55 筋の通らない要求
「いやー、助かった、助かった!」
シーフらしき少女が明るく笑いながらそう言った。
さっきから「シーフ」という言葉を使ってるが、これについては解説が必要だろう。
厳密に言えば、シーフという職業は存在しない。
冒険者のうちで、斥候、偵察等のいわゆるスカウト技術を専門としてる連中のことをシーフと呼ぶというだけである。
これも正式な用語ではなく、地域やギルド、パーティによっても呼び名が違うこともある。
さらに言うと、シーフと盗賊は別物だ。
盗賊というのは、盗みや強盗を生業(職業ではないが)とする犯罪者たちのこと。
野盗、海賊、山賊等、活動領域や地域によっていろんな呼び名のバリエーションがある。
冒険者のシーフは、盗賊ではない。
まあ、中には身を持ち崩して盗賊になる奴もいるんだが、犯罪を行っていることが明らかになればギルドは冒険者登録を抹消するからな。
その意味では、シーフ兼盗賊という存在は表向きいないことになっている。
もちろん、盗賊になった後も「シーフ」を自称する冒険者崩れはいるし、盗賊のあいだでシーフと呼ばれることはあるんだけどな。
ちなみに、盗賊に身を落とす冒険者は何もシーフに限らない。
どちらかといえば、荒っぽい気性の持ち主が多い前衛職のほうが盗賊になりやすい。
魔術師は冒険者を辞めても仕官の道が残されており、盗賊にはなりにくい。
知の探究を本分とする魔術師の性格からして、粗野で荒っぽい野盗の仲間になるのは難しいというのもありそうだ。
「お兄さん、強いんだねー! あんな大きな剣をぶん投げてファイアドレイクを撃退するなんて……痺れるね!」
アカリ、と名乗っていた少女は、あはは、と快活に笑いながらそんなお愛想を言ってくる。
俺の正直な感想を言っていいか?
随分調子のいい奴だな、というのが第一印象なんだよな。
見た目は良いし、愛嬌もあるから、多少勝手なことを言ったとしても、他人に不快感を与えにくいタイプだろう。
でも、ちょっと引っかかるな。
「……冒険者か?」
「一応そうだけど、私の本業はトレジャーハンターだよ!」
と、胸を張るアカリ。
「トレジャーハンター?」
「そう! 未知のお宝を探して東奔西走! 夢とロマンを追いかけるトレジャーハンター!」
「夢とロマン……古代人の遺跡とかか?」
「……うーん、古代人、かぁ。私、そっちにはあんまり興味ないんだよね」
「そうなのか?」
「とっくの昔に滅んじゃった種族なわけじゃん? そんなのの遺跡を巡ったって、気が滅入るばかりで全然楽しくないし」
……どうやら俺とは趣味が合わないみたいだな。
「じゃあ何を狙ってるんだ?」
「それはもちろん、ファンタジーさ! ドラゴンが
妖精、ね。
レミィに身を隠してもらったのは正解だったな。
「それで、ファイアドレイクの卵を盗んだのか?」
「盗んだなんて人聞きの悪い! 子どもが孵化して暴れ出す前に回収したと言ってほしいね! ドラゴンの卵は錬金術の上級素材としてすっごい高値で取引されるんだよ!」
と、目をキラキラさせて言うアカリ。
「……ゼルバニア火山のファイアドレイクは、火口に近づかなければ無害だと聞いているぞ。なんなら周辺のモンスターを食べて間引きしてくれる存在だ。ギルドから手を出すなと言われなかったか?」
「そ、そんなの……わかんないじゃん。今はおとなしくてもいつ暴れ出すかわかんないし」
「そうだな。だが、そんなファイアドレイクを、卵を盗み出すことで君は刺激した」
「う、そ、それは……」
「さらに言えば、怒って追いかけてきたファイアドレイクを俺になすりつけようとしたな?」
「い、いやだなー。そんなことないって。お兄さんだって、助けようと思ってくれてたんでしょ?」
「……このことはギルドに報告させてもらう」
俺が真面目な顔でそう言うと、
「いええっ!? そ、それは勘弁してほしいなーなんて思ったり……」
「報告しないわけにはいかないだろう。これは重大な危険行為だ」
「どひーっ、ま、待ってよ! 頼むからさぁ! 私の顔に免じて見逃して? ね?」
「会ったばかりの君の顔に免じられるわけがないだろ」
「あっ、そうか、わかっちゃった! くしし、そんなこと言って……お兄さんのえっち!」
「……はぁ?」
「『ギルドに報告されたくなくば……わかってるよな?』って奴なんでしょ? はぁ~、しかたないなぁ。命も助けられちゃったし、ちょっとくらいなら、ね?」
「……そんな話はしていない」
「うっ、じゃあ、どうしたら見逃してくれるの?」
目をうるうるとさせ、上目遣いに俺を見るアカリ。
いっそ無邪気とすら言えそうな顔だが、無邪気ならなんでも許されるわけじゃない。
だが……そうだな。
「どうやって火口から卵を盗み出したんだ? ファイアドレイクが温めてたんじゃないのか?」
「ああ、それは簡単だよ。ファイアドレイクは、鳥なんかとは違って、卵を自分で温めないんだ。火口に即席の孵化用マグマ溜まりを作って、その中に卵を入れるんだ。だから、隙さえ突けばちょちょいのちょいってね」
と、胸を張って言ってくるアカリ。
実際には、言うほど簡単なことではないだろう。
卵を自分で抱えていないとはいえ、卵のそばから離れることもないはずだ。
アカリはファイアドレイクに気づかれずに孵化用のマグマ溜まりに近づき、早業で卵を盗んでしまった。
逃げる途中で気づかれなかったら、アカリはまんまと逃げおおせていただろう。
やったことはともかく、シーフとして優秀なのは間違いない。
「……そうだな。黙っていてやってもいい」
と、俺は言う。
「おおっ、どゆこと? やっぱし、私のカラダが気になっちゃう?」
「そんなのはどうでもいい」
「どうでもいいは酷くない? お姉さん、傷ついちゃう~」
お姉さんって自覚はあったんだな。
俺のことを「お兄さん」と呼んでることと矛盾してるが、深い意味はないんだろう。
「もちろん、条件はある」
「はぁ~、だよねえ。何? お金? 貴重なアイテム? それくらいなら私のカラダにしとかない?」
「どれもいらん。俺の言う条件は、その卵を火口に返せ――それだけだ」
「えええっ!?」
俺の言葉に、アカリが仰け反った。
「ちょっとちょっと……確かに、ギルドで火口のファイアドレイクにはちょっかいをかけるなとは言われてるよ? でも、ファイアドレイクはモンスターなんだ。そのモンスターが産んだ卵は、壊してしまうのがいちばんいい。今はおとなしくしてるファイアドレイクも、子どもが生まれたら行動パターンを変えるかもしれない。たしかに私は勝手なことをしたかもだけど、こうして卵を盗み出したのは褒められてもいいことなんじゃないかな?」
「一般論としては、それも正しいな」
盗人猛々しい印象はあるが、彼女の言ったことは間違ってない。
「だけど、俺には気に入らない。モンスターといえど、親子なんだ。まだ暴れると決まってもいないうちから子どもを奪うのはかわいそうだ」
「ちょっ、意味わかんないって! お兄さん、感情移入しすぎじゃない? 所詮モンスター、所詮モンスターの卵なんだよ?」
「ああ、筋違いのことを言ってるのはわかってるよ。でも、気に入らないんだ」
「理由になってないって!」
「だから、条件だと言っただろう。君がその卵を火口に返したら、俺は君のした行為をギルドに報告せず、胸のうちに留めておく」
「……なるほど? お兄さんの筋の通らない要求と、私の筋の通らない要求を交換条件で、ってことかぁ」
アカリは小首をかしげ、額に指先を当てて「うーん」とうなる。
「ま、いっか。私に損はない話だし……。後でこの卵からファイアドレイクの子どもが孵って悪さしだしたとしても、私の責任じゃないからね?」
「話を聞く限り、そういうことはなさそうだが、その時はその時だな。だいたい、このまま卵を返さないでいたら、子どもを奪われたファイアドレイクがすぐにでも暴れ出すんじゃないか?」
卵を返すことで将来にリスクは発生するが、卵をこのまま持ち逃げするよりはマシなはずだ。
だが、そんなことよりも、俺としてはやはり、親子を引き離すことに抵抗があった――たとえそれがモンスターだとしてもな。
俺の生家であるクルゼオン伯爵家は、機能不全に陥ってバラバラになってしまった。
母が生きているあいだはそうではなかったんだけどな。
母が病気で没してから、父は性格が変わってしまった。
新生教会の教えにのめり込むようになったのもその頃からだな。
そんな家庭内の空気が、まだ幼かった俺とシオンに影響しないわけがない。
俺としては気の弱いシオンを守らなければという意識でいて、シオンとはよい兄弟でいられると思っていた。
だが、違った。
俺の独りよがりな考えだった。
俺とシオンのどちらが悪いか、なんてことを理屈で結論づけるつもりはない。
それでもしシオンのほうが7:3で悪い、などと結論が出たところで、俺とシオンの関係が良くなるわけじゃないからな。
俺にはもっとやりようがあったはずだ。
もう少し俺がシオンの気持ちをわかってやれていたら。
いや、「わかってやれていたら」なんて上から目線の発想がいけなかったのだ。
シオンは俺が思っているよりも繊細で、そういう俺の無自覚な恩着せがましさを嗅ぎ取り、うとましく思ってたんだろう。
なぜ俺はシオンとの関係に固執してしまったのか?
それはやはり、母を喪い、父を失い、家族というものが崩壊して、俺の近くに残されたのがシオンだけだったからだ。
要するに、俺はシオンに甘えていたのだ。
依存していたと言ってもいい。
その頃の俺の心の中を身も蓋もなく表現するなら、こんな感じになるだろう。
――おまえだけは俺を裏切らないよな? 俺はおまえの面倒をこれだけ見てやってるんだから。
思い返してみると、恥ずかしい限りだ。
もちろん、俺にだって言い分はあるさ。
貴族の嫡男としての立ち居振る舞いを求められながら、まだ子どもでしかなかった俺の気持ちを受け止めてくれる人がいなかった。
トマスは親身になってくれたが、やはり仕えられる側と仕える側という立場の違いはどうしてもある。
誰にも頼らず、一人でしっかりしなければいけない――
だからこそ、剣も勉強も領地経営も完璧を目指して入れ込んだ。
その一方で、正体不明の寂しさを持て余してもいた。
当時はわからなかったが、今から考えれば、それは「親に愛されたい」という気持ちだったんだろうな。
俺の家族はうまくいかなかったからこそ、あったのかもしれない――それこそ母が生きていればあっただろう「理想の家族」を求める気持ちが、俺の心の奥には眠ってる。
自分でも十分に自覚できていないそんな重たい思いをぶつけられたシオンにとっては、たまったものじゃなかっただろうな。
シオンだって、俺と同じように愛情に飢えていたんだろうから。
ファイアドレイクの卵を返してこいと持ちかけたのは、そんな気持ちがあったからだ。
家族というのは、ちょっとしたことで崩れてしまう。
そして、崩れてしまえば、それは容易なことでは修復できない。
だからこそ、家族というものを壊すようなことをしたくない。
――たとえそれがファイアドレイクの「家族」だったとしてもな。
「家族が離れ離れになるのはかわいそうだ。……わかるだろ?」
俺の言葉に、アカリの顔に
「……わかんないよ、そんなの」
冷たい――というよりは、無感情な言葉だった。
アカリの顔からはいつもの薄っぺらい笑みが消えていた。
代わりに他の感情が浮かぶ――ということはなく、アカリの顔は感情のない平坦なものになっている。
その顔の虚ろさに俺が面食らっていると、
「まっ、いいけどね。それでチャラにしてくれるって言うならやるしかないし? 一度はあそこまで潜り込めたんだから、卵を返してくるくらい、楽勝楽勝!」
わざとらしいほど明るくなって、アカリが言った。
「万一に備えてバックアップはする」
「大丈夫だって。……って、違うか。私が本当に卵を返すのかどうか、監視しようってハラなんだね? もー、疑り深いなぁ、お兄さんは」
「お兄さんじゃなくてゼオンだ」
「そ。んじゃ、ゼオン。私がさくさくっと卵を返すから、後ろからちゃんと監視しててちょうだいね? でも、火口に近づきすぎてファイアドレイクに気づかれないように気をつけてよ? ゼオンが気づかれたせいで卵を返せなくなったら、さすがに二度目はやらないからね?」
たしかに、そうなってしまったら警戒するファイアドレイク相手に卵を返すのは難しくなる。
さすがに、そこまでの危険を冒せとは言えないな。
「わかった。それでいい」
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