110(???視点)黒いお茶会

 ミレーユが滞在しているのは、領都クルゼオン旧市街にあるとある貴族の屋敷である。

 クルゼオン伯爵の家臣筋のその貴族は、現在王都で法務関係の要職に就いており、家族とともに王都を中心に生活している。

 クルゼオンに屋敷を残してはいるものの、ハウスキープのための人員を除いてはほとんど利用していないのが実態だ。

 最初はクルゼオン伯爵の屋敷の離れに寓居していたミレーユだが、いつまでも伯爵に負担をかけられないと断って、新たに借り上げたこの屋敷へと移っていた。


 もちろん、そんな理由は表面上のことだ。

 ミレーユは、ゲオルグ枢機卿の追い落としを図る聖女アカリの後援者である。

 伯爵と枢機卿の関係を考えれば、ミレーユは伯爵の「政敵」と言っても過言ではない。

 もっとも、ミレーユは当初、嫌がらせ兼情報収集の目的で、そのまま伯爵邸に居座ってやろうかとも思っていた。

 「婚約者」であるゼオンの実家にミレーユが逗留することの何が悪いのか? クルゼオン伯爵は婚約者に会いに来た健気な王女を追い返すつもりか?――などと開き直って。

 だが、身辺の警護を務める騎士や身の回りの世話をする女官たちが、屋敷のあまりの空気の悪さにどうか別の場所を見つけてほしいと泣きついてきた。


 そこで、王都で付き合いのあったその貴族の屋敷を借り受けることを思いついたというわけだ。

 貴族としても、住んでいないのに維持費だけはかかる屋敷を、王族が借りてくれるというのだから文句はない。


 その屋敷の中庭で、ミレーユは客人を招いて優雅にお茶会を開いていた。


「いやー、思った以上に参ってるみたいだね!」


 スコーンを頬張りながら上機嫌でそう言った客人は、もちろんアカリである。

 今日のお茶会には他にもゲストが来る予定だが、今のところはミレーユとアカリの二人だけだ。


「伯爵のことですか? それとも、枢機卿のことですか?」


「どっちもだけど、あたしの担当は枢機卿だからね」


「彼は民から批判されるのに慣れていないのでしょうね。自分は神の代理人だ、自分の言葉は神の言葉だ、というお考えの方ですから」


 くすりと笑ってミレーユが言った。


「そそ。枢機卿は神の声を民衆に伝えるのが仕事。でも、ゲオルグは民衆の声なんて聞く必要はないと思ってるみたいだからねー」


 と言って、アカリが肩をすくめる。


「『民の声は神の声に似たり』とアカリはいつも言ってますね。よい言葉だと思うわ」


「神のお言葉にすがるのは、信仰者としては間違ったことじゃないよ。でも、自分たちで解決できることを解決せずに神頼みにするのは違うでしょ、ってね」


「その自分たちで解決できることというのが、ゲオルグ枢機卿の腐敗を糺すことね」


「そもそも、民の選挙によって選ばれたことが枢機卿の地位の源泉なんだからさ。民の声を聞かなくていいわけがないんだよ。枢機卿っていうのは、神様と民衆のあいだに挟まる中間管理職みたいなもんなんだって」


「アカリは本当に身も蓋もない表現をするわね……」


 いつもふざけているような態度の友人だが、アカリの洞察力にははっとさせられることが多い。

 幼い頃から聡明で知られるミレーユにとって、アカリは話のレベルの合う得難い話し相手なのだ。

 一国の王女を前にしても遠慮がないのもありがたい。


「ゼオンくんに応援してもらえばもっと楽に勝てると思うんだけど……まあ、あまりゼオンくん頼みになりすぎるのも、ね」


 たとえば、ゼオンがゲオルグ枢機卿の差し向けた暗殺者に殺されかけたと証言すれば、枢機卿の失脚はほとんど確実だ。

 いまや勇者となったゼオンの証言を疑うものは少ないだろう。

 ゼオンがクルゼオンの街をスタンピードから救ったのも記憶に新しいところである。


 だが、ミレーユからすれば、


「こんなことでゼオン様の手を煩わせるわけにはいきません。ゼオン様に来ていただければ心強いですが、ゼオン様はそのままクルゼオン伯爵の地位に押し込められてしまうでしょう」


「伯爵に『押し込められる』っていうのもどうかと思うけど。伯爵になれると聞いたら喜ぶのが普通じゃない?」


「ゼオン様は普通ではありませんから。シオンならば喜ぶかもしれませんね」


 苦笑交じりのミレーユの言葉に、アカリが小さく首を振る。


「いや、最近のシオンくんはそうでもないかもよ? いろいろ心境の変化があったみたい。ミレーユが好きなんでしょ、彼? 誰かさんのために頑張ってるんじゃないの?」


「あれを愛情と呼んでいいものか、わかりませんね。幸せだった時代への執着を私で満たそうとされてはたまりませんわ」


「まあ、ちょっとストーカー気質だよね。思い詰めるとどう暴発するかわからないから、注意はしたほうがいいと思うけど……」


「そのあたりは抜かりありません」


「そ、そう……なんか怖いから聞かないでおくけど」


「アカリだって身辺の護衛をつけているではないですか。……ほら、また・・やってまいりましたよ?」


 と言って、ミレーユは中庭の裏のほうに目をやった。


 そこからやってきたのは、小柄な黒髪の少女が二人。

 シスターが身にまとう紺色の修道服を着ている。

 元は樹都ネルフェリアで冒険者ギルドの職員をしていた双子の姉妹で、その正体はゲオルグ枢機卿の抱える暗殺者組織「の天使」の一員だ。

 名前はリコリス、リコリナと聞いている。


 リコリスとリコリナは、ネルフェリアではゼオンの暗殺を図ったという。

 一度ならず殺されかけたにもかかわらず、ゼオンは二人の事情に同情して二人をアカリに預けることに同意してくれた。 

 今では聖女付きのシスターに扮して――というより、実際に聖女付きのシスターの職に就きながら、影ではアカリの護衛やゲオルグ枢機卿の監視もこなしているらしい。

 アカリ自身もの天使だったことがあるから、二人との連携は取りやすいと言っていた。


 だが、やってきたのがその二人だけなら、取り立てて騒ぐことはなかった。

 ミレーユにとっても既に顔なじみの二人である。


 ただ、その二人のうちの片割れ――リコリナが引き摺っている「もの」には注目せざるをえない。


「アカリ様。しかるべく処理しておきました」


 リコリスが慇懃に告げると同時に、リコリナが引き摺ってきた「もの」を転がした。

 縄で拘束され、頭にずた袋をかぶせられた黒ずくめの男だ。

 さすがに死んではいないようだが、抵抗の意思を完全になくしているのはまちがいない。


「うん、お疲れ様」


「また刺客ですか。アカリも人気者ですね」


「いやー、困っちゃうよね。もう人材も少ないだろうに、凝りもせずに暗殺者を送ってくれちゃってまあ……」


「焦っているのでしょうね。しかし、の天使も無尽蔵にいるわけではないでしょう?」


「腕利きの暗殺者がそんな簡単に育てられるなら苦労はないからねー。教会の施設とはいえ、規模が大きくなればそれだけバレやすくなるわけだし。そもそもそんなに大人数がほしいわけでもないだろうから、そろそろ品切れなんじゃないかなぁ」


 アカリの言葉にはリコリスが、


「たしかに、刺客の質が落ちているような気がします。今回の男など、金で雇われただけの捨て駒のようですし」


「助かるよ。二人がいてくれてよかった」


「いえ、アカリ様ならば、一人でもどうとでもなったのではありませんか?」


「そう簡単にやられるつもりはないけど、一人だとどうしても隙があるだろうからね。助かってるのは本当だよ。ありがとね、ふたりとも」


 アカリの言葉に、リコリスとリコリナが笑みを浮かべて一礼する。


 そこに、さらなる客人がやってきた。


「ミレーユ殿下……これはいったい?」


 中庭にやってくるなりそう言ったのは、はちみつ色のショートが特徴的な二十歳くらいの若い女性だ。

 その後ろには、ぶかっとしたローブをまとった小柄な少女がいる。

 若い女性は平然と、少女は眼鏡の奥の目を驚きに見開いて、庭に転がされた不審者を見つめている。


 ミレーユが立ち上がり、二人の客人を席へと招く。


「ミラさん、シャノンさん。ようこそいらっしゃいました」

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