資材と優秀な職人たちを集める必要があった。自然と金の流れの大動脈がアイオロスを中心に形成されることになったんだ」


「はへぇ~。すごいですねぇ。勇者ってそんなことまでやるものなんですかぁ」


「いや、普通はそんなことまではやらないさ。レムだって必要に迫られてやったんだろう」


 レミィの頭がパンクしそうなのでこれ以上は説明しないが、レムの業績は他にもある。

 その中で最もよく知られてるのは、やはり通貨「レム」のことだろう。

 そもそも現在この大陸で流通している「レム」という貨幣を造ったのもレムなのだ。


 元々この世界には、世界の・・・用意した「通貨」があった。


 「シルヴァリオン」っていうんだが……今ではほとんどのやつが知らないだろう。


 冒険者なら、ステータス画面の片隅に、「$ 0」とだけ書かれた謎のウィンドウがあるのを知ってるはずだ。

 これは「所持しているシルヴァリオンの額は0ですよ」という意味の表示なんだが、冒険者の中には「古代人のおまじないだ」なんてしたり顔で言ってるやつも多いんだよな。


 要するに、この世界にはもともとシルヴァリオンという通貨があったのだが、それがいつしかまったく流通しなくなってしまったのだ。

 理由は学者たちにも完全にはわかってないらしいんだが、もっともらしい仮説はある。

 この世界の人口の増加に対してシルヴァリオンの流通量がまったく追いつかず、人々がシルヴァリオンを商取引に使わなくなって、地域ごとに貨幣代わりの商品やアイテムで取り引きをするようになった、という仮説だ。

 ある地域では金属が、ある地域では貝殻が、ある地域では使途不明のドロップアイテムが、ある地域ではタバコのような嗜好品が、それぞれ不足するシルヴァリオの代わりに流通していた。

 そのいずれもが痛し痒しの状態で、大陸のどこでも使える共通貨幣は、通貨レムが生まれる以前にはなかったのだ。


 勇者レムは、勇者としての圧倒的な信用とコネと資産とを使って、通貨レムを発行した。

 「レム貨幣をクリークの両替商に持ち込むと勇者の資産と交換できる」と約束して。

 具体的には、勇者が持て余していた各種ポーションなどのアイテムや鉱石などの素材アイテムだ。

 勇者はこれらのアイテムを倉庫に山のように積み上げていたという。

 要するに、勇者の資産を裏打ちにして貨幣に信用力を持たせたというわけだ。

 もちろん、実際にレムを勇者の資産と交換しろと求めるものはほとんどなく、通貨レムで他のものを買ったり売ったりするだけなんだけどな。


 かくして、大陸の通貨はレムとなり、その後シルヴァリオンはまったく流通しなくなってしまった。

 シルヴァリオンがその名残りを残すのは、ステータス画面の片隅に浮いた悲しくなるようなポップアップだけである。


 なお、シルヴァリオンは、持ち物リストのアイテム同様「取り出す」ことができたらしい。

 アイテムでない通貨レムは持ち物リストにしまえないから、その点ではシルヴァリオンのほうが便利ではある。

 もしシルヴァリオンが十分な量流通していれば、金貨銀貨の輸送の問題もなく、アイオロスで金融技術が発達することもなかっただろう。


「って、待てよ」


 シルヴァリオンの残高は0だから、普通なら「取り出す」ことはできない。

 だが、俺の「下限突破」なら?


「やってみるか。……おお、できた!」


 俺の手の中に、一枚の白銀色の貨幣が現れた。

 貨幣はある種の貝のような光沢があり、しかもガラスのように透過している。

 見た目は薄い氷のようで、力を込めたら割れそうに見えるが、指で挟んでみてもびくともしない。

 無駄を完全に削ぎ落としたデザインは、貨幣というよりカジノのチップを思わせる。

 材質が完全に謎なので、いくらデザインがシンプルでも偽造することはできないだろう。

 通貨レムが偽造防止のためにごてごてと複雑な刻印を施されてるのと比べると、シルヴァリオンのほうが未来的で洗練された印象だ。


 もっとも、レムだって先端技術の塊ではある。

 神魔大戦の際には大陸中から一流の職人や錬金術師たちをこの街に集めて伝説の武具を作った。

 贋金が作れない貨幣レムはその副産物とも言われてる。


 俺がしげしげと失われたシルヴァリオン貨幣に見入っていると、


「なんですかぁ、それ?」


「いや、レムが現れる前に存在した貨幣を取り出すことができたんだけどな」


 だからどうだって話だよな。

 「下限突破」を使えば取り出せるんじゃないかと思いついて試しただけだ。

 眺めているだけで歴史的なロマンが満たされるものの、流通していないお金を無限に取り出せたところで意味はない。


「っていうか、マイナス個数で取り出してるんだから、たぶん受け取りを拒否されるんだろうな」


 一瞬、貴重な古代の貨幣を売りに出せばマニアが高く買ってくれるのではないかと思ったんだが、マイナス個数で取り出したアイテムは買い取りを拒否されるからな。


 ……ふと思ったんだが、この「しまえる」ことこそがシルヴァリオンが流通しなくなった原因なんじゃないか?

 持ち物リストにしまっているアイテムは、持ち主が死亡すると消えてしまう。

 シルヴァリオンの残高も同じだとすると、シルヴァリオンを持っている人が死ぬたびに、その人が持っていたシルヴァリオンはどこへともなく消えてしまう。

 となると、時間の経過とともにこの世界に存在するシルヴァリオンの量が減っていき、ほどなくして絶対的な貨幣不足に陥るだろう。

 これはひょっとすると、古代人の想定しなかった虫食いバグの一種なのかもしれないな。 


 論文にでも仕立てて発表したらおもしろそうな話だが、俺はあいにく冒険者であって学者ではない。


「他にも、勇者に投資して冒険の成果から利益を還元する勇者ファンドなんかはここでしか見られない事業形態だろうな。教導学院の学生たちの中にも、勇者プロジェクトを起こして出資者を集める起業勇者がいるらしい」


 レアドロップアイテムの先物取引みたいな投機性の高い「投資」もあると聞いている。


 かつては魔王に挑むものたちが最後に立ち寄る街だったが、現在魔王領は消滅している。

 勇者連盟はいまだに魔王は存在するとの立場だが、おのれの存在意義を守るためのポジショントークだろうという見方もある。

 ともあれ、魔王なき後のアイオロスは、勇者という広告塔を擁した金融都市として発展してきたというわけだ。


 って、そういえば……。


 魔王はいないが、魔族はいる。

 少なくとも俺は、ロドゥイエとネゲイラという二体の魔族と遭遇した。

 魔王がおらず、魔王城も魔王領もないのであれば、奴らはどこを拠点にしてるんだ?

 初代魔王の目的は世界を滅ぼすことだったと言われるが、そんなことをして魔王にどんな得があったのだろう?

 いや、そもそも世界を滅ぼすとはどういうことなのか?

 この世界が古代人の作った仮想の遊戯空間だとするなら、その空間そのものを滅ぼすような「遊び」というのは考えづらい。

 単に生きている人間を全滅させたいということなのか?

 それとも、すべての人間を奴隷にしたいということか?

 だとしたら、魔王は歴史上に何人か存在する大陸の覇権を求めた覇王たちと何が違うのか?


 このあたりのことも、勇者の都であるここアイオロスでなら誰かに聞けるかもしれないよな。


 小難しい話が続いたからだろう、レミィは頭でも痛そうに眉間を押さえながら、


「な、なんかよくわかりませんけど、勇者って、だいぶイメージと違うんですね~」


「お伽噺の勇者とは違うよな。レムが勇者になった時に、元商人ということで舐められて、王様がわずかな資金しかくれなかった……なんてことがあったらしい。そのせいで、レムは金策にも奔走することになったんだ」


「魔王討伐にもお金がかかるってわけですね~。世知辛いお話ですぅ~」


「難しい話はこんなとこにして、最大の観光名所に行ってみるか」


「最大の観光名所、ですかぁ?」


「ああ。あれだよ、あれ」


 俺は振り返って、街を覆うように聳えるブレイブキャリバーの刀身レールユニットを指さした。


「あの上、登れるようになってるんだ」

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