56(シオン視点)飛竜の世話係
「くそっ、なんで僕がこんなことを……!」
僕は
その餌箱に、飛竜が頭を突っ込み、飼料をあっという間に平らげる。
メシはこれだけか?と言わんばかりの目で飛竜に睨まれ、僕はしかたなく残りの飼料を餌箱に追加する。
飼料といっても、馬のような飼い葉ではない。
大きな干し肉の塊と、まるごとの野菜や果物の山。
大豆や麦といった一般的な動物の飼料もあるが、それもとんでもない量が必要だ。
全部合わせれば、一日で僕の体重と同じくらいの餌を食ってるんじゃないか?
その飼料を収める餌箱も、人間が優に二人は寝そべれそうな大きさだ。
馬とは比べ物にならない大食らいの飛竜だが、馬とは違うメリットもなくはない。
馬の厩舎には独特の臭いが立ち込めているが、飛竜はそうした獣くさい臭いは薄いのだ。
飛竜が竜の亜種なのかモンスターの一種なのかは議論の分かれる問題らしいが、いずれにせよただの動物ではないという点では一致している。
排泄物もころころとした乾燥した無臭の糞を出すだけなので、ある意味世話しやすいとも言えるだろう。
もちろん、普通の動物に比べれば、なのだが。
それに、臭いはしなくても量が量だから、一体の面倒を見るだけでも体力的には限界だ。
何度かスコップで餌箱に「お代わり」を入れてやって、ようやく飛竜は満足した。
大きなげっぷを漏らした飛竜は、自分に与えられた巨大な藁のベッドにうずくまると、大きな寝息を立て始める。
スコップを杖代わりにしてうずくまっていた僕は、その満ち足りた顔を見てイラッとする。
「くそっ、お気楽なもんだな。死ぬほど食って、死ぬほど糞を排泄して……毎日毎日その世話ばかりさせられてる僕の身にもなってみろよ」
言っても無駄とは思いつつも、僕は飛竜に文句を言った。
いや、飛竜に言ったというより、独り言のようなものなのだが。
――思い出したくもない話だが、僕がなぜこんなことをやらされる羽目になったのかを説明しておこう。
あのスタンピードからもう二週間以上も経った。
スタンピードの元凶が僕なのではないか? ――そんな追及をしてくる連中のことは黙らせた。
たしかに僕は、あの忌々しい下限突破ダンジョンで、「上限突破」を意図せずして使ってしまい、スタンピードの引き金を引いてしまった。
だが、それを証明できるのは、あの場に居合わせたあの魔女――ネゲイラとかいう魔族の女だけだ。
あの女は衆人環視の中で僕の失態をぶちまけるだけぶちまけて、後は知らないとばかりに姿を消した。
あの場では動揺して、あの女の証言を裏打ちするような態度を見せてしまったが、冷静になってみればどうということもない。
あんな胡乱な女の証言をまともに受け止める者など、いるはずがないからな。
もちろん、あの場にいた人間は僕のことを怪しいと思っただろうが、それも所詮は心証だ。
領主の息子と魔族の女と、どちらのほうが怪しいかと言えば、客観的には圧倒的に魔族の女のほうだろう。
僕がスタンピードの元凶となった、などというのは言いがかりだ――
そう突っぱねるだけで、それ以上の追及を封じることは簡単だった。
僕は仮にもクルゼオン伯爵家の現嫡男だからな。
批判を圧力で封じ込めることなんて朝飯前だ。
だが、そんなものは意にも介さない奴もいた。
「――おう。ちゃんと面倒見てやってるみたいだな」
飛竜の厩舎の後ろからかけられた声に、僕はぎくりとして振り返る。
厩舎の入口から現れたのは、身長2メテルを超える巨漢だった。
ぼさぼさの黒髪と筋骨隆々の日焼けした肌。
肩幅も胸の厚みも僕の倍はあるだろう。
いかにも歴戦の勇者という風貌からくる威圧感は相当なものだが、同時に何かをおもしろがるような笑みを絶やさない男でもある。
率直に言って、厚かましく、うっとうしい男だ。
この男は、どういうわけか、あの事件のあと、僕の保護者を買って出た。
で、今やらされているのが、この飛竜の世話というわけである。
一体どんな説明をしたのか、父伯爵にも認めさせてしまった。
僕の「更生」のためとか、ふざけたことを言ったらしい。
「なんで僕が飛竜の世話なんか……」
「気に入らねえか?」
「当たり前だ! こんなことをしていても、レベルが上がるわけでもなければ、スキルが習得できるわけでもない! 僕の『上限突破』を活かすには、まず僕のレベルを上限まで上げきる必要がある! このままでは宝の持ち腐れではないか!」
「宝の持ち腐れ、ねえ……。恵まれたギフトがありながら、そんな心根でいることのほうがよっぽどもったいねえと思うけどな」
「うるさい! おまえみたいながさつな人間に僕の何がわかる!」
「おうおう、言うねえ。だがな、がさつだからこそわかることもあるんだよ。おまえはいろんなもんに囚われすぎだ。立場だとか、身分だとか……兄貴への羨望だとか、な」
「ぼ、僕はゼオンを羨んだりはしていない!」
「自覚なしかよ。こりゃ、時間がかかりそうだな」
むかつくことに、ベルナルドはその大きな肩をすくめ、僕の言葉を受け流す。
「……そいつな、親を殺されてんだ」
ベルナルドが、飛竜に目を向けてそう言った。
「親を?」
「ああ。言っとくが、やったのは俺たちじゃないぜ。とある貴族のボンボンが、自分だけの飛竜がほしいとダダをこねた。お抱えの冒険者に、飛竜の卵を取ってこいと命じた。飛竜は卵から育てないと人には懐かないからな」
「その冒険者がこいつの親を殺したのか?」
「ああ。だが、こいつの親もさるものでな。冒険者を相討ちにまで持ち込んだ。そこにたまたま駆けつけた俺らが、残された卵を保護したんだ」
「保護? フン、自分たちの飛竜がほしかっただけじゃないのか? 動機において、貴族のボンボンとやらと同じじゃないか」
「……かもな。だが、俺らはこいつのことを自分たちの子どもだと思って懸命に育ててきたんだぜ? 飛竜の飼育法なんて知らなかったから、八方手を尽くして情報を集めて、毎日手探りで育てたんだ。今でこそ役に立ってくれてるが、当時は餌代だけでもカツカツだった。一時はこいつに食わせるためだけに働いてるようなもんだったな」
「……そうなのか」
飛竜を見るベルナルドの目は優しく、それ以上に混ぜっ返す気にはなれなかった。
「おまえはどうだったよ?」
「は? 僕?」
「あの厳格だが凡庸な親父さんに育てられたんだろ? 兄貴とは随分性格が違うみたいだが、どんな育ち方をしたらそうなるんだ?」
「それは……」
幼い頃は、それなりに満たされた暮らしだったと思う。
母は病弱だったが、僕と兄に等しく愛情を注いでくれていたと聞いている。
聞いている、と伝聞で言ったのは、母は僕と兄が物心がつくころに亡くなったからだ。
この飛竜は、親を亡くした後、強力な庇護者に恵まれた。
なにせ勇者だからな。
でも、それ以上に、ベルナルドたちはこの飛竜に深い愛情を注いだようだ。
僕がくれてやったメシを食い、こちらを警戒する様子もなくぐっすり昼寝を決め込んでる飛竜を見ると……なんだかイラッとしてくるな。
見ているこちらも気が緩んでくるような安らかな寝顔だけに、いっそう腹が立ってくる。
僕も――おそらく兄も、こんな風に父親に気を許したことはなかったと思う。
「いつも比べられたよ。使用人たちがよく言ってるのは、剣術なら兄が、勉学なら僕が優れている、という話だが、もっとずけずけした比べ方もされていた。人前で堂々と振る舞えるのは兄の方だ。弟の方は臆病で度胸が足りない。おまけに、病弱で身体も強くない」
「ふぅん。ま、持って生まれたものの違いかもしれねえな」
「そうなんだろうな。だが、僕だけはわかっていた。兄はあれで、頭がいい。勉学で僕が兄に勝てていたのは、僕が病弱だったせいで剣術の稽古をサボることができたからだ。僕が唯一兄に勝ってることだって、実情はそんなもんだったんだ」
「へえ。随分素直に認めるんだな」
「もちろん、僕と兄で、どっちのほうが頭がいいかなんてことはわからない。僕のほうが勉学――決まりきったことを習得するのは得意だろう。兄は――そういうのはむしろ苦手そうだったな。真偽も定かでない古代人にまつわる仮説だの、古代人の遺した詩だのの本を読み漁っては、目を輝かせて僕に語ってきた。それ以外のことでもそうだ。形式に囚われる僕と違って、とっさの機転が利くのはあいつの方だ」
「意外に自由人なんだな、おまえの兄貴は。てっきり責任感の強いタイプかと思っていたが」
「責任感も強いさ。僕は身体も弱かったから、責任を負おうにも身体と相談ってことが多かった。大事な時に体調不良で動けません、では責任の取りようもないだろう。やろうと思ったができませんでした、では無責任だ」
「……無責任、か」
ベルナルドが微妙に苦い顔をした。
「今の僕は、もう病弱とは言えないと思う。でも、小さい頃からそういう状態だったからな。兄と違って、何をするにも、本当に自分にそんなことができるのかと不安になる。勇を鼓して取り掛かってみても、常に不安がつきまとう。そういう不安と無縁そうな兄を見るたびに、僕は……」
「そうか」
「父もまた、僕と兄を差別する。嫡男として成長していく兄に、僕はずっと取り残されていた。兄が、僕を蔑むのならまだよかった。だが、兄は――まあ、出来た人間なんだろう。僕のことを気にかけ、なにくれとなく世話を焼いてきた。その度に僕は惨めな気持ちになった。出来の違いを見せつけられるようでね」
「あいつに悪気はないとわかってても、か?」
「そうだな。だが……本当に悪気がないと言い切れるのか?」
「……どういう意味だ?」
「惨めさを噛み締めている僕の気持ちに気づかずに、あっけらかんと兄貴風を吹かせて、自分だけ悦に入ってるとも言えるだろ。僕を自分の引き立て役にしてるんだ。わざとじゃなかったとしても、無意識に、ね」
「そいつはさすがに……」
「うるさい。世間的に見れば、立派なのは兄だろうさ。僕の言い分なんて、どうせ僻んでるだけだの、ただの泣き言だのと言って切り捨てられるだけなんだろう。それでも僕は本気で腹が立ったんだ。あいつが兄貴風を吹かすたびに、周囲は流石はゼオン様と褒めそやす。そのついでのように、兄に比べて弟の方は……と僕をこき下ろすんだ。誰になんと言われようと、あの屈辱だけは忘れられない……いや、忘れてはいけないんだ。僕が僕であるために」
暗い炎を宿して言う僕に、さすがのベルナルドも余計なことは言ってこない。
だが、僕の言葉に反応した奴もいた。
いきなり首筋を這った熱くべたっとした感触に、
「うひゃああっ!」
と、僕は情けない悲鳴とともに跳び上がる。
「なんだ、ドラグディア! 僕に触れるなと言ってるだろう!?」
振り返り、怒鳴る僕に、飛竜――ドラグディアが首を傾げる。
そしてさらに舌を伸ばし、僕の顔を舐めようとする。
「うわっぷ! やめろ!」
「ははは! だいぶ懐かれたようじゃないか」
「笑ってないでこいつを離れさせないか!」
「ドラグディアは優しい奴だからな。落ち込んでる奴がいるとそうやって励ますんだ」
「僕は落ち込んでなんていない! 余計なお世話だ!」
「ま、しばらくそいつの世話を焼いてやってくれ。今日の様子を見て確信できた。おまえに今いちばん必要なもんは、そいつがうまく教えてくれる」
「馬鹿な! こんな大飯喰らいの馬鹿飛竜から学べるものなどあるものか!」
「そいつには、地位も立場もねえ。あるのはおのれの身体のみだ。おまえも自分の身体だけでそいつとぶつかってみろ。そいつがおまえに背中を許してもいいと思ったら――そん時は次の段階を考えてやる」
「言ったな!? ならば、僕は必ずこの馬鹿飛竜を服従させて――やめろ、舐めるな、咥えるな! ぼ、僕の顔によだれがぁぁぁぁっ!」
僕が両手でドラグディアの顎を押さえ、押しのけようとしているうちに、ベルナルドが僕に背を向け去っていく。
「――余計な荷物を下ろせ、シオン。身分を捨てろとはもう言わんが、ありのままの自分ってもんを捕まえ直せ。レベリングも更生もそこからだ」
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