93 対スルベロ・氷上

 氷が砕かれ、天から降り下る水流が湖面へと注ぎ込まれる。

 水の精霊力が、湖面に渦を描きながら吸い込まれていく。


 それに伴って、宙に浮かんだスルベロの身体ががくんと傾いた。


 やったか――!?


 だが、俺の内心が読まれたかのように、スルベロが体勢を立て直す。


 湖に目を戻すと、渦潮になりかけた水が、そのままの形で再び氷になりつつある。

 元の氷よりはだいぶ小さい。それでも、精霊力が湖面に注がれるのを妨げるには十分だ。


 氷にぶつかって霧状に広がった精霊力が、スルベロの巨大な甲羅へと吸われていく。

 なぜ甲羅か。おそらくはスルベロの元となった霊獣のうちの一体が亀の霊獣で、水属性を吸収するスキルでも持ってたんだろう。

 「物理反射」を持ってたのもそいつかもな。亀の霊獣が特に強力だったのか、それとも、合成前の特徴が色濃く残ったのが亀の霊獣だったのか。


『一撃で通じぬならもう一撃――ぬぅっ!』


「……させません」


 追撃のファイアブレスを放とうとしたガルナを止めたのは、何もないところから現れた無数の刺突。

 リコリスの「時間差刺突」である。


 この様子だと、リコリスはこの湖の至る所にあらかじめ刺突を仕込んでると見るべきだ。

 ただ、仕込みの薄そうな場所もある。湖の上に仕込むには船がいるし、一定以上の高さの空中には絶対に仕込めない。

 空中に「時間差刺突」の仕込みがないからこそ、「遠隔斬撃」のリコリナがガルナに対応してるということだ。


 一方で俺は、砕けた氷の奥に見えたものに目を奪われていた。


 湖に栓をするように形成されていた氷の塊。

 コーヒーのドリッパーのような形状だったそれは砕かれて、一瞬だけその奥にあるものが見えたのだ。

 すぐに水流に覆われ、再び氷になって塞がれてしまったが、氷の奥にあったものを俺は見逃していなかった。


「ウンディーネか!」


 氷の奥にあったのは――いや、いたのは、ネルフェリアの宿屋で瀕死の俺に馬乗りになっていた例の幼女だ。

 彼女が水の大精霊だという確証はなかったが、本物をひと目見て確信できた。

 これまでどんなモンスターからも感じたことのない鮮やかな霊力――魔草や火炎草から感じる霊力をぐんと煮詰め、水属性だけに純化したような霊力だった。

 もしウンディーネでなかったとしても、それに匹敵する存在だってことは間違いない。

 それに、


『ゼオ、ン……たす、けて』


 氷の奥からウンディーネの思念が届いた。

 さっき一瞬だけ見えたウンディーネは、禍々しい剣に胸を貫かれていた。

 その箇所を中心にウンディーネの身体が凍りつき、ウンディーネの幼い顔が苦痛に歪んでいるのがわかった。

 剣で貫かれても死んでいないのはさすが精霊だが、幼い少女の形をしたものが剣に貫かれ苦しんでる姿は、ひと目見ただけでも痛々しい。


 おそらくは、あの剣こそがすべての元凶だ。

 あの剣がウンディーネもろとも天の漏斗の最下部を凍てつかせ、降り来る水の精霊力を堰き止めているのだ。


 だが、そのウンディーネと剣は、再び氷に閉ざされてしまった。


 それによって再び水の精霊力が溢れ出し、スルベロのエネルギーが補充される。

 まだ不安定なようだが、いつ暴れ出さないとも限らない。


「リコリス! 君はこの森の守護者たちの末裔だろう! 水の大精霊を氷に閉ざすなんて何を考えてるんだ!」


 俺の言葉に、リコリスが顔をしかめる。


「しかたがないんです。ウンディーネ様にはしばらく我慢していただきます。この森から人間を駆逐することができたら、その時はこの首をウンディーネ様に差し出すことで、どうにか怒りを鎮めてもらいます」


「それでいいのか!? 残されたリコリナはどうするんだ!?」


「……私がいなくとも、リコリナは生きていけます。そんなことを、実の弟に地位を奪われ、街から逐われたあなたに心配していただく必要はありません」


 そう言われ、反論の言葉に詰まる俺。

 くそ、これはきれいに返されてしまったな。


「ウンディーネや幻獣は本当にこんなことを望んでるのか!?」


「ウンディーネ様はお優しい方ですから。しかし、幻獣様たちは違います。人間への復讐は幻獣様たちの総意です。ゼオンさんにはあの憎悪の瞳が見えないのですか?」


 たしかに、スルベロの瞳に宿るのは憎悪の色だ。

 だが、何を憎悪しているのかはわからない。

 リコリスの言うように、神聖な森に入植し、先住民である獣人たちを追い出した人間たちへの恨みかもしれないが、そのわりには人間である俺に明白な殺意を向けて来ない。


『ゼオン! もう一度行くぞ!』


 体勢を立て直したガルナが力強く羽ばたき、上空へ。

 急降下しながらファイアブレスを湖上に放つ。


「くっ、防げない!」


 「遠隔斬撃」の構えを見せたリコリナだが、ガルナの降下速度が速すぎたせいで狙いが定まらない。ガルナは「遠隔斬撃」の射程だけではなく対応速度をも読み切ったということか。

 リコリスの「時間差刺突」も、やはり湖上までは設置されていないらしい。


 炎が弾け、氷が砕ける。


 ガルナは湖面ぎりぎりで反転し、スルベロの鷲頭をかすめて上空へ。


 俺はダッシュをかけ――湖上に跳ぶ。


 跳んだ先は、湖に浮かぶ氷の上だ。


 さっき崩れた氷と合わせて、いくつもの氷の残骸が湖の上を漂っている。

 これをなんとか辿っていけば、水深の深そうな場所にあるウンディーネの氷山までたどり着ける。

 その後のことは賭けになるが――


「うおっと!」


 遅れて砕けた氷の塊が、俺の頭にぶつかるコースで飛んできた。

 俺はとっさに避けようとするが、足場は不安定な氷の上だ。

 やむなく腕でかばって氷を受けようとしたが――


「あれ?」


 衝撃がない。

 ぶつからなかった――のではない。

 たしかにぶつかったのだが、氷が忽然と消えたのだ。


「そうか! 水の属性値!」


 俺の水の属性値は-23だ。

 霧の濃い大森林を歩けば、霧のほうが勝手に俺を避けてくる。一面に浅く水の流れるこの足場の悪い湖畔でも、俺が足を踏み降ろせば、水のほうがひとりでに俺の着地点から逃げ出していた。

 おかげで、これだけの霧と水に覆われた湖畔にあって、俺の身体はまったくと言っていいほど濡れてない。リコリスやリコリナが全身を湿らせ、顔に濡れた髪が張り付いてるのとは対象的にな。


 足場なんて関係ないレミィが、気楽な口調で言ってくる。


「水のマナが凍りついてできた純度の高い魔力の氷だったみたいですね~。今のマスターなら向こうのほうから嫌ってくれますよぉ~!」


「微妙に傷つく言い方をするなよ」


 と、そこで気がついた。

 じゃあ、今俺が足場にしてる氷は?


「うおっ!?」


 いきなりはずんだ氷に押され、俺の身体が宙に浮く。

 俺はどうにか体勢を立て直して着地。すぐに隣の足場へとジャンプする。


「させないから!」


 そこに飛んできたのはリコリナの「遠隔斬撃」だ。

 着地を狙った回避不能の一撃だったが、


「よっ……と!」


 着地した氷から「嫌われる」のを利用して、すぐに隣の足場へ逃げる俺。


 追撃の構えを見せるリコリナに、


『おまえの相手は私だ!』


「きゃあっ!」


 空を裂いて迫るガルナに、リコリナがたまらず後ろに飛び退く。


「リコリナ! あなたはそのファイアドレイクを! スルベロも使っていいから確実に仕留めて!」


 俺を追って湖上の氷に飛び移りながらリコリスが叫ぶ。


「で、でも、それじゃあお姉ちゃんが……」


「こっちは問題ないわ。なにせ――」


 リコリスは湖に浮かぶ不安定な氷の塊を蹴りつけながら、的確に俺へと迫ってくる。

 ギルドで受付嬢をやってた時の事務員然とした印象を裏切って、打って変わっての速さとはやさ。

 空中でのバランス感覚も絶妙だ。


 リコリスは俺よりもはるかに身軽だった。

 それもそのはず。リコリスのレベルは、リコリナと同じくらいとすれば18前後。DEXは当然俺より高い。おまけに、運動能力に秀でた獣人の血も引いている。


 リコリスのギフト「時間差刺突」は、湖上にはほとんど設置されていない。

 氷の上にいる限り、リコリスのギフトを恐れる必要はないということだ。

 どこに仕掛けられてるかわからない刺突を警戒しながら戦うのは厳しいからな。

 戦いの舞台が湖の上に変わったことで、結果的にリコリスのギフトを封じることができた。

 俺としては「遠隔斬撃」のリコリナに来られた方が厄介だったが、そこはガルナが引き受けてくれたからな。


 だが、


「――ゼオンさん。あなたのスキル構成はわかってます! あなたの剣術スキルはまだ初級! 上級の私と接近戦になれば、あなたに勝機はありません!」


 氷を蹴って跳躍したリコリスは、そう宣言しながらレイピアを鋭く突きこんできた。

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