77 泣きの一回

 迷いの森を抜けるのに、「下限突破」がどう関係するのかって?


 それには、迷いの森のルート情報について思い出してもらう必要がある。


 ↑3→2↓1。


 これは、森の入口からスタートして「切り株A」と呼ばれるパーツへたどり着くためのルート情報だ。


 もしこの情報がなかったら、冒険者はなんのヒントもない十字路の四択を当てずっぽうで乗り切るしかなくなってしまう。

 しかも、十字路の四択は、上下左右が順番に出てくるような規則的なものではない。

 「上下左右のいずれか一つに連続で〇回」をいくつか組み合わせただけのアトランダムなものだ。


 迷いの森を探索しようとする冒険者たちは、有史以来、この順列組み合わせ問題に悩まされてきた。


 だが、迷いの森は、どうしてこんな、物量と回数で手探りするしかない仕組みになってるのだろうか?

 通す気がないならないで、絶対に通れないようにすればいいだけだし、通す気があるのなら、常識的な試行錯誤によってヒントが掴めるようにしておくべきだ。


 一応だが、それなりにもっともらしい説明はある。


 架空世界仮説によれば、この世界は古代人が作り出した非現実の空間だ。


 いや、非現実というのは正しくないか。

 俺たちにとってはこの世界こそが現実であり、古代人が元々暮らしていたとされる神代の世界のほうが、よほど非現実的で空想的なものに思えるからな。

 この世界が存在する前にも世界があって、この世界はその世界から生まれたのだ――なんて理屈を持ち出されたら、証明するのも反証するのも難しい。


 今は、この世界を現実とみなすかどうかという解決しようのない問題はさておこう。

 その問題を抜きにしても、この世界を古代人が作った、という点については、それなりに傍証のようなものが存在する。

 俺が直接知る範囲では、下限突破ダンジョンで出くわした魔族ロドゥイエが語ってた話なんかが、最も確からしい証拠かもしれないな。


 ともあれ、ここではこの世界を古代人が設計した、という前提で聞いてほしい。


 その前提を認めるなら、この迷いの森にも古代人の「設計者」がいるってことになる。

 ロドゥイエも言ってたように、この世界が古代人が遊戯目的で生み出した架空の世界なのだとしたら、迷いの森もまた、その遊戯の「舞台」なのだといえるだろう。


 しかし、ノーヒントで四方向から正解を選び続けるだけのこのフィールドが、なんらかの遊戯性を持つとは考えづらい。

 古代人の思考様式は良くも悪くも俺たちの理解を超えてるが、無味乾燥な単なる「くじ引き」を遊戯として楽しんでいたとは思えない。


 となると、この迷いの森にも、なんらかの遊戯を可能とするような何かがある、ということになる。

 おそらくだが、古代人は迷いの森という突破困難なフィールドを用意した上で、それを突破できるようななんらかの手段を隠しておいた。


 その手段については、わずかに伝承のようなものが残されている。


 かつて、大森林の外縁には、獣人たちの集落があった。

 その獣人たちのあいだに、迷いの森の抜け方についての断片的なヒントが受け継がれていた。

 そのヒントとは、迷いの森の最奥にある「何か」に至るための、ルート情報の一部だった。


 さっきは「獣人たち」とひとまとめにしてしまったが、彼らはひとまとまりの集団だったわけではない。

 断片的に残ってる資料によると、祖神おやがみとする霊獣の異なる七種族の獣人たちが、それぞれに集落を構え、時に争いながら暮らしていたという。


 だが、「かつて」とか「資料によると」とかいう言葉を使った通り、今では大森林の外縁に獣人たちの集落はない。

 絶え間ない争いに嫌気が差して集落ごと移住した獣人もいれば、ネルフェリアに入植してきた人間を嫌ってどこへともなく立ち去った獣人たちもいる。

 あるいは単純に、閉鎖的な慣習に囚われることを厭って若者たちがいなくなり、跡継ぎを失って消滅した部族もあるらしい。


 架空世界仮説を信奉するとある歴史家は、「部族単位で対立する獣人たちのもめごとを解決したものが迷いの森の完全なルート情報を入手し、迷いの森に秘められたなんらかの財宝なり知識なりを独占できるという仕組みだったのではないか」なんて言ってるな。


 ともあれ、迷いの森の正規ルートを受け継いでいたはずの獣人たちはいなくなった。

 獣人間のもめごとを誰も解決できないままに月日が経ち、大森林を取り巻く状況そのものが変わったのだ。


 迷いの森のヒントを聞こうとすれば、大陸のどこにいるともしれない獣人たちを探し出す必要がある。

 探し出せたとしても、もはやヒントは失伝してる可能性もある。

 迷いの森に用がなくなった獣人たちが、それ自体では意味不明な迷いの森のルート情報を正確に伝承してるかは疑問の余地があるからな。


 とまあ、そんなわけで、迷いの森の正確なルート情報はこの世界から失われてしまった。

 その後に残されたのは、なんのおもしろみもない四択を強いられ続けるだけの不人気フィールドというわけだ。


 これまでは、それでもよかった。


 迷いの森はたしかに突破できない。

 だが、突破しなければならない理由もない。

 もし迷い込んだ者がいたとしても、ルートを間違えれば最初の場所に戻されるのだから、行方不明者が出る心配もほとんどない。


 しかし、今は状況が違う。


 ネルフェリアを覆う霧の原因が、この迷いの森の奥にある可能性は十分にある。

 多額の懸賞金がかかってるにもかかわらず、ネルフェリア支部の冒険者たちはいまだに霧の真因をつかめていない。

 ということは、冒険者たちには調査できない場所――そう、この迷いの森の奥に、霧発生の原因があるんじゃないか。


「ええっと、今いるのは切り株A……」


 森に囲まれたむき出しの地面と十字路は同じだが、今俺がいるパーツには、中央やや右奥に、特徴的な切り株があった。

 ギルド資料にある絵とそっくりだな。


「となると、メモのルート情報の↑3→2↓1を一発で抜けたことになるよな。『下限突破』が効くとしても最低三回は必要かと思ってたんだが」


 俺が事前に考えてたのは、「↑3→2↓1」の数字の部分が「下限突破」の対象となるパラメーターとみなされるのではないか? ということだ。

 つまり、「下限突破」のある俺なら、↑、→、↓をそれぞれ一回ずつ踏むだけで、↑3→2↓1と同様のルートを通ったことになるんじゃないか? ってことだな。


 だが、実際にはそれ以上の現象が起きた。


 この現象をどう解釈するべきか?


「起きた現象を整理してみるか。↑3→2↓1のルートを、俺は↑1→0↓0で一発通過したってことだよな。つまり、一回目の↑は1回が下限で、二回目の→と三回目の↓は0回が下限だった? なんで最初も0回じゃなかったんだ?」


「わ、私に訊かないでくださいよぉ~」


「……いや、レミィに訊いたわけじゃないんだけど……ああ、そうか! 最初が0回っていうのは、そもそも通路を一度も通ってないってことだ。最初が0回でも認められるようだったら、俺はこの森に足を踏み入れた瞬間にこの森を既に踏破したことになってしまう」


 要は、最初の1回だけはどうしても必要だってことだよな。

 0回では、俺が通路を通ったかどうかが「判定」できない。

 俺が森に足を踏み入れた(正確には最初の十字路を正しい方向に進んだ)事実が認められて初めて、それ以降のルートの通過回数に「下限突破」が働くのだ。


 いわば、「下限突破」に対する泣きの一回、だろうか。


「ということは、この先も、ルートの最初の1回が当たってさえいれば、次のランドマークのあるパーツまで一発通過になるってことか」


 ギルドからの情報もアカリから買った情報も、ルート情報としては不完全なものだ。

 完全なルート情報は、それこそ何百年も前に離散したという獣人たちの長老しか持ってない。


 もしルート情報なしに迷いの森を通過しようとしたらどうなるか。

 ↑↓←→の四択×各方向に〇回、という極度の運試しを続けざまに成功するしかなくなってしまう。

 切り株Aまでだって、四択×回数×四択×回数×四択×回数だ。

 同じことを森の奥に至るまでやろうと思ったら、一体どれほどの時間がかかることか。


 だが、今の俺ならば、ランドマークのあるパーツからの最初の四択さえ当たれば、残りのルートは自動的に通過できることになる。

 たとえルート情報のない場所に出たとしても、最大でも四回やり直せば正解のルートがわかるということだ。


「まさか、ここまでハマるとは思わなかったが……」


 当初の想定では、↑3→2↓1の、各数字が1回で済むのではないか、と思っていた。

 もしその想定が当たっていたら、ルートの確定には四択を何度かくぐり抜ける必要があった。

 回数がなくなるだけでも試行回数は劇的に減るが、それでもやはり時間がかかったのは間違いない。


「よし! そういうことなら早速進もう」


 と、俺が気合いを入れ直したところで、レミィが「あっ!」と声を上げる。


「ドロップアイテムを忘れてますよぉ、マスター!」


 レミィが指さした先に目を凝らすと、そこには黒い消し炭のようなものが転がっていた。

 

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