63 (シオン視点)再会

「おい、メシの時間だぞ」


 僕は飼料の入った手押し車を押しながら厩舎に入る。

 勇者パーティ「天翔ける翼」所有の飛竜ドラグディアが、期待に満ちた目を僕に向けてくる。

 いやしくも勇者パーティの「一員」とは思えない浅ましさだ。


 僕が手押し車を傾けて餌箱に飼料を流し込むと、ドラグディアは待ちきれないとばかりに頭を突っ込んだ。

 ガツガツと食べるその姿は、飛竜といえど、やはり獣。

 だが、自分が運んできた餌に夢中で食らいつく姿を見ていると、僕の頬が自然に緩む。


 ……くそ、なんでほだされてるんだ。


 僕は慌てて緩みかけた頬を引き締める。


 ドラグディアは大食らいだ。

 しかも、食うのが恐ろしく早い。

 鯨飲馬食という言葉があるが、ひょっとしたらそれ以上の食べっぷりかもしれないな。


 餌を食べ終えたドラグディアはゴフッと大きなげっぷを漏らすと、僕の顔を見て首を傾げた。

 そして何を思ったか、僕の顔に頭を伸ばし、熱くて湿った舌で僕の顔を舐めようとする。


「おいやめろ!」


 今餌を食ったばかりの不潔な舌で顔を舐め回されるなんて冗談じゃない。

 世話を始めたばかりの頃は不意打ちを受けることが多かったが、今ではこいつの舌が届く間合いを見切っている。

 予め間合いを取っていた僕は、上半身を後ろに傾けることで、ドラグディアのぬめった舌をなんとかかわす。


 舌舐めを避けられ、ドラグディアが不満そうに鼻息を漏らす。

 ドラグディアは舐めたがりだ。

 「天翔ける翼」の連中がどんな教育をしたのか、隙を見ては人の顔をべろべろ舐め回そうとするからたまらない。


「……ベルナルドなら、笑って許すどころか喜ぶんだろうけどな」


 ああいうがさつな男は、動物(?)との生の触れ合いを喜ぶだろう。

 飛竜に頭を齧られても笑っていそうだ。

 飛竜の牙と顎の力は言うまでもないが、Bランク勇者であるベルナルドのHPとPHYなら死にはしない。


「ふん、僕だってわかってる。僕にはああいうタイプの豪放磊落さは薬にしたくともない。人がおもわずついていきたくなるような、度量とか、器の大きさみたいなもんは、僕には一生無縁のものなんだろうな」


 厩舎の柱に背を預けて地べたに座り、片膝を抱えるような姿勢で僕はつぶやく。


「兄貴――ゼオンにはそれがあった。おせっかい焼きで、どこか子どもじみたところもあって、その延長でガキ大将みたいな感じでいつのまにか人が集まってくるような……年下には慕われるし、年上からは愛される。ずるいだろ、そんなの」


 こんな仕事をさせられていると、出てくるのは愚痴ばかりだ。

 厩舎は普段は誰もいない。

 人の耳を気にせず愚痴れるこの場所のことが、僕は段々気に入ってきた。

 厩舎特有の家畜の臭いにももう慣れた。

 飛竜であるドラグディアは、巨体でものをよく食うわりには、あまり体臭はしないのだが。


 ここにいると愚痴が出るのは、ドラグディアがいるからでもあるんだろう。

 まさか、人語を解するわけはないが、それでも僕が何かをしゃべっていると、神妙に聞いてるようなふりをする。

 僕が誰かに――たとえばトマスのような使用人に愚痴を言えば、最初は礼儀正しく聞いてくれていても、最後には僕への説教にすり替わる。

 人によっては、「ゼオン様は――」などと、頼んでもいないのに兄を引き合いに出して僕をくさす。


 嫡男でなかった僕にそういうことを言っても、罰せられることなどないと思ってたんだろう。

 貴族の息子として、使用人の口の聞き方程度のことでいちいち怒っていては今以上に軽く見られるという事情もあった。


 だが、今では僕はクルゼオン伯爵家の嫡男だ。

 さすがに、僕に当てこすりを言うような使用人はいなくなった。

 ゼオン付きだったメイド――コレットという無能なメイドをクビにしたのが効いてるんだろう。

 僕としては、あれは一時の怒りを抑えられずやりすぎてしまったと今では反省してるんだが、貴族の言葉をなかったことにはできない。

 あのメイドとて悪気があって言ったことではなかったのだから、もっと鷹揚に接するべきだった。


 そういう余裕のなさは、使用人たちから見透かされ、侮られる原因にもなっている。

 ただ、コレットを解雇したことが、使用人たちへの脅しとなったことも事実だ。

 それに反発して辞めたメイドもいたと聞くが、頭を低くして僕の怒りに触れないように気をつけるようになった使用人が大半だ。

 家内政治という意味では、一罰百戒のような効果はあった。


 でも――


「僕はこうして、人を恐怖で従わせるような権力者になっていくんだろうか?」


 強権を振るって人々を震え上がらせれば、人々は(少なくとも一時的には)僕に逆らわなくなるだろう。

 だが、内心では僕への反発を強めるはずだ。

 僕への反発を持つものが増えれば、結託して僕に逆らおうとしないとも限らない。

 そうなれば、僕はさらなる強権を発揮して、彼らを弾圧しなければならないだろう。

 すべての領民が僕を心底から恐れ、逆らう意欲をなくすまで――

 僕は領民たちに過酷な刑罰を与え続けるのだろうか?


「はっ、わかってるさ、もちろん。クルゼオン伯爵となって良政を敷けるのは、まちがいなく兄貴のほうだ。僕はよくて親父と同レベル、悪くすればそれ以下だ」


 くううん、と声がした。

 見ると、ドラグディアが目を細め、首を低くして、僕のことを気遣わしげに見つめている。


「ふん、おまえに慰められるようになったら僕も終わりだな」


 双子の兄であるゼオンを追い出し、この街の次期領主の地位を手に入れた。

 目の上のたんこぶがいなくなってすっきりした――と思えたのは、ほんの少しのあいだだった。

 虚勢を張って、兄に負けまい、自分の価値を見せつけたいという気持ちで手に入れた地位に、僕は早くも押しつぶされそうになっている。


 家から追放され、冒険者になって活躍するゼオンは、今頃何を思っているのだろうか?


「兄さんのことだ。どうせ、『追放されたのはかえってよかった、冒険者として市民の役に立って感謝されるのは嬉しいし、昔から好きだった古代人の伝承や足跡を追いかけてみたい』なんて思ってるんだろう」


 これでは、あの一件で得をしたのはゼオンの方ではないか。

 僕はあいかわらず息苦しい実家に縛られ、政治経済の勉強をさせられながら、飛竜の世話までさせられている。

 僕はこれから、親父やトマスによって領の経営のなんたるかを仕込まれ、親父同様のお神輿の領主になっていくのだろう。


 そんなのが僕の望んでいた人生なのだろうか?


 だが、もしそんな人生は嫌だというのなら、じゃあ、どんな人生を送りたいのか? そして、そのために今どんな努力をしているのか?

 そう問われれば、答えることのできない自分がいる。


 もちろん、わかっている。

 僕の悩みは、一般市民からすれば贅沢な悩みだ。

 領主になるか、それともベルナルドに自分を認めさせて勇者を目指すか。

 大当たりのギフトを引いた上に、そんな(世間的には)優良な選択肢が二つも目の前にあるのだから。

 僕がこの悩みを誰かに打ち明けたところで、「贅沢ばかり言うな」と冷たい目で吐き捨てられるだけだろう。

 そんな愚痴を聞いて相談に乗ってくれるのは――そう、僕が追い出した兄くらいだ。


「ああ、むしゃくしゃするな」


 そこで、ワフっ、ワフっ、と声が聞こえた。

 僕はおもわずドラグディアの方を振り返るが、ちがった。

 ドラグディアは身体を丸め、地面におろした頭を僕の方に向けてるだけだ。

 きっとメシを食って眠くなったんだろう。

 そもそも、声はドラグディアの方ではなく、戸口の側から聞こえたものだ。


 僕が戸口の方を振り返ろうとしたところで、


「ワフ! ワフ!」


「うわっ⁉」


 大きな犬が僕に走り寄ってきて、立ち上がりかけの僕を押し倒す。

 厩舎の清潔とは言いがたい地面に髪が触れ、ぞっとしてるあいだに、その犬は僕の腹から胸あたりに遠慮もなく乗ってくる。

 身体の重心を抑えられた僕は動けない。

 犬は、大きな頭を僕の頭に近づけると、やたらと嬉しそうに僕の鼻のあたりをべろべろと舐めだした。


「や、やめろ! 汚いだろ! 離れろ、犬! おまえ、どこから入ってきた⁉」


 厩舎の周りに犬なんかいなかった。

 厩舎はクルゼオン伯爵邸の敷地内にあるので、野良犬が迷い込んできたとも思えない。


「ワフ! ワフ!」


 なぜだか興奮した様子で僕を舐め続ける大型犬。


 その大型犬の奥から、声がした。

 聞き覚えのある声だった。


「ふふっ、あいかわらず、シラーに好かれてるのね、シオン」


 その声に驚いた僕は、犬の両脇を両手で掴んでなんとか押しのけ、立ち上がる。


 厩舎の戸口に立っていたのは、旧知の少女だ。

 身軽なワンピース姿だが、よく見れば高級な生地を使ったセンスのいい一品のようだ。

 普段はドレスを着ることが多い彼女だが、身動きを重視するときにはこんな軽装をすることもある――この数年で好みが変わってなければ、だが。


 僕は恥ずかしくて、彼女の顔を真っ向から見ることができなかった。

 ただぼんやりと、幼い頃と変わらない、緩くウェーブしたプラチナブロンドの艷やかな髪が、華奢な身体を覆うように広がってるのがわかっただけだ。


 僕とゼオンがまだ幼かったときに出会い、今も忘れられない一夏ひとなつを一緒に過ごした当の相手――


 幼馴染、と言えるのだろうか?

 幼い頃に知り合い、気心が知れていたという意味でなら、イエスだ。

 幼い頃から今に至るまで縁がずっと繋がっていたという意味でなら、ノー。


「ミレーユ……王女」


「ええ。ご無沙汰しています。お元気でしたか、シオン?」


 記憶にあるよりずっと美しくなったその少女は、優雅な礼とともにそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る