69 霧と幼女と滅多刺し

 不可解な状況だった。


 遠い昔の夢から目覚めてみれば、俺はベッドの上で血まみれ状態。

 胸から腹にかけて鋭い痛みの名残があるが、手で確かめて見ても傷はない。

 ただし、着ていた服には鋭利なものを突き刺したような穴がいくつも空き、大量の血でべったりとぬかるんでいる。


 だが、それ以上に理解不能なものがあった。


「死んで……ない?」


 とつぶやいたのは、俺ではない。


 俺の腹の上に馬乗りになった幼女が、ひんやりとした手でぺたぺたと俺の胸を触りながら言ったのだ。


 幼女、と言ったが、はたして本当にそうなのか?


 と言っても、年齢的な意味でもっと年上かもしれないとか、そういったことじゃない。


 ほとんど身長と同じくらい長く伸ばした――というか伸びるに任せた印象の髪は、流水のように透き通っている。

 自然に分け目のついた長い前髪のあいだから覗くのは、アクアマリンのような揺らめく瞳。

 顔立ちはおそろしいほどに整っている。


 そこまでならまあ、この世界にはそういう奴だっている、で済むかもな。


 だが、肌の色まで淡い水色で、しかも透き通ってるようにしか見えなくて、おまけに服を何も着ていない、となると、途端に怪談めいてくる。


 一応断っておくが、服を着てないといっても、生々しい何かが見えてしまってるわけではない。

 ほんのり女性らしい曲線を描いてはいるものの、身体はまだぺたっとした感じだし、何より、人間なら当然備えているはずのディテールがない。


 生身の幼女というより、幼くして亡くなった女の子の幽霊、とでも言ったほうがしっくりくるな。


 そんな謎の幼女が、あきらかに一度死にかけた様子の俺の腹の上に乗っている。


 ……状況からすると、現行犯としか思えない。


 おそらくだが、俺は眠ってるあいだに攻撃を受けて一度死んだんだだろう。


 でも、俺には「黄泉還り」のスキルがある。



Skill―――――

黄泉還り

死亡しても一定時間が経過すると自動的に蘇る。

一ヶ月に一回のみ。使用しなかった場合には残り回数がストックされる(最大で9回まで)。

―――――――



 あ、いや、違った。

 それ以前に、



Skill―――――

不屈

自分の現在HPを上回るダメージを受けた時、HPが1の状態で生き残る。ただし、現在HPが最大HPの25%以上残っている必要がある。一戦闘中に一回のみ。

―――――――



 まずこっちのスキルが働いたと見るべきだ。


 おそらくだが、夢の中でミレーユに刺された時に、俺の肉体は何者かの襲撃を受け、滅多刺しにされてたんだろう。

 それが夢に反映されて、ミレーユに詰られ刺される場面になった。


 その何度目かの攻撃を「不屈」で一度耐えたが、まもなく死亡。

 その後しばらく経ってから「黄泉還り」で蘇生した、と。


 で、その襲撃者ってのが誰かと言えば、当然ながら今俺の腹の上に馬乗りになってる謎の幼女がまず怪しい。

 というか、普通に考えればこの幼女が犯人だ。


の天使……か?」


 俺の問いかけに、幼女が小首を傾げた。


 ……とてもとぼけてるようには見えないな。


 実際、彼女の浮世離れした――というか人間とは思えない容貌や雰囲気を見ていると、教会の放った暗殺者などというなまぐさい存在には見えないんだよな。


 大体、本当にこの子が暗殺者なら、俺が息を吹き返した時点で再度トドメを刺してるはずだ。

 殺したはずの人間が目の前で生き返って動揺した?

 幼女は俺が生き返ったことを不思議に思ってはいるようだが、どういうわけか動揺してる様子はない。


 とはいえ、彼女がなんらかの事情を知ってる可能性は高いよな。


 俺は彼女の腕を取ろうと手を伸ばす。


 が、その手は空振った。


 彼女が俺の手を避けたんだじゃない。

 俺の手は彼女の腕に触れたのに、わずかな抵抗を感じただけですり抜けたのだ。


「はやく、来て。これ以上、おさえられない。あなたが……ひつよう」


 幼女はそうとだけつぶやくと、薄いもやのようになってかき消えた。


「な、なんだったんだ……?」


 俺はベッドから起き上がり、自分の身体を確かめる。

 違和感はない。

 服が血と穴でダメになってることと、幼女のまたがってたあたりがじっとり濡れてることを除けばな。


 当然、ベッドの上も血まみれだ。

 かけていた布団にもマットレスにも穴が空き、中の羽毛や綿が飛び出して、俺の血を吸って固まってる。


「……宿の主人になんて言えばいいんだよ」


 と、そこで、俺は宿の外が騒がしいことに気がついた。


 俺はひとまず上着だけを着替えて装備をつけると、宿の部屋を出て階段を降りる。

 宿のエントランスには、宿の主人とコレットがいた。

 珍しく、アナとシンシアは一緒じゃないな。


「あ、ゼオン様!」


「なんの騒ぎだ?」


「今呼びに行こうとしてたところなんですが……ネルフェリアの街全体が真っ白なんです!」


「真っ白?」


「霧が急に濃くなったんです。しかも、霧の中からモンスターも出現してるらしくて、街のあちこちで戦闘になってます」


「なんだって!?」


 通常、街とみなされたエリアに、モンスターが出現することはない。


 そういえば、このネルフェリアは元は大森林の一部で、開拓によってフィールドから街になったという話だった。


 まさか、霧によってネルフェリアが再びフィールドに戻ろうとしている?

 そんな現象があるとは聞いたことがないが……。


「アナとシンシアも外で戦ってます」


「大丈夫なのか?」


「さいわい、さほど強いモンスターは出ないみたいです。数も今のところは少ないみたいで……。ギルドの冒険者や教会の神官兵が応戦してます」


「そうか……」


 俺は自室で暗殺者に殺されかけたらしいことを、コレットに話す。

 

「え、ええっ!? だだだ、大丈夫なんですかぁ!?」


「こうして生きてるだろ」


 実際はあまり大丈夫じゃなかった。

 もし暗殺者が俺の蘇生後に最後の一突きを入れていたらと思うとぞっとする。


「モンスターが出てるなら俺も戦ったほうがいいな」


「でしたら、まずはギルドに行ったほうがいいと思います。やみくもに探し回っても見つかりませんから」


「そうだな」


 ギルドでも対応策を考えてるはずだ。

 出現情報を集めて迎撃の冒険者を出す……いや、エリアごとに受け持ちを割り振ったほうが確実か。

 もしそうなら、俺が個人の判断で動くより、ギルドの指示に従ったほうが効率的だ。


「アナとシンシアともギルドで落ち合うことになってます」


「わかった。すぐに行こう」


 俺は宿の主人をちらりと見た。

 血まみれになった部屋のことを話さないといけないんだが……今はこっちが優先だな。

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