109(???視点)迷悟
領都クルゼオンの新市街では、群衆がシュプレヒコールを上げていた。
「俺たちの税金をポーション投機に使ったことを釈明しろ!」
「クルゼオンを壟断しようとするゲオルグ枢機卿を追放しろ!」
「ゼオン様の廃嫡を撤回しろ!」
新市街に住む冒険者や一般市民が中心だが、中には騎士団の末端に属する下級騎士や貴族の使用人の一部までもが混じっているらしい。
彼らはありあわせの布に「X」と書いた手製の旗を掲げながら、新市街の大通りを練り歩いているという。
屋敷の執務室でその報告を受けた現クルゼオン伯爵ゴッドフィルド――ゼオンの父――は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「押さえつけろ」
有無を言わさず騎士団長にそう告げる伯爵だが、
「厳しいかと」
騎士団長は首を振る。
「ふざけるな。いくら昂っているとはいえ、力もない群衆など、剣を抜いて脅せば肝を冷やして逃げ出すだろう」
「一時の昂ぶりでこのような行動に出たわけではないのです。とくに冒険者たちは、納得の行く釈明が得られるまで、領主の出した依頼をボイコットする、と申しております。徴税の現場でも、市民や商人たちから徴税人が面罵されることが頻発しております」
「面罵されようがなんだろうが、取るべき税は取ればよい。それは領主の正当な権利だ。逆らうというなら収監すればよいだろう」
「むろん、彼らとてそれはわかっております。ただ、一般の取引でこれまでは領主様がお相手だからと何かと融通を利かせたり優先したりしてくれていたことが後回しにされるなど、細かな抵抗が積み重なって行政効率が落ちています」
「そのような些事をいちいちわしに報告するな」
「は。しかし、冒険者はどうなさいます? 冒険者によるボイコットが本当に起きれば、領の治安を預かる身として管理責任を問われましょう」
「……その口ぶりでは、おまえもデモ寄りの心境のようだな」
「い、いえ、そのようなことは……」
「もうよい、下がれ!」
怒鳴りつけると、騎士団長はむっつり黙って慇懃に礼をすると、足音高く執務室から出ていった。
「おのれぇぇぇっ!」
怒りに任せて振るわれた伯爵の腕が、執務机に積まれたものを薙ぎ払う。
相当派手な音がしたはずだが、隣室にいるはずの秘書官が飛んでくることはない。
この程度、最近は慣れっこになり、ただ肩を小さくして伯爵の怒りが収まるのを待つだけだ。
一方、自分が散らかしたものを見て、伯爵はさらに頭が沸騰した。
「くそ、くそ、くそぉぉぉっ!」
手負いの獣のようなうめきを漏らしながら、床に這いつくばってものを拾う。
その姿は自分でも惨めに思えたが、人を呼んで片付けさせるのも惨めである。
「悪魔どもめがぁぁぁっ!」
シュナイゼン王国における貴族の身分は軽くない。
貴族と平民の身分の別は画然と分けられており、平民が貴族に逆らうことなどありえない。
ましてや、貴族の
だが、それにも例外がある。
「デモ」だ。
デモというのは古代語で、今の言葉では他にぴったりとくる言葉がない。
デモとは、人を集めて権力者に対し平和的に要望を訴えること、とされる。
武装と暴力を禁じ、ただ人の集まりと言葉だけを使って、権力者に民衆の願いを訴えるという行為である。
もちろん、デモが民衆の権利とされているわけではない。
ただ集まって要望を訴えているだけであれば取り締まりの名分がないというだけのことだ。
それですら、権力者の機嫌次第では弾圧を受けることもある。
デモに参加する側には、当然かなりのリスクが存在する。
伯爵も日頃から痛感することだが、民衆というのは為政者からは見えづらい存在だ。
たしかにそこにいるはずなのに、個々人だけを見ていては全体像がつかめない。
クルゼオンは貴族と平民とで居住区も分かれているからなおさらだ。
伯爵の前では平伏して愛想笑いを浮かべる民たちも、伯爵の姿のないところで集まれば、平然と伯爵の資質のなさをあげつらう。
その
自分に笑みを見せていたはずの者が、裏では彼を嘲笑う。
自分を罠にかけ、恥をかかせようと企みを巡らせる。
伯爵は自分でも自覚している。
自分は人の思考の裏が読めるほど頭が切れるわけではないし、人の秘められた気持ちを察するような感受性があるわけでもない。
ものの考え方は単純で、他人の悪意を察知できずに騙される。
古代人がこの世界に持ち込んだ寓話に「裸の王様」というものがあるが、自分はまさにその通りの人物だと思っている。
なにかと聡い息子――ゼオンでなくとも、そんなことくらい自分でもわかっている。
だから、馬鹿にされることが許せない。
それが行き過ぎて、他人の批判を受け入れるだけの度量がない。
逆に、馬鹿にされたくないと思うあまりに、他人の
誰もが自分を馬鹿にする中で、妻だけが違った。
政略結婚だったはずだが、妻は不出来な自分への不満などおくびにも見せなかった。
妻の前でだけは、自分の至らなさを素直に認めることができた。
耳に痛い批判も、心を切り刻む誹謗中傷も、妻だけはわかってくれると思えば乗り切れた。
だが、妻は死んでしまった。
散らばったものをかき集めながら、伯爵はデモの群衆を思い浮かべる。
「あいつらは、違う」
平和的に訴えるといえば聞こえはいいが、その実、数の暴力を見せつけることで、自分たちの言い分を呑まなければただではおかないぞと脅しているだけではないか。
デモの中に多数の冒険者が混じっているのがその証拠だ。
「わしを脅そうというのか……国王陛下にこの地の領主として封じられたこのわしを!」
すぐにでも騎士団を差し向けて鎮圧し、誰がこの街の主かを思い知らせてやりたい。
だが、その騎士団の連中が頼りにならない。
騎士の一部がデモに私服で参加しているというし、そうでない騎士たちもデモに心の内では賛同している。
どの街でも冒険者と騎士は仲が悪いというのが相場だが、このクルゼオンでは――いや、ごく最近のこのクルゼオンでは、その相場が通用しない。
二ヶ月ほど前に発生したスタンピード。
あの時に、騎士たちは冒険者どもとともに街を守ってモンスターの大群と戦った。
本来ありえないはずの共闘を経験したことで、騎士たちと冒険者どもの意識が変わった。
最近では冒険者に誘われてパーティに入った騎士もいるし、その逆もいる。
いざというときに冒険者と協力して戦える体制を日頃から作っておくべきではないか――そんな議論も出てくるほどだ。
冒険者どもに共感を覚える騎士たちは、強硬な弾圧になんのかんのと理由をつけて抵抗するにちがいない。
伯爵の命令で無理やり鎮圧させたとしても、「私たちも仕事なのでわかってくださいよ」などと平民どもに言いながら、ポーズだけつけるのは目に見えている。
悪くすれば、領民を虐げる領主には従えぬなどと真っ向から反発してくるおそれすらあった。
騎士たちの剣によって自分の首が刎ね飛ばされる光景を想像してしまい、伯爵は大きな身体をぶるりと震わせた。
「わしの優しさを弱さと見てつけ上がりおって……! やはり人など信用できぬ! 信用できるのは神だけだ!」
妻なき今、自分を理解してくれるのは黙して何も語らぬ神だけだと、伯爵は思っていた。
どいつもこいつも自分の都合ばかり声高に主張して、自分の気持ちなどわかろうともしてくれない。
自分にも痛む心があるということすら気づかずに、ただ伯爵を責め、すべては伯爵が悪いかのような空気を作って締め上げる。
「もうこんなことはたくさんだ!」
騎士だけではない。
冒険者の中にも、追放されたゼオンのシンパは数多い。
クルゼオンの街を襲ったスタンピードでの活躍はもちろんのこと、その後世界アナウンスで勇者となったことが通知され、Aランク冒険者にも認定された。
冒険者にとっては早くも憧れの存在となりつつあるし、それは騎士たちにとっても同じことだ。
正義を守る立場の騎士にとって、その究極とも言える真の勇者になったことは計り知れない衝撃があった。
その真の勇者がクルゼオン出身者――それも、伯爵家の血を引く人間だったのだからなおさらだ。
冒険者はもちろん、騎士たちも伯爵に見つからないところではゼオンを言葉を尽くして称賛している。
デモ隊が掲げる手製の旗に書かれた「X」の文字がその証拠だ。
Xは、
Xeonこそが領主にふさわしいと、あのデモ隊は暗に――いや、あからさまに言っているのだ。
彼らは、街を救った英雄を、精霊に認められた本物の勇者を旗印に掲げた「ゼオンなきゼオン派」なのである。
「もし今、あいつがクルゼオンに戻ってきたら……」
伯爵はぞっとした。
ゼオンがいないからこそ、あの旗印は象徴の意味しか持たずに済んでいる。
デモのシンボルマークとして使われているだけだ。
だが、そこに本物が戻ってきたら……?
平和的なデモは、追放された息子を首魁とする武力によるクーデターに変貌しかねない。
しかも、その首魁は精霊に認められた本物の勇者なのだ。
伯爵とて、シュナイゼン王国の国王によってその地位を認められた存在だが、百年以上昔に出現したきりだった真の勇者が相手となると、どちらの正統性が上かはわからない。
いや、正統性など問題ではない。
勇者としての力がいかほどのものかはわからないが、それでも領の騎士では太刀打ちできないほどの力を持っているのは確実だろう。
単純な武力においても、伯爵を排除できるだけの実力はあると思うべきだ。
むろん、伯爵とて無策でいたわけではない。
協力者であるゲオルグ枢機卿は新生教会の信徒組織を利用して火消しをはかってくれていた。
だが、その枢機卿自身が今度は槍玉に挙げられている。
枢機卿占拠でゲオルグの追い落としを図る聖女アカリ・フローライト。
さらには、アカリを陰ながら支援するこの国の王女ミレーユ・アグリア・シュナイゼン。
年端もいかぬ小娘二人によって、ゲオルグは数々のスキャンダルを暴かれ、教会内部でも立場を失いつつあるらしい。
「馬鹿な……あいつはハズレギフトのはずだ。神が認めぬものが勇者に選ばれることなどあってはならん。ありえないはずだ……」
反面、当たりギフトを引き、神の恩寵を授かったはずのシオンは頼りない。
貴族のあいだでも、街でも、シオンの評判は地に落ちたままと言っていい。
結果から見れば、どう見ても有能なのはゼオンのほうだ。
民衆が支持するのも圧倒的にゼオンのほうだ。
スタンピードから街を救い、魔族に囚われたシオンを救い、精霊に勇者と認められたのは、ゼオンのほうだ。
この国の王女であるミレーユは、いまだにゼオンが自分の婚約者だと言い張っている……シオンではなく。
「私が間違っていたのか……? いや、馬鹿な!」
神は絶対だ。
聖者でない自分に神のお声を直接聞くことはできないが、代わりに枢機卿が聞いてくれている。
ゼオンはハズレ、シオンは当たり。
それが神のご意思なのだ!
だが、どうしても一抹の不安がこみ上げてくる。
「おお、神よ……!」
伯爵は集めたものを再び投げ出すと、執務室の扉を撥ね飛ばすように開いて、廊下へと駆け出した。
執務室から礼拝堂まではすぐだ。
礼拝堂の近くにわざわざ執務室を移したのだから。
礼拝堂には誰もいなかった。
枢機卿は選挙対策で教区内の街や村を飛び回っている。
礼拝堂を管理する司祭やシスターもたまたま留守のようだった。
いつもなら枢機卿に神への取り成しを頼むところだった。
だが、枢機卿はあいにくいない。
伯爵は神像に向かってしゃがみこみ、両手を組んで祈りを捧げる。
「おお、神よ! どうか哀れな子羊にお言葉を! 肯定であれ、否定であれよいのです! ああ、迷うのは嫌だ! 騙されるのは嫌だ! 責められるのは嫌だ! 身の置きどころがない! どうか、どうかわしに魂の安寧を!」
「伯爵!? 何をされているのですか!」
飛び込んできたのは礼拝堂の司祭だった。
「異端です! 俗人の身で神に直接繋がろうとするなど不遜の極み! 神は俗人の言葉に答えることはありませぬ! 魂を悪魔に乗っ取られますぞ!」
「うるさい、おまえとて神に繋がることができぬ身分ではないか!」
「枢機卿のお帰りをお待ち下さい! 神のお言葉と悪魔の囁きを区別できるのは、神に直接繋がることのできる教皇猊下と枢機卿のみ! おわかりでしょう!」
「神の言葉でも悪魔の囁きでも構わぬ! 枢機卿の嘘偽りであったとしても構わない! わしを迷わせるな! 悩ませてくれるな! 間違っていてもいいから、何も疑わずにいられる強さをわしにくれ!」
「お引き取りください! 礼拝堂で悪魔に呼びかけようとは言語道断! 枢機卿がお帰りになったらこのことは注進させていただきますぞ、伯爵閣下! おい、出会え、出会え! 閣下がご乱心だ!」
司祭の声に応じて、礼拝堂の奥から武装した神官兵が飛び出してきた。
司祭は神官兵と協力して伯爵を両脇から抱え、引き摺るようにして礼拝堂から伯爵を締め出した。
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