57 樹都ネルフェリア

「おお、ここがネルフェリアか」


 ゼルバニア火山で出会ったアカリにファイアドレイクの卵を返させた後。

 俺はアカリとは別れ、火山の稜線を超えて、クルゼオン領とは反対側の斜面を山道沿いに下った。

 新たに判明した属性値なるパラメーターの謎を検証しながらだったせいで、丸三日もかかってしまったな。


 ゼルバニア火山の稜線を越えると、はるか眼下には一面に森が広がっていた。

 大樹海。

 そう呼ばれる広大なフィールドだ。


 大樹海のどこかには、エルフの集落や妖精の里があるとされ、嘘か真か、ときどき目撃証言があるらしい。


 ただし、大樹海の探索は進んでいない。

 大樹海の中には「迷いの森」と呼ばれる領域がある。

 そこに迷い込むと、いつのまにか道を見失い、気づけば元の場所に戻ってしまうのだという。

 だからこそ、希少種であるエルフや伝説の存在である妖精が隠れ住んでるという噂に信憑性が出るわけだ。


 ちなみに、その伝説の妖精であるレミィだが、出身は大樹海ではないらしい。

 じゃあどこなんだと訊いたんだが、「妖精は世界地図とか持ってないので~」とのことでわからない。

 妖精の里に名前とかないのかと訊いても、「中で暮らす分には『里』で十分ですからね~」。

 魔族であるネゲイラは瞬間転移を使っていたから、同じく魔族であるロドゥイエも似たようなことができる可能性は高い。

 レミィがさらわれたのが大陸の反対側だったとしても全然おかしくないわけだ。


 とはいえ、妖精であるレミィがいれば、大樹海の妖精やエルフと少しは接触しやすいかもしれないよな。


 え? 妖精やエルフと接触してどうするのかって?


 もちろん、魔族に対抗するための手段を聞き出したいのだ。

 まあ、伝説の存在に会ってみたいというミーハーな動機があることは否定しないけどな。


 で、その大樹海の入り口にあるのが、樹都ネルフェリアと呼ばれる峡谷の街だ。


 大樹海の手前、大きな滝の下流にある自然の峡谷の左右に張り付くようにして築かれた街は、シュナイゼン王国の他のどの街とも雰囲気が違う。

 傾斜の急な切り立った崖に沿うように、ツリーハウスや岩窟が並び、両岸を結ぶ吊り橋がそこここに渡されている。

 吊り橋以外にも、数え切れないほどのロープが渡され、籠に入れられた物資が右岸から左岸へ、左岸から右岸へと流れていく。

 いや、物資だけじゃないな。

 特に丈夫そうな太いロープには、馬車くらいの大きさの「箱」が吊るされ、人を乗せて左右の岸を往復している。


「はぇ~。変わった風景ですね~」


 と言ったのはもちろんレミィ。


「元はここもフィールドの一部だったらしいんだが、人が住み着いたことで街としてフィールドから独立したと聞いてるよ」


 古代人が設定したとされる「フィールド」の範囲は、基本的には不変である。

 だが、フィールドの一部に人が住み着き、生活実態が生まれると、人口に応じてフィールドの一部が村や街として独立する。

 村や街になれば、フィールドのようにモンスターが湧出ポップすることもない。

 この世界の人々は、そうしてフィールドの一部を「開拓」し、人間の居住空間に変えてきた。

 もっとも、それはあくまでも例外であって、この大陸のほとんどがフィールドで覆われてることに変わりはない。


「風光明媚な街と聞いて楽しみにしてきたんだけどな」


 俺は峡谷の街の奥――ネルフェリア大滝の方を見て、そうつぶやく。

 落差優に百メテルはある大滝だ。流れ落ちる水は途中で空気にぶつかって分散し、滝壺である小ネルフェリア湖に到達する頃には霧のようになっている。


「聞いてた話だと、大滝の上に大樹海が望めるはずなんだけどな」


 大樹海の上から差し込む陽の光によって、滝にはしばしば虹がかかる。

 深山の幽谷、という言葉が似合うような、幻想的な風景が見られる……と聞いていた。

 が、


「なんだか霧が濃いですねぇ~」


「だな」


 レミィの指摘した通りだ。

 峡谷から大滝までを濃霧が覆っており、その上に見えるはずの大樹海は完全に霧の中に埋もれてる。


「水の精霊がたくさん集まってるみたいですぅ~」


「精霊視か?」


「はい~。大滝の方――いえ、その上の湖の方ですね~」


「滝の上の湖は……大ネルフェリア湖か」


 大ネルフェリア湖に蓄えられた水が滝となって下り、峡谷奥の小ネルフェリア湖に流れ込む。

 小ネルフェリア湖から流れ出る水流が永い年月をかけて地盤を削り、このネルフェリア峡谷が完成した。


 成り立ちの経緯からして霧の多そうな街ではあるが、今目の前にある光景と、聞きかじりの街の風景が一致しない。

 雨季だろうか?


「ともあれ、まずは冒険者ギルドを探すか」


「お仕事をするんですかぁ~?」


「それもあるけど、結局情報がいちばん集まるのはギルドだからな」


 もっとも、俺のお目当ての情報は、ギルドにもほとんどないかもしれない。

 俺が求めてるのは、直接的には「魔族への対抗策」、間接的には「魔族への対抗策を知ってるかもしれないエルフや妖精への接触法」だ。

 もう一段階間接的な情報としては、「エルフや妖精に接触するために『迷いの森』を抜ける方法」も知りたいな。

 

 だが、どの情報も、公になってるようなものじゃない。

 ひょっとしたら一部の高ランク冒険者が知ってて秘匿してたりするかもしれないが、それを訊き出すのは難しい。

 

 ひとまず、「迷いの森」やその周辺の大樹海についての情報が得られればそれでいい。

 大樹海の探索を進めるうちになんらかの手がかりが見つかるを期待するしかないんだよな。

 一応、妖精であるレミィがいるから、他の冒険者より条件はいいはずだ。


「ギルドはどこだ? ……ああ、あれか」


 俺は今、街を峡谷の下流側から入って、西側の岸壁に沿って街を探索してる。

 冒険者ギルドは多くの冒険者が出入りするため、街でもわかりやすい場所にあることが多い。

 このネルフェリアの街でも、入ってからさほど進んでない場所に冒険者ギルドの看板があった。

 濃い霧で見づらいからか、看板にはランタンが付けられている。


「ここだな」


 冒険者ギルド・ネルフェリア西岸支部。

 クルゼオン支部と比べるとかなりこじんまりした建物で、小さな郵便局くらいの広さしかない。

 郵便局と言っても、クルゼオンの中央郵便局のような立派なものではなく、街中の小さな支局の大きさだな。

 

 出入りが激しかったクルゼオン支部には、かえって気軽に入ることができた。

 でも、これくらい小ぶりな建物だと、中に入るのにちょっと勇気がいる。

 「OPEN」と書いてはあるが明らかに一見さんを想定してない飲食店みたいな感じだな。


「ごめんください……」


 と、正しいのかどうかわからない挨拶をしながら、扉を開いて中に入る俺。


「見ない顔ですね。どうなさいました?」


 扉のすぐ前にあるカウンターに座った受付嬢が、俺の挨拶に応えてくれる。


 俺は冒険者証を差し出しながら、


「クルゼオンから流れてきた冒険者だ。ゼオンという。しばらくこの街で厄介になろうと思ってるんだが……」


「そうですか。ようこそ、樹都ネルフェリアへ。まあ、みやこと言っても、クルゼオンに比べれば随分見劣りすると思いますけどね」


 と自虐的なことを言われ、反応に困る。


「風光明媚な街だと聞いてるぜ」


「この鬱陶しい霧さえなければ、ですが……」


 ということは、この霧はこの街にとっても異常事態ってことなんだな。


 俺が世間話を続けようとしたところで、冒険者証を検めていた受付嬢が凍りつく。


 受付嬢が細い指先でなぞっているのは、ミラが刻印してくれた「裏書き」だ。

 そこに彫られている文面は、『この冒険者につき、クルゼオン支部はその信用を保証する』――だったか。

 ランクだけではわからない冒険者の信用情報を他のギルドに伝えるためのものと聞いている。


 これのおかげで、初めて訪れる街の冒険者ギルドであっても、少なくとも門前払いは喰らわない――


 俺はそう思っていたのだが、受付嬢の顔はみるみる険しくなっていく。

 大人しそうながらもそれなりに愛想よく対応してくれていた受付嬢は、眉間に深いシワを寄せ、口元には、なんていうか――


「――お引取りください。クルゼオン支部が何を評価したかは知りませんが、当支部では神に祝福されざる冒険者に与える仕事はありません。『下限突破』のゼオンさん」


 嫌悪と侮蔑の入り混じった表情で。

 その受付嬢は、俺に冒険者証を突き返すのだった。

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