76 迷いの森

「ええっと、↑3、→2、↓1で切り株A……か」


 薄暗い森の中で、手元のメモに目を凝らしながら俺はつぶやく。


「その暗号みたいなのはなんなんですかぁ~?」


 と、俺の周りを飛び回りながら訊いてくるレミィに、


「道順だよ」


 簡潔に答え、俺は周囲の森へと目を移す。


 一見すると、ただの薄暗い森である。

 鬱蒼と茂った背の高い木々の樹冠に遮られて、陽の光はぼんやりとしか射し込まない。


 さっきまでの大森林周縁部と違うのは、道らしきものが「ある」ことだ。


 道が「ない」のではなく、「ある」。


 大森林を奥に入るにつれて道が途絶えるほうがむしろ自然だと思うんだが、大森林と迷いの森に関してはそれが逆だ。

 大森林には、道らしきものは冒険者たちがその足で踏み固めた獣道のようなものしかなかった。

 対して、迷いの森には、大雑把ながらも道らしきものがある。


 といっても、奥までの見通しがよかったりするわけじゃない。


 迷いの森の構成は、ある意味ではとてもシンプルだ。

 視界の真ん中に、木のない開けた地面がある。

 その地面から四方に向けて、十字路のような地肌むき出しの「道」がある。


 ただし、四方に延びるその「道」の先は、十数メテルほどのところで暗く闇に閉ざされている。

 露骨に闇がわだかまってるわけではないのだが、道を進むと視界が徐々に暗くなっていくらしい。


 聞いた話によると、その暗さが頂点に達したところで、前方にぼんやりとした明るさが現れる。

 その正体は、さっき抜けてきたのとそっくりの開けた地面だ。

 そっくりというか、一定のブロックごとに完全に同じ小広場+十字路が繰り返し出現するのだと言う。


 迷いの森は、小広場+十字路の、このシンプルすぎるパーツが無限に組み合わさってできているのだ。


 で、話は冒頭に戻る。


「迷いの森は同じパーツが無限に『ループ』するマップらしい。決まった道順を正しく通らないと元の場所に戻される」


「はぁ~。なんだか面倒そうですねぇ~」


「面倒なんてもんじゃないぞ。実際、ギルドでも正しいルートはほんの一部しか発見できてないらしいし」


 俺の手元には、二種類のメモがある。

 ひとつは、リコリスにもらった、ギルド公式のルート情報。

 もうひとつは、アカリから買わされた、アカリが独自に調査したルート情報だ。


「そういえばアカリさんから何か情報を買わされてましたね~。でも、ギルドの情報があるならいらなかったんじゃないですかぁ~?」


「情報のクロスチェックは基本だろ」


 実際、二つのルート情報には既に食い違いも見つけている。

 アカリから買った情報の方には、ギルドにはないルートもあるな。


「ただまあ、ひとつ考えてることがあってな」


「マスターはいつも何か考えてることがありますよねぇ~。感心しちゃいますぅ」


「……ひょっとして、皮肉か?」


「なんでそんなひねくれた受け取り方をするんですかぁ。本音ですよ、本音。で、マスターのお考えというのは?」


「もちろん、『下限突破』だよ」


 俺はひとまずルート情報に従って、十字路を「↑」に進んでみる。


 なお、ルートの表記が東西南北ではなく↑↓←→なのは、迷いの森では方角がわからないからだ。

 そのパーツに入った側を手前(↓)として、見かけ上の方向で↑↓←→と表記される。


 でも、ルート情報をちらっと見ただけでも、あきらかにおかしい箇所があるんだよな。

 たとえば、「→4」というルートに従えば、向かって右に四回曲がることになり、ぐるっと回って最初の場所に戻るはずだよな。

 というかそもそも「↓」は後ろに1パーツ戻ることなんだから、普通に考えれば前のパーツと次のパーツを無駄に往復するだけの移動である。

 にもかかわらず、決められた順番通りにルートを選ばないと先に進めない。


「『ループ』してるってことなんだろうな」


 古代語で言うところのループとは、両端が結ばれた輪のようなものだ。

 ある箇所からある箇所への空間の繋がり方が閉じていて、堂々巡りになることを言うらしい。

 迷いの森に限らず、一部のダンジョンやフィールドにもループ構造はあるらしいが、それでもやはり、迷いの森ほどループまみれの場所は知られてない。


「便宜上ルートと呼ばれてるけど、経路としては物理的にありえないんだよな」


 道順というよりは、決められた手順のようだ。


 あえて似てるものを探すなら、金庫だろうか。

 右に何回、左に何回……とダイヤルを回して開くタイプの金庫だな。

 古代人の遺跡には似たような仕組みのドアなんかもあるらしい。

 迷いの森のどこかに迷いの森を制御する古代人の遺跡がある――なんて噂もあるな。


 十字路の「↑」に進むと視界が徐々に暗くなり、闇の中を歩いてるような状態になる。

 そのまま十メテルくらい進むと行く手がぼんやりと明るくなってきた。


 さっきと同じようなパーツに見えるが、


「あ、モンスターがいますよ!」


 レミィが警告してくれるが、俺にももう見えている。


「アクアエレメントが二体だな」


 レミィの小さな指の先――何もない空中に、うねうねとした水のうねりのようなものが渦巻いてる。

 一見、不可思議な「現象」のように見えるが、あれはれっきとしたモンスターだ。

 エレメント系と呼ばれるモンスターは、属性魔力が淀んでモンスター化したものと言われてる。

 物理攻撃が効きづらく、強力な属性魔法を使ってくる。


 というと何やら危険そうに聞こえるかもしれないが、ある意味戦いやすい相手ともいえる。

 使ってくる魔法の属性は見たまんまだし、弱点となる属性も外見から大体予想がつく。

 たしかに物理攻撃は効きづらいが、動きは鈍く、最初に出現した場所からほとんど動かない。

 弱点属性の攻撃魔法の持ち合わせがあれば、ほぼほぼただの的である。


 アクアエレメントがこの森に出現するというのはギルドで仕入れた事前情報通りだ。

 お察しの通り弱点は火属性攻撃。

 俺は火属性の攻撃魔法が使えるし、火の属性値もカンストしてる。

 だが、こいつ相手にはもっと適した魔法がある。


「デシケートアロー!」


 俺の放った超乾燥の矢が、アクアエレメントの一体に命中する。

 効果は劇的だった。

 空中で渦巻いていた水がいきなり消滅。

 アクアエレメントは跡形もなく蒸発した。


 もう一体のアクアエレメントが俺に気づく。

 水の流れが激しくなったのは……呪文の詠唱か。

 俺も二発目のデシケートアロー詠唱に取り掛かる。


 呪文の詠唱合戦は、僅差で俺の勝利に終わった。


「デシケートアロー!」


 ストリームアローらしき魔法を発動しかけたアクアエレメントは、魔法を完成させることができずに霧散した。

 正確には、霧すら残さずただ消えてなくなった。


「各一撃ですかぁ~。さすがはマスターです」


「相性がよかっただけだけどな」


 水を消滅させるデシケートアローは、アクアエレメントにとっては天敵のような魔法だろう。

 ちなみに二発目の詠唱が間に合ったのは「詠唱加速」がわずかにかかったおかげだな。

 同時に出現するのが二体までならこれでいいが、三体以上なら別の対策が必要か。


 ただ、今の戦闘で注目すべきはそこじゃない。


 そもそも、戦闘になったこと自体がおかしかったのだ。


 もっと正確に言うなら、「同じ場所をループしてるはずなのに、アクアエレメントと遭遇したこと」がおかしい、ということだ。


「まさか一発で抜けられるとは思わなかったが……予想通り、ループの回数にも『下限突破』が効くみたいだな」

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