85(シオン視点)糾弾
「私を……愛している、ですか」
ミレーユの声は奇妙なほどに平板だった。
磨き抜かれた大理石のような、美しいが凹凸のない声だ。
唐突な愛の告白を受けた女性の反応としては、奇妙なものなんじゃないだろうか。
この場で告白なんて、するつもりはなかった。
父が散々僕のことを勧めたにもかかわらず、彼女はきっぱりと断った。
その直後になんの成算もなく衝動任せに告白するのは愚策でしかない。
そのくらいの判断力は、僕にもある。
ミレーユはしばし考えてから、
「正直に申し上げますと、お気持ちに気づかなかったわけではないのです」
「……なんだって?」
「ですが……ごめんなさい。私は自分の気持ちを優先して、あなたの気持ちに気づかないふりをしていました」
「…………そうですか」
彼女の言い分は、聞かされてみれば、よくわかる。
でも、なにもそんなことを言わなくてもいいじゃないか。
僕は身体の脇で拳を握りしめた。
「……では、私と結ばれるために、兄であるゼオン様を追い出した……ということなのでしょうか?」
ミレーユの瞳に揺らめくのは、抑えられた怒りと……仄かな軽蔑。
「ち、違う!」
「何が違うのです?」
「僕とゼオンの確執は、あなたへの愛とは関係のない話だ!」
「シオン。あなたは、クルゼオン伯とは違いますよね? 王都でゼオン様が廃嫡され伯爵家から放逐されたと聞いたときには、あなたもまた枢機卿の信奉者になってしまったのかと思いましたが、お話する限りそうではない。あなたに信仰があるとは思えません」
「も、もちろんだ! あの哀れな父は、母を亡くした悲しみにつけ込まれ、ゲオルグ枢機卿の言いなりだ。父を排して僕が伯爵位を継ぐのは、クルゼオン領全体の――ひいてはシュナイゼン王国のためでもある! いや、父にとってすら、末節を汚す前に退場させてやるのが慈悲というものだ!」
「つまり、あなたはゲオルグ枢機卿の強い影響下にある自分の父を唆して、ゼオン様が追放されるように仕向けた、と?」
「……それは、」
「あなたはお父上であられるクルゼオン伯を哀れと言いました。ですが、私からすればあなたこそ哀れです。ゼオン様は何度となくあなたに手を差し伸べられてきたことでしょう。その手を意固地になってはねのけ、自分は悪くないと叫びながら、その実自分の利益になることばかりをやっている。あなたがご自身をどう考えているかはわかりませんが……客観的に見て、今のシオンは――悪人です」
「悪人……? 僕が……?」
「それ以外のなんだと言うのです? 父親が宗教家にいいようにされていることを知りながら、あなたはそれを糺さなかったばかりか、自分に都合のいいように利用した。なんの落ち度もない兄を、嫉妬心を暴走させて家から放逐した。それでいて、あなたはまるで自分が被害者であるかのように振る舞っている。おかしな話ではありませんか?」
「ぼ、僕は……あなたを愛しているからこそ……」
「愛を名目にすれば裏切りや不正義が赦されるとでも? 自分のしでかした罪の重さに耐えきれなくなったあなたは、私への愛を幼い頃の記憶から引っ張り出して、免罪符にしようとしているのです。あなたは悲劇の主人公ではないのですよ」
「そんな……酷いじゃないか。僕があなたを思う気持ちは本物なのに……」
立ち尽くし、震える僕に、ミレーユが向けてきたのは探るような目だ。
ミレーユは自問自答するかのようにつぶやいた。
「いえ、そもそもこのこと自体がおかしいですね。NPCが秩序を乱すほどの限度を超えた感情を抱くはずがない……。シオンは
「え、えぬ? 姫は一体何を言って……?」
「ああ、いえ。気になることがあったもので」
「そんなことより、僕の気持ちを疑うのはやめてください。たとえ僕が罪人であろうとも、あなたへの愛は真実のものだ」
「……先ほど申し上げた通りです。私の気持ちは動かしがたいものです。私自身、無理のある相手との結婚を思いとどまろうと努力したこともありました。でも、どうにもならなかった。世界のすべてが虚構なのだとしても、私のこの気持ちだけは真実です。あなたが私に真実の愛を抱いているというのが本当なら、私もまたゼオン様に真実の愛を抱いていることがわかるのではありませんか?」
「どうすれば、あなたを振り向かせることができるのです? 兄にあって、僕に足りないものはなんですか? 僕があなたに認められるためには何をすればいいのです?」
「何かが足りるとか、足りないとかではないのですよ。それに、シオン。私はあなたのことを認めています。努力家で、負けん気が強い。今はまだ未熟でも、将来的には領を治めていくだけの力量を身につけていくことでしょう。だからこそ、今回のことが残念でなりません」
「だったら――」
「でも、私はゼオン様をお慕いしているのです。他の方に気持ちが向くことはありません。本来なら、あなたのお気持ちに感謝の言葉を添えてお断りするところなのでしょうが――その気になれません。なぜなら、あなたは過ちを犯したからです。大切な人を傷つけられた私としては、あなたの気持ちなどなかったほうがよかった、と申し上げざるを得ません」
「ミレーユ、様……」
その言葉の冷ややかさに――宝石のような目のあまりの冷たさに、僕は怯んだ。
これまで、やりそこなったと思ってはいても、本当の意味で自分が悪いとは思ってなかった。
ゼオンはいるだけで僕を苛立たせる存在だった。だから放逐した。
ただ、その放逐の仕方が甘かったせいで、奴に格好の活躍の場を与えてしまった。
もっとうまいやり方があったのではないか――それが僕の偽らざる本音だった。
だからこそ、ベルナルドも、ドラグディアすら、本当の意味では僕のことを認めていないのだ。
ミレーユが僕に向けたのは、断罪の一瞥だった。
思えば、誰が僕に言っただろうか。
――悪いのはおまえだ、と。
次期伯爵の不始末に翻弄された使用人や騎士たちは、裏ではきっと僕のことを悪し様に罵ってるに違いない。それでも、面と向かって「おまえが悪い」と言ってくる者はいなかった。あのトマスですら、いつもの慇懃無礼の奥に本音を隠し、僕には以前通りに接してくる。
何もかもが以前通りだ。僕の犯した罪などなかったかのように。
だから、僕は思っていた。このままほっかむりしていれば僕の失策などなかったことになると。
「シオン。私はとてもあなたを赦す気にはなれません。私のゼオン様を遠くへ追いやってしまったのですから。いつまで経っても、あなたへの憎しみが失せることはないでしょう。ましてや、あなたに気持ちが向くなどありえません」
「そんな……」
だが、わかる。
わかってしまう。
ミレーユの言う通りだ。
愛する人を傷つけられて、その傷つけた相手を笑って赦す者などいるわけがない。
「ですが、ゼオン様ならば。きっと、いつかは赦すと思うのです。いえ、今ですら、シオンとの関係を誤ったのは自分にも落ち度があったと反省されているはずです。ゼオン様は、あなたに謝りたいとすら思っているかもしれませんね。そう考えたからこそ、私も昔のよしみであなたの様子を確かめようと思ったのです。ゼオン様の度量と優しさが、あなたにわかりますか、シオン?」
「わかるかよ、そんなの!」
王族への敬意を忘れて、僕はおもわず吐き捨てた。
「度量? 優しさ? 僕はそれに傷ついてきたんだ」
「では、あなたはゼオン様に伝えたのですか? 僕はあなたのそういう態度が気に入らない、と」
「そ、それは……」
ゼオンは嫡男で、僕はそうではない。
他の貴族家も同じだろうが、クルゼオン伯爵家の内部では、嫡子とそうでない子どもははっきり区別されて育てられる。
嫡子には将来領を継ぐための教育が施されるとともに、家庭内では現当主に継ぐ存在として下に置かない扱いをされていた。
双子の弟とはいえ、僕の立場に兄に意見などできるわけがない。
いや、そうではないか。
あの兄には、僕の意見を受け入れる度量はあっただろう。
僕が勝手に遠慮しただけ――客観的にはそう見える。
僕がどんなに遠慮をし、気を遣ってふるまっていても、そんなのは当たり前のことと、誰からも評価を受けられない。
「自分を見つめ直してください、シオン。高名な古豪のベルナルドがあなたの教育係をしてくださっているのでしょう? 彼からも多くを学ぶことができると思います」
「……そうすれば、あなたの気持ちが僕に向くと?」
「向きません。それだけは絶対にありえません。これ以上期待させては申し訳ないですので、はっきり言いますが、私の気持ちはゼオン様のものです」
「そうか」
僕は天を仰ぎ、嘆息した。
「やっぱりね。僕は誰からも認められない。なら、僕は自分の力で自分のほしいものを勝ち取るしかない」
「……言いましたよね。私の愛は――」
「結構。ゼオンのものだ。それでも、僕が王国始まって以来の栄誉を得れば、僕はあなたを妻に望むことができる。そうだな……伝説の大精霊でも探し出し、脅し透かして加護を得て、ベルナルドのような紛い物じゃない本物の勇者にでもなって、勇者連盟が血眼になって探してるとかいう魔王とやらを討てばいいのか? 魔王を討伐した勇者が美姫を妻に望む――僕とあなたにふさわしい、神話のような場面だな」
「もう一度だけ言いますよ。どんな栄誉をあなたが手にしようと、私の気持ちは変わりません。私は地位や栄誉と結婚したいわけではないのですから」
「十分わかったさ。どうせ手に入らないなら、あなたの気持ちなんて、もういらない。ただ、あなたがほしい。あなたが僕のものになったという事実さえあれば……ははっ、あなたの愛なんて、なくてもいい」
「シオン!」
厳しい声で僕の名を発したミレーユに背を向けて、僕は厩舎を後にする。
いつから起きていたのか、ドラグディアがきゅーんと切なげに啼く。
ミレーユの悲痛な声よりも、ドラグディアの短い鳴き声のほうが、今の僕には強く堪えた。
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