111(???視点)説得

 枢機卿選挙のための巡回から戻ってきたゲオルグ枢機卿を、伯爵は自身の執務室で出迎えた。

 執務室には老執事トマスも壁際で存在感を消して控えている。


「おお、枢機卿。巡回の感触はいかに?」


「芳しくはないな。あの悪魔に魅入られた聖女は手強い」


「民衆に枢機卿の徳の高さがわかるはずもない。見栄えの良い若い娘になびくのは愚かな民衆にはありがちなことだ。まったく、酒場の踊り子の人気投票ではないのだぞ」


「司祭から聞きましたぞ。私が不在の間、伯爵を不安にさせてしまったようで、大変申し訳無い。我が徳の至らなさを神に懺悔しなければなりませぬ」


「い、いや、その……」


「責めているのではありませぬ。時に不安に襲われるのは、それだけ深く神のことを信じておられる証拠だ。その不安を受け止めるのも聖職者の務め。礼拝堂詰めの司祭は別の者と交代させておきました。不安に駆られた子羊を落ち着かせることもできぬようでは、神の牧者の役目は果たせませぬ」


「……ご親切痛み入る」


 もちろん、ゲオルグには計算があってしたことだ。

 利用価値のある伯爵を、一時的な錯乱を責めたてて敵に回すことはしたくない。

 むしろ、このことを借りと思わせることで、伯爵はなおのこと自分に頭が上がらなくなる。


 それに、伯爵のやったことは、新生教会ではまれに起こることでもある。

 神は信徒に直接お言葉を垂れ給わない。

 自らの祈りが通じているかと不安になるのは、未熟な信仰者にはありがちなことだ。

 結局、神は言葉など持っていない。

 ただ黙して人々の――時に身勝手な――祈りを聞いてくれるだけなのだ。

 そのことに心の平安を見出だせるか否かは、神ではなく祈る側の問題だろう。


 ただし、とゲオルグは思った。


 この世界に、神はいる。


 少なくとも、神と呼んで差し支えないような超越的な存在はたしかにいる。


 そのことを、枢機卿たるゲオルグは知っていた。


 神に認められ、予約番号を手に入れて、来世でよりよい素質やギフトを授かり、よりよい国・よりよい家庭・よりよい両親のもとに生まれ、絶対的な地位を手に入れて、誰もが羨むような酒池肉林の生活を送りたい――

 それが、ゲオルグ枢機卿という俗物の願ってやまないことである。


 そのためになら、神の名のもとに他人を騙し、陥れることなどなんでもない。


 だが、ゲオルグのその夢は、ここにきて破れはじめている。


 の天使の中でも筆頭と言える実力者であるリコリス・リコリナ姉妹を差し向けたにもかかわらず、「下限突破」のゼオンを始末することはできなかった。

 ばかりか、ゼオンは勇者として認められてしまった。

 さらには、ゼオンは自分を殺そうとしたはずのリコリス・リコリナの罪を赦し、アカリ直属のシスターにしてしまった。

 ゲオルグは幾度となくアカリ暗殺のためにの天使や雇われの暗殺者を差し向けたが、そのいずれもが返り討ちに遭っている。

 リコリス、リコリナの実力はもちろん、聖女アカリ自身も脱走したの天使であり、こと暗殺という点において、これほどに厄介な相手はいなかった。


 その上、アカリのバックには、ゲオルグの政敵である他の有力な枢機卿と、何よりこの国の王女であるミレーユがついている。


「生意気な小娘どもが……!」


 伯爵の前であることを忘れて、ゲオルグは憎々しげにつぶやいた。


 そこで、執務室の扉を叩く音がした。


 伯爵は壁際のトマスに視線を送った。トマスは会釈して扉に向かい、


「どなた様ですか? ただいま来客中となっておりますが」


「トマスか? 僕だ、シオンだ。父上にお話したいことがある。時間をもらえないだろうか?」


 トマスはその言葉を受けて伯爵に目で問いかける。


「重要な話をしておるのだ。出直せ」


 と、伯爵は扉に向かって不機嫌に言う。


「重要な話というのは、ゲオルグ枢機卿との密談でしょう。次期領主候補の嫡男である僕と一介の枢機卿と……どちらの話が重要なんです?」


「貴様!」


 と叫んだのはゲオルグだ。


「短い話です。枢機卿が同席しても構わない。話を聞いてもらえませんか?」


「……しかたないな。手短に済ませろよ」


「ありがとうございます」


 シオンは扉が開かれるのを待たず、自分で扉を開いて入室した。


「ここに、『古豪』の勇者ベルナルドがしたためてくれた推薦状があります」


「推薦状だと?」


「ええ、勇都アイオロスにある勇者養成機関・教導学院。その留学生になるための推薦状です」


「学院だと? おまえには領の仕事があるではないか。まだ半人前のくせに学院で遊んできたいとは何事だ!」


「教導学院には遊びに行くのではありません」


「ならば本気で勇者になるつもりか? どうせクルゼオン伯爵家を継ぐのだから、勇者など一時の腰掛けだけで十分だ。魔王のおらん時代に何を好き好んで強力なモンスターと命がけの戦いをせねばならん? おまえには貴族の嫡男としての自覚が足らんようだな。……まったく、ハズレギフトなどに領主教育をするのではなかった。これも神が私に与え給うた試練なのか」


 神のせいだって? 単に僕のことをないがしろにしたツケが回ってきただけだろう、とシオンは思うが、もちろんそれを口には出さなかった。


「シオン殿。若いあなたが勇者という英雄に憧れるのは自然なことではありましょう。しかし、あなたはその危険や欺瞞を本当の意味では知らないのだ。このクルゼオンの次期領主としての務めに精進することこそ、神があなたに下された道なのではありませんかな? 人は、置かれた場所で咲くべきなのです」


 聖職者らしい口調を取り繕って、ゲオルグがシオンにそう言った。


「失礼だが、枢機卿。僕はあなたの意見など聞いていない。これは父である伯爵とその嫡男である僕との話し合いだ。分を弁えろ」


 シオンの激しい言葉に、ゲオルグの額に青筋が浮いた。


「分を弁えるのはあなたではありませんかな? 嫡男とはいえ、あなたはまだ何者でもないのですよ」


「僕には勇者ベルナルドからの推薦状がある」


「ベルナルド? ふっ、たかだかBランクの勇者ではありませんか。私は教皇猊下に直接お仕えすることを許された枢機卿。霊的な格が違うのですよ」


「僕はあんたの霊的な格とやらも、教皇の権威とやらも疑わしいと思ってるんでね。権威をかさにきて人に言うことを聞かせたがるような連中の徳が高いとはとてもじゃないが思えない。置かれた場所で咲けだって? そう言ってあんたらは人々の不満に蓋をして、権力者の仕事をやりやすくしてるにすぎないんだ」


「貴様……口を慎め!」


「ふん、おまえらはいつもそうだ。都合が悪くなると口を慎め。権威と威圧で自分の無能を隠そうとする。まともに話しては自分の底の浅さが割れると思ってるんだろう……僕も同じかも知れないが」


 シオンのセリフの最後は、二人には届かない独り言のようだった。


「シオン! いい加減にしろ! 聖者としてこの世で最も尊い仕事に身を捧げられておる枢機卿になんたる言い草だ! わしは断じておまえのアイオロス行きなど認めんぞ!」


「認めてもらおうなんて話はしていない。推薦状があるんだ。僕は僕の意思でアイオロスに向かう。ここに来たのはこれまで育ててくれた義理があるからだ」


「貴様もわしを捨てて出ていくというのか……あのハズレギフトのように」


「捨てて? いや、僕は次期伯爵の地位から降りるつもりはないよ。他に嫡子はいないわけだしね。っていうか、兄さ……ゼオンがあなたを捨てたんじゃなく、あなたがゼオンを追放したんだろう。追放しておいてわしを捨てるのかというのは矛盾している」


「うるさい! あいつは昔からわしのことを内心で馬鹿にしておった! おまえもそうだ! どうしてあの優しい妻から生まれた息子二人が、揃いも揃ってわしを蔑ろにしておるのだ! おまえらにわしの血が流れているとはどうしても思えぬ!」


「……母上はあなたを愛していましたよ。僕らが至らなかったとしても、母の忠節を疑うのはおやめください、父上」


「う……わ、わかっておるわ、そんなこと」


 そこで執務室に沈黙が落ちた。


 その沈黙を破ったのは、意外にも壁際に控えていたトマスだった。


「よいのではありませんかな?」


「なんだと?」


「今、クルゼオンはごたついております。シオン様は将来の領主ではありますが、だからこそ、今の状況で矢面に立つのは避けるべきかと」


「……なぜだ?」


「シオン様の評判を今から傷つけてしまうのは得策ではありません。一度避難させると思って学院に行かせては? 教導学院ならば箔も付きましょう」


「む……」


「教導学院には王侯貴族や有力商人の子弟、名を知られた勇者などが集まっていると聞き及んでおります。中には適齢の女性もおりましょう。シオン殿はギフトに恵まれ、所作は洗練されておりますし、何より美少年とお呼びしてよい美貌の持ち主でもあります」


「ふむ、シオンの結婚相手は中央の貴族の令嬢からと思っておったが……」


「いや、僕は結婚は……」


 と抗議しようとするシオンだが、言葉は続かない。

 貴族である以上、結婚は事実上の義務である。

 シオンがミレーユに恋慕の念を抱いていても、他によい相手がいれば結婚を断るのは難しい。

 ミレーユとのあいだに婚約があれば断れるが、現状ミレーユと婚約が結べる見込みは皆無である。


「そういうことならば、まあよいか。留学生ならば、何年も向こうに留まるわけでもあるまい」


「学期ごとに試験があり、落ちればそこで終わりということです。留学生の身分では、さらに特別な推薦が得られない限り、最高でも三学期――一年までしか在学が認められません」


「ふむ。四ヶ月から長くても一年か」


「在学期間の長さは学院での成績のよさを証明するものとして……その、結婚などの際にもアピール材料になるものと聞いています」


 と、説得のために心にも無いことを言うシオン。


「まあ、よかろう。たしかに、今のクルゼオンで次期伯爵としてシオンを売り込もうにも、時期が悪い。悪評を被るのはわしだけで十分だ。シオンも一度しでかしてはいるが、あの程度のことならば冷却期間を置けば民はすぐに忘れるだろう。他国の王侯貴族や大商人とつてができるならばなおよいな」


 伯爵は自分を納得させるように言葉を並べてから、


「――わかった。行くがよい、シオン。クルゼオンの家名に泥を塗らぬよう励んでこい」


「はい! 父上のご期待に沿えるよう頑張ります!」


 シオンは深々と頭を下げて礼を言うと、しっかりした足取りで執務室を出ていった。

 その背中をゲオルグが憎々しげに睨んでいることには気づかずに――

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