96 対スルベロ・封殺

 召喚チケットで呼び出したガルナが消えてしまった。

 感電して湖に落ちたリコリスはしばらく動けないとして、残るはスルベロとリコリナだ。

 スルベロの脅威は言うまでもないが、リコリナだって侮れない。

 というより、冒険者としての力量を比べれば、俺よりリコリナのほうが数段上だ。


「ウンディーネ! あなたの力でスルベロをどうにかすることはできないのか?」


「大精霊には物質界に直接介入する力はない」


「あいつは元々獣人たちの守護獣だった存在なんだろう? 存在としては精霊に近いものなんじゃないのか?」


「今の彼らは、霊獣じゃない。悪しき力によって結び付けられ、間違った肉体の中にいましめられた、かつて亜神だったもののなれはて」


 あいかわらず謎の力で宙に浮くスルベロだが、その動きが怪しくなってきた。

 湖周囲の霧が薄れるにつれ、四枚ある翼の動きが激しくなっている。


 ウンディーネは天から伸びた漏斗のような水の流れに両腕を伸ばしている。

 陶芸用のろくろを撫でるようなウンディーネの手つきに従い、天から降り来る水の流れがゆっくりと穏やかな渦を巻きながら湖面へと吸い込まれていく。

 さっきウンディーネはここのことを「水時計」と言ったが、王都の職人でもこんなものは作れないだろう、幻想的な光景だ。


 俺とウンディーネのいる氷山は、魔剣シャフロゥヅがなくなったことで小さくなり、ほとりの方へと流されている。


「ずっと気になってたんだが、ここはどういった場所なんだ?」


「水のマナの大循環を司る精霊の泉。私は『水時計』と呼んでいる」


「マナ? 大循環?」


「この世界は精霊によって構成されている。世界のあらゆる事象は精霊によって描画され、また、記録される。記録媒体としての精霊は、定期的なクリーンアップが必要。それを行うのがこの精霊の泉。マナというのは、事象の描画に使用されていないまっさらバニラな状態の精霊のこと。言葉としては誤用も多くて混同されがち」


「……理解が追いつかないが、とてつもなく重要そうな話だってことはわかった」


 俺の理解に沿って整理するならこうだろうか。

 世界を構成する精霊たちは、同時に世界を記録している。

 だが、ずっと記録し続けていると何か問題が生じるようで、定期的に精霊の泉に還って「きれいに」する必要がある。


 俺が連想したのは羊皮紙だな。

 この大陸では地方によってはまだ羊皮紙が使われてる。

 羊皮紙っていうのは、書き損じたり、新しい羊皮紙が足りなかったりすると、古い羊皮紙の表面をナイフで削って再利用したりするらしい。

 そのせいで貴重な記録文書が損なわれることもあれば、削られずに残っていた断片から歴史的な記録が復元されることもあるんだとか。

 ちなみに、ネルフェリア産の木材は建築用途で有名だが、紙の原料としても使われていて、流域付近では紙の普及が著しい。

 ネルフェリアのギルドでも高価なはずの紙が普通に依頼書用に使われてたくらいだからな。


「定期的なクリーンアップとやらのためにここに還って来た精霊が、氷のせいで湖に吸収されることができずに、汚れた状態のまま周囲に広まってしまっていた……と」


 ウンディーネには怒られるかもしれないが、比喩として真っ先に思いついたのは排水口だな。

 排水口が氷で塞がってしまい、流れ込む水が溢れてしまった――身も蓋もなく喩えるなら、それがいちばんわかりやすい。


「大雑把だけど、大体合ってる。でも、汚れた、は不正確。情報過多で正常な動作ができなくなった、と言うべき」


「正常な動作ができないなら、それがどうしてスルベロを動かす力になるんだ?」


「暴れさせるだけならやりようはある。情報過多で動作不良になった精霊でも、エネルギーとしての役割は果たせるから」


 そのスルベロは、動力源たる水の精霊を求めて「水時計」の方へふらふらと飛んでいく。

 その飛行は危なっかしく、今にもバランスを崩して墜落しそうに見えた。


 スルベロとともにガルナと戦っていたリコリナは、判断に窮したのか、攻撃の手を止めて俺のほうを睨んでる。


 ほとり側へと流される氷が、仰向けに浮かぶリコリスのそばにさしかかった。

 俺は身を乗り出してリコリスの腕を掴み、どうにか氷の上へと引き上げる。

 装備してたレイピアは湖に沈んでしまったみたいだな。


「どうして……?」


 まだ「感電」が抜けてないらしいリコリスが苦しげな表情で訊いてくる。


「スルベロが暴れるかもしれないからな。湖の上に放置するわけにはいかないだろ」


「私は……敵でしょう」


「助けられるやつを助けない理由はないさ」


 俺が答えたところで、スルベロの尾にある蛇の頭がこちらを向いた。

 その目には明確な敵意があった。

 蛇の口から攻撃が飛び出してくる前に、


「おっと!」


 俺は持ち物リストから「凍蝕の魔剣シャフロゥヅ」を取り出し、「投擲」する。

 俺の投じた魔剣が蛇の口腔を貫いた。


 ――グギャアアアアッ!


 俺はさらに魔剣を取り出した。

 言うまでもなく、俺はリストに入れたアイテムを個数がマイナスになっても取り出せる。

 この明らかにやばそうな魔剣でも、だ。


 俺の剣術の腕では剣として十分に活かすことはできないだろうが、投げるだけなら話は別だ。

 ウンディーネをも封じていた魔剣を使い捨てのように投擲できるというのは、考えるまでもなくヤバすぎる。


 スルベロはもう、「水時計」なしには生存できない。

 今も、ウンディーネの制御で漏れのなくなった「水時計」に身体ごと突っ込むことで、かろうじて浮遊状態を維持している。

 いくら俺を睨んでも、あの場所から動くことはできないのだ。


 スルベロが不格好に回転し、こちらを向いた猿の首が威嚇するように口を開く――

 が、なんらかの攻撃が発動する前に、先んじて投じた俺の魔剣が猿の頭を貫いた。

 スルベロの身体が一層かしぐ。



《スキル「初級射撃術」を習得しました。》



 スキルを覚えたが、確認は後だ。


 さらに魔剣を投じようとした俺に、


「や、やめてください!」


 と、リコリスがしがみついてきた。


「あれは……私たちの希望なんです! ただのモンスターじゃないんです!」


 リコリスの言動は、端的に言ってめちゃくちゃだ。

 あれを暴れさせてネルフェリアを滅ぼすと言ってたのは彼女自身なんだからな。

 それに、「感電」が切れたのなら、予備の武器を取り出して俺を攻撃してもよかったはずだ。助けられたことに恩義を感じたわけでもないだろう。

 リコリスが取り乱しているのは間違いない。


 そのリコリスは、俺の腰にすがりついた姿勢のまま、腕から先が氷に覆われつつあった。

 凍蝕の魔剣シャフロゥヅは、周囲の水のマナを凍結させる。

 俺には影響がないが、俺の周囲には影響があるらしい。

 今俺たちが乗ってる氷も、魔剣を抜いた状態だと徐々に周囲の湖面へと広がっていく。


 スルベロをもう一度観察するが、今ので懲りたのか、それとも本当に余裕がないのか、こちらを攻撃してくる様子はない。

 このままでもひとまずは安全だろう。もし動いたとしても、魔剣の「投擲」があればほとんど封殺できそうだ。


 俺は一旦魔剣をしまい、ずっと気になってたことをリコリスに尋ねる。


「七つの霊獣が合成されてスルベロになったのはいつのことなんだ? リコリスたちがの天使の養成機関に連れ去られる前のことだとしたら、今ひとつ腑に落ちないんだが」

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