66 (シオン視点)婚約者

「最近、教会は各地で教圏の拡大に熱心に乗り出しているようですね。大森林への前哨基地である樹都ネルフェリアでも教会による街の乗っ取りが進行中とか」


「さて、知りませんな。教会の説く正しき教えに触れた民衆が、他の者にも教えを広めておるのでしょう。福音が世界に行き渡っていくのは、なんとも素晴らしいことですな」


「ネルフェリアでは、大森林からかつてない濃霧が流れてきて、市民生活に重大な影響が出ていると聞きます。この現象と、教会の教圏拡大の関係は?」


「そのような状況では、神にすがりたくもなりましょう。自然な心理というものですな。むろん、教会としても、濃霧の原因究明に神官たちを動員しておりますとも」


 ……ふむ。

 枢機卿はとぼけているが、この会話の感触から考えるに、大森林の濃霧とやらに教会が関わっている可能性はありそうだ。


 ゼオンは大森林を目指して出発したらしいな。


 今頃はネルフェリアを拠点として、大森林の探索に乗り出していてもおかしくない。


 昔からいつもそうだ。

 あの兄は、いつのまにかトラブルの真ん中にいる。

 困っている人がいれば自分からトラブルに飛び込んでいき、なんとかしようとあがき出す。

 それで実際になんとかしてしまうことが多かった。


 そうやってゼオンが人望を高めるたびに、それに比べて弟は引っ込み思案でどうしようもないなどと言われるのだ。


「ともあれ、ゼオン様が廃嫡されたのには十分な理由がなかったということは、国王陛下に報告させていただきます」


「ふ、ふざけるな、小娘!」


「伯爵、どうかここはご堪忍を!」


 顔を赤くしつかみかからんばかりの勢いで言った父を、ゲオルグ枢機卿が制止する。


 枢機卿はミレーユに向き直ると、


「それにしても、意外ですな。王家の方が、地方領主の跡取り問題などに、口を挟んでこられるとは」


 と、反撃する。


「廃嫡だなんだというのは、その貴族の家の中の問題でありましょう。たしかに今回は性急であったかもしれません。しかし、貴族の当主が、おのれの信念に基づいて下した決定なのです。国王陛下といえど、これを覆すのは難しいのではありませんかな?」


「そ、それは……」


 と、ミレーユが初めて言葉に詰まった。

 当然、枢機卿は勢いを得て、


「王女殿下が私共教会をお嫌いであれば、それは致し方ありますまい。我々の徳が不足していたと猛省するばかりですな。しかし、個人の信仰に関しては、他者に迷惑をかけぬ限り、自由であるというのが王国の理念でございましょう。信仰をともにしないものからすれば奇異に映ることであっても、当事者が信仰に基づいておこなった行為を、断定的に否定するのはいかがなものですかな?」


 ゲオルグ枢機卿は、弁が立つ。

 枢機卿になるには信徒のあいだでの選挙に勝つ必要がある。

 そのためには、普段の礼拝での説教はもちろん、選挙のための演説にも巧みでなければならない。


「そ、そうだ! 枢機卿のおっしゃる通り、これは領主権への干渉だ! 領内のことや、貴族家の中のことについては、領主の専権事項! 国王陛下といえど、簡単にお手をつっこむことはできぬ問題だ! 今回のことは国王陛下に抗議させていただきますぞ!」


 伯爵もまた、場の流れを読んで、急に息を荒くした。


 これに対し、


「問題は宗教ではありません」


 ミレーユは冷静に言った。


「ゼオン様という、将来有望と目されていた後継者を、彼が授かったギフトが『使えそうに見えなかった』というだけで、いとも簡単に廃嫡したことがおかしいと言っているのです!」


 言葉を重ねるにつれ、隠しきれない興奮が表に出る。


 そこでようやく、僕は気づいた。


 ミレーユはずっと、「ゼオン様」と言っている。


 さっき厩舎に現れた時、ミレーユは僕のことをなんと呼んだか?

 「シオン」。

 僕には様を付けず、ゼオンには様を付けている。


 かつて――あの宝石のような一夏には、ミレーユは僕ら兄弟のことを「ゼオン」「シオン」と呼んでいたのに。


 もちろん、父である伯爵を前にして、その子息に「様」を付けるのは不自然ではない。

 だが、廃嫡された以上、ゼオンの公式な呼び名は「ゼオン」であって、敬称をつけるとしても「さん」だろう。


 ゼオンの廃嫡は無効だと主張するために、あえて「様」を付けている?


 それにしては、なんというか……


「おやおや……ミレーユ姫は、ずいぶんとゼオン殿にご執心のようですな」


 僕と同じことに気づいたのか、ゲオルグ枢機卿がそう言った。


 舌なめずりでもしそうな顔で、王女であるミレーユを、不敬にもじろじろと観察する。


「そういえば、うちの息子――だったゼオンと、そこのシオンとは、王女は旧知の仲でしたな。となるとこれは、王家の使いとして一地方領主の不始末を問責しに来た、という性格の話ではないのではないですかな? 情が通じていた同い年の少年貴族が廃嫡されたと聞き、いてもたってもいられず駆けつけてこられた……と」


「ほうほう。それはそれは……。美談ではありますなぁ。年若い少女が、同じく年若い少年を思いやって暴走する――物語としてなら美しくはありましょう。しかし、王家の一員の行動としてはいかがなものですかな?」


 いやらしい笑みを浮かべて、父と枢機卿がミレーユに遠回しな侮辱の言葉をかけていく。


 僕の頭の中で、血管の切れる音がした。

 いや、幻聴だろうけど、視界が一瞬にして真っ赤に染まるのがわかった。


 たとえ父だろうと、ミレーユへのこんな侮辱は許しておけない!


 僕が激情に駆られて席を蹴り、どうしたいのかもわからないままに、父か枢機卿に掴みかかろうと――した矢先。


 ミレーユが落ち着いた声で発した一言に、僕の煮えたぎった頭が一瞬にして凍結した。



「当然です。私は、ゼオン様の婚約者なのですから」



 唐突にも程があるミレーユの言葉に――



「「「はぁ?」」」



 不覚にも、僕と父と枢機卿は、同時に間の抜けた声を漏らしてしまった。

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