86 賜の天使

 迷いの森を踏破した奥――巨大な渦巻く水の竜巻がある湖畔で俺を待ち受けていたのは、一体のキメラと二人の受付嬢だった。


 冒険者ギルドネルフェリア西岸支部の受付嬢であるリコリナ。

 その姉であり、ネルフェリア東岸支部の受付嬢であるリコリス。


 この二人の姉妹は、対立しているように見せかけて、実は裏で通じていた。


「あら、まるで私たちがここにいると確信していたようですね、ゼオンさん」


 十メテル以上離れた地点から、リコリスが訊いてくる。


「確信ってほどじゃないけどな。まあそんなことだろうとは思ってた」


「何か疑われるようなことをしましたか?」


「まず、宿の件だな。刺客に狙われてるかもしれない――俺はあんたにそう相談して、安全そうな宿を紹介してもらった。でも、紹介された宿で、早くもその晩のうちに、俺は刺客に殺されかけた」


「実際、東岸の中では安全な宿を取って差し上げたのですけどね」


「そうみたいだな。の天使とやらがなんらかのギフトで俺の居所を探知したって可能性もないじゃなかった。だが、案内された宿そのものが罠だった、という可能性も考えない訳にはいかない」


「ゼオンさんは私たち姉妹に同情してくれてるとばかり思ってました。まさか疑われていたなんてショックです」


「実際に犯人だったのにショックも何もないだろ。新生教会は獲得した信者の家族にも宣教するからな。リコリスさんたちが仲のいい姉妹なら、リコリスさんも信者だったとしてもおかしくない」


「ギルドの職員たちはみんな騙されてくれたんですけどね。教会に妹を奪われた可哀想な姉だって」


「ともあれ、あんたは暗殺に都合のいい『舞台』に俺を誘導することに成功した。そして、未知のギフトで俺の暗殺を図った。結果は失敗だったけどな」


「あれを食らってどうやって生き延びたんです? ギルドにゼオンさんが平気な顔で現れたときには驚いてしまいました」


 たしかに、ネルフェリアが濃霧に覆われた後にギルドを訪れたとき、リコリスは俺を見て驚いた顔をしていたな。


「それだけじゃない。決定的だったのは、迷いの森のルート情報だ」


「あら? 正確なルートをサービスして差し上げたはずだったのですけれど」


「そうだな。あんたのルートは正確すぎた。アカリから購入したルート情報と比較しても、質、量ともに充実してたよ」


「じゃあ、なぜ私を疑うんです? 私はてっきり、あなたはアカリさんを疑っているものとばかり思っていましたが」


「だから、両方から情報をもらったんだよ。で、迷いの森で比較検討した結果、ルート情報は圧倒的にあんたのもののほうが充実していた。アカリの方のは、わからない部分や、間違いらしい部分がいくつかあったな」


「それなのに、私のほうが怪しいと?」


「そりゃそうだろ。アカリのルート情報は、ギルドのルート情報に自分独自の調査を付け加えたものだ。基本的には、アカリのルート情報のほうが情報量が多いはずなんだよ。たとえ一部が間違っているにせよ、な」


「ああ、なるほど……。よかれと思ってサービスしすぎましたか」


「そういうことだな。あんたは、俺にここにたどり着いてほしかったんだ。ここなら人目を気にせず俺を始末できるわけだからな」


 リコリスから渡されたルート情報も、完全なものだったわけじゃない。

 おそらくはギルドの把握している情報にいくらかの独自の情報を加え、ヒントを散りばめたものだ。


「ゼオンさんがここまで来られるかどうかは、半信半疑でした。未知のはずの完全なルート情報を渡すわけにはいきませんからね。サービスしたとはいえ、最終的にはゼオンさんがルートを開拓する必要がありました」


「……なんでそんな不確実な方法を?」


「ゼオンさんが迷いの森を踏破できないのなら、ゼオンさんはその程度とわかります。迷いの森の入り口で待ち構えている神官兵たちでも十分に捕縛可能でしょう。でも、もし踏破できるなら――ゼオンさんの脅威度は跳ね上がる」


「俺へのテストだったわけか」


「ゼオンさんが大したことのない冒険者なら、ただ淡々と処理し、教会に報告するだけです。でも、ゼオンさんがここに至るような能力を持っている場合には――

あなたは、私とリコリナの個人的な敵でもあることになります」


「個人的な? の天使としてではなく、か?」


の天使ですか。たしかに、私とリコリナはの天使ですが、他の純真無垢な天使たちとは違って、あの欲深い枢機卿に心酔しているわけではありません。利害が一致しているから従順にの天使のふりをしているだけです」


「そうだったのか」


「ゼオンさん。の天使が何を『たまわる』か、わかりますか?」


「ギフト、じゃないのか?」


「たしかにギフトも与えられます。本来であれば貴族か高額献金者にしか許されない成人の儀を、十歳になるやならずやの時点で受けられるのは計り知れないメリットです」


「……本当にそんなことをやってるんだな」


 貴族やその子弟が期待に胸を膨らませ、有難がって受ける成人の儀。

 それは、その程度のものでしかなかったということだ。


「でも、その口ぶりだと、『賜る』のはギフトではなかったらしいな」


「ええ。『賜る』のは、天使の霊です。卑賤で無価値な今の魂を、高貴で清浄なる天使の霊によって書き換える――。そうして、天使の魂を持った新たな人間として生まれ変わる。それこそが、困難で穢らわしい任務を達成したの天使に与えられる、天からの賜り物なのです」



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