114(???視点)取り引き

 クルゼオンに戻ってクルゼオン伯爵の「懺悔」に付き合う前に、ゲオルグ枢機卿はとある場所に寄り道をしていた。


 ポドル草原にある「下限突破ダンジョン」である。


 ごく少数の供の者のみを連れ、枢機卿は下限突破ダンジョンに進入した。


 ダンジョンが出来た当初はゴブリンソルジャーを始めとする強力なモンスターの巣になっていたというが、いまではモンスターの出現頻度そのものが少ないようだ。


 あの空前規模のスタンピードで力を使い果たしたのだろう、というのがギルドの公式見解らしい。


 連れてきた供の者は、枢機卿に心酔する狂信的な聖堂騎士だ。

 彼らはまれに出くわすゴブリンソルジャーを危なげもなく屠っていく。


 さして時間もかからずに、枢機卿はダンジョンの最奥――ダンジョンボス部屋へとやってきた。


 そこには、先客がいた。


「はあい、破戒の枢機卿さん。お元気してたかしら? あら、顔色がよくないわね? ひょっとして選挙で負けそうになってるとか?」


「黙れ、淫婦。それより、なぜこんな面倒な場所に呼び出した」


 ゲオルグ枢機卿が唾を吐きながらそう言った。

 その言葉の相手は、露出過多な赤いドレスを身にまとった、青紫の肌の魔性の女。

 ゼオンが、シオンが、あるいはベルナルドがこの場にいれば、あっ、と叫んだことだろう。

 下限突破ダンジョンのボス部屋で枢機卿を待ち受けていたのは、あの女魔族ネゲイラだった。


「だって、人間の街には障壁があって、魔族は中に入れないんだもの」


「街の基層、今の街並みの地中に埋まる古代人の史跡のさらに下にあるという古代人の超巨大魔法陣のことか」


「ロドゥイエならちょっとごまかすくらいのことはできたんだけど、あいにく彼以上の魔導技術の持ち主は魔族にも希少よ。研究職ながら四天王と呼ばれていただけはあるわ。ま、死んじゃったんだけどね」


「魔族が死ぬのは私としては構わんがな。で、あれはなんだ?」


 枢機卿が目で示したのは、ボス部屋の奥、土埃の漂う床の上に現れた、闇色の大きな渦巻きのことだ。


「あれは、ダンジョンの最下層への『道』ね」


「最下層――ここがそうではないのか?」


「詳しいことはわからないけれど、一部のダンジョンには条件を満たしたものしか入ることの許されないさらなる下層があるそうよ。あれが開いているのは……おそらくだけど、例の『下限突破』くんのせいでしょうね」


「ダンジョンの階層数の下限を突破した……とでも?」


 ゼオンとシオンの成人の儀を執り行った神官は、ゲオルグの息のかかった神官だ。

 その神官からゼオンとシオンのギフトの詳細は聞き出している。

 そればかりか、教会に伝わる秘儀を使い、二人のギフトを入れ替えたのはゲオルグだ。


 ……失敗だったかもしれんな。


 ゲオルグも認めざるをえない。


 元の託宣通り、ゼオンに「上限突破」を、シオンに「下限突破」を授けていれば、今のような事態にはなっていない。

 ゼオンはレベルを上限まで引き上げるまでのあいだ、「上限突破」を有用に使うことはできなかっただろう。

 ところが、ゼオンが「下限突破」を手に入れたことで、彼は短時日で魔族を倒し、スタンピードボスを単騎で撃破するほどの力を手に入れてしまった。

 さらには、樹都ネルフェリアの危機を救い、水の精霊に認められて「涙の勇者」にまでなっている。


「そうとしか考えられないわね。シオンくんの『上限突破』は、ダンジョンにおけるモンスターの出現数の上限を突破させ、人為的にスタンピードを起こすことができた。ゼオンくんの『下限突破』の影響でこのダンジョンに『さらなる下層』が生まれたとしてもおかしくはない」


「まさかとは思うが、私とともにさらなる下層とやらを探索しろと言うのではないだろうな?」


「まさか。単に待ち合わせに便利だったからよ」


 と、ネゲイラは言うが、それだけではないだろう。

 この「さらなる下層」への入口を見せることで、ゼオンの危険性を強調したかったに違いない。


「廃嫡された貴族のボンボンに何ができる――そう思っていたのだがな。いい加減目障りだ。そちらの手のものを使って消してくれないか? そのほうが暗殺と疑われにくい」


「うふふ。暗殺と疑われにくいなんて、後付けの理由でしょう? あなた、手駒がなくなってきているのね? それでとうとう、私みたいな魔族の力を当てにし始めたってわけ。言っておくけど、この先は破滅への下り坂よ。教会の唱える天国には行けなくなるわ」


「どのみちそんなものは存在しない。あるのは予約番号だけだ。何度死んでもまた生まれ直す。擬似的な不死を手に入れるためなら私はなんだってする」


「そうねえ。さすがに真の勇者にまでなられてしまうと、私たちとしても放置はしておけないわ。個人的にはもうちょっと育ててから収穫したいところだったのだけれど、私にも上はいるからね」


「おまえの上、か……訊かぬほうがいいのだろうな」


 ゲオルグは腕を抱き、身震いを見せないように身体を固めた。


「でも、私だってあなたには不満があるのよ? 私たちが融通した、将来ギフトを持つ遊戯者プレイヤー属性の人間の子どもたち。洗脳して暗殺者にするってことだったけど、ずいぶんと遺漏が多いみたいじゃない?」


「リコリスとリコリナのことならば――」


「そっちじゃなくて。聖女アカリ・フローライトのことよ」


「……それは」


「選挙で勝てないなら、実力でどうにかしてくれないかしら? まさか、彼女を殺すのにまで魔族の力を借りたいなんて言わないわよね?」


「できるものなら既にやっている。魔道具を借り受けることはできんか?」


「何言ってるのよ。こないだ貸した凍蝕の魔剣シャフロゥヅはゼオン君に奪われてしまったと聞いてるわよ?」


「ぐっ……」


「とんでもないへまをしてくれたものね。私としては、協力者はべつにあなたじゃなくてもいいのよ。あなたが特別欲にまみれていて教会の中で便利なポジションにいるから使ってあげてるだけ。使えないなら他に行くわ」


「ま、待て! 方法はまだある!」


「へえ? どういう?」


「勇者を使う。いるのだ。金さえ積めばどんな汚い仕事でもするという者が。その者にゼオンを襲わせよう。だから、聖女のほうはそちらで頼む」


「考えておくわ。でも、覚えておくことね。もしあなたがやりそこなえば、こちらの協力はそれまでよ。あなたは聖女に選挙で敗れ、特権を失ったあなたは、数々の不正を追求され、獄舎に繋がれることになる。いえ、それで済めばましなほうでしょうね。怒り狂った市民に取り囲まれてリンチされちゃうかも。私もあなたの無能さには呆れ始めてきたところだから、あなたを群衆に引き渡したくなっちゃうかもしれないわ」


「くそっ、淫婦めが……!」


「その淫婦と取り引きをしようっていうんだから、あなたは私の客と同じ。自分を差し置いて娼婦に説教したがるのは、地位のある男性のよくない癖ね。本当に嫌われるからやめたほうがいいわよ?」


「うるさい! 私がおまえなどを買うものか!」


「私もちょっと、あなたを誘惑するのは嫌よね。独りよがりな行為をされそうだもの。せいぜい、金で囲っている情婦たちと愛のないセックスを楽しむことね。破滅してしまっては、そんな楽しみすら味わえなくなってしまうのだから」


 そう言われれ、ぎくりとするゲオルグ。

 教会の聖職者に妻帯は認められていない。

 だが、情婦を囲っている聖職者は、教会の本庁に行けばそれこそ吐いて捨てるほどいる。

 彼らが自分の「甥」だと称する者を自分の後継者に推すことも珍しいことではない。


「それとも、私に誘惑されたい? 気持ちいいわよ? それまで何十年もかけて積み上げてきた地位や信用を一夜にして失うのは……うふふふ」


「っ! 失礼させてもらう」


 ゲオルグは踵を返し、振り返ることなくダンジョンの来た道を戻っていく。


「あら、奥には脱出ゲートが――」


 ネゲイラが言ってくるが、ゲオルグは振り返らなかった。

 怖かったのだ。

 あの女が気を替えて、ゲオルグを骨抜きにし、己が積み上げてきた何もかもを台無しにするよう迫るのが。

 あるいは、おのれのうちに秘められているかもしれない破滅願望に向き合うのが。


「私は奪い、手に入れる側の人間だ。奪われ、失う側の人間ではない。私は私の持てるものを何一つとしてなくしたくない。もちろん、この命もだ。『死』などという馬鹿げた決まりに従ってなるものか。生きるぞ、私は永遠の生を手に入れるのだ」


 一見勇ましいその言葉に反して、ゲオルグの声は震えていた。





―――――

【告知】

本作『下限突破』第一巻が本日発売となってます!

今回は文庫ですので、単行本よりずっとお求めやすい価格になってます。

シリーズを長く継続していくためにも、ぜひご購入いただいて応援していただければと思います。

なお、メロンブックス様では特典書き下ろしSSがある他、売り場ではGA文庫の新刊キャンペーンもやっているそうです。お近くの方はぜひ!

どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m

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