104 世界から涙をなくすには

 つもる話はたくさんあれど、ここで話し込んでもしかたがない、という点では一致を見た。

 濃霧の原因だった「水時計」の異常――水の精霊の大循環が「凍蝕の魔剣シャフロゥヅ」によって阻害されていた問題は解決した。

 でも、大森林からネルフェリアまでを覆った濃霧が一瞬で消えたわけじゃない。

 出発前、ネルフェリア市内にはモンスターが湧いていた。

 コレットたちやギルドの冒険者が対応してくれてるはずだが、数によっては被害が出ていないとも限らない。

 俺、アカリ、リコリス、リコリナが戻れば、モンスターの掃討は格段に楽になるはずだ。


「リコリス、リコリナ。モンスターが残っていたら掃討に協力してくれよ」


「……私たちが逃亡するとは思わないのですか?」


「そいつを守らないといけないんだろ?」


 と、俺はリコリスの胸元に抱えられた亀を指さした。

 マスコット然とした亀はリコリスに抱き抱えられて幸せそうな顔でまどろんでいる。

 あのあと湖を捜索してみたが、七柱いた霊獣のうち、生き残ったのはこの霊亀ドルパニアだけのようだった。


 いや、この霊亀が以前通りのドルパニアなのかもわからない。

 俺に聞こえた「天の声」では、俺は七柱の霊獣を討伐したことになっていた。

 当然、霊亀ドルパニアもその中の一つに入ってたはずだ。


「七柱の霊獣が最後の力で残した『子孫』……そう考えるのは間違ってるかな?」


「わかりません。霊獣様の生態は我々の理解を超えていますから。でも――」


 リコリスは腕の中の霊亀に目を落とすると、


「そう考えるのも悪くはないかもしれませんね」


 実際、リコリスたちはの天使としての「聖務」を受けてはいたが、完全に洗脳されていたわけじゃない。

 枢機卿の命令通りに行動したのではなく、そう見せかけて自分たちの目的を達しようとしたのだ。

 ただし、その「自分たちの目的」を、枢機卿は見抜いて利用しようとした可能性が高い。

 さらに言えば、七柱の霊獣を「合成」してキメラにしたのは、俺がかつて倒した魔族ロドゥイエだ。

 状況から考えれば、ゲオルグ枢機卿はロドゥイエと通じていたのではないか――そんなとんでもない疑惑までもが湧いてくる。


 俺たちがネルフェリアに戻ると、街を覆っていた濃霧はかなり薄らいでいた。

 モンスターの姿も見かけない。

 俺たちは揃って東岸ギルドに顔を出す。


「ゼオン様!」


 振り返るなりそう言ってきたのはコレットだ。

 ゴールデントリオの残り二人――アナとシンシアもそこにいる。

 三人とも疲れが見えるが、怪我をしたりはしてないみたいだ。


「コレット。無事だったか」


「大変でしたけど、西岸の人たちも協力してくれましたから」


 見れば、コレットたちの近くには、気まずげな顔の冒険者たちに加え、なんと教会の神官兵たちまでいる。

 ギルドは緊急依頼の精算に来た冒険者たちでごった返しているが、神官兵たちにからむ冒険者はいなかった。


「その嬢ちゃんに今は争ってる場合じゃないと言われてな。一緒に戦ってるうちにわだかまりも溶けてきた」


 と、西岸の所属らしい冒険者が言った。


「すごいな、コレットは」


「いえいえ、皆さんの力ですよ! 私はいつものドジで危ないことばっかりで」


 コレットの言葉に、西岸の冒険者と神官兵が苦笑した。

 若い神官兵の男が、


「本当にドジばかりで見ていてひやひやしましたよ。みなでコレットさんをカバーしあってるうちに自然と……ですね」


「はは。さすがはコレットだ」


 屋敷でもそうだった。

 単独で見れば、コレットはドジばかりで仕事のできないメイドに見えてしまう。

 でも、コレットの周りには自然と人が集まるんだ。

 一口にメイドと言ってもいろんなタイプ、いろんな背景の持ち主がいるんだが、コレットを前にすると、みな今の神官兵のような表情になってしまう。

 

 砕けた様子の神官兵に、


「俺を捕縛しろ――なんて命令はなかったか?」


「ありましたよ。私も最初は森に展開していたんです。そこに聖女様が現れて、そんな場合じゃないから街に戻って住人の保護に当たれと叱られました」


「聖女……様?」


 神官兵の視線をたどると、その行き着く先は赤いスカーフのシーフの少女だ。


「あはは。まだ言ってなかったね。私の今の身分は、新生教会の聖女様なんだ」


 アカリはスカーフに隠された胸元から、銀色のアンクを取り出した。

 豪華な装飾が施され、大きな宝石の嵌められたそれは、教会の高位聖職者の証である。


「聖女だって? 俺はてっきり、異端審問官かと思ったんだが」


 異端審問官。

 この言葉にいいイメージのある奴はいないだろう。

 新生教会の教義に背く者のうち、社会的に重大な影響力を持つ、あるいは将来的に持ちうる相手を監視し、必要に応じて「教育」するか、始末する。

 それが異端審問官という存在だ。


 その「教義に背く者」の定義は恣意的で、危険なハズレギフトを引いたものなんかもその対象に含まれる。

 ハズレギフトを引きながらクルゼオンの危機を救ってしまった俺なんかは、まさに異端審問の対象だろう。


「ゼオンくんの推理も間違ってないよ。私は異端審問官の資格も持ってるから」


「異端審問官か……」


「いや、世間的にイメージが悪いのは知ってるけど、それだけじゃないからね? 社会秩序を破壊するような危険思想を説く異端者だって、現にたくさんいるわけだし。宗教には宗教でってことで、各国からも異端者の教育・更生の許可はもらってるから。まあ、教育に応じない場合は……だけど」


の天使としての教育を受けたっていうのは?」


「それも本当。ゼオンくんも言ってた通り、『聖務』達成で天使の人格を下賜されたところで、私にはいろいろな異変が起きた。古代人の人格がインストールされたまではよかったけど、元の私の人格も残ったんだね。そのせいで、古代人の人格情報は中途半端にしか定着しなかった。ひょっとしたら期待してるかもだけど、私の古代知識はすごく断片的で、それも無意識に口をついて出る感じだから。ゼオンくんに古代人じゃないかと疑われたのはそういうとこだよね」


「そうか……」


 古代にロマンを感じる俺としては、アカリの口から古代の話を聞きたかったんだけどな。


「それで、その聖女様の目的はなんなんだ?」


「ひとつは、『下限突破』のゼオンが異端者にならないかの確認だね。もうひとつは、ゲオルグ枢機卿が裏でやってることを暴くこと」


「ゲオルグ枢機卿とは敵対してるってことか?」


「何を隠そう、同じ教区から立候補して、枢機卿になるつもりだからね!」


 えっへんと胸を張って言うアカリ。


「ええと、選挙でぶつかるってことか」


「そう。有力な対立候補としてゲオルグ枢機卿に目をつけられてるから、こうしてトレジャーハンターのふりをして身分を隠してるってわけ。まあ、半分は趣味だけどさ」


「なんで選挙に? そんな政治的野心のあるタイプだったのか?」


「ううん、全然。私は単に、この世界をもっと良くしたいだけ」


「この世界を良くする……? そのことと枢機卿選挙がどう関係するんだ?」


「ひとつは、現職のゲオルグ枢機卿があまりにも悪いことをやりすぎてるから、だね。ゲオルグ枢機卿は、誰かが追い落とす必要がある。枢機卿でなくなれば、ゲオルグはただの大司教。『無謬の推定』もなくなるから、悪いことをしてれば簡単にしょっぴける」


「なるほどな。でも、それだけならアカリでなくてもいいはずだ」


「そうだね。私には私で、別の目的があるんだ」


 アカリは小さくうなずくと、真剣な眼差しを俺へと向ける。


「私は、『選挙』という仕組みを、都市や国にも広げたい。言ってしまえば、私は共和主義者ってわけ。世襲の王権をぶっ壊して、民衆が民衆のために民衆を統治する世界を作りたい。それが、私の夢なんだ」


「それはつまり……領主や国王を民衆の選挙で選ぶってことか?」


「そそ。この世界が古代人の感覚で『中世レベル』なのは、封建領主が強い力を持ってるから。そこを突き崩すためには、選挙という仕組みの強さを世間に知らしめる必要がある。悪い権力者は民衆の力で追放できるんだぞって、世の人に知ってもらう必要があるんだ」


「でも、選挙という仕組みへの世間の評価は低いよな。腐敗した枢機卿が金や政治力で信徒の票を買ってると言われてる。そうして選ばれた枢機卿が人の上に立つ人間として優れてるとは言い難い。世襲制の君主のほうが、幼少期から最良の教育を受けている分、統治者としては優れている――それが学者たちの言い分だ」


「それはどうかな? 名君の子どもがろくでもない暴君になった例は枚挙にいとまがないでしょ。選挙があったらそういう暴君の登場を防ぐことができる」


「そう簡単にはいかないと思うが……アカリの本気はわかったよ」


 おそらく、アカリの中に植え付けられたという、断片的な古代人の知識も影響してるんだろうな。古代人は自由を尊んだという話だし。


 でも、だからと言って、アカリの決意が古代人の受け売りにすぎないわけじゃない。

 この世界がどうしたらよくなるか? ――そんな簡単には答えの出せない問いに立ち向かい、アカリは彼女なりの答えを見つけたんだ。


「俺としても、世界から『涙』が減らせるなら歓迎だよ」


 「下限突破」の効果によって、俺の「涙の勇者」のブレッシング加護「哭する者」が暴走し、俺はこの世界に広がる涙のすべてを感じてしまった。

 そのうちのひとつを取っても心が押し潰されるような悲しみが、この世界には無数に散らばっている。


 俺が「涙の勇者」を得たのは偶然だ。

 ウンディーネにおまけされて勇者認定されたようなもんだしな。

 それでも知ってしまった以上、何もしないではいられない。


 そんな俺の気持ちに先んじて、枢機卿選挙という具体的な困難に挑もうとしてる聖女アカリに、俺は心からの敬意を覚えた。


「とっ、ところで、ゼオン様が勇者になられたというのは本当なんですか!? さっき、『この世界に「涙の勇者」ゼオンが誕生した』と『天の声』が流れましたが、まさか……!」


 目を輝かせてコレットが訊いてくる。

 アナ、シンシアも興味津々みたいだな。


「ああ。俺は『涙の勇者』になったよ。水の大精霊が認めてくれてな」

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