105(シオン視点)共感

「大精霊、勇者、魔王……くそっ、まるでおとぎ話だな」


 屋敷の書庫にこもり、ヒントを探してみるが、ろくな手がかりが見つからない。

 カントール雷原の地底に怒れる雷の大精霊が眠っているだとか、大樹海の迷いの森の奥にある秘された泉に水の大精霊が隠れ棲んでいるだとか、ほとんど伝説・伝承のような話しか載ってない。


 いや、そもそも、屋敷の書庫にあるような資料は、古代マニアのゼオンが漁り尽くしていたはずだ。

 そこに有力なヒントがあるのなら、冒険者として自由の身となった兄が真っ先に向かっているだろう。


「僕には……無理なのか。ミレーユは決して手に入らない宝石なのか」


 兄の婚約者だなんて言い出すから、僕にもチャンスがあるんじゃないかと思ってしまった。

 そう思ったら、求めずにはいられない。


「ああ、くそ。ドラグディアに餌をやらないと」


 ミレーユに本物の勇者になると宣言した直後は、そのまま家を飛び出すつもりだった。

 だが、あてもなく家を出たところで大精霊に巡り会えるはずもない。

 そこで望み薄とは知りつつも、屋敷の蔵書をひっくり返してみることにしたのだ。


 ミレーユとは、あれ以来気まずくて話せていない。

 ベルナルドに押し付けられた飛竜ドラグディアの世話は焼いているが、ミレーユの方から僕の様子を見に来ることもない。


「いちかばちか、カントール雷原に向かってみるか……? だが、もし大精霊を見つけられたとしても、勇者になるには大精霊に『認められる』必要がある。一体何をどうすれば大精霊に認めてもらえるんだ?」


 以前の僕なら、「大精霊が勇者と認めるのにふさわしいのは僕以外にいない!」などと言って、自信満々に雷原に向かっていただろう。

 大樹海の迷いの森のほうは、誰も抜けられないことで悪名高い場所でもあるし。

 なんとなく地味なイメージの水の大精霊に認められるより、派手なイメージの雷の大精霊に認められたほうが、勇者としての箔がつくんじゃないかとも思った。


 そこで、不意に「天の声」が聞こえてきた。

 いつもの「天の声」の調子じゃない、どこか荘厳さを感じさせる重々しい声音だ。



《――全世界アナウンス:この世界に「涙の勇者」ゼオンが誕生しました。》



「…………は?」


 僕の思考が停止する。

 勇者?

 誰が?


「はは、人違いに決まってる! ゼオンなんて名前は…………あんまりないんだよなぁ……」


 「ゼオン」という名前は、クルゼオン伯爵家の嫡男に付けられることが多い由緒ある名前だ。

 他の貴族や平民たちは、クルゼオン伯爵家をはばかって、この名前を使うのを避けている。

 伯爵家より上位の貴族であっても、わざわざ名前を被せてトラブルを招く理由はない。そういう名門貴族にはその家独自の由緒ある名前が受け継がれてるんだからな。


「くそっ、くそっ、くそっ! 僕をとことん馬鹿にしやがって! うがあああああっ!」


 僕は積み上げた本を右に左に薙ぎ払いながら絶叫した。


「僕が真の勇者になろうと決心した途端にこれだ! いとも簡単に、こんなのなんでもないみたいな感覚で、『俺、なんかやっちまったか?』とかなんとか言いながら、大精霊から認められて勇者になりやがった! なんなんだよ、あいつは! チクショウ!」


 書庫で調べた限りでは、大精霊から認められた真の勇者は、ここ数百年確認されていないらしい。


 もちろん、ベルナルドにも訊いてみた。

 ベルナルドによれば、「おおむね史書にある通りだな。勇者連盟では、百二十年ほど前に活躍した『暗渠の勇者』が真の勇者だったのではないかと言われてるが、正体を隠して活動していたようで、きちんと確認はされていない」とのことだ。


「くくっ、案の定、荒れてやがるな」


 書庫の入り口からかけられた野太い声に、僕は振り向く。

 僕より頭ふたつはデカい巨漢の勇者は、そこだけ白い歯を剥き出しにして笑っていた。


「俺は恥ずかしいぜ。ゼオンの奴を『天翔ける翼』に誘ったことがな。あっさり袖にされちまったが、そりゃ、真の勇者になる資格の持ち主が、うちみたいなBランク勇者パーティに入るわけがないわな」


 珍しく、自嘲するような口ぶりだ。


「その時点ではまだ、勇者になれると思ってたわけじゃないだろう」


「ま、うちを袖にした奴が真の勇者になったってのは、考えようによっちゃ名誉なことなのか? 太い実家を逐い出されて冒険者になるやいなや、ダンジョンを発見して即日踏破。スタンピードのボスであるゴブリンキングを単騎で撃破。そんでお次は勇者かよ。呆れるね、おまえの兄貴には」


「あいつはもう僕の兄じゃない。そんなことより、あんたは悔しくないのか?」


「俺が?」


「ああ。あんたは現役の勇者の中では古参なんだろう? 大陸中を転戦し、時に地べたを這いずるようにして今の地位を築いたんじゃないのか? それがぽっと出の元貴族の小僧に真の勇者の地位をかっさらわれて……あんたのこれまでの努力はなんだったんだって話だろう?」


「くくっ、ははは! 痛いところを突きやがるな。たしかに、悔しいぜ。猛烈に悔しい。ついでに認めてやろう、俺はおまえの兄貴に心底から嫉妬が込み上げてきた。こんなのフェアじゃねえだろ、ズルだ、何か悪いことをやったに違いない……さっきあの『天の声』を聞いてから、俺の中で醜い感情が次から次へと込み上げてきやがる……。チクショウが!」


 ズドン! と猛烈な音がした。

 ベルナルドが握りしめた拳を書庫の壁に叩きつけたのだ。

 書庫が揺れ、書架から稀覯本がこぼれ落ち、天井からパラパラと埃が降ってくる。

 ベルナルドは自分のやったことを後悔した顔で、荒い深呼吸を繰り返す。


「意外だな」


 と、僕はつぶやく。


「あんたはそういう感情とは無縁だと思ってた」


「俺だって、勇者である前に人間だ。いや、真の勇者が生まれちまった以上、勇者を名乗るのもおこがましいかもしれないがな。それはともかく、俺は悔しいと思ったぜ。腹立たしい。許せない。あの野郎、俺を小馬鹿にしやがって。あいつがそんな奴じゃないのはわかっちゃいるが、そんな黒い感情が込み上げてくる。……だがな」


 ベルナルドは大きく息をついた。

 熱くなった感情を吐き出すような呼気は、ファイアドレイクの息吹のように感じられた。


「大精霊に認められるってのが、生半可なことじゃねえってこともわかってる。おまえの兄貴はやったんだよ。何かとんでもねえことを、な。そのことを認めなかったら、俺には本当に勇者を名乗る資格がねえ。事実を認める勇気のない奴が、勇者を名乗るなんてちゃんちゃらおかしい。本物でない、紛い物の勇者を名乗り資格すらなくなるだろうよ」


 ベルナルドは大きな身体をかがめて、書架から落ちた本を拾っていく。

 ベルナルドはかがんで背を丸めたままの格好で、


「ひとつ謝っておくぜ、シオン。俺はおまえの気持ちを本当にはわかってやれていなかった。俺自身、ゼオンの奴に抜かされて、身にしみてよくわかった。悔しかったよな。妬ましかったよな。おまけにあんな美人の姫様まで取られて、羨むなってほうが無理だろうが」


「そ、それは……」


 僕が答えに窮するあいだに、ベルナルドは立ち上がって、拾った本を書架に戻す。

 一冊一冊をことさら丁寧に戻したのは、気持ちを落ち着けるためだろうか。


 ……その程度のことで気持ちが落ち着く大雑把な性格が羨ましいな。

 そんな皮肉な思いも湧いてくる。


 だが、ベルナルドが本気で悔しがったことで、僕の気持ちも少し落ち着いた。


「ドラグディアは不思議とおまえに懐いてる。あいつは人の性格に敏感なんだ。心の底に優しさがあるやつじゃないと、ドラグディアは心を開かない」


 と、意外なことを言ってくるベルナルド。


「僕が優しいだって? 本気で言ってるのか?」


「ふん。おまえくらいのガキにはありがちな強がりなんだよ。悪ぶったほうがかっこいいと思い込む年頃だからな」


「ば、馬鹿にするな! 僕はあれだけのことをしでかした人間なんだぞ! 優しいわけがあるか!」


「気の優しさは、弱さでもある。海千山千の貴族どもの世界では致命的な弱みになりかねない。気が優しいからこそ、いろんな感情を呑み込んで、呑み込みすぎて、適度に吐き出すこともできずに暴走するんだ」


「それは……そういうものかもしれないが。僕が身勝手だったのは事実だろう」


「まあな。でも、それを認められるようになっただけでも前進だ。ドラグディアの世話はどうだ? あいつといるのは気が楽じゃなかったか?」


「そうだな。余計な気を遣わずに済むという意味では、心安らぐ相手だな」


 短い付き合いだが、そのことは認めざるをえないだろう。

 世の中の人間が、全部ドラグディアのようであればよかったのだが。


「そいつがわかるようになったならいいだろう」


 ベルナルドがいかつい顎を小さく縦に振る。


「まさか、合格か?」


「ああ、しごいて一人前にしてやるって約束だったな。すまんが、その約束は守れない」


「なんだと? 話が違うじゃないか!」


「俺はどうやら、『勇者』であることに安住してたみたいだな。Bランクじゃ足りない、Aランクを目指して力をつけるんだ、そう思ってるつもりだったが、どこかで今の自分に満足してるところもあった。世間から『古豪』の勇者だと持ち上げられて、それも悪くねえと思ってたんだ」


「おい、あんたの反省なんかどうでもいい! 僕を鍛える約束を果たせ!」


「まあ、ちっとは話を聞いてくれ。俺は、俺たちは、勇者としてもう一度自分たちを鍛え直す。おまえの兄貴に置いていかれるのは我慢ならん。このままじゃ、後世に名を残す勇者はおまえの兄貴だけになっちまう。はは、俺にも名誉欲とかあったんだな。新しい発見だ」


「ふざけるな! 僕との約束はどうなる!?」


「だから慌てるなって。約束は果たせないが、代わりに推薦状を書いてやる」


「推薦状だと?」


「ああ。聞いたことくらいあるだろう? 勇者連盟が運営する勇者育成のための超国家機関――教導学院。そこへの推薦状を書くって言ってるんだよ」

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