64 (シオン視点)遠き追憶の王女

「お訊きしたいことがあります」


 と、ミレーユが口火を切ったのは、その夜に開かれた晩餐会でのことだ。


 といっても、その相手は僕ではなく、僕の父――クルゼオン伯爵だった。


 ……親父の反応を見る前に、状況の整理が必要だろう。


 今日の昼過ぎに僕が飛竜の世話をしている(させられている)厩舎に突然現れたのは、この国――シュナイゼン王国の第一王女であるミレーユ・アグリア・シュナイゼン殿下だった。


 実は、僕とミレーユ王女――そして今はいない元兄もとあにゼオンのあいだには、ちょっとした縁がある。


 僕とゼオンが幼い頃に、僕たちの母が病気で亡くなった。

 まだ若く、美しく、優しかった母の死に、僕もゼオンも激しく動揺した。

 自分では詳しいことは覚えていないが、人から聞いた話によると、二人揃って、しばらくのあいだ食事もろくに喉を通らず、人の問いかけにも反応せず、遊びもせずに寝床に臥せっていることが多かったという。


 そんな僕らの状態を、恐れ多い方が案じてくれた。


 シュナイゼン王国の現国王、ディオゲネス1世陛下その人だ。


 なんでも、僕たちの母は王妃様の遠縁の親戚に当たるらしく、王妃様は大変心を痛めておいでだったのだとか。

 王妃様は残された幼い子ども――つまり僕らのことを気にかけて、王族の所有する別荘でしばらく静養してはどうかと提案してくれたらしい。

 風光明媚な湖畔にあるその別荘は、王家の別荘としては質素だが、自然環境はとてもいい。

 自然の中でゆったり過ごせば、僕ら兄弟の心の傷も瘉えるのではないか――


 王妃様の有り難い申し出に、父は一も二もなく乗った。

 というか、せっかくの王妃様直々の申し出を断るなど、恐れ多くてとてもできなかったというのが実情だろう。

 中央政界での出世を夢見る父にとって、自然の中での療養という発想はいかにも軟弱に見えただろうし、その効果も疑っていたに違いない。

 だが、別荘に僕らを送り込めば、僕らの様子を報告するという形で、定期的に王妃様にお目通りすることも可能になる。


 ……いや、違うかな。

 母を亡くしたときの父の悲しみが演技だったとはとても思えない。

 自分の悲しみ、自分の喪失感と向き合うので精一杯で、子どものことにまではとても頭が回らなかったんじゃないか。

 ひょっとすると、王妃様はそうしたことまでご承知の上で、僕ら兄弟を一時的に預かると申し出てくださったのかもしれない。

 母と縁戚ということもあってか、王妃様も母同様お優しく慈悲深い方だから。


 僕らを別荘に引き取るに当たって、陛下が僕らにひとつ頼んできたことがある。


『俺の娘もおまえたちと同い歳なんだが、身分ゆえ、同世代の遊び相手がおらず、寂しい思いをさせてしまっておる。別荘にいるあいだだけでも、娘の遊び相手になってやってはくれまいか?』


 僕たちの自主性に委ねるような言い方だが、相手は国王陛下である。

 僕とゼオンは緊張しきって「はい」と言うしかないじゃないか。


 ……説明が長くなったかもしれないね。


 そこで紹介されたのが、まさしくこの国の第一王女であるミレーユ殿下だ。

 といっても、当時は僕らと同じく、十歳になるやならずやの子どもでしかない。

 だが、王女だけに厳しく躾けられてきたんだろう、行儀作法は完璧だ。

 特注のドレスを見事に着こなし、一分の隙もない優雅な動作で僕とゼオンに一揖いちゆうした。


「ミレーユ・アグリア・シュナイゼンですわ。以後お見知り置きを」


 僕もゼオンも貴族としての作法は習い始めたばかりだったから、わたわたと優雅とは程遠い挨拶を返したんじゃなかったか。


 こんな殿上人のお姫様を預けられて、不敬があっては大変だ――

 最初はそう思ったんだけど、ミレーユは、隙のない行儀作法とは裏腹に、ざっくばらんな関係を好んだ。

 僕たちは互いを名前で呼び捨てにしあい、自然の中でいろんなことをして遊び回った。


 川の中に入って水かけっこをしたり、滝壺に飛び込んでみたり、魚を素手で掴み取ろうとしてみたり。

 トマスに教わって釣り糸を垂れたりもしたが、僕はすぐに飽きてしまった。

 兄さ――ゼオンは、「なるほど、奥深いな……」などとつぶやいて、一人で黙々と川辺に座ってることもあったのだが。


 ちゃんばらもやった。

 剣術が得意なゼオンの圧勝かと思ったが、なんとミレーユはそのゼオンを完膚なきまでに負かせてしまった。

 無邪気にも「僕の兄さんはすごいんだ!」と思い込んでいた当時の僕は、けっこう大きなショックを受けたと思う。


 将棋や囲碁といった頭脳ゲームは、僕がゼオンに勝てる数少ない分野だった。

 だがこれも、僕はミレーユに惨敗を喫した。


 ミレーユは才気に溢れた少女だった。

 アメジスト色の瞳の中で輝く星、金色の髪のえもいわれぬグラデーション、白磁のような肌のキメなども、そこらへんにいる普通の女の子とは比較にならないほど細やかだった。


「また負けたかぁ、悔しいな!」


 負けた悔しさでむっつり黙り込む僕とは違い、ゼオンはあっけらかんとそう言って、勝者を称えた。


「やっぱミレーユはすごいよ。なんでもできるんだな」


「なんでもは言いすぎですよ。いろいろな芸を仕込まれているというだけです」


「そうか? 嫌々やらされてるだけだったら、ここまで上手くならないだろ。ミレーユは自分で考え、いろいろ工夫して、もちろんその上でたくさん努力して、いろんなことを身に着けてきたんだろうな」


「あっ、えっ……そ、そう、ですわね。そのように言われたのは初めて……です」


 ゼオンの言葉に、頬を赤くしてミレーユがうつむいた。


 ミレーユを照れさせる兄の話術に、僕の内心に黒い感情が渦巻いた。

 当時はその感情をどう名付けたらいいかもわかってなかったが……今ならわかる。


 あれは、嫉妬だ。


 僕は幼いながらにミレーユに強く惹かれていた。

 それなのに、引っ込み思案のせいで近づけず、いつも兄のおまけのような立場でミレーユと遊ぶだけだった。


 僕がミレーユを褒めても、ミレーユがこんなふうに照れたような顔をすることはなかった。

 ありがとう、どういたしまして。

 そんな言葉とともににっこりと受け止め、数秒後には僕が勇気を振り絞って口にした褒め言葉を忘れてる。


 それなのに、ゼオンの褒め言葉には、恥じらう乙女のような反応を見せるのだ。


 ……とまあ、長々と書いたが、図式としては簡単なことだ。


 僕はミレーユに惚れていて、ミレーユはゼオンに惚れていた。

 肝心のゼオンは、ミレーユの気持ちにも、僕の気持ちにも気づいていなかった。


 王女であるミレーユ中心に始まったはずの三人の関係は、いつのまにかゼオンを中心に回っていた。


 もちろん、楽しいことも多かったさ。

 僕がずっとひとりで悶々としてたわけじゃない。

 今でも思い出す、特別な一夏ひとなつの思い出だ。

 あんな宝石を散りばめたような一夏は、僕が今後何年生きても、再び巡り合うことはないかもしれない。

 そのくらいに、輝かしい、忘れがたい夏の思い出だった。


 それだけに、僕がその中で脇役のような立場でしかいられなかったことに、悔しさと恥ずかしさと、情けなさを感じてしまう。


 今日、厩舎にやってきたミレーユを見て、驚いた。

 あの頃の面影をそのままに、少女としてつぼみが開きかけている絶妙の時期。

 開ききった大輪の花も美しいが、未来の花を期待させる慎ましい蕾のような少女もまた、美しいものだ。

 この蕾はあっというまに開き、そうなっては、この時期の微妙な美しさはなくなってしまう。

 宝石として僕の心の奥底にしまわれているあのひと夏の思い出と同じように、今目の前にいるミレーユの美しさも、すぐに追憶の中に埋もれてしまい、色褪せた空想の中でしか見れなくなる。


 厩舎でのミレーユとの会話は、僕の緊張のせいでぎこちなくなってしまった。

 「飛竜の面倒を見ているのですか」「そ、そうです」「竜騎士になりたいのですか?」「いや、勇者になるための修行で……」

 話がふくらまないことこの上なかった。


 そこにミレーユの従者の人がやってきて、「勝手に動き回らないでください」とミレーユに苦言を呈し、伯爵との会食の予定を僕にも伝えた。


 で、その会食の席なのだが……


「ほう。お尋ねになりたいことですか。王女殿下が自ら我が領にお越しになってくださったのだ。私にわかることならなんでもお答えいたしますぞ」


 と、父伯爵。


 その顔には、急な訪問への困惑の色が浮いている。


 そして、父の隣に控えているのが――


「新生教会のゲオルグ枢機卿……でしたね? なぜこの席に?」


 ミレーユが咎めるような口調で誰何する。


「いや、なに。伯爵殿とは親しくさせていただいておりましてな。領に関することならば、教会にもご協力できることがあろうかと、無理を言って同席させていただいたのです」


 ぬけぬけとそう答えたのは、新生教会の枢機卿であるゲオルグだった。




――――――――――

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ここまで来られたのも、皆様のご応援あってのことです。

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この場を借りて、改めてお礼申し上げますm(_ _)m


今後とも『下限突破』をどうぞよろしくお願い致します!

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